男子練習帳
ピクルズジンジャー
予防接種は受けましょう
今から三十年ほど前、ある病が地球上で蔓延し人類をパニックに陥れた。
それから約十年後、その病の原因となるウィルスの活動を抑え込めるワクチンの開発が成功し、翌年度から三歳未満の乳幼児は自己負担なしで接種できるようになった。
お陰で平成も終わるというこの日本においてその奇病に罹る人はぐんと少なくなったわけだけど、残念ながら根絶には至っていない。というのも悲しいかな、西洋医学や現代医療に不信感を抱く大人っていうのはなかなかいなくならないからだ。
そしてよもやまさか、幼馴染で親友のご両親がワクチン否定派だとこういう形で知ってしまうのも悲しいものがあった。
「春転症の患者を久々に見たって医者にビビられた、参った」
一週間前に入ったばかりの部屋で、一週間ぶりに会った洋太はむすっと膨れていた。
不機嫌になっているというより、病欠していた期間に出された課題のプリントやお見舞いのために買ってきた洋太の好物の甘夏ゼリーの入ったコンビニ袋をその場に落としてしまうほど、混乱する俺を見ていたたまれなくなったというものらしい。唇を尖らせ切れ長の目をぷいと背けた。
融ちゃん、洋太を見て驚かないでね、これまでどおり仲良くしてやってね、と、苦笑の一言で片付けるには複雑なニュアンスの笑みを湛えた洋太のおばさんが俺をまっすぐ見て両手を握りしめてきた理由をようやく飲み込んだが、俺はどうしてもこう呟かずにはいられない。
「……嘘だろ?」
「じゃねえって。ほら」
洋太はむすっとした顔つきで部屋着兼寝間着にしているヨレヨレのバンドTシャツのすそを大きくめくる。それは本日二度目で、ちなみに一度目は数分前に学校の課題やコンビニの袋を落とすきっかけになった。何しろ洋太の胸には本来あるはずがないものがあったからだ。
白い、大きい、先端が濃い桜色の、一瞬饅頭か何かかと脳みそが誤認識した、柔らかそうな、肉の塊が右と左に一つずつ、計二個。
保健体育的には乳房というやつで、俗にいう、あれだ、おっぱい、というやつだった。
とっさのことで何も言えなくなり、棒立ちになる俺を見て、洋太はベッドの縁から立ち上がる。そして下に履いてるこれも部屋着兼寝間着であるよれたスウェットのウエストに手をかけ下に下ろそうとする。
「なんならこっちも見るか。──ただし心しとけよ、あれ結構エグいぞ。下手すると余裕で二日は凹む」
「! いいっ、いいってやめろ! こんななんでもない日を俺の記念日の一つにしたくないからっ」
それまでに、幼馴染で親友が突然女になったり、しかも成り行きで生まれて初めての生おっぱいを見てしまったり、既に今日という日は俺の中の結構な「初めて」を根こそぎかっさらう勢いで十分なメモリアルデーになっているのだ。もうこれ以上、特別を重ねたくない。
俺が本気で拒否したからか、洋太は今度はほんとうに仏頂面になってまたベッドの縁に腰を下ろした。
「何もそこまで嫌がんなくてもいいんじゃね? つか、見たくねえの? 生のアレだぞ? 興味ねえの? ひょっとしたらお前、この後一生そういうチャンスねえかもしんねえのに?」
「今そういう微妙な気遣いはいいから!」
話が脱線して行く。今は俺が俺の人生で異性の生殖器官を目にする機会があるかないかとか、とりあえずそういうことはどうでもいいのだ。
幼稚園に上がる前から戸建住宅のならぶこの区域で一緒に幼馴染として育ち、兄弟のように育ち、当たり前のように親友となって小中を共に生きてきた洋太がすっかり過去のものになったと思っていた、春転症──思春期性転換症候群──に罹患して性転換しているという目の前の現実を受け入れるのが先だ。
思春期性転換症候群というそのまんますぎる名前を持つこの病は、病原であるウィルスが十代前半の少年少女に伝染することで発症する。
