読書のすすめ
@Takamachiyuu
読書のすすめ
【あたしゎ、こうゆうむずかしい本は好きじゃないんだケド、読んでみたらけっこうおもしろかったョ!】
返却手続きをする本と一緒に渡された手紙を読んで、私は頭が痛くなった。
なんだこの、頭の悪そうな文章は。「ゎ」って何だよ。「こうゆう」って!
「あの…さ、どうして、こういう文章を書くの?」
言いづらかったが思い切って訊くと、吉見さんはキョトンとした顔で首をかしげた。
ゆるく巻かれた茶色い髪が、顔の動きに合わせて揺れる。
「どうして? って、え? 何かヘン?」
「だからこの、小さい『わ』とか」
「あ、カワイイよね、それ」
「え?」
可愛い? どこが?
私は首をひねる。
むしろ、気持ち悪い。体がムズムズする。
今までにも、同じような文を書いている人は見たことがあったが、正直私は、見るたびに苛立ちしか覚えない。
小さな子供が書いた手紙ならば、「は」が「わ」になっていようと「ま」が鏡文字だろうと、「頑張って書いたんだね」と微笑ましく思うだけだが、高校生にもなってこれはないだろうと思う。
どこかに、「頭悪そう」
あるいは、わざと間違えるところがファッショナブルという考え?
――どちらにしても、私の好みとは相容れない。
「でも……吉見さん、
私は、なんとか気持ちを立て直して訊いた。
学年一の秀才、羽村君は隣のクラス。
吉見さんいわく、羽村君は「頭いい上にイケメンなのがいい」そうだ。入学式の時、壇上で新入生代表の言葉を述べているのを見て一目惚れしたらしい。
吉見さんは羽村君に先日告白したが、
「俺、読書好きのおとなしい子が好きだから」
と、あえなく振られてしまったそうだ。
でもそれで諦めず、同じクラスの図書委員である私に、
「賢くなれそうな本教えて、宮本さん!」
と頼んできたあたり、ガッツがあるなあと思う。
外見や喋り方からは、私の苦手なタイプかと思えるのだが、話してみると、意外と話しやすかった。
何より、読書の楽しみを広めたい本好きの私としては、彼女の意欲は歓迎すべきものだ。
だから私は吉見さんと一緒に学校の図書室へ行き、子供にも読みやすい文章で、かつ大人にも支持されているファンタジー小説を選んで貸し出し手続きしてあげたのだ。
その時、
「どうせ読むなら、ただ読むだけじゃなくて、感想も教えてくれる?」
軽い気持ちで、そう言った。
私も読んだことがあって大好きなその本を、吉見さんがどんな風に読むのか、興味があったのだ。
そして今日、図書委員の当番でカウンターの中にいた私に、吉見さんが本と一緒に例の手紙を持ってきたというわけだ。
内容は前述のとおりだったが、感想を口頭で伝えるのではなく、わざわざ手紙を書いてきたところに彼女の頑張りを感じて、私はつい親身になってしまう。
「多分、羽村君はこの小さい『わ』、嫌いだと思うな」
「ウソ!? なんで!?」
図書室だということを気遣ってか抑えめな声ではあったが、代わりに目をまん丸に見開いて吉見さんが驚きを表現した。
彼女がちゃんと声を小さくしたのは、私には意外だった。
図書室を利用したのは先日が初めてだというし、なんとなく、マイペースで悪気なく大きな声を出してしまうタイプかと思っていた。
だが教室での様子などをよくよく考えてみれば、彼女は、空気を読む能力にかけてはおそらく私よりよほど優れているのだ。周りが静かなので、今は大声を出すべき場面ではないと察しているのだろう。
そういうところは、純粋に凄いなと思いつつ、私は言うべきことを言うために口を開いた。
「日本語として正しくないから。読書好きでこの『ゎ』が好きな人に会ったことないよ」
「えええー?」
吉見さんは不満そうに、つやつやなピンクの唇を尖らせたが、私は自分の意見に確信があった。
実は私は、羽村君とは同じ中学校だったのだ。
同じクラスになったことはないが、中学時代も図書委員だった私は、図書室でしばしば彼を見かけていた。
彼はしょっちゅう、貸出限度の七冊を借りていっていたのが印象に残っている。
