第2話『コスプレにご用心』前編

 私立涼南女学院──偏差値自体はそれほどたいしたことはないものの、今の時代には珍しい「良妻賢母の卵」を育てる、中高一貫のいわゆるお嬢様学校である。

 明治時代に創設された女学校にまで歴史を遡れる由緒正しい学び舎で、その学院の生徒ともなれば、「生粋のお嬢様」として県内では同性異性問わず憧憬と羨望の目で見られる──そんなステータスを持つ学校だ。


 とは言え、いかにそのような淑女養成校とは言え、やはり校風の枠に収まらない異端児はいるもので……。


 「ねーねー、来月のコミュケは、どんなテーマの衣装で行こうか?」

 「そやなぁ……春にアニメやってた『閃姫絶招シンクラヴィア』とか、わりとええんちゃう?」


 「現代服飾文化研究会」。そうご大層な名前が付けられたこのサークルも、ひと皮むけば、コスプレを始めとするサブカルチャーをこよなく愛する、ヲタク娘たちの集まりだったりするのだ。


 「それなら、清香さんが「大鳳つばさ」、由希さんが「クリスティーネ」、わたくしが「佐倉涼子先生」あたりのコスがよろしいのではないでしょうか?」

 2年生ふたりの意見を受けて、唯一の3年生である神原麻美先輩が、早速メンバーの割り振りを考え始める。

 「うーん、マミ先輩は「麻生かなで」あたりも似合いそうだと思いますけど……」

 「マミさんくらいプロポーション良かったら、舞台衣装もシンフォニックギア姿も、どっちも映えそうやしなぁ。むっちーは、誰やる?」


 「へ? あー、それだったら、リリティア学院の制服で「大日向ミキ」とか……」

 ──もっとも、かく言う私、「片瀬睦月」もそのサークルの一員なのだけれど。


 「だ、ダメですよぅ、そしたら、わたしが「橘ひびき」をやることになるじゃないですかぁ! 1年のわたしが主役だなんておこがましいです。片瀬先輩が「ひびき」をやってくださいよぅ」

 ちょっと引っ込み思案な(でもお裁縫の技術は一番巧い)ひよりちゃんが、慌てて首を横に振る。

 「そこはそんな気にする必要ないと思うけど……あ、でも、確かにむっちーの方が、「ひびき」は適役かも」

 「うんうん、主に体型的になー」

 同級生ふたり……いや、先輩と下級生も含めた4対の視線が、私の体の一部に集中しているのを感じて、思わず赤くなり両腕で胸を庇うようにして後ずさる。


 「ほ、ほっといて頂戴! 悪かったわね、ナイムネのお子様体型で!」

 「あはは、気にすることないえ、むっちー、貧乳はステータスやさかい」

 「そうそう、常に一定の需要は保証されてるからねー」

 きゃんきゃんと騒ぐ私たち3人とオロオロしているひよりちゃんを、ニコニコしながら見守る神原先輩。これが涼南女学院高等部・現代服飾文化研究会ことサークル「ウォーターブルー」の日常だ。

 ともあれ、そんなワケで私たち「ウォーターブルー」一同は、来月の8月中旬に開催されるヲタクの祭典コミュニケーションマーケット84に『シンクラヴィア』のコスプレで参加することになったんだよね。

 素人でも予想つくと思うけど、バトル物のコスは製作するのに結構手間かかる。その分、巧くできたときの周囲の反応は上々なんだけど。

 ブースに並べるための同人誌(と言ってもコピー誌だけど)の方は、いろんなイベントに出たときの写真集と簡単なコスプレ手引き本みたいなのが、紙とCD-ROMの両方すでにできてるから、そっちは心配ないのが救いかな。



 「夏コミュ、かぁ……てことは、もう半年以上経つんだなぁ」

 部活が終わって帰る途中、ゆっきー(早坂由希)とサーヤ(尾崎清香)と一緒に校内のお手洗いに立ち寄って、鏡の前で髪型を軽く整えながら、ふとそんな言葉がこぼれた。

 「ん? どしたの、むっちー?」

 「あ……ううん、なんでもないの。ただ、前の冬コミュから、もう半年以上過ぎたなんて、信じられなくて」

 「うんうん、月日の経つのは早いもんやねぇ」

 「サーヤ、おばさんくさ~い」

 「ちょ……花も恥じらう17歳の乙女をおばさん呼ばわりせんといてんか!」


 ふたりのいつも通りのじゃれあいを尻目に、私は再び鏡に視線を向ける。

 そこには、白ブラウスに藤色のベストと海老茶色のスカートと言う、大正時代の矢絣袴姿の女学生を連想させる色彩の涼南女学院の制服を着た「女の子」が映っていた。

 身長は160センチと高からず低からずだが、やや童顔なうえに、体型も細身で凹凸に乏しく、とくに胸のあたりのボリュームが足りないので、高校2年生の割にはやや幼げに見える。