最初は微熱にくしゃみ鼻水というカゼににた軽微な症状となって現れるため軽くみていると、数時間後には高熱と体の節々が折れ曲がるような激痛に襲われる。その痛みと苦しさに耐えかねて昏睡すること数時間、目が醒めると自分の体が以前とすっかり変わり果てた有様になっていることを目の当たりにしてショックを受ける──というのがこの病の全容だ。性は転換するが命に別状はない。転換してしまった性を受け入れられれば、そして周囲の人間もそれを受け入れることができたら、罹患した人の人生はつつがなく問題なく平和に平穏に生きることはできる(社会生活というものを一切考慮しない美しい理想の話において、という但し書きはつく)。
猛威を振るった三十年前、当たり前だが社会はパニックに陥った。望みもしていないのに自分の性が転換してしまった少年少女たちの苦悩は計り知れず、深刻な社会問題となった。現代でもこの病の後遺症で苦しむ人々のドキュメンタリーがテレビでも放送されるしノンフィクションとしても出版されている。
とはいえ、三十年も経つと冒頭で語ったようにワクチンも作られ、転換してしまった性別を受け入れられない人たちへの保障や対策も十分とはいえないものの取られるようになり、医療技術を用いて元の性に戻す治療法の研究も進めららている。逆に生まれ持った性別を受け入れられない人々のために春転症ウィルスを利用して外科手術無しで安全な性転換方法がスタートしているようだ。そんな風に現代社会はなんとかこの厄介なウィルスと折り合いを経て平和的に共存している。
そしてそれはきっと俺や洋太の人生からは近くて遠い場所にある、無関係の事柄だと俺はそんな風に漠然と思い込んでいた。
一週間近く学校を休んでいた親友に会いに行けば、背が高くて小さい頃から空手なんぞ習ってた為に筋肉質で年々顔つきが精悍になってゆく親友が、大きいおっぱいとえらくくびれたウエストと割れた腹筋を持つクールな女の子になっていたと分かるまで。
「熱の原因は風邪じゃなかったし伝染ったらやべえし見舞いにはくんな、とかいって何が起きてんのかと思ったら、まさかこういうことになってるとは――」
「医者が言ってたんだよ。二千年代生まれなら春転症ワクチン打ってるはずだけど念のため学校は休んで一週間は友達とは会うなって」
「でも、せめてLINEかなんかでこれこれこういうことになったって説明くらいはできたんじゃない? 言っとくけど俺、あとついでにうちの親も心配してたんだからな。一週間も面会謝絶になるなんて洋ちゃんはどういう病気に罹ったんだってさあ。だのに、なんだよこのサプライズ」
「まあその辺は心配かけて悪かったけどよぉ。でもバカ正直に説明してもお前絶対信じねえだろうしなぁと思って。嘘つくならもっとマシな嘘つけって。んじゃあいっちょドッキリでもかましてやろうかなって気になったんだよ」
戸惑いによる腹立ちを抑えられない俺とは対称的に洋太は憎らしいほど平然として俺の持ってきたコンビニの袋をガサガサ言わせてゼリーを取り出している。おっ、と呑気な歓声をあげる。
――しかも洋太の言うことが間違っていないのが悔しい。多分俺だって「急に女になった」なんてメッセージを送りつけられても絶対信じやしなかった筈だ。バカなこと言ってないでゆっくり眠って病気を治せくらいは言っただろう。
ゼリーのフィルムをはがし、いただきます、と一応断って洋太は甘夏ゼリーを食べだす。
「――まあ、アレだな。おっぱいっつうのはありゃ自分の体にあるとそんないいもんじゃねえな。服と擦れると乳首痛えし、下手に動くと付け根が鬼かってほど激痛走るし」
ゼリーをうまそうにバクバク食べながら洋太は語った。
その口調は春転症になる前の洋太そのままの、──親友なので改善を促す意味でもはっきり言ってしまおう──あまり知性というものを感じないざっくらばんにもほどがあるものだった。
俺は洋太が普段どおりなことに安心していいのか文句をつけていいのか、どうしていいのかわからなくなる。