おそらく彼自身も、結構な読書家だ。きっと私と同じように、この手紙を読んだら、添削したくてたまらなくなるに違いない。
「あと、面白かったって書いてあるけど、どこが、どんな風に面白かった? そういうの、自分なりにまとめておくと、話題にしやすいよ」
「なんか読書感想文みたいだねぇ。えっとねー、主人公がすごい強くてー、カッコよかった。あと、ごはんがおいしそうだったかな」
「あ、それは分かる。架空の材料を使った架空の料理なのに、凄く美味しそうで、食べてみたくなるよね。本当にそんな料理を作る国が、どこかにありそうなリアリティーがある。主人公も、決して無敵ってわけではなくて、刃物で斬られれば怪我もするけど、それでも揺らがない精神的な強さがあって、地に足のついた格好良さが……」
ハッと気付くと、うっかり語りすぎていた。
吉見さんが驚いた顔でこちらを見ている。
「あ、ごめん。これは私の感想だった。別に吉見さんが、同じように感じる必要はないからね!」
慌てて早口で弁解した。
「……なるほどー。なんか賢そうな感想」
「え、そ、そう?」
吉見さんが素直に感心してくれた様子だったので、私はホッとした。
だがどうしても黙っていられなくて、付け加える。
「ただ、せっかく感想文を書くなら、文法はきちんとしておいた方がいいよ」
「うん、わかったー。じゃあ今度は別の本で。また感想書いてくるから、見てくれる?」
「え? あ、うん。もちろん」
うるさいと思われるかと危惧していたので、吉見さんの前向きな反応が私には嬉しかった。
「この本が面白かったなら、続編が何冊かあるよ。あと他には……」
周りに利用者がいないことを確認して、私はカウンターを出た。文庫本のコーナーで、短編集を一冊抜き出す。
「このあたりはお薦めかな」
ごく短い話が数多く収録されているその本は、短時間でも読みやすく、かつ、予想外の展開や奇想天外なオチで驚かせてくれる。
ラストを予想しながら読んでいても、なかなか当たらない。だから、読んでいるだけで自分の想像力の幅を広げてくれるような気がする。
読書初心者にも、きっと楽しんでもらえるだろう。
「それと、さっきの本の続編は――」
「あ、それは場所わかる。仕事の邪魔してごめんね」
図書室の本を持った生徒がカウンターへ近づくのに気付き、吉見さんは私を促してカウンターに戻らせた。
その生徒の貸し出し手続きを終わらせて待っていると、少しして吉見さんも私が薦めた二冊を持ちカウンターへ戻ってきた。
そちらも貸し出しの手続きをすると、
「図書室って静かなところなんだねー。今度は教室で話そう?」
吉見さんはそう言い残して帰っていった。
私は嬉しくなって、次はどの本を薦めようかと、あれこれ思案した。
吉見さんは、結構打たれ強いことが分かった。
吉見さんが感想文を書いてきた日は、昼休みに教室で見せてもらい、私が色々と意見を言う。そしてそのまま昼休みか、あるいは放課後一緒に図書室へ行って、次の本を決める。
そんな生活は、どうせすぐ飽きるだろうという私の予想に反して、そこそこ続いている。
感想文についても、特に文法的な誤りは徹底的に指摘して直させたが、それで彼女が落ち込んだり、逆に私に文句を言ってきたりということはない。
本を読んで何を感じるかは個人の自由なので、「こんな感想は間違っている」とは私も言わないものの、掘り下げが足りないと感じる部分は細かく質問して、感じたことをより詳しく書いてもらうようにした。
意外と嫌がられることもなく、吉見さんも楽しそうにしてくれるので、つい調子に乗って、私は厳しいことを言ったりした。
「はぁ……。スパルタだねぇ」
一度吉見さんがそんな風にこぼしたので慌てたが、
「すごいタメになる感じがする」
と続けたので安心し、
「そういうときは『すごい』じゃなくて『すごく』が正しいからね」
と返した。
振られた後だというのに、吉見さんは羽村君のクラスへ度々遊びに行っているらしい。
私から薦められた本を見せては、羽村君と話をしているという。
「え、それ、羽村君に嫌がられないの?」
