イニクィティーズ・オブ・オーガ

秋空 脱兎

第一章 躊躇い少年と武士少女

第一話 二の足を踏む

 五月。東北地方では三番目に当たる地方都市、福島県津野原つのはら市。


 十五歳の少年・剣崎けんざき かおるは、帰りのホームルームが早く終わらないかと、真新しい情報がないと感じた連絡を適当に聞き流していた。


 他に連絡はなかったらしく、挨拶をして解散となった。


 担任が連絡を話している間に荷物を纏めていた薫は、リュックを背負い、手早く教室から出た。


 それに一切気付く事なく、薫の前の席に集まった男子三人が談笑を始める。


「──なあ薫、お前どう思うよ?」


 薫の前の席に座り、酒井と川口の二人と話をしていた櫛田が笑いながら振り向いたが、そこに薫の姿はなかった。


「……って、あれ? 薫いなくなってんぞ?」

「本当だ、いつの間に」


 櫛田と話していた酒井が櫛田越しに薫の席を覗き込む。


「マジかよ、忍者かアイツ」


 川口がぼやいた。

 それに対して、酒井が突っ込む。


「いや、流石に忍者はねーわ」

「ねぇか」

「うん」

 酒井と川口の実のない会話が終わったのを見て、櫛田が話題を戻す。


「まあ忍者は置いといてさ……おーい、誰か薫知らねぇ?」


 櫛田の声に学級委員長が反応し、


「えー? ……剣崎くん、いないっぽいよー?」


 教室を一通り見回してから答えた。


「うん、それは分かるんだ。えっと、どこいったか分かるって人誰かいない?」


 櫛田の疑問に答えられるのは一人もいなかったらしく、明確な返事は帰ってこなかった。

 それを見て、川口がぼやく。


「えー……マジかよ。アイツ、マジで忍者か」

「いやだから忍者から離れろって……。薫のヤツ、この手の話題は一番乗ってくると思ったんだけどなぁ……何でだ?」


 首を傾げるに櫛田に、酒井が憶測を述べる。


「話聞いてなかったんじゃね? アイツたまにそういうとこあっから」

「あー……まあ、それだろうな」


 それを聞いて納得した櫛田の手には、『注意! 不審者が目撃されています!』という見出しのプリントがあった。




薫は足早に廊下を歩いていた。すれ違う誰とも話す事なく、教師が現れたら悟られないようにそっと進行経路を変更した。一階まで降り、そのまま得に何事もなく昇降口に辿り着いた。一番乗りだったらしく、薫以外に帰ろうとする人はいなかった。


 薫は下駄箱から靴を取り出し、代わりに脱いだ上履きを押し込んだ。靴を床に放り、手早く履いて外に出る。


 外に出て、薫は真っ先に天気を確認した。雲一つない青空が広がっていたのを少し確認しただけで、薫は歩き始めた。正門まで足早に向かい、そのまま校外に出る。薫はそこで一度立ち止まり、大きく息を吐いた。


「……よし逃げ切った……時間は……」


 薫はそう言いながら、左手首の腕時計を見た。時計の針は、午後三時半を示していた。


「よし、間に合うな。急ごう」


 薫はそう呟くと、駅前にある映画館に向けて、足早に歩き始めた。

 少し歩いてから信号に引っ掛かり、仕方なく足を止める。


「……映画、楽しみだな……」


 薫が呟いた直後、信号が青に変わった。


「お、行くべ」


 薫は、小走りになって信号を渡った。渡り切ってから歩調を戻し、そのまま歩き続けていく。





 その後、薫は、二度信号に引っ掛かった事以外は特に問題なく駅前まで辿り着いた。


「えーっと、ここから映画館までは……」


 薫が方向を確認しようとした、その時だった。


 誰か──子供が、大声で泣き始めた。


「えっ……?」


 薫は、自然と泣き声がする方向を探し、そこに顔を向けていた。


 薫が顔を向けた方には、確かに、大声で泣き続ける子供がいた。


──男の子かな。五歳くらいかな。迷子なのかな。


 薫はそう思いながら、男の子に近付こうとして、


「…………」


 一歩も踏み出さずに動きを止めた。


 薫は動かなかった──というよりは、動けなかった。


──俺が助けていいのか? 助けに行ったところで助けになれるのか……いや、交番まで付き添えばいいか……? いや、でも……。


 薫はそう思いながら、目だけを動かして周囲の様子を探る。

 周りの人間の殆どは、男の子の事を気にする素振りすら見せていなかった。一瞥する人すら少ない状態だった。


──誰か、せめて立ち止まるくらいしろよ……動けてないから、人の事言えないけど……。


 薫が躊躇している間も、男の子は泣き続けている。


──泣いてるのに……。


 薫がそう思った時だった。


 人混みを避けるようにして、一人の少女が、男の子に近付いていった。


 少女は十代後半に見えて、低めの鼻の精悍な顔つき。背中辺りまでの長さの黒髪を後ろで乱暴に纏めている。服装は、黄褐色の布地に赤紫の花が少なめに散りばめられた袖口が小さい和服。


