二件の不動産
蒸留器の人
二件の不動産
「こちら、最後の物件となっております」
運転席の男は、助手席の女性に話しかけた。彼らを乗せた車は、東北地方の田舎道を快走している。周囲は山に囲まれ、青々とした広大な大地が眼前に展開する。遠くには、崩れかかった木造の民家が見える。そして、茶色い牛があちらこちらに群れている。
彼女は、東京では名の知れた資産家だ。その証拠に、彼女の羽織るスプリングコートは、外国のある高級ブランドのものだ。彼女の唇の鮮やかでいて肌に馴染んだ発色も、凡百の口紅が出せるようなものではない。そして今、彼女は、田舎の長閑な土地が欲しいと言って、この男の会社に相談を持ち掛けていた。そこで彼は、彼の不動産屋が所有する選りすぐりの土地を、自動車で回って紹介してきたのだ。このお客様を逃がしてはならない。不動産屋はひそかに決意していた。
「この土地、いいわね。だだっ広いだけの土地だと寂しくなっちゃうけれど、ここには牛がたくさんいるから」
「お褒めの言葉、まことに光栄です。ここは、かつては人気の高い農場だったのですが、それを私どもが、最近になって何とか買い取りまして、今に至っております」
この土地が、実はもうずっと前に経営破綻した農場のものだということを、彼は隠した。農場の経営者になりたくない後継ぎの長男坊が、この不動産屋に駆け込んで二束三文で売り払ったのだ。そんなこと、このプライドが高そうな女には口が裂けても言えないな。経験豊富な不動産屋は心得ていた。
「私、牛のような静かな動物が好きなの。何も喋らない物静かな牛がね。それに比べて人間は、しつこくて、うるさくて、本当に面倒くさい生き物。いやになりそうよ」
こういう有名人にありそうな悩みだな、と男は思った。彼女のおこぼれにあやかろうとする卑しい人間が、世の中には多いからな。俺も同類だが。
「牛の管理は、人を雇ってやらせればいいでしょうし……。ちょっとお車を停めてくださる?」
男はブレーキを踏んだ。車がゆっくりと停止すると、女は車から飛び出して、大草原へ駆け出した。これまでの言動からは想像もつかない子どもっぽさに、男は少々驚いた。
「すっごい!本当に大草原なのね!」
実際に草を踏んでみて、彼女は初めて大自然のなかにいる実感が湧いたようだった。
「はい。我々も、土地のメンテナンスを欠かさず、あなたのようなお客様を心待ちにしておりました」
という不動産屋の言葉が聞こえるはずもなく、女は楽しそうに草原を駆け回っていた。ああ、今度こそは真実を言ったのに、と男はがっかりした。壊れかけの民家こそ修理しなかったが、こういう農地に掛かる維持費用は尋常ではない。
その時、女が驚いて叫ぶ声が聞こえた。
「何かありましたか?」
と男が駆け寄ると、
「ねえ、あれは何なの?」
と、彼女は民家のほうを指さした。
男は目を疑った。民家とほぼ同じ高さの銀色の円盤が、彼の目にはっきりと映った。あんなもの設置した覚えはないぞ。彼の心臓は高速に拍動しはじめた。
「知りません、そんなものは! 」
不動産屋からテカテカの敬語が剥がれ落ちた。男は恐懼のあまり、数歩あとずさりした。しかし、女は違った。男とは逆に、その物体の方へ全力で走っていったのである。男は、急いでその後を追う羽目になった。
女には、くっきりと見えた。その円盤から、銀色の服を着た人型の何者かが降りてくるのを。人影はふたつ。誰かに見つかるのを恐れているような気配はない。
「まさか、宇宙人が実在するなんて! 」
女は、宇宙人たちに向かって笑顔で大きく手を振った。彼らは女に気が付いたらしく、顔の大部分を覆う目をこちらへ向けた。彼らは、突然何かを話しだした。彼女が五十メートルほど近づいたところで、彼らは円盤へ戻ってしまった。UFOはヒュンと空へ飛び出し、はるか彼方へ消えてしまった。
彼女が呼吸を整え終わるころに、やっと男が追い付いた。
「ねえ今の見た? 凄くない? あれUFOだよ!」
「大変な粗相をお見せしてしまい、申し訳ございません」
不動産屋は混乱していた。親愛なるお客様に同調する余裕はなかった。
「この物件、最高じゃない。買った。今日は楽しい買い物ができたわ」
資産家の女は、不動産屋の男に告げた。
「もう最悪。あんなにうるさい物件は初めてだったわ」
「申し訳ございません」
「もうお辞めになったら?このお仕事」
うるさいのはあんただよ、と不動産屋は心のなかで舌打ちした。
「次はもうちょっと、静かな生物がいる物件が欲しいわね。別の店を当たることにするわ 」
「かしこまりました」
やはりメンテナンスは大切だ、と不動産屋は思った。ちょっと目を離しただけでも、あんなに煩わしい高等生物が誕生してしまうのだから。
「では、帰りましょうか」
彼らを乗せた宇宙船は、ワープホールのなかへ消えていった。
二件の不動産 蒸留器の人 @joryuki
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