お先に失礼します

@nekonohige_37

お先に失礼します

 朝会社にやってきたら、まず最初にする事は決まってる。

 黙ってタイムカードを押して、ロッカールームで社服に着替える、そして『東雲陽菜』と味気なく印字された名札を胸元に付ける。

 この会社に勤めるようになってもう3年、高校を卒業して、これから明るい社会人としての生活が待っていると思っていたのだが、現実は違うのだ。

 まるで歯車の様に無理矢理社会に組み込まれ、ちゃんと回らなければ駄目だと叱咤され。

 毎日毎日変わり映えの無い灰色の日常に、本当に嫌気がさす。

 だけどそれでは駄目なのだ、どれだけ辛くても逃げ出したら駄目、それが大人の辛い処だ、もちろんそんな事学生の時には感じなかったけど。

 私はロッカーの内側に張られた鏡で、いつも通りの幸が薄そうな顔を確認し、胸元で反転して印字された自身の名前を見てから小さくため息をつく。

 両親が明るい陽を浴びて、菜の花の様にすくすくと丈夫に、そして綺麗に育ってほしいと願いを込めて付けた名前が、私自身嫌いな訳では無い。

 ただ、日に日に自分の性格が暗くねじ曲がり、この町一番なほど根暗に育った私にこの名前がふさわしくないとはつくづく感じる。

 「おはようございます」

 同じロッカー室へ入ってきた同僚に、今日は挨拶をしてみた。

 私は他人とうまくやり取りが出来ない、俗に言う社会不適合者だけど、それでも社会人として、そして少しでも他人と仲良く出来る切っ掛けになればいい。

 そう思って本当に小さな声で呟かれた私の精いっぱいの挨拶、それは声が小さくて聞こえなかったのか、それとも別の理由からか返事は返ってくる事は無かった。

 「おっはよ!」

 「あ、美樹! おはよ!」

 私よりも先に来ていた同僚には楽しげに挨拶を交わす所を見ると、単に私の声が聞こえなかったのでは無く、やっぱり別の理由みたいだ。

 最低だなんて思わない、全部私が悪いのだ、明るく掛けられた言葉にスムーズな返事も送れず、吃音じみた言葉でしどろもどろにしか会話を繋げる事が出来ない。

 そんな私が悪いのだ、だから彼女達に愚痴を抱いてはいけないのだ。

 だけど、そんな私にも平等に接しないといけないのが会社と言う物だ。

 労働基準法を隠れ蓑に、私にはだらだらと事務作業を行うために事務机が用意されている。

 置かれているのは事務所のいちばん隅、丁度出入り口からは見えない部屋の角。

 人から見られるのがあまり得意では無い私にとってはとても都合がいい場所で、出来そこないな私を見ないで済む為、会社としても助かるのは事実だろう。

 「……」

 何か一つ愚痴でも言うのが正常な反応なのだろうが、私にそんな気力など無く。

 もう再三見てきて、既に見慣れた景色にため息しか出てこない。

 机の上には、一つだけ私へのプレゼントが用意されていた。

 まっさらな机、その上に置かれた一輪の生け花。

 置かれているのがチューリップだのバラだのと華やかな物だったら、少しは可愛げがあるのだけど、当然の様に私の机の上で自身の立場を主張しているのは、白い菊の花だ。

 周りが私に何を言いたいのかなんて良く分かる。

ただ、飽きもせず少ない給料を削ってこんな事をしてる相手の気力に、ただ呆れるばかりだ。

 「ねぇ……あれ聞いた?」

 「なになに? どんな事?」

 もうすぐ就業時間なのに、やはり同僚は楽しげにオフィスの中心で立ち話なんかしてちゃってる。

 でも誰もその事は咎めない。

 それはきっと立ち話が多くても、まともに一人区の作業すら出来ない私よりも幾分ましだからだろう。

 彼女達は時折声を殺してやり取りをすると、何かばつが悪そうに私の方を見て、そしてまた耳打ちで会話をする。

 「それでさ――陽菜さん、本当は――」

 「えー、それ本当? ほんっと不気味――」

 「でしょでしょ? それでさあ――」

 私に聞こえない様、それなりに努力はしているみたいだけど、結局肝心なところだけが聞こえてくる。

 せめて私の名前だけでも伏せれば良いのに、そんな私の思いとは裏腹に、彼女達にとって私は単に話のネタに過ぎない、言ってしまえば私の存在など話のタネに過ぎないみたいだ。