 肩くらいに伸ばしたライトブラウンの髪は少々クセっ毛だけど、色んなコスが合わせやすい点は有難い。

 顔立ち自体は美人という程じゃないけど、クラスの平均程度には「可愛い」と言っても自惚れにはならないと思う。イベントとかでコスプレしてる時は、カメコのお兄さん連中にはそれなりに人気あるし、ソッチ系のサイトで色々写真が掲載されたことも多いしね。

 もっとも、コスプレする時は、体型(とくに胸)の関係でロリキャラか貧乳キャラしか似合わないのが悩みの種かも……って、すっかりレイヤーとしての性(さが)に染まってるなぁ。


 実を言えば、私がコスプレをしたのは、昨年末のコミュケが初めてだ。

 その一方で、「片瀬睦月」のコスプレ歴自体は、中学時代にまで遡れて、当時から割と有名だったりする。


 ──つまり、何が言いたいかと言うと、去年の冬コミュまで、「私」は「片瀬睦月」ではなかったんだよね。


  * * *


 「ちょっと、皐月、そろそろお金返してくれない?」

 冬休みが始まった直後、中学3年生の少年、片瀬皐月は、姉の睦月から、秋口にゲームを買うのに借りたお金の返済の催促を受けていた。

 「ご、ごめん、姉ちゃん! でも、もうちょっとだけ待って。正月にお年玉もらったら、必ず返すから」

 「はぁ? 何、寝言いってんの。それじゃ遅いのよ! 明後日のコミュケでの軍資金に必要なんだから」

 姉と弟という関係の場合、(たとえ1、2歳違いでも)たいてい前者が後者に圧倒的なアドバンテージを持っている。その上、借金までしていてはなおさらだ。

 ゲームやアニメなどが好きなヲタ系趣味の一致もあって、普段は決して仲が悪くない片瀬姉弟だが、ことお金やシュミがからむと、姉の睦月は非常にシビアだった。

 とは言え、無い袖は振れないというのも世の真理。結局、皐月がコミュケ3日目の睦月達のサークルの売り子を手伝うという、言わば「体で返す」ことで、その時は話がついた。


 そして、コミュケの会場では、数年前に話題を呼んだメイド喫茶ゲーム『パルフェール』の衣装(当然メイド服)を着た姉達に混じって、皐月はゲームの主人公である少年の給仕服姿のコスプレで売り子を手伝うことになったのだが……。


 「ちょっと、姉ちゃん、なんだよ、こんなトコに引っ張ってきて」

 朝からの第一陣の客がハケたので、いったん休憩に入ることになった片瀬姉弟だったが、皐月は睦月に会場の一角の使われていない部屋に連れ込まれていた。

 「時間がないから手短に言うわ。皐月、その服、脱ぎなさい!」

 「……は?」

 唐突過ぎる姉の言葉に弟が呆気にとられたのも無理はなかろう。


 睦月の話を要約すると、彼女はこのチャンスに密かなシュミである成人男性向けブースに買い出しに行きたいのだが、生憎あまり長時間自分達のブースを空けるわけにはいかない(睦月がコスしている「加藤里奈」はゲームの一番人気キャラなのだ)。

 そして何より、いくらヲタとは言え、若い女の子がソッチ方面の同人誌を買いに来たと思われるのは少々体裁(きまり)が悪い。

 そこで、皐月が今着ている給仕服を着て男の子のフリをして買い出しにいき、かつ、残った皐月に自分のメイド服を着せて代役にしようと言うのだ。


 「い、嫌だよ、姉ちゃんの方はともかく、俺は絶対ヤバいって!」

 どちらかというと父親似で凛々しい顔立ちの睦月は確かに男装もよく似合う。似合うというか、男性キャラのコスプレをした時など、本気で女性だと気付かれないことも多々あるくらいだ。

 しかし、いくら反対に母親似で女顔系だからといって、15歳の男の女装は絶対バレる!