ベッドの縁に座っている洋太、床の上に直に座っている俺。洋太は膝の上に肘をつき、甘夏の房が入った透明のゼリーをやや前かがみで食べている為、くたくたにヨレたバンドTシャツの襟ぐりから胸元が覗くのだ。気まずいので俺も自分用に買ってきた同じメーカーの白桃ゼリーを食べる。そしてひたすら白桃の埋まった透明のゼリーをじっと見ながら掬って食べる。
洋太は同じ姿勢のままダラダラと続けた。
「女子が体育の時にちんたらちんたら動きやがんのが見ててくっそダリかったけど、理由があったんだなってやっとわかったわ。そりゃこんな痛えと全力で走れんわ。……でもまあまあ揉むとけっこう気持ちいいけどな」
「いやそういう情報は後でいいから」
「は? マジか? お前知りたくねえの? 自分の体についてるおっぱい揉むとなあ、気持ちいいのは手だけじゃねえとかそういうの知りたくねえの? 何お前、ストイック星人?」
「だから、そこよりもまず説明することがあるんじゃないかって言ってんの。俺は!」
思わず本気で苛立ってる時の声が出てしまった。
長年の習慣のたまもので、俺がこういう声を出すとおふざけをやめるのが癖にになっている洋太は少し間を置いて、春天症にかかった時の情報を伝える。
異変は一週間前に起きたのだという。
その日は俺がこの部屋に普段通り遊びにきていた日でもあったから、その時の様子はよくおぼえている。確かに洋太は少し体調を崩していた。くしゃみを連発し、体も少し熱っぽかった。俺も「バカは風邪ひかないっていうのにな」といつものように軽口をたたき、洋太も「うっせえ」とティッシュで鼻をかみながら返した。
それからしばらくして、伝染すといけないからという理由で洋太は俺に帰るように促した。背が高くて筋肉質で見るからに武道や格闘技の心得がありそうな外見をしているから初対面の人間からは確実に怖がられるし、口を開けば知性や恥じらいを忘れたようなことばかり口にするけど、こんな風に人を気遣えるヤツでもあるのだ。洋太は。
そして俺もすぐ帰ることにした。長い付き合いで、小学生時代は真冬でも半袖半パンで暮らす典型的なアホ男児だったくせに一旦体調を崩すとけっこう長引かせることも知っていたからだ。
早く元気になれよ、といってその日は帰った。
あの風邪を治すには経験上一週間はかかるな……と見越してから、リビングにいるおばさんに挨拶をするついでに洋太が風邪をひいたっぽいことを伝えて帰ったのだ。
「そっからだよ、地獄が始まったのは」
洋太の口調がもごもごと不明瞭になったので顔をゼリーから持ち上げると、ヤツはプラスチックのスプーンを咥えて顔をしかめていた。
「お前が帰ってちょっとしてから全身の関節がギューって痛くなるし、下っ腹も吐くほど痛くなるしで死にそうになってよお。あ、やべ俺マジで死ぬんじゃねえか、つな死ぬな。うっわマジかー、これから色々やりてえことあったのに俺ここで死ぬのかー、マジかくっそー……ってタイミングで気絶して、目が覚めたらチンコと金玉消えておっぱいが生えてた」
いやー、あん時は死ぬほどビビったな……とそのとき感じたであろう恐怖も戸惑いも一切こっちに伝わらない平坦な口調で洋太は呟いた。
洋太のいう色々やりたいこととはなんだったのかは一旦不問にして俺はツッコむ(洋太と喋ると大抵の人はツッコミに専念せざるを得なくなる)。
「……なんていうか……人生の一大事が起きてるわりには反応があっさりしすぎなんじゃ……?」
「いやでもマジでビビったって。──でもなあ、先に親に泣かれたり医者に大騒ぎされたり姉ちゃんにおもちゃにされたりするとゆっくりびっくりしてんのもアホらしくなってよぉ」
「
洋太には六つ上のお姉さんがいる。今は短大生で学校やプライベートが何かと忙しいらしく最近は道で顔を合わせて挨拶ついでに二、三会話をするだけの仲になってるけれど、幼馴染の俺にとってもお姉さんみたいな存在だ。だからつい昔通り空美ちゃんと名前で呼んでしまう。
