クリエイター二人の日常

冬町 由石/茶摘 緑

第1話 日常の一ページ

右ほほが痛い。

鏡を使って自分の顔を見てみたら、くっきり鮮やかなモミジみたいな手の跡が付いていた。

「……朝からつらい。もう嫌、わけわかんない」

 俺、長津田(ながつだ)弥(や)月(つき)はぼやいた。さっきまで自分の部屋でぐっすり寝ていたはずなんだ、はずなんだけど何故か起きたら幼馴染の布団の中で添い寝していた。

 何か記憶が残っていないか頭の中を探ってみるが、あそこにいた理由など思い出せない。そもそも寝てから一度たりとも起きた記憶もない。

 いやっ、落ち着くんだ俺。まず一から辿っていこう。

 俺の仕事が終わったのは二十三時で風呂入って飯食ってそのあと……

「あ、思い出した。寝てたけど衝動を抑えきれなくて完成した曲を聞かせに行って、それでいつものように添い寝してて、寝起きに寝ぼけてあいつの胸揉みしだいたんだわ」

 思い出してみれば結構酷かった。

 思い切り抱きしめ、そして胸を鷲掴みだ。そして揉んだ、少しじゃなくてめっちゃ揉んだ。そりゃあもうこれでもかと揉んでしまった。

 すごく柔らかかった。大きすぎず小さすぎず、本当にちょうどいい大きさと形でまさに美しいという言葉がふさわしかった。

「まあ、とりあえずケーキでも持って謝りに行こうかな……」

 とりあえず俺は寝間着から着替えた。今は真冬で外は凍えるように寒い。俺は厚手のコートを手に取り、先ほど追い出されてきた場所に向かうことにした。


「さて、許してくれるかな?」

 俺はそこそこ大きいマンションの一室の前にいた。

 さっき下のインターホンから聞こえた声は明らかに不機嫌だし若干枯れていたし叫んでたんだろう。正直怖くてなかなか部屋のインターホン押せない。

 躊躇していると先に扉のほうが開いた。隙間からはむっとしたかわいらしい顔が覗いていた。

「……入って」

 怖い、一言入るように促されただけなのにすごく怖い。迫力が違う。

従わなければと考えるとおっそろしいので恐る恐る着いていった。

 部屋まで着いた、女性らしい部屋……ではない。マイクや数個のモニター、ミキサーやインターフェースが置いてあったりタブレットPCには書きかけのイラストが写っている。

 幼馴染、宮西(みやにし)柚子(ゆず)麻(あさ)はマルチクリエイターとして活躍している。と同時に俺の相棒でもある。二人でクリエイターユニットをやっていてイラストとか動画とかに関してはゆず、作曲とかミックスなんかの音楽関係は主に俺が手掛けている。