心配して思わず訊いてしまったが、
「そうでもないよ。むしろ結構喜ばれてるというか……。宮本さんが好きっていう本は、大体羽村君も好きでさ。最初に教えてもらった本のシリーズとか、羽村君も何度も読んだって言ってたよ。そんな感じで、割と話が盛り上がるかな」
「へえ……」
そうなんだ、羽村君もあのシリーズ好きなのか。なんだか嬉しいな。
同志が増えたような気持ちなのかな。
吉見さんからしょっちゅう羽村君の名前を聞くから、私もいつの間にか、羽村君に対して親近感が湧いてきていた。
もっとも羽村君は、私のこんな感情を知っても当惑するだけだろうけれど。
それよりも、吉見さんの話を聞いていると、羽村君も結構吉見さんを歓迎している様子らしい。
吉見さんに好意を持たれているのも、まんざらではないのではないかという気がする。
もしかしたら、今もう一度吉見さんが告白したら、二人はうまくいくのではないだろうか。
だってこの子、凄く可愛い。
見た目もそうだけれど、何よりその前向きさがいい。物事を深く考えるということはまだ苦手だけれど、その分素直だし、自分に正直だ。行動力もある。
何かをしたいと思っても、行動する前に慎重に考えすぎてしまって機会を逃したりする私とは対照的だ。
きっと、足して二で割ればちょうどいいのだろう。
彼女のような子と仲良くなれて良かったな、と、最近しみじみ思う。
最初に話してから二ヶ月あまりが経ち、吉見さんの感想文は、当初より格段に成長した。
少なくとも、文法的に間違っていて苛立つということはあまりなくなった。
私とは目の付け所が違うから、思いもしなかった感想が来ることもよくあって、それが結構面白い。
だから、そろそろ大丈夫かと思い、私は私の一番好きな本を貸すことにした。
逆境にもめげずに頑張る主人公の姿に胸が震えるその小説は、前半は主人公が徹底的に打ちのめされる展開で、読んでいて若干気分が鬱々としてくるのだが、終盤まで行くと一気に盛り上がる。逞しくなった主人公が、次々と襲いかかる危機を、様々な工夫をしながら乗り越えていくのにはわくわくするし、主人公の機転には驚かされながら楽しめる。
図書室には残念ながら置かれていなかったので、私は家から自分の本を持ってきて、吉見さんに渡した。
「これ、図書室の本じゃなくて、私の私物なんだけど、凄くお薦めだから、ぜひ読んで」
「……ありがと」
吉見さんは驚いた顔で本を受け取ると、なぜか少し困ったように笑った。
数日後の放課後、返ってきた本に添えられた感想は、思いがけないものだった。
「これは つまんなかった」
たったそれだけ。
今までにも、否定的な感想のときはあった。
思春期の繊細な感情の揺れ動きを丁寧に綴った作品を読ませたときなど、「知らない子の日記を読んでるみたいで退屈だった。別にこの子の日常に興味ない」と書かれていて、多少はがっかりしたものだ。
しかし今回のこれは、あまりにもなげやりだ。正直かなりショックだった。
つま「ら」なかった、ではないところも、少し引っかかる。
この手紙からは、吉見さんのいつものやる気が、全く感じられないのだ。
「……ねえ、本当にちゃんと読んだ?」
おそるおそる訊いてみると、吉見さんは目を逸らした。
「実は……、途中で読むのやめちゃった」
「なんで!? 確かに序盤は主人公が散々ひどい目に遭うし、読んでいてしんどいかもしれないけど、後半そこから這い上がるからこそのカタルシスがあるし、最後まで読めば絶対面白いから!」
「……あーごめん、ムリだわ。そもそも、難しい言葉がいっぱい出てきて読みにくいし」
「でも」
「もういいよ。宮本さん、今までありがとね。あたし、羽村君のことはあきらめる」
それだけ言うと、吉見さんは自分の席へ戻っていってしまった。
「そんな」
帰り支度をして教室を出て行く吉見さんを、私はなすすべもなく見送った。
吉見さんは、最後まで私と目を合わせようとしなかった。
……なんとなく、責任を感じてしまう。
私が本のチョイスを間違えたばかりに、生まれかけたカップルを一つ潰してしまったのではないだろうか?