空美ちゃんには頭があがらない洋太は、しみじみとうんざりした表情でクローゼットの中を見るよう顎でしゃくってみせた。
指示に従って膝と手をついた移動し、クローゼットの戸を開け、中を覗いて絶句した。そこに女物の洋服がずらっと並んでいたためだ。
活発でやや派手好きな中高生時代の空美ちゃんの好みを反映したギラギラしたテイストなギャル服ショップの服が。
「姉ちゃんのお下がりと、なんかしんねーけどやたら張り切ってフリマのアプリから調達しやがった服だよ。こないだの日曜はモールに連れていかれたけどオレに似合う服がねえってカチ切れて昔のギャル服漁ってんだわ。自分の姉ちゃんながらアホなんじゃねえかコイツって思ったね、あん時は」
「――まあでも確かにオルチャンメイクとか似合いそうにないもんな、お前」
「俺もモールで一応原宿系の服屋とかみてみてよぉ、うっわ似合わねえ! ってなった時は軽く凹んだな。ああいうのふわっとしたような服が似合わないとか女になった意味なくね? ってなったね」
切れ長の鋭い目と攻撃に特化した細くしまった体つきで、一分以上喋らずに黙っていると毛並みのつやつやしたドーベルマンを思わせる剣呑な雰囲気が出てしまうくせに案外小さくて可愛いものを好むも一面もあることを、長い付き合いで俺は知っている。
だから一応モールでは原宿系の服屋を覗いて試着をしてはみたんだなと、聞きはしても拾って膨らますことはせずに流しておく。
確かに女の子になってしまっても洋太には、小さくて小柄で砂糖菓子みたいな雰囲気の女子が似合いそうな服は似合わなさそうだ。一瞬その様子を想像してしまい噴きそうになったが、そこを面白がってからかうと洋太は確実に拗ねる。大きな図体で拗ねられるのは鬱陶しい。
「
「いや俺は着ないし。つか似合わないし。何バカみたいなこと言ってんの?」
――武士の情けで人が体格と容姿をいじるのをやめたというのにコイツは――。
小学五年あたりまで俺と洋太の背が伸びるスピードはほぼ同じだったのに、第二次性徴を迎えてから洋太は一人勝手にぐんぐん縦に伸びだしたのだ。対して俺の体は基本的にのんびりしており、身長は低いし中二になったというのに変声期もまだ終わりきってない。それだけならいいのだが、俺のそういうところが小さくて可愛らしいものを好む洋太の嗜好と嗜虐性を刺激するらしく、獣耳がついたパーティーグッズのカチューシャなんかを手に入れたりするとこのバカは俺に付けてみろと強請ってきたりするような鬱陶しさを度々発揮するのだ。
原宿系のふんわりした女子服が俺に似合いそうだというのも、まあそういう洋太から俺へのいつもの鬱陶しいイジリの一形態だ。
「とにかくよぉ、女っつうのはアレだぞ。野郎に女の服着せるぞって状況になるとなんかしんねえけどアホほど張り切るぞ。うちの母ちゃんなんか最初の三日くらい俺の見てねえ所でぼーっとしたり泣いたりしてたけど、最近は姉ちゃんと一緒に通販のカタログ広げて、これ俺に似合うんじゃねえかって相談してるし。……なんなんだろな、あれは?」
「俺に訊かれてもわかるかよ、そんな状況……」
洋太がクローゼットの中にある衣装ケースの引き出しも開けろと視線で促すのに従ったら、そこに並んでいたのはいわゆる女子のインナーで、思わず「わっ」と叫んで引き出しを閉まった。ふりむくと洋太がニヤアっと笑っている。女ものの下着で俺のことをびっくりさせたかったらしい。つまらない悪戯だ。大体こういうのはセクハラになるんじゃないだろうか。
そういう抗議をこめて軽く睨んでやると、洋太は俺への悪戯がせいこうした時特有のにひぃっと唇を両端に引いた憎めない笑みで応じる。全く、一週間前と全く変わらない悪びれなさだ。だから怒る気も失せる。
ごっそさん、といって洋太は空になったゼリーの容器をコンビニ袋に入れて立ち上がった。そして大股でクローゼットの前までくる。つまり俺の隣だ。
