Sheh.4 猫の猫舌
「人間たちの言葉に、『猫舌』っていうのが、あるらしいにゃ」
若い黄色い猫が来るなり言い出した。いつもの屋根の陽だまりに集ったご近所たちは、眠たそうな目をぱちぱちさせた。
「いきなりどうしたにゃ?」
グレーの毛並みの先輩猫が、あくびを漏らしつつ尋ねる。
「今日聞いたにゃ! うちのちっこい人間が、『猫舌だから、まだ飲めない!』ってお昼に言ってたにゃ」
「ああ、お
グループの中では比較的年をとった大柄な猫が、不満げに尻尾をゆらゆらさせる。
「会うたびに、もみくちゃにされる。こっちはそんにゃ体力も、もうないというに……。きんと躾けておけ。それも努めにゃ」
「がんばるにゃ!」
黄色い猫はにぱっと笑った。老紳士連中は顔を見合わせ、鼻を鳴らした。あれ絶対分かってない顔だにゃ、と。
「ねえねえ。それどういう意味にゃん?」
好奇心旺盛にきいてくるのは、小ぎれいな洋猫の少年だ。この屋根の会の新入りで、一番幼い。
「えーとね、意味はね……」
黄色い猫は四本の足をぐいっと伸ばし、精一杯自分を大きく見せる。それを少しにやつきながら、お兄さん猫たちが見守る。
「『猫舌』だからにゃ、うんとね――そう! 味にうるさいってことにゃ!」
「おお! グルメにゃん!」
「グ、グル? うん! きっとそれにゃ!」
ついに耐え切れなくなり、三毛のお兄さん猫がふき出した。若い二匹が立ったまま振り返り目をぱちぱちさせるが、こたえるものはなく、むしろ周りの先輩猫たちもつられて笑い出してしまった。
「にゃ、にゃにがおかしいにゃ?」
黄色猫が声をあげるも、にゃっにゃっにゃっにゃっと笑い声は止まらない。洋猫が純粋な目で首を傾げた。
一しきり屋根の上で笑ったあと、はじめのグレーの先輩が伸びをしながら教えてくれた。
「お前にゃ、猫舌はグルメって意味じゃないにゃ」
「でも、グルメだにゃ!」
「まあ、大体そうにゃけど。人間たちはそういう意味では使ってないにゃ」
「じゃあ、どういう意味にゃの?」
洋猫が鼻をすんすん鳴らして近寄る。
「猫舌はにゃ、熱いものを飲んだり食べたりして、舌が猫のようにざらざらになることを言うんだにゃ。早い話がべろのヤケドにゃ」
若い二匹が痛そうにゃあと顔を歪める。その反応がおかしくて、先輩たちは舌をちろちろ、また笑い出した。
皆が笑いつかれて一つ二つとあくびをし出すと、また黄色い猫が元気に言った。
「それにしても、人間はおもしろいにゃ。猫の舌がざらざらってだけで、ヤケドしたべろを猫舌呼ばわりにゃんて、実際そんにゃ熱いもの苦手じゃにゃいのに!」
途端、全てのあくびが止まり、屋根中の鋭い眼光が黄色猫に集まる。にぱっとした笑顔もさすがに引く。
「え、どうしたにゃ? みんな、熱いもの別に平気にゃ?」
コンマ一秒で、当然にゃと全員がこたえる。若い猫は異様な雰囲気に、次の句が出ない。
その沈黙を埋めるように、誰とはなくお兄さん猫の一匹が口を開いた。
「そ、そう言えば、おいしいニャーメン屋が近くにできたにゃ。みんな知ってるにゃ?」
前足に顔を乗せ、皆うんうんとうなずく。
「とんこつ醤油のところにゃろ?」
「お、先生、行ったことあるにゃ?」
「もちのろんにゃ。ニャーメン屋めぐりが生きがいにゃ」
だから太るにゃ、と誰かが囁き、先生と呼ばれた太っちょ猫がふしゃーっと背中の毛を逆立てた。
「どうどうにゃ、先生」
「う、すまないにゃ。とにかくあそこは、絶品だったにゃ。チャーシューうみゃいし、スープは濃厚にゃし。何より何より、熱々のスープをたっぷり絡めてすする麺が最高にゃ! そう、熱々のスープと熱々の麺、この組み合わせは最高にゃ!」
「麺が熱々って、つけ麺かにゃ?」
「と、ともかくにゃ! あそこはうみゃかったにゃ!」
「先生の言うとおりにゃ! 折角だし、みんなで行きたいにゃ。そう思うにゃろ?」
んなあ、と同意を求めるも、ふいっと皆目を逸らした。
「ま、まだ暑いしにゃ……」
「そうにゃ。ニャーメンの季節じゃないにゃ」
「同意にゃ。け、決して、濃厚スープでやけどしそうとかではないにゃ」
「どこをヤケドするにゃ?」
黄色い猫が、真っ直ぐな瞳でぴょんと跳ねる。言った先輩は耳の裏をかきながら唸る。
「え、えっと、あれにゃ。肉球にゃ」
「肉球? それは危ないにゃ!」
「そう、その通りだにゃ! 箸すべらして、どんぶりの中に足入れちゃったら大変にゃ。大ヤケドにゃ。だから、行くべきではないにゃ! 肉球やけどしたら、歩けないにゃ」
