彼等の裏事情

いさなぎ

菊地陸人の裏事情


憂鬱って多分こういうこと。


「あーーもうやってらんない。くそ過ぎ」

「言葉遣いが荒いですよ」

「そりゃ荒くもなりますよ。兄上がそんな大馬鹿だとは思いませんでしたから」


菊地陸人(きくち りくと)は、盛大な溜息を吐きながら寝転がる。

珍しく長兄から連絡があり、揚々と実家に戻ったものの、開口一番に言われたのは縁談とチームの離脱の勧告。

こうもあからさまに、徒労だと突きつけられれば、脱力せずにはいられない。

その様子を不服とも怪訝とも取れる表情を浮かべながら見つめるのは、陸人の目の前に座る実兄・天人(たかひと)であった。


「兄に馬鹿とは何ですか。私は貴方の事を思って――」

「思ってくれるのは嬉しいですけど、その前にまず自分の心配して下さいよ。あの女、どうするんです?」

「以前にも話したはずです。お祖父様が健在である以上は、現状維持を――」

「その許容する姿勢が、義姉上を傷つけてることを早く自覚した方が良いですよ」


兄と義姉が夫婦になって五年以上は経つが、未だに子供ができないことから、親族の義姉に対するあたりは強い。

世継ぎが出来ない原因が義姉だけであるはずがなく、弟である自分や次兄がそれとなく庇ってはいるものの、肝心な夫である長兄は頭首である祖父に頭が上がらないどころか半ば言いなりで、改善の目途は立たない。

それどころか、子供が出来ないことに託けて、血を繋ぐだけのために用意された遠縁の女を侍らせておくなど呆れなど通り越して憤りを覚える。つまり悪循環となりつつある。

頭首である忌々しい祖父からすれば、御三家の中でも質の低下が危ぶまれる一族の再興も鑑みて、配偶者の潜在能力を最大限に引き出し子を産み、後世にまであり続けることの代償として異能を捨てた椿一族の娘を、次期頭首の嫁に選んだ甲斐がないということなのだろう。