 皐月はそう主張したのだが、借金を盾にした姉に、「ここはコミュケ会場なんだし、女装レイヤーだってそれなりにいるはずだから、万一バレても問題ないわ」と、押し切られてしまった。


 しかも……。

 「ちょ!? 姉ちゃん、いくらなんでもソコまでしなくても……」

 「甘いわよ、皐月! こういうのは、形から入って成りきることが大事なんだからね!」

 少々変態ちっくなトコロのある睦月が悪ノリした結果、衣装を交換する際、エプロンドレスと給仕服だけでなく、下着まで脱がされ、取り替えられてしまったのだ。


 いくら実の姉とは言え、年の近い女の子がさっきまで着ていたショーツやブラを身に着けねばならないという事態に、皐月が背徳感や興奮を抱かなかったと言えば、嘘になるだろう。

 今日の睦月がホックを止める必要のないスポブラを着用していたのは、不幸中の幸いと言うべきか……。


 急に静かになった弟をいぶかりつつ、手早く自分も給仕服に着替え(もちろん、その下には皐月のブリーフとTシャツを着ている)、弟にメイド服風エプロンドレスを着付ける睦月。

 ふたりとも身長はほぼ同じ160センチ前後で、インドア趣味なせいか皐月の体型が男にしては華奢なので、問題なく互いのコスを着ることができた。


 「へぇ、思った以上に似合うじゃない。これなら、誰もアンタを男だなんて思わないわよ」

 「ば、バカなこと言わないでよ!」

 そう言って顔を赤らめる皐月だったが、元々体型の出にくいロング丈のメイド服と金髪ツインテのウィッグがあいまって、確かに一見したところ女の子にしか見えない。


 「だいじょーぶ! じゃあ、しばらくウォーターブルーの売り子と被写体、よろしく♪ あ、そうだ、これも……」

 と、胸につける「片瀬睦月」の関係者証をメイド姿の「少女」に渡す「少年」。「こういうのはなりきる気持ちが大事なのよ」と、代わりに自分は「片瀬皐月」の名が記された通行証を左胸に留める凝りようだ。

 「今からしばらくは、アンタが「片瀬睦月」だかんね……それじゃ、サークルの売り子、頑張れよ、姉貴!」

 流石は熟練コスプレイヤーと言うべきか、まとう雰囲気を一転させ、まさに「元気な少年」そのものになりきって、「片瀬皐月」は男性向けサークルの並ぶ西館の方へと消えていった。


 残されたメイド服姿の「片瀬睦月」としては、正直、できれば「彼」が戻ってくるまで、この部屋に籠っていたかったのだが……。

 「う……お、おしっこ、いきたい」

 朝から休憩なしに働いていた反動か、尿意がそろそろ限界に達しようとしていた。


 仕方なくトイレへ赴く「睦月」。一瞬迷ったものの、この格好で男子トイレに入るわけにいかず、罪悪感を感じつつも、姉に渡された化粧ポーチを手に女子トイレへと並ぶ。幸い周囲の人々は「彼女」が本当は男だとは、まったく気付いていないようだ。

 それはそれで屈辱のような、今の状態では助かるような、複雑な気分で「睦月」は個室に入り、スカートの裾を注意深くまくり上げて、ショーツを下ろす。

 後から思い返せば不思議なのだが(あるいは姉の影響ですでに「なりきって」いたのかもしれない)、その時はそれが当然のように、「睦月」はそのまま便座に腰かけ、座って小用を足し、終わったあとはキチンと紙で拭いていた。


 よりにもよって、自分が、メイド服で女装して、女子トイレで用を足す。

 冷静に考えたら身悶えせずにはいられない羞恥プレイのはずなのに、なぜかその時は殆ど心を乱すこともなく──それどころか、手を洗った後、ポーチから取り出したパールピンクのリップを引き直すことさえしてから、「睦月」はブースに戻ったのだ。


 「ああ、ちょうど良かった。「カタリナ」ちゃん、撮影の御指名だよ」

 「結城明日奈」に扮した由希に、そう声をかけられて、反射的に「睦月」は言い返す。

 「カタリナって呼ばないでちょうだい、アタシは加藤里奈!」

 「ツンデレクイーン」とも呼ばれた里奈がゲーム中で頻繁にいう決め台詞(?)に、周囲の観客が湧く。

 「すげぇ! あの子、コスだけでなくなりきり度もハンパねぇぞ!」

 「カタリナたん、はぁはぁ……」

 周囲の盛り上がりに呆気にとられつつも、存外悪い気はしない。

 そのまま、呼び込みがてら、カメコの被写体をニコやかに──時には「加藤里奈」になりきって──順調にこなしてみせる「睦月」。

 いつの間にかブースには給仕服姿の「皐月」が戻って来ていたものの、まさか途中で抜けて衣装交換するわけにもいかず、結局、その日一日、ふたりはそのまま「加藤里奈」、「武村陣」のコスプレのままコミュケ会場で過ごすことになったのだった。