「なあ、これからちょっと散歩しねえ? 一週間家にいたからよぉ、なんでもいいから外に出てえし」
「それは――お医者さんがいいって言ってるなら俺は別に構わないけど……って」
ばさっと頭上から降ってきたものが洋太が来ていたヨレヨレのバンドTシャツだと気づいて、俺は慌てて立ち上がってドアまでにじり寄る。
「き、着替えるなら声かけろよっ! 吃驚するだろ、もう……っ!」
「あ? ああ……」
上半身裸で衣装ケースから下着を取り出している洋太は、慌てているこっちをみて面白がっているのがまるわかりの表情で悪戯が成功した子供のように笑うのだ。
「別にそんな緊張することなくね? 俺とお前の仲だし」
「いやでも、そういうわけには――……っとにかくっ、廊下で待ってるからな」
つうっと視線をそらしてから、俺は廊下に出る。ばっとドアを開いた先には、心配げな顔つきの洋太のおばさんがいて、俺はまた小さく叫んだ。
「……くっそ、おもっきし叩きやがった。母ちゃんのやつ……」
空美ちやんのお下がりだったという黒地にギャル服ショップのロゴ入りTシャツとダメージ加工のデニムのパンツに、以前から着まわしていたジャージのジャケットという辛口のコーディネートの衣類一式をまとった洋太は、おばさんに思い切りはたかれた頭をさすった。
今までと同じ体じゃないんだから今までと同じようにしたらダメでしょう! 融ちゃんがびっくりしてるじゃないの! というのがおばさんの折檻の理由だった。最もだし、手が出るのもやむを得ないと思う。
でも、見た目だけは優秀な警備犬のような機能美あふれる現状の洋太のイメージを活かすテーマで選んだとおぼしきカジュアル服一式は洋太によく似あっていた。というよりも、今までの洋太のイメージを大きく損なわないもので、俺も下手に緊張せず自然にしていられた。
俺と洋太の暮らすただの住宅街には徒歩五分のところにある児童公園ぐらいしか散歩の目的地に適当な場所なく、とりあえずブランコにならんで座った。
視界の片隅に近所の小学生のものらしい自転車が数台停まっていたが、連中の姿はない。自転車を置いて近所の用水路でザリガニでも釣っているのか。昔の俺と洋太がしていたように。
このブランコもなんかちっちゃくなっちったな、と洋太の癖に妙にしんみりすることを呟いた。確かにとなりで洋太は長い手足を持て余すようにブランコに腰を下ろし、無意味に前後にゆらしている。
横顔は、それまでの洋太と特に変化はないようにしか見えなかったけれど、気のせいか以前の削げたような頰が少し丸みをましているような気がしてしまう。西日に照らされた洋太がなんとなく柔らかな雰囲気を帯びているようにみえてしまうのも気のせいだろうか。それとも確かな事実だろうか。喉仏は既になくなっているし、声は低いままだが以前のように掠れてはいない。まるで他人の声のように聞こえてしまう。
俺がついうっかりじいっと見ていたことに気づいたらしい洋太がこちらをみて、何故かすこし恥ずかしそうに視線をそらした。
「なんだよ。あんまじっと見るなよ。照れっし」
「? なんで今更照れんの?」
「融士、目ェでかいからじーっとされるとビームみたいに心臓にグイグイくるんだよ。自覚しとけって言っただろうが、こないだ」
そういえばそうだった。一週間前、洋太が以前の状態だった時、さっきまでいた洋太の部屋でそんなことを言っていた。
急に思い出すと、こっちも無性に恥ずかしくなってきて視線をそらした。洋太の方はというとブランコを前後に揺らす。
――なんだこの空気。
いや、よく考えたらこういう空気になっても別に問題のない関係だった。俺と洋太は。
一週間前、微熱のせいで箍の外れた洋太とそういう関係になっていたのだ。
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