 俺は冷や汗をかきながら正座して待っていると、ゆずは緑茶を二人分持ってきた。

 表情を覗うことはできない、怖すぎる。目の前に足が覗いたとき、思いっきり上から鉄拳が降ってきた。手加減してくれてるのはわかるが痛かった。

「これでもう許してあげるから顔上げなよ。次やったらどうなるかはわかってるよね?」

「もちろんよくわかっております! お詫びにこちらをお持ちいたしましたっ」

 許して頂いて肩の重荷が降りた気がして顔を上げた。

 俺が謝るために持ってきていたケーキの詰め合わせを見せるとゆずの目の色が明らかに変わった。あれは好物を見つけた獣の目だ。

「おー! わかってるじゃない。一緒に食べようよ!」

 すっかり機嫌が戻ったらしくいつものゆずに戻っていた。いつもは優しいんだよな、可愛いし。

「それじゃあ俺はこのモンブランいただく」

「あ、それは私が食べるから別のにしてねー」

 俺がずっと狙っていたのを取られた。まぁ、怒らせたお詫びだから譲る

けど。

「ところであの曲どうよ、結局感想聞く前に寝落ちてたし何も覚えてないんだけど」

 ゆずは少し考えこむ仕草をしていつものように評価を下してくれた。

「まぁ、いいと思う。普段弥月が作ってるような曲でもないし、そのことも考えると依頼主的にも納得だと思うしいいんじゃない?」

「よかった、結構自信なかったからそう言ってもらえてありがたいっ」

 実はそこそこの知名度の企業にCMソングの依頼を受けていたのだ。なかなか納得できるものもできなくて苦しかったなぁ。

 自分の名前も広まってきてて大切な時期だしな。

「あ、そうだ。弥月、あの曲のレコーディング終わったわよ。個人的には自信あるっ!」

「お、聞くわ」

 ゆずからヘッドホンを受け取り耳に当てる。

 ヘッドホンからは俺の作ったメロディアスなアコースティックサウンドが流れてきた。

 毎回ゆずにはボーカルをやってもらっている。曲調にマッチしているハスキーな声が聞こえる。

「いいんじゃないか? いつも通りだな」

「えぇー! いつもよりいいと思ったのにー」

「とりあえずミックスしたら送っとく。動画は頼んだぞ」

「うん! 任せといて!」

 今作っている曲は動画サイトにアップする用の曲で、数少ない楽しみ。

依頼だと手も抜けないし締め切りも厳しいしテーマに沿って作らなきゃいけないし、自分たちのユニットのメジャーレーベルから出す方の曲だとなかなか遊びを入れられないし。

 それに比べてこれはプロとして出すものじゃないし。

 自分の好きなことだとしても仕事になるだけでこれほど楽しめないとは思っていなかった。

 目の前にいるゆずも仕事用に作るより趣味としてのほうが楽しそうだし、みんなそんなもんなんだろうな。

 とはいえあくまで予想だしどうせならと聞いてみる。

「なあ、ゆずは趣味として作るのに比べて仕事で作品作るのって楽しいか?」

 ゆずは即答で返してきた。

「どちらかというと楽しくないかな、楽しいけど売れ線を狙って作るのとか正直面倒くさい」

「だよなぁ、俺らの場合好きにのびのびやってたらスカウトされた身だからかもしれないけど」

 音楽始めたのも面白そうだったからっていうのが理由だし、そうやって何気なくやっていただけなのに流れで仕事になっていて、そんな業界への入り方をしたからかもしれない。

 もちろん楽しくないわけではない。この業界に入ってからいろんな人に出会ったし新しい音の作り方なんかも知れたし、大きい会場でのライブも経験させてもらった。

 俺が自分で作った曲をアコギを弾いて、ゆずが会場での演出とかイラストだったり動画だったりで表現したりなんかをやって俺のギターに最高の歌を乗せてくれる。

 そんな最高の作品を人々に直接届けられる。

 楽しくないわけがない。でも、それとはまた別で趣味の活動もすごく楽しい。

 また小さいライブハウスでライブやりたいなぁ。

「ねぇ、弥月。音楽をやってて楽しい?」

「もちろん、半分はゆずも一緒に活動してくれるからだけどな」

「私もおかげですごく楽しいよ。弥月の曲は変わったアプローチもあって歌っててすごく楽しいしね」

 そういってゆずは優しく微笑んでくれた。こういう表情が一番かわいいんだよなぁ、ファンが多いのも納得だ。

 守りたいこの笑顔。

 俺が頭を撫でると気持ちよさそうにぐでーっとなる。

「ゆずは撫でられるの好きだよなぁ」

「弥月の撫で方が気持ちいいんだもん」

 だからってライブ中に求めないでほしい。ファンに滅されるから。

 そうこうしてるうちにゆずは寝息を立てて眠ってしまった。ベッドで寝たからいいけど、少し寒そうにしているので毛布を掛けてやった。

 よく勘違いされるけど別に恋人とかではなくて、昔からこんな感じ。心を許してもらえてるのがとてもうれしい。

 できるならずっと二人で活動していきたいと思う。今の生活は本当に幸せで離したくないなって。

 話し相手も寝てしまったし、とりあえず持ってきたノートPCでDAWを開こうとすると、一軒のメールが届いていた。

 マネージャーからだった。

 綴られていた文を見て俺は心臓が止まるかと思った。そして目を疑った。

「…………まじかよ」


『おはようございます。橋本です。あんまり長ったらしく文字を連ねるのもあれですし、単刀直入に伝えます。東京ドームで五日間ライブやりませんか。今、勢いもかなりありますし、お二人なら成功できると思います。そのためにスタッフ一同全力で力を貸すつもりです』


 これが俺の日常だった。のんびりのんびり活動を続けて楽しんで生きていた。

 ゆずとこうやって過ごしてきた。だけど、この誘いに乗ればその日常が変わってしまうかもしれない。東京ドームでのライブは武道館に立つよりもずっと難しい。

 ましてや五日間なんて前代未聞で。音楽をやってる身からしたら誘いに乗ってみたくもなる。だけど俺はこの日常を変えたくない。

「これ、ほんと……?」

 考え込んでいたらいつの間にか起きてパソコンをのぞき込んでいた。

「ゆずはやりたい?」

「わ、私は……」

 少し考えこみながらも、ゆずは気持ちを伝えてくれた。

 ゆずが言うなら俺もそうするしかないな

「そうか、じゃあそうしようか」


 ――三年後――

「ねえ、弥月?」

「なに?」

 今日も二人でゴロゴロしながら過ごしていた。

 部屋は真新しく新築の匂いがする。

「結局私たちの日常はそこまで変わらなかったね。ドームに立ったのに」

「まぁ、でもよかったよ。俺はこの日常が好きだから」

 変わったのは二人とも左手薬指に同じ指輪を付けているだけ。

 それ以外は何も変わらない、いつもの日常で。

 俺の一番の幸せ。

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クリエイター二人の日常 冬町 由石/茶摘 緑 @huyumachi

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