だとしたら、どんな本だったら良かったというのだろう……。
じっと椅子に座り、ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつの間にか随分時間が経っていたらしい。
「宮本」
名前を呼ばれて我に返ると、教室からは他に人がいなくなっていた。
見上げると、声をかけてきたのは羽村君だった。
「吉見から聞いたんだけど、宮本、このシリーズ好きなんだって?」
そう言いながら羽村君が鞄から出してきたのは、私が最初に吉見さんに紹介した本の、シリーズ最新刊だった。
「あ、それ! 今日発売の新刊!」
「もう読んだか?」
「まだ。だって今日発売なんだよ? どうしてもう持ってるの?」
私は、今日の帰りに本屋へ寄って買おうと考えていた。ついさっきまではすっかり忘れていたが。
「発売日の前でも、入荷次第出してくれる本屋を知ってるんだよ。フラゲってやつだな」
「フラゲ?」
「フライングゲットな」
「ああ……」
羽村君は、思っていたよりくだけた言葉遣いをするらしい。
私は納得して頷いたが、羽村君は怪訝そうな顔になった。
私の隣の席に座りながら、
「なんか元気ないか?」
と訊いてくる。
そんなに落ち込んだ顔をしていただろうか?
「うん、ちょっとね」
「好きな本の発売日なら、もっとうきうきしてるかと思ったのに」
「まあ、今朝まではね……。羽村君もそうなの?」
「そうって?」
「好きな本の発売日はうきうきするの?」
「もちろん。むしろ何日か前からそわそわしてる。フラゲできないかと思って本屋何軒か回ったり」
「ええっ!?」
そわそわとした表情で本屋を回る羽村君を想像し、私は笑ってしまった。
意外と可愛いところのある人なんだな。
「あ、もしかしてそれで、早く買える本屋を発見したんだ」
「そういうこと」
そこから、
私には、普段から親しくしている男子などはいないのだが、羽村君は中学時代から図書室で見知った顔だったせいか、あるいは吉見さんの影響なのか、まともに話すのはこれが初めてだとは思えないくらい、自然に話すことができた。
好きな本の話題なのも手伝って、話は弾む。
誰かと話していてこんなに楽しいと思ったことは、今までになかった。
このまま、この時間がいつまでも続けばいい……。
ふとそんなことを思う。だが同時に吉見さんの顔が頭をよぎり、そんな風に思ってしまうことに後ろめたさも覚える。
「……実を言うとさ、俺、吉見から聞く前に、宮本がこのシリーズ好きだってこと、知ってたんだ」
話が一段落したとき、羽村君がそんなことを言い出した。
「え?」
「むしろ、そもそもこのシリーズを読み始めたきっかけは宮本なんだ」
「そうなの?」
意外だった。このシリーズは何度も読んだと聞いていたし、もっと昔からファンだったのかと思っていた。
「中学二年のときさ、宮本の書いた読書感想文が文集に載っただろ?」
私たちが通っていた中学では、国語の授業中や夏休みなどに生徒が書いた文章を教師が選び、年に一回、文集を作っていた。
そういえば、中学二年のときは、夏休みの宿題だった読書感想文を、私は二種類提出したのだった。
片方は学校指定の課題図書、もう片方は、どうしても感想を語りたかった例のシリーズについて書いた。
「こっちの方が良く書けているわね」
国語教師はそう言って笑い、例のシリーズについての感想文を文集に載せてくれたのだ。
羽村君は、当時のことを思い出すように、手に持った本を眺めながらどこか遠い目をした。
「このシリーズ、名前は知ってたけど、しょせん元は子供向けだろって、ちょっと馬鹿にしてて、俺は読んでなかったんだ。でもあの文集で宮本、もの凄く熱く感想を語ってただろ。それを読んだら興味が湧いてさ、読んでみたらハマっちまった。おかげで凄く面白い本に出会えたよ。ありがとな」
羽村君が微笑むと、私の胸もなんだか温かくなるようだった。
「こちらこそ……。私の書いた感想文で、誰かがこのシリーズを好きになってくれたなんて、凄く嬉しい」
「それからずっと、宮本と話してみたいとは思ってたんだけど、クラスも違ったし、図書室で顔は見てても、なかなか話しかけるタイミングが掴めなかったんだ。でも、吉見が最近宮本の話ばっかしてくるからさ、悔しくなったっつーか、やっぱ直接話してみたくて。思った通り、すげー楽しかった! その点は、吉見に感謝しないとな」