 「えー、それホント!? もうやめてよ――」

 「――だから――なんだって、それで――」

 「やめやめ! もう呪われたらどうするの?」

 「怖い事言わないでよ――陽菜さんに聞こえてたら大変で――」

 全部聞こえてるよ、ホントに嫌気がさすんだ。

 まるで私を幽霊みたいに扱って、愚痴を言って挙句の果てには『呪われる』だなんて。

 でもそんな事愚痴ってみたところで、恐らく彼女達は私への扱いを変えない、いいや。

 私にそんな度胸何て無いから、ああして分りやすいように私の悪口を言うのだ。

 「ほらほら、もうすぐ始業時間だぞ」

 そんな彼女たちの行き過ぎた行動を制したのは、このオフィスで一番権力を持った男だった、彼は持っていた書類を二人に渡すと、手を振りそれぞれのデスクにつくよう急かす。

 そして等の本人は持っていた缶コーヒーを一口仰ぐとゆっくりと室内を見渡し、席に腰かけ何か作業を始める。

 私も何か作業をしないといけないのだが、生憎私の机には趣味の悪い一輪挿し以外には何もない。

 大抵何時もこうだ。

 仕事を任される訳でも無く、みんなが私を無視して自分の作業に没頭する。

 ならば何か仕事は無いかと、私から出向くのが筋なのはわかるのだけど、それだってどうも上手くいかない。

 仕事を取りつけた所で、不器用な私にはどれも難解で、直ぐにミスをして事態を悪化させてしまう。

 それに、『何かお仕事ありませんか?』そんな簡単な一言も、私の喉からは出てこないのだ。

 そう思うと、行き場の無いやるせなさに苛立ちが募る、でもそんな苛立ち生んでいるのは自分が持って生まれた不甲斐なさだ。

 何が悪いのかって?

 そんなの誰が見ても判る、私だ、私がそもそものきっかけなのだ。

 私が残念な女だから、そう思っていても、そんな残念な部分を直そうと思っても、残念な私に、自分を変える力なんて無いのだ。

 「でもさ、最近様子がおかしく無い?」

 「だからやめてよ、仕事始まってるでしょ?」

 「でも、陽菜――きゃっ!」

 相手をおちょくるように、私の気持ちなんて関係なしにゆっくりと始まった私の悪口を言っていた同僚の悲鳴を聞き、自分が無意識の内にしでかした失態に気がついた。

 「あ……」

 目の前に置かれていた一輪挿しの花瓶が倒れ、中に注がれていた水が何も置かれていないデスクの上に水たまりを作っていく。

 無意識のうちに私は、花瓶を倒してしまったらしい。

 本当に自分が不甲斐なく思えてしょうが無い、同僚が私を思って『飾ってくれた』花瓶を倒してしまうなんて、幾らそのプレゼントが気に食わなくても、こんな目立つ事をしたら後々厄介なのが目に見えているのに……

 卓上で陣取りゲームを始めていた水は机の縁を乗り越え、私の膝へと落ちてきたけど不思議と冷たいとは思わなかった、でも、静かなオフィスに響いたその音に、部屋のみんなは目を丸くし、何処か怯えた様子で私の方を窺っていた。

 出来ればそんな目で見ないでほしい。

 どうせこっちを向くのなら、そんな中途半端な表情では無く、もっと別の視線が良かった。

 だったらいっそ、ここで大声を張り上げて私の思いを全部ぶちまけてしまおうかと思ったけど、その考えは直ぐに棚の奥に仕舞われていた。

 どうせ、本音を言おうとしたところで、私の不甲斐ない口じゃ、満足に言葉を発する事など出来ない、出来ても、それは本音とは程遠い何か別の物なのだ。

 だからこういう時は、大抵こうして椅子に座ったまま何をするでもなく終業のベルが鳴るまでじっとして過ごす。

 それが一番だと言う事は、もうずっと前から知っていた事なのに、どうしてそんな事を考えてしまったのか、私でも判らない。

 そして結局、今日も飽きもせずに椅子に腰かけたまま、ただ静かに机の一点を見つめたまま相談する当ても無い苦痛に耐える事で就業時間を終えてしまった。

 給料泥棒だなんて言われそうだけど、こんな私の給料なんて大して多い訳でもないのだ、だから誰も愚痴は言わないのだろう。

 タイムカードを押して、ロッカールームで私服に着替える。

 小さな声で『お先に失礼します』と唱えても、誰も私には誰も返事をしてはくれない。

 何時だってそうだ、でも文句なんて言えない私が悪いのだから。

 帰り道だって何時も一人だ、まだ日の落ち切っていない道を一人歩き、本屋にも服屋にも、コンビニにも寄らずに家へ直行する。

 鍵のかかった扉を開け、寝室へ直行して倒れ込む様に布団へ倒れ込む。

 別に化粧すらして無いのだ、こうして布団に顔を埋めた所で何も気にかける必要なんてない。

 何かあった所で結局私は一人なのだ、だから何も気にする必要なんて無いのだ……

 会社を出る時に触ったタイムカード、もしあんな装置が人生にもあるのなら、どれだけ楽だろうか。

 どんな方法でもいいから時間を過ごし、散々苦しんだ挙句でも、タイムカードを押せば私は解放される。

 人生が仕事なら、それはなんて幸せな事だろう、どれだけ辛くても、それは仕事だからしょうがない、そう無理やりにでも納得できれば、私は夢の世界に旅立つまでの短い間、こうして悲しまなくても済むのに。

 「……あ」

 でももし、そんなタイムカードがあったところで、私の給料は誰が支払ってくれるのだろうか?