 いや、それだけなら、コミュケという特殊なお祭り空間の中のちょっとした(?)ハプニングということで済ませることもできたのだが……。


 「じゃあ、オレは男子更衣室の方で着替えて、そのまま帰ります。皆さん、お疲れ様でした!」

 16時になり、そろそろ撤収作業が始まる時間になった時、ブース裏に置いてあった着替えの入ったボストンバッグ(皐月のものだ)を手に、給仕服姿の「少年」は、サークル「ウォーターブルー」の面々にお辞儀をする。

 「あれ、皐月くん、打ち上げには参加せぇへんの?」

 「すんません、実は帰りに寄りたいところがあるもんで……それじゃあ」

 名残り惜しげな清香に、申し訳なさそうに謝って、「片瀬皐月」の通行証を胸につけた「彼」は、足早に男子更衣室の方へ歩み去っていった。


 「うーん、ちょっと残念だけど、用があるんやったらしかたないわね」

 「そうですね。じゃあ、まずは1年生の3人から、着替えてらっしゃいな。わたくしと石原先輩が、ここで荷物番を引き受けてますから」

 3年の石原桃子と2年生の麻美も、それぞれ『パルフェール』の「杉崎恵未」と「加古夏海」に扮してはいるのだが、このふたりは女子大生の普段着と言われてもおかしくない格好なので、混雑する女子更衣室を避けて、そのまま帰るつもりなのかもしれない。


 「じゃあ、お言葉に甘えます」と女子更衣室に向かう1年生トリオ。

 しかし、他のふたりと雑談しながら、会場端の更衣室へ向かう途中で、「睦月」はふと我に返った。

 (いや、待て待て。私──じゃなくて「俺」は、行っちゃダメだろ!)

 内心そう葛藤しているにも関わらず、「睦月」はそれを表に出せずにいた。


 思い返せば、このふたりも先輩達も、衣装を交換してブースに戻った「彼女」を、何の疑いもなく「同じサークルメンバーの片瀬睦月」として受け入れていたのではないか?

 そして、他方、あの給仕服を着た人間を「睦月の弟で助っ人の皐月」として扱っている。


 確かにふたりは実の姉弟だし、顔立ち自体はそこそこ似てはいるが、だからといって同じ部活の仲間の顔を、いくら衣装を取り替えたからって見間違えるものだろうか?

 とくに、清香とは中学時代、由希に至っては小学校時代からのつきあいがあるというのに!

 それどころか、あの「皐月」の方も、自分が本当は__であることを忘れたように振る舞っていたし……。


 (本当は私が、__なのに……)

 脳内で愚痴りかけて、「彼女」は不意にギョッとする。

 ──今、自分は、心の中でも、ごく自然に自分のことを「私」と言っていなかったか?

 しかも……本来の立場であるはずの自分の名前を、どうしても今の自分と結び付けて思い出すことができない。

 (お、「俺」は……私は………誰?)

 自問自答しても、浮かんでくるのは、「片瀬睦月」、「涼南女学院高等部の1年生」、「サークル・ウォーターブルーの人気コスプレイヤー」という、仮初のはずの立場に伴う自己認識(アイデンティティ)ばかりだ。


 足元がおぼつかないような気分に襲われ、思わずよろける「睦月」だが、同行するふたりの少女が支えてくれた。

 「むっちー、大丈夫? ちょっと休んだほうがいい?」

 「今日は半日、ほとんど立ちっぱなしやったからなぁ」

 「親友」ふたりの暖かい心遣いに、混乱していた心が僅かに元気づけられる。

 「だ、大丈夫。ちょっとクラッとしただけだから。早く着替えて、先輩たちのところに戻らないと」

 とりあえず、色々考えるのは後回しにして、今のところは、ひとまず「片瀬睦月」として、部活仲間との時間を過ごそう。

 その場は、そう割り切ることにした「彼女」だった。

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