「ありがとう。私も、今日は凄く楽しかった。羽村君と話せて嬉しかったよ」
私がそう言うと、羽村君はじっと私を見つめてきた。
その真っ直ぐな視線に、私の胸がドキッと鳴る。
「宮本、俺と付き合わないか?」
「え?」
「好きなんだ」
――息が止まるかと思った。
嬉しい。ものすごく嬉しい。
今までの人生で、誰かともっとずっと一緒にいたいと、こんなにも強く思ったことはなかった。
きっと彼となら、仲良くやっていけると思う。
うん、と……頷きかけて、しかし私は躊躇った。
羽村君のことは諦める、と言った吉見さんの顔が、脳裏にちらつく。
「あの……。お願い、返事は一日だけ待ってくれる?」
私が言うと、羽村君は一瞬、がっかりしたような顔をしたが、
「……分かった」
と頷いてくれた。その後少しだけ微笑み、
「新刊の感想について話すのも、楽しみにしてるからな」
と彼は言った。
翌日、私は休み時間に、吉見さんを廊下へ連れ出した。
「あのね、私、昨日羽村君に告白されたの」
反応が怖くて、下を向いて一気に言うと、意外なことに吉見さんは、ああ、と軽く頷いた。
「で? OKしたんでしょ?」
「ううん」
「え!? まさか断ったの!?」
吉見さんが仰天したように叫ぶと、廊下を歩いていた生徒が何人かこちらを見た。
「……あの、一日待ってもらってるの」
思わず声をひそめてしまう。
「まさかあたしに遠慮してんの? あたし、あきらめるってちゃんと言ったよね?」
吉見さんも小さな声で、ヒソヒソと言ってくる。
「聞いたけど……、やっぱり、せめて報告くらいしておかないと悪いかと思って」
「律儀だねえ。でもあたしのことはいいよ、気にしなくて。宮本さんも羽村君のこと好きなんでしょ?」
「え、いやその、昨日初めてまともに話してみたら、楽しくて、あの……、うん」
私がしどろもどろになりながら頷くと、吉見さんは大きな目を細めて笑った。
「やっぱね! そうだと思った。だってあの本見せたときの羽村君、宮本さんと全く同じこと言ったよ。カタ……カタルシス? がどうとか、『最後まで読めば絶対面白い』とか。宮本さんに本を返したとき、おんなじこと言ってる! と思って。一瞬、二人で示し合わせてあたしをからかってるのかと疑っちゃったよ」
「え!? しないよ、そんなこと」
「……うん、みやもんはしないよね。わかってる。だから悔しいけど、この二人お似合いだわと思って。だからあたし、あきらめるって言ったんだよ」
私の脳裏に、私と目を合わせようとせず、そそくさと帰っていく吉見さんの姿が浮かんだ。
「そ、そうなんだ……。というか、『みやもん』って?」
「あ。ごめん、だいぶ前から、心の中ではそう呼んでたんだけど。宮本だからみやもん……嫌? そう呼んだら怒る?」
「別に怒らないよ。……嫌じゃない、よ。ゆるキャラみたいで、力が抜ける感じはするけど」
「そう? じゃ、今度からそう呼ぶね。……あたしのことは、里佳って呼んでくれると嬉しいなぁ」
吉見里佳……ああ、そういえば、そんな名前だったっけ。
同じクラスだからフルネームも知ってはいたけれど、下の名前を呼ぶべきものとして意識したことはなかった。
「え、じゃ、じゃあ……、里佳ちゃん」
うわ、なんだろうこれ。照れる。顔が熱くなっているのが自分で分かる。
「あっは。それだと人形っぽい」
吉見さん――里佳はしばらく笑っていた。
……私もしばらく、心の中で「里佳」と呼ぶ練習をすることにしよう。
「あ、それで話は戻るけど、あたし、実は羽村君に二度目の告白をしたんだよ」
「えっ!? それって、いつ?」
「おととい。んで、またきれいさっぱり振られちゃった。その時に羽村君から、明日……えっと、つまり今日から見ると昨日だけど、みやもんに告白するって宣言されてたの。そんときは悔しかったけどさあ、昨日話してて、まあみやもんなら仕方ないかなって思ったわけ。だから、あたしに気をつかわなくていいから。好きなら付き合っちゃいな」
里佳はさばさばと言う。
――なんていい子なんだろう!
