竜の骸と思春期症候群

椎名 陽

第1話

中生代・白亜紀前期・ベリシア期


 驟雨しゅううの中を彼女は駆け抜けていた。

雨の滴の一つ一つが砂利のように叩きつけられる。夏の季節の日没後、気まぐれ同然に発生した低気圧は、雷鳴と共に滝さながらの豪雨をこの河川群にもたらし、ひとたまりもなく上流から洪水を発生させたのである。

もう駄目だ。背後から脅威が迫ってくる。

 最後に考えたのは、一年前に出会ったつがいの事だった。彼は逃げる事が出来たのだろうか。

 知って欲しい。知って欲しい。自分たちがここに生きていた事を知って欲しい。

 

 新生代・第四期・完新世


 群馬県神流町かんなまち


 たがねが岩肌を叩いた。

 化石サイトで高校生らしき年齢の少年が化石採集をしていた。

「今日は不作だ。研究機関が手も出さず、法的に部外者が立ち入ってもいいようなサイトじゃこんなもんだよなあ……今日は切り上げよう」

 爪野つめの鳥人とりひとはぼやいた。

 平均的な男子高校生としては少々柔弱な体格だが、無類の恐竜オタクという個性があった。首には獣脚類、いわゆる肉食恐竜の鉤爪の先端部に革紐を通した首飾りとし、それをトレードマークとしていた。

すっかり日も暮れ、帰路につく途中の事だった。

「え? あっ!」

深い崖があった事に気付かず、滑り落ちそうになる。かなり深い。

 その時、自分の体が自分のものではないかのように、地上に降りた猛禽のように敏捷になる。物理法則に従い、下に落ちていくはずの自分の体は、むしろそれ以上のスピードで崖下を駆け降りる。

そして……!

 ズザアァァッ! と最小限のダメージで何とか着地してみせた。

「助かったのか? 僕は」

〈やっと出会えたわね〉

それは全長約三メートル。分類上獣脚類じゅうきゃくるいと呼ばれる肉食恐竜の霊体、そういうしかない存在であった。某映画に出てくる小型獣脚類と違い、全身が茶褐色の羽毛に覆われているが、頭部はミミズクを思わせる長い冠羽がⅤの字型に延び、前肢の鉤爪は翼に覆われ、この二カ所だけが赤く差し色になっている。それが少女とも妙齢のともつかない声色で、自分に話しかけている。性別は雌らしい。