 こんな私の、誰からも期待されない私の給料なんて、誰も払ってくれる訳無い。

 そもそも、人生の給料って物は何だろうか? 何が貰えるのか?

 名誉?

 それとも大切な仲間?

 何にしても、今の私には遠く縁の無い物であり、こんな毎日の苦痛から解放されたいという私の望みなど、誰も叶えてはくれない筈だ。

 そう思うと、今度は何故私みたいな存在がこの世界に生まれてきたのか判らなくなってくる、奇跡と言えば聞こえはいいが。

 結局私が生まれた理由なんて偶然にすぎなくて、偶然だからこそ、理由なんて無いのだ。

 理由が無いから、誰からも――

 ここから先の考えを導いてはいけない、ぎりぎりの処でそう気が付いた私は、くしゃくしゃに皺が浮いた枕を掴むと、両耳を押さえる様に顔に押し当て、目をギュッと閉じて小さく呻く。

 枕が濡れていたのか、目元に冷たい感触が広がったが、そんな些細な事、今はどうでもよかった。






 日付は変わったけど、私自身は何も変わらない平日、だけど今日だけは何時もと違った。

 何故か中身が全部出かけたロッカー、不思議に思いながらも幸い今日は月曜日だ、クリーニング仕立ての服は私の手の中にあり、さして不便は無かった。

 いつも通り服を着替え、挨拶を無視されてオフィスへ向かう。

 「……あの私の机は?」

 いつも通り通りから見えない部屋の角、底にはいつも通り私の机がつまらなそうに待機してると思ったのだが、今日は綺麗に姿を消してしまってる。

 まともに使ってもらえず嫌気がさし、どこかへ消えてしまったのかとも考えたが、机には自由に動かせる足は無いのだ、だから私の机は誰かに持ち去られた。

 でもなんで?

 少し考えれば簡単な事だ、私は必要ないと言う事なのだろう。

 だから机をみんなは片付けてしまった、その証拠に、私の声には誰ひとり反応せず、黙って事務作業に勤しんでいる。

 ほんと最低。

 だけど、文句なんて言えるわけが無い。

 全部私が悪いのだから、居ても居なくても同じな私は、この空間において唯のお荷物にすぎないのだから。

 「あ……あの……」

 口を開いても、言葉と呼ぶにはあまりにも稚拙な嗚咽だけが響く、そんな私の声を余所に、オフィスの中では相変わらずキーボードを操作する音だけが響き、時折電話が姦しく電子音を奏でる。

 結局、私など居ても居なくても、何も変わらないのだ。

 じゃあなんで私のタイムカードは会社に残されているの? 必要としない癖に、こうして縛りつけて、一体何を考えてるのかも判らない。

 もういっそ今日は、会社を早退してしまおう。

 無言で私が『時間内退社』でタイムカード押したところで、誰も気には留めない筈。

 早退をしても……

 ふと、私はこの間の晩の事を思い出して締め切られたままの窓を向きました。

 白が3割、青が7割のとても綺麗な空模様だ、遠くでのんびりと空を飛ぶ鳥のさえずりが聞こえてきそうな程、とてものどかで美しい。

 こんなじめじめした室内よりも、今直ぐにあの青空の元へ飛び出した方が気持ちが良いに決まってる。

 なんで今まで気が付かなかったのだろうか、こんなに簡単な事で私の気は晴れるのに、タイムカードを押す方法なんて、幾らでもあったのに。

 私は、液晶画面と問答を続けるみんなを余所に窓へと歩み寄ると、暫く開かれて居なかった窓のカギを開け、勢い良く開きました。

 その音にみんなも気が付いたのか、ぞっとした様子でこちらを見ると、口々に何かを呟きます。

 耳を澄ませれば彼女たちが何を言っているのかよく聞こえ、そのどれもが私では無く久方ぶりに開かれた窓の事だと判ります。

 こんなときでも、私はかやの外です。

 でも、気にする必要なんてありません、別に仕事は最後までやる必要なんて無いのですから、

 早退をしてしまえば良いだけ、どうせ居ても居なくても、世界はいつも通り回るのなら、先にタイムカードを押してしまえば良いのです、仕事も人生も。

 「お先に失礼します」

 私は人生で初めて、大きな声でそう伝えると高い窓枠を乗り越え、建物の4階に位置するその窓から大空へ飛び出しました。

 だけどその直後、私は今まで忘れていた大切な事を思い出して短く溜息を吐きました。

 そうです、どうせこんな事をしたって無意味です……

 「だって……」

 私は足元に広がる地面を見つめてある事を思い出し、小さく溜息を吐きます。

 そして、今現在空中に浮いたままの自分の死因について再度思案する事にしました。

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