 少女は男の子に駆け寄る途中、薫が自分を注視している事に気が付いた。


「──少年、見ているなら手を貸してくれないか?」


 少女は、凛とした良く通る声で言った。


「えっ……?」


 目に見えて混乱した薫を見て、少女は小首を傾げる。


「? 見ていたのだろう?」

「あっ……はい!」


 少女に言われて、薫は漸く動き出した。


少女は薫と二人で男の子に駆け寄った。男の子の目線に合わせてしゃがみ、優しく話しかける。


「どうかしたか? 迷子か?」


 少女は優し気な口調で話しかけた。

 それに反応して、男の子がしゃくり上げながら答えようとする。


「大丈夫、ゆっくり、ゆっくりでいいから」

「お、おどうざんど、おがあざんが……」

「いなくなった?」

「……うん……」

「そう、か……。少年、名前は?」

「だ、だがゆぎ……」

「だがゆぎ……タカユキ、か?」

「うん……」

「わかった」


 少女はそう言うと、視線を少し下に向けた。そのまま長考に入る。


「……え、あの……」


 それを見て、薫は思わず口を挟んでいた。


「ん?」


 少女が反応する。


「……え、っと……こ、交番に連れて行った方が……」

「……交番?」

「え、いや、こういう時は警察に任せた方が……」

「警察?」

「えっ、それって──」


 どういう意味で聞いているのか、と薫が言おうとしたその時、遠くから男の子──タカユキを呼びながら、誰かが近付いてきた、声の種類からして、最低でも男女一組。

 三人が反射的に声の聞こえてきた方向を見ると、男女一組と男性警察官二人が駆け寄ってきていた。


「あっ、お父さん、お母さん!」


 タカユキが嬉しそうに言う。


「えっ、本当⁉」

「うん!」


 薫とタカユキが話していると、男女一組と警察官二人が三人の前に到着した。


「良かった、見つかった……!」


 泣き声で言いながら、女性がタカユキを抱き締めた。


「この子がタカユキ君ですか⁉」

「はい!」

 警察官の片割れ、やや小柄な方に聞かれて、女性は頷いた。


「ごめんな、はぐれたのに気付かなくて……!」


 男性がタカユキに申し訳なさそうに言った。


「え、えっと……タカユキ君の、お父さんとお母さん、ですか?」


 薫は混乱しながら、どうにかそれだけ言った。


「そうです!」「ええ……!」


 男女二人──タカユキの両親が同時に答える。


「ありがとうございます、見つけて頂いて……」


 タカユキの父親が頭を下げる。


「あ、い、いえ! 俺はその……何にも出来なくて……」


 薫がしどろもどろになって答えようとしていると、警察官のもう片方、大柄の方が少女を見た。


「ん? ……って、またお前か⁉」


 少女を見て三秒も経たない内に、大柄な警察官が叫んだ。


「へ、ま、また?」


 薫が言ったのを聞いたのか、大柄な警察官が簡潔に説明する。


「コイツ、ここ数日ずっとこの辺うろついてて、トラブルに片っ端から足突っ込んでるんだよ!」


 それを聞いて、小柄な警察官が気まずそうに言う。


「先輩先輩、、流石に〝お前〟とか〝コイツ〟呼ばわりは失礼だと思いますよー……」

「え、あ、あぁ……それもそうか……」


 先輩と呼ばれた警官は声をすぼめていき、それから気を取り直した様子で、


「……先程は失礼致しました。貴女がタカユキ君を見つけたのですね?」

「……いや、タカユキを見つけたのは、私ではなく、そこの少年だ。だろう?」

「ふえっ⁉」


 急に話を振られて、薫は慌てる。


「いや、え、えっと……」

「いやぁ、本当にありがとうございました!」


 薫が困惑する間も、タカユキの父親がもう一度礼を言い、


「タカユキ、お兄ちゃんにお礼言おう?」

「うん! ……ありがとう!」


 母親に促され、タカユキまでもが礼を言った。


 タカユキの両親は警察官二人に二言三言話すとタカユキを連れて駅構内に向かって歩き始めた。今度ははぐれないように、三人で手を繋いでいた。


「……じゃあ、我々もこれで失礼します。ご協力、感謝致します」

「失礼します!」


 警察官二人はそう言って、交番の方向に歩いていった。


「…………」


 薫が口を開いたまま固まっていると、


「……大丈夫か、少年?」


 少女が話しかけてきた。

少女の声で、薫は我に返った。


「いや……大、丈夫……だけど……」

「だけど?」

「いいのかな……俺、何もしな……出来なかったし……」

「……む……」


 そう言われて、少女は一瞬だけ黙り、


「……いや、『タカユキを見つけた』、『私に呼び止められても無視をしなかった』、ならば、『何もしなかった、出来なかった』にはならないんじゃないか?」


 そう言って、口元に微笑を浮かべる。


「……そう、なのかな……」

「そういう事にしておけ、な」


 そう言って、少女は薫に微笑みかけ、


「じゃあな」


そう言ってすぐに、少女は雑踏の向こうに消えていった。

 薫はそれを夢でも見たかのような表情で見届け、


「…………って! 映画! ヤバイって、遅れるっ!」


 我に返って、慌てて映画館に向かって走った。

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