「それは仕方ないにゃ」
言いだしっぺが納得して、すとんと屋根の上に丸くなる。周りも、それは大変だにゃ、異議なしだにゃ、としきりにうなずきあう。
しかし、最近反抗期の虎柄の先輩が、あえてその空気に殴りかかった。
「鍋行こうにゃ!」
伸びをし出した猫たちが、ふいっとその先輩を見やる。それに対して先輩は、降りかかるであろう文句を先回りして話始める。
「おっと、今暑い季節じゃんとかはなしにゃ。そんなの承知してるにゃ。けど、あっつい鍋を、ヤケドしそうになりながら――あくまでしそうになるだけにゃ――飲むビールは最高にゃ! たとえ、もし万一、万に一つ舌にヤケドをしても、きんきんに冷えたビールを流し込めば、一瞬で治るはずにゃ!」
「お前、ちょっと舌見せてみるにゃ」
ぺろっとチラ見せする。
「もっとしっかり見せるにゃ」
「何にゃ、一体? ヤケドなんかしてないにゃっ」
「いいから」
一つ年上の先輩にすごまれては仕方ない。大あくびをするついでという体で、舌をんべっと突き出した。愉快な年長猫が数匹どたっとその前に集まる。
「真っ赤でざらざらにゃ」
「真っ赤でざらざらにゃ」
「真っ赤でざらざらにゃ」
「真っ赤で、え? いやでも、真っ赤でざらざらにゃ」
「それが“猫舌”にゃ」
お前ら何年猫やってるにゃ、と老紳士の一匹がため息をついた。
「とにかく、この暑い時期に鍋とか頭湧いてるにゃ。どう考えても、強がりにゃ」
これはさしもの黄色猫も同意しかねたか、一生懸命自分の前足を舐めていた。
ようやく平穏が訪れたと思いきや、謎の張り合いは終わりがない。今度は、老紳士の一匹がもぞもぞと何か言い出した。
「ああ、あれにゃ。暑い季節でも、たこ焼きはうまいにゃ」
たしかに、とうなずきながらも、大半がその顔をしかめ、口元をゆがめている。
「夏祭りの屋台から掻っ攫う味は、忘れられないにゃ」
「ああ、昔よくやったにゃあ。それで酷く後悔したにゃ。け、決して中が熱かったとかじゃないにゃ! 屋台の人間に石投げられただけにゃ。ま、まあ、いわば教訓だにゃ」
「そうじゃにゃあ。よくやったにゃ。今年も」
「爺さん、自重するにゃ。舌がそろそろただれるにゃ」
「やっぱりやけどするにゃ?」
黄色猫が突然起き上がり、無邪気に問うと、血相を変えてこそ泥爺は否定した。
「違うにゃ! これは慣用的表現にゃ!」
にゃにそれ? と幼い洋猫が見上げる。
「つまりあれだにゃ、嘘つきは舌を抜かれると言うじゃろ? 悪いものには相応の罰がくだる。わしは嘘はついておらんが、盗みはしたので、抜かれはしないが、舌をただれさせられるかもしれんということにゃ」
「爺さん、その話、はじめて聞いたにゃ」
「それはお前がボケただけにゃ」
爺さんに言われるとは、と年配連中が低くうなって笑い出す。若衆は興味なさげに体をゆすり、すぐさま伸びをして屋根に寝そべった。
皆話しくたびれ、めいめい温かい屋根の上でごろごろし始める。黄色い猫も青い空を見上げてしばらく寝転んでいたが、近付いてくる影に気づいて起き上がった。
「おーい、こっちだにゃ!」
ふわりと大きな鳥が舞い降りてくる。小さな頭に鉢巻をしめ、大きな箱を両方の翼からおろす。
「駄賃は小麦の粒でいいよ」
「道に落ちてたにゃ」
「ほんとかい。じゃあ、それをいただこう」
空いた皿はそこに置いておいてくれ、風が運んでくれるだろうと言い残すと、三歩歩んで迷わず大空へと舞い上がっていった。
屋根の上には、柄のついた巨大な木箱が二つ取り残された。猫たちが興味津々と集まってくる。
「これ何にゃ?」
箱をがりがり引っ掻きながら、黄色猫に尋ねてくる。
「みんなが待ってたものにゃ!」
そう言って、側面の板をはずす。と同時に、一斉に首を突っ込み、中を探る。
「これ何にゃ?」
「お、落ち着くにゃ」
黄色い猫がおどおどしながら、猫玉の後ろから足を伸ばす。そうして取り出されたのは――
「熱々のニャーメンにゃ!」
瞬間、場が凍る。ただ一匹、悪気なく言い放つ。
「みんな、熱いもの食べたそうだったから、鳥がらニャーメン頼んだにゃ! 全員分あるから、みんなで食べるにゃ!!」
その夜、飼い主たちは、しきりに水皿に顔を突っ込む飼い猫を、不思議に思いながら一心不乱に動画を撮っていたという――。
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