こんないい子を振るなんて、羽村君ももったいないことを……とは思ったが、だからといって、告白の申し込みを断りたいとは思わなかった。
里佳の目が若干赤いような気がするのは、もしかしたら昨夜泣いたのかもしれない。
だが、今はすっきりとした表情をしている。
葛藤を乗り越えて里佳が私を認めてくれたと言うのなら、私はその思いに応えようと思う。
「うん。……ありがとう」
そう答え、さてこれから羽村君に告白のOKを出しにいくのか……と考えた途端、私は緊張してきた。
「……でもなんだか、不安になってきた。羽村君はたしか、読書好きのおとなしい子が好き、なんだよね? 私は確かに本好きだし、普段はあまり喋らないから物静かに見られてるのかもしれないけど、実はそんなにおとなしくないし……」
「知ってる。結構スパルタだったよね」
里佳はまたちょっと笑った。
「うっかり語りすぎて引かれないかな?」
昨日も結構語ったような気はするが、この先お互いの好みが合わない作品だってさすがに出てくるだろうし、それでケンカになったりしたら……。
私がそんな風に怯えていると、
「だいじょうぶじゃない? あれウソだし」
里佳がさらっととんでもないことを言い出した。
「……は?」
何を言われたか理解するのに、少し時間がかかった。
嘘? 何が?
「あのね、ホントはあたしが告白したとき、羽村君は『他に好きな人がいる』って断ってきたの。誰のことかって何度もしつこく訊いたら、『宮本』って言うからさぁ、『あんな地味な子のどこがいいの?』とか、またしつこく訊いて……あ、ごめんね。その時は本気でそう思ってたからさ」
「うん、いやまあ、初対面の時は私も里佳ちゃんのことちょっと馬鹿にしてたところがあるし、それはいいけど。それで、羽村君は何て?」
「『宮本の良さが分からないんなら、どのみち俺とは合わないよ』だって。それ聞いてあたし、宮本さんの良さがわかるようになったら、羽村君と付き合えるのかと思ってさ」
その発想は凄い。
「前向きだね!」
それなら里佳は、私に近づくためだけに「本を紹介して」などと言い、あんなに根気強く感想文を書いてきたというのか……?
「結果的にさ、みやもんがいい人なのは、よくわかったよ。みやもんが自分の本貸してくれたときとか、泣きそうになったもん。羽村君の気持ちを知ってて、みやもんのおススメの本とか持って押しかけていってたことに、なんか罪悪感が出てきちゃって。この子に負けるんなら、まあ仕方ないかーって今は思うし、羽村君にはあたしより、みやもんのが合ってるってことも、よーくわかった」
「……ありがとう」
「あ、あとさ、あのときの本、また借りてもいい? なんか一刻も早く返して、もうあたしのことはいいからって言わなきゃとか考えてたら、あんま読めなくて。もう一度、落ち着いて読んでみたいの。だって、最後まで読めば、絶対面白いんだよね?」
「うん! 保証する」
それは嬉しい申し出だった。
そうか、あの、やる気のなさそうだった手紙は、里佳が羽村君を追いかけるのをやめようと決意したから……本気で書かなかったから、ああなったんだ。
たぶん里佳は、本を読むこと自体をやめようと思った。でも、羽村君のためというのとは別に、本を読むことそのものも好きになっていたから、また読みたいと思ってくれた。きっとそういうことじゃないのかな。
だったら嬉しいな。
「それとさ」
ふいに、里佳が悪戯っぽい表情になって言った。
「羽村君と付き合ったらさ、羽村君の友達で野球部の稲田君、あたしに紹介して! 声がシブくて、硬派なカンジでカッコいいんだぁ」
「ええっ!?」
里佳が急にそんなことを言い出したのは、私が必要以上に気にしないようにと気遣ってくれたのかもしれない。
それでも、その切り替えの早さはなんとなく里佳らしい気もする。
私は驚きつつ、思わず笑ってしまった。
その新しい出会いが、里佳にとって良いものであればいい、と願いながら。
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