「なんだこいつは? なんで喋れる?」

〈久しぶりね。長い間待ち続けていた。こうして鳥人にまた会う日を。その爪の中で……! 私は何故死んだのか、どうして今ここにいるのか知りたい〉


 ――それから数日後、鳥人は学生の本分として今日も登校した。

 門扉を通るとは話しかけてきた。

〈ねえ鳥人、今日は私の骸探しはしてくれないの?〉

「放課後は予備校に行く予定があるから今日は無理だ。それから真空シンクウ、学校じゃ僕にあまり話しかけないでくれ」

 ここでいう真空とは仏教用語の涅槃を意味する。

〈そうは言うけど、私の姿が視えるのは鳥人しかいないじゃない〉

「僕の話相手がいなくなるんだ。痛い奴だと思われて。代わりに昼休みに図書室で作戦会議だ。お前の正体を解き明かすための」


 そして昼休みの図書室。

 鳥人が着いた机の上には、書棚から持ってきた古生物関係の書物や、これまでの真空の姿のスケッチや特徴を箇条書きにしたノートを広げられていた。

〈それで結局、どこまでわかったの?〉

「ルフスペンナベナトル・セバヤシエンシス」

〈は?〉

「お前の仮の学名だよ。ラテン語で赤い羽根の狩人、その瀬林層から出た恐竜という意味さ」

〈私は真空よ? 鳥人が名付けたじゃないの〉

「僕が言ってるのはお前という恐竜の属名と種小名さ。自分が過去、この地球に生きていた証明として必要だろ?」

 真空は苛立ち、机に飛び乗り赤い羽根の並んだ前肢を広げる。威嚇の姿勢だ。

〈話が噛み合わないわね! 私は確かに自分が何故死んだのか、どうして今ここにいるのか知りたいとは言ったわ。でもそれを他の人間に知らせて欲しいとは頼んでない!〉

「必要だと思うんだけどなあ。例え新属新種の化石を発見しても、公式記載されなければそれはこの世に存在しなかったも同然なんだぞ」

「あのー、爪野君っすよねー?」

 ボブカットの少女に声をかけられる。

〈誰?〉

赤朱鷺あかとき……!」

 厄介な奴に目を付けられた。鳥人はそう直感した。

 赤朱鷺かいこ

 奇矯な言動と行動で有名なクラスの問題児。

「真空さんの研究、どこまで進んだっすか?」

「何で知ってるんだ?」

 古生物としての、真空が属していた恐竜の事を言っているわけではない。今鳥人の傍らに立ち、人語すら話す動物霊の事を言っているのだ。

視えてるのか? 一瞬鳥人は勘繰った。

「〈ああ思いだした。二時間目の私が木に引っ掛かった落し物を取ってやった人間の雌〉〉

「え……!」

 鳥人は自分の口から出た言葉に驚いた。

「そんな事もできるのか?」

 肉体を操作するだけでなく、鳥人の脳を借りて試行し、言語も話せるというのだ。

「結構目立ってたっすよ? 何であのひょろい体格の爪野が陸上選手並みにジャンプしたり、爪野が速く走れるのか、とか、みんな不思議がってたっす」

「うああああああああああ!」

 全然隠せていなかった。

「もしかして、それって思春期症候群って奴っすかねえ?」

「思春期症候群?」

「ネットじゃ有名な都市伝説っすよ。『他人の心の声が聞こえた』とか『人格が入れ替わった』とか思春期の少年少女たちに起こると噂される、不思議な現象っす」

 大体当てはまる。恐竜のではあるが、他人の心の声は聞こえるし、人格も入れ替わりではないが、自分の中に間借りしてくるのである。

〈鳥人、どうかしら? 一人で意地を張らず、この人間にも協力を求めたら〉

「こいつが古生物学だの地質年代学だの、わかると思うか?」

「言ってくれれば役に立つっすよ。自分は爪野君よりはコミュ力は高いと自負してるっす」

「〈それは嬉しいが、にはなぜお前が鳥人に興味を持つのかわかっている〉」

 ずいと、蚕に自分の顔を近づける。蚕の表情が凍りつくのとは対照的に、鳥人の顔は凄みのある微笑が出来上がった。

「〈きっと、憧れていたのだろう? 自分にも思春期症候群が起こって欲しいと。他の誰にもない、特別な出来事が起こって欲しいと。だがそういう外れ者には外れ者の苦しみもある。この鳥人は何年も前に津波に飲まれて生きるか死ぬかの経験もしている。半端な覚悟で着いてくるな〉」

 ガッ! と鳥人の顔に拳が入った。思わず憑依が解ける。

「津波?」

 蚕が問うが、それは無視して鳥人は真空を叱った。

「真空! 余計な事は言うなッ!」

「え? 爪野君?」

「気にしないでくれ」

 鳥人は席を立った。そろそろ昼休みが終わり、五限目だ。

 

 放課後、鳥人は鞄を背負い、教室を出た。

 鳥人は福島の南相馬市出身で、あの東日本震災で津波をかぶり死にかけた過去があったが、他人と接点を持つ事でその件に触れられたくはなかった。

「神流町恐竜センター、アマチュアの古生物学サイト、色々当たってみたけど煮詰まってるなあ……」

〈いっそ私という存在は本当に思春期なんとかいう現象かもしれない、なんて言い出さないでよ?〉

「まさか恐竜センターに勤めるキュレーターに恐竜の幽霊が視えるんです、なんて言っても相手にされないだろうしなあ」

 そこへ蚕が合流してきた。

「爪野君、今日は予備校に行く予定じゃなかったっすか?」

「あれ? あそこ、赤朱鷺も通ってたのか?」

「始まるまで時間まであるっすから、それまでちょっと一緒によってくれないっすか?」


 赤朱鷺が案内したのは『ララミディア』という質屋か古道具屋風を思わせる雰囲気の店だった。

「ミネラルショップか、こういう所よく知ってたなあ」

ミネラルショップ。この手の店は、宝石ジェムの他に化石フォッシルも取り扱っていた。どちらも定義上は鉱物だからである。蚕によれば、パワーストーンの類を買うため、女子生徒がたまにここを訪れるという。

「化石つながりでこういう店に来れば何か分かるかも、と思ったっす」

「品揃えは、ジェムはともかく化石関係となると、厳密な意味での恐竜は少ないか……」

「いらっしゃいませ、と言いたいところだけれども、あまり気に入ってもらえないようねえ」

 店主らしき女性が声をかける。膝まで届く真っ黒い長髪に服装もカジュアルな黒主体。こういう店の雰囲気にはある意味ぴったりの人材といえる。商売人という人種は扱う品物に応じ商品知識が必要だが、この手の店でこの若さは意外だった。