とはいえ、顔も知らない相手に嫁がされた義姉の立場から考えれば哀れに思え、何より本人は気が気でないはずだ。


「………彼女を受け入れたことなどありません。私の妻は紅羽だけ」

「当たり前です」


幸いにも長兄と義姉の仲は睦まじいのが救いだが、それもどうなるか分からない段階まで来ているような気がしている。

もし自分が義姉の縁者なら、腰抜けクソ野郎などと殴り倒しているだろう。


「しかしながら、義姉上にそれがきちんと伝わっていなければ、お話にすらなりません。義姉上を本当の意味で守れるのは、兄上だけなんですから」


そうはっきりと告げて、陸人は立ち上がる。


「もう行きます」

「話はまだ――」

「お断りします。伴侶は自分で決めますし、オルディネを去る気はありません」


切り捨てるような言動に、天人は苦虫を噛み潰したように大層不満な表情を浮かべる。


「菊が桜に、こうべを垂れるのですか」

「まさか。花は実るものが増えれば、自然と垂れるものですよ」

「陸人…」

「桜に垂れた覚えはありませんが、強いて言わせてもらえば、藤に垂れるよりマシでしょう。またね。兄上」



――――――――――

――――――――

――――……



「全く兄上は融通が聞かないなぁ。僕がいつ、桜空に尽くすなんて言ったよ」


兄との会話を早々に切り上げ、陸人は廊下を呑気に歩きながら、売り言葉に買い言葉のごとく返した言葉を振り返る。


「縁談もそうだけど、そんなのボクの自由じゃないか」


リーデルを認めたからと言って、無条件に尽くしてるわけじゃない。

リーデルが桜空一族の者だからといって、彼の一族に頭を下げたわけでもない。

しかし周囲からはそう見えるのだろう。

菊地は桜空より格下だと。


――めんどくさい。


偶然にもリーデルが桜の姫になっただけだというのに、あの言い様。

しかしだからこそ、兄は頭首にしかなれないのだろうとも思う。

それ以前に、桜空は七華の中でもっとも歴史が古く、厳密に言えば分類だって違う一族だ。兄上は何を思って、桜と同等などと考えてるのか疑問である。

純血であることでさえ、ただの重荷であるのに、それ以上の付加価値はただの鎖のように感じてしまう。そう思うのは、一族の中で自分だけなのだろうか。


「あーあ。せめてまな板娘が、たおやかな貴婦人だったらなぁ」


せめて見目麗しい姫君とか、彼女の兄のような先祖返りとかなら良かったものの、残念ながら見た目も中身も子供のお転婆娘。

顔だって好みじゃない。というか可愛げがない。あくまで自分にだけかも知れないが。

陸人は心なしか溜息を吐く。


「お前が溜息を吐くとは珍しいな。悩み事か」

「そりゃあね。僕だって悩みの一つや二つはあるよ。海人兄よりはマシかもだけど」


そう答えながら振り返ると、もう1人の実兄・海人(かいと)の姿があった。


「ここにくるなんて珍しいじゃん」

「兄上に呼ばれてな」

「海人兄も?」

「お前もか?」

「うん。チーム抜けろって言われた。あと縁談。速攻断ったけど」

「フッ…お前らしいな」


海人は小さく笑う。

普段からあまり表情の起伏が少ない次兄だが、自分や長兄と話すときだけは度々柔らかな表情を浮かべており、それが好きだったりする。


「海人兄はどうするの?」

「縁談はともかく、チームは無理だな」

「いずれは出るの?」

「いずれな」


思いのほか即答され、陸人は更に疑問を投げる。


「アヴィドならいいじゃん。給料高いし。まぁ問題はあったけど……大人しくしてれば安泰じゃん?」

「給料は否定はしないが、安泰かは分からないぞ」

「何で?」

「近頃は他チームの異能者の質も上がって来ている。何よりオルディネが動き出した」

「期待値上がり過ぎじゃない?」

「五指のジョエルや、情報の才子アーネスト。加えてお前や柳一族の傍流もいるのに、警戒しない方がおかしい。そしてそれを束ねるのが、我ら御三家にして七華の長・桜空一族の娘となれば尚更だ」


陸人は何とも言えない表情を浮かべる。


「そうは言ってもねぇ……うちのリーデルへぽっこだよ」


異能もろくに使えない、純血のはずなのに異能者らしくない感性。

所属者に愛されてるだけの存在。


――まぁ、どんな相手でも向き合って理解しようとする姿勢だけ感心するけど。


「桜空あかねだったな。桜空家現当主・ヨシ様の長女。当主殿が言っていたが、先代によく似ているらしい」

「ふーん…」


忌まわしい祖父でさえもオルディネのリーデルには関心があるらしい。

恐らく桜空に何か企みでもあるのかと勘繰っているだけだろうが。


「ともあれ、俺は時が来るまでは様子見と言ったところだ。お前はどうだ。オルディネの者とは上手くやれているのか」

「なんで?」

「近頃、また所属者が増えたと聞いた。お前は変に意固地なところがあるから、衝突してないか心配になったまでのこと」

「つまりワガママだからってこと?」

「そうとも言うな」


気遣っているのか遠回しに言うものの、問われれば素直に答える兄に、仏頂面がよく似合う生真面目な仲間を思い出して、軽く笑みを浮かべる。


「海人兄が心配しなくても大丈夫……とは言い難いけど、なんとかなってると思うよ」

「そうか。ならいいが……」


ふと海人は、陸人の頭を撫でる。


「ちょっ…」

「兄上はなんと言ったか知らないが、お前の好きにするといい。桜空だろうと海藤だろうと、純血という括りでは同じこと。そこに差はない」

「………」

「どちらが優っているか、劣っているかなど、所詮はただの戯言。そんなものに拘っているようでは、大切な局面に血迷うことにも繋がる。そもそも、桜空の娘はそんな事を気にする者なのか」

「全く。腹立つほど自覚もないよ」

「だろうな。だからこそ、オルディネの頂点に相応しい。まぁ桜空一族は長兄を除き、そう言ったことに無頓着とは聞くが」


そう言って陸人から撫でていた手を離す。


「深く考えることではない。純血としての使命はあれど、肝心なのは自分が何を望んでいるかだ」


ここではないどこか遠くを見つめながら、海人は言葉を続ける。


「兄上はお優しい。ゆえに次期頭首にふさわしい。だが俺は、兄上のようなにはなりたくない。だからこそ自分の意志のもと、ここまで歩いてきた。しかしそれが出来たのも、この家に生まれてきたからこそ。ならば俺はその恩に報い、菊地の繁栄に繋がることは為すべきだと考え、その務めを果たすつもりだ」

「……」

「しかしそれはあくまで俺個人の話だ。例えお前が、菊地家の意向に沿わないものを望み為そうとしても、それもまた良し。俺は歓迎しよう」

「…そう言ってくれるのは嬉しいけど、兄上が聞いたら怒りそうだね」

「そうだな。だがそれが兄上の意志であるなら仕方ない。適当に聞き流せばいずれ収まる。しつこいようなら、義姉上の話を持ち出して言い包めればいい」

「僕が言うことじゃないけど、海人兄って容赦ないよね…」

「フッ…兄に甘える弟だと思ってくれ」

「ちょっ、なにそれ。ウケる」


陸人は可笑しそうに腹を抱えて笑う。


「兄上のお小言が終わったら、何か食べに行くか」

「まじ!仕事は?」

「今日は休みを取ってある。お前は?」

「ボクも大丈夫!なに食べたい?」

「特に希望はないが……ああ強いて言うなら、パフェが豪華な店だな」

「それなら良いお店知ってる!」

「ならそこでいい。折角だから義姉上も誘うか」

「さんせー!兄上抜きにしてお話しいっぱいしよ!」


自身を取り囲むものが多く、それらに押し潰されそうになったとしても、自分らしくあること。

改めてそう決意した陸人の足取り軽く、義姉がいるであろう部屋へと向かって行った。


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