 だがその主人が気になる事を言い出した。

「それが、僕は恐竜の化石のほうが好きで、ジェムの方は詳しくないです」

「私が言っているのは君自身の事よ。答えはすぐ傍にあるのに、何か満たされずにいる」

「え?」

真空ではなく鳥人自身の問題である。

「このお嬢さんから恐竜の爪をいつも首にかけている子の話を聞いたけれど、本当にこの地のものなのかしら?」 

 忘れていた記憶が蘇る。なぜ震災の時自分が助かったのか。

 神流町の化石サイトで真空に出会った時を思い出す。真空はあの時、「久しぶり」「待ち続けた」と言った。

 ドクン、と心臓が高鳴る。

〈まさか覚えてないの? 鳥人に出会ったのは数日前じゃない。もっと何年も前の話よ〉

 濁流に呑まれたあの記憶。

 それは当時自分が掘り当てた鉤爪の化石に宿っていた真空の魂が助けてくれたからだった。つまり真空の本当の出身地は南相馬、中村層群の地層だった! いくらこの土地を探しても何も出ないはずだ。

「じゃあ、お前本当は神流町の恐竜じゃないってのか? 何で黙っていたんだ!」

〈余計な事を言うなと言ったのは鳥人でしょ! お願い、そこに連れて行って〉

「あのー。お取込み中失礼っすけど、もしかして私は何か、お二方にとんでもない事をさせちゃったとか……」

 主人もその背中を押す。

「行きなさい」

 鳥人は遠回りしていた今までの自分に別れを告げた。

「行かなきゃいけない。僕はそこで、何があったのか知らなきゃいけない」

 結局その時は何も買わず、礼を言って退店した二人と一頭だが、結局主人は真空の事が視えるのかどうか、永遠の謎であった。


なぜか蚕も着いてくる事になり後日、土日休日を利用し、鳥人たちは南相馬に到着した。

「もうここまで復興していたのか……」

 幼少の頃の荒れ果てた原風景とは違う、町も自然も瀟洒な風景を作っていた。

 散策してみると、鳥人が真空の爪を見つけた化石サイトがまだ残っていた。

「ここだ、ここで父さんと一緒に化石採集に出ていたんだ」

「え? あれってなんすかねえ?」

 ここで蚕が妙なものを見つける。真空のではない。一つの恐竜の歯の化石だ。真空がその持ち主に思い当たる。

〈鳥人! あれは……ああ、そういう事だったの……!〉

「真空! どうした! 何の話をしてるんだ!」

「あの欠片は私じゃない……! 私の……つがいよ!」

「お前のつがい?」

 いたの?

 それは、真空のつがいだった雄の恐竜だった。なんと鳥人の目の前でもう一頭の恐竜の霊が現出する。

〈やっと全てがわかった。なぜ私が死んだのか。今の時代に私が蘇ったのか。そして鳥人に出会ったのか……!〉

真空が真実を悟り、鳥人に告げる。

〈私ははるか昔、水に呑まれて死んだ。でもあの日、私の骸をここで鳥人が見つけてくれた。全てはこのつがいともう一度会うためだったのよ……! でもその願いが叶った以上、もう一緒にはいられなくなった……〉

一緒にはいられない。それが証拠に二頭の恐竜の霊は消えようとしていた。

「じゃあ僕はどうすればいいんだ!」

 涙が滲む。

 これ以上何もしなくていいのか?

 つい数日前であったばかりじゃないか!

真空は最後の別れとして、道を示す。

〈この地のどこかにある自分の化石を探し出して、この世界にその存在を知らせてやればいい。でもこういう時、言うべき言葉は決まっているわね。ありがとう〉

そう言い遺して二頭の恐竜は寄り添い、昇天して逝く。

〈もう一人じゃないでしょう。すぐ傍にいる、その人間を見なさい〉

 鳥人は左手側を見た。確かに一人ではない。口調が少々変わったボブカットの少女。

爪の首飾りを握りしめ、己に誓った。

 これが思春期症候群で、それが消え去ろうとしている状態だというなら、真空たちが生きた証を示す手段は一つしかない。

「見つけてやるとも……。もう一度、お前を探して会いに行く!」

そして十数年後の未来、福島県南相馬で恐竜化石が発見、学名が公式記載された。

 分類・竜盤目・獣脚亜目・ドロマエオサウルス科

 恐竜学名:ルフスペンナベナトル・ツメノイ (赤い羽根の狩人)

 と……。

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