第1話 六薬堂

 気持ちのいい風が吹いていた数日前と打って変わって、日差しは低くなりつつあり、北風の吹く時間が増えてきたように感じる。店の入り口が北に開いているので、冬の到来を早く感じる。

 六薬堂のある店長屋は他と違っている。ほかの店が表長屋に店を構え、その裏に長屋を背負ったような区画であるのに、この六薬堂をはじめとする二十数件の中州のような長屋は、長屋というには連なっていないで、個別の建物が並び、裏にも表にも長屋がなく、通りに面しているのだ。ただし、六薬堂だけは北入り口なので、ほかの店が口を開いている南側は、板塀があってそこが店だか家だか、南側からでは解らないようになっている。反対に、北入り口の六薬堂の周りは板塀なので、これも表が何の店だか解らない。とても面白い立地にこの店は建っている。

 南向きに入り口を構えている店の前は、表長屋の店と向かい合っているので人通りも多く、賑やかだ。六薬堂の向かいは、旅籠の裏手になっていたりするので、壁しかない。だが、六薬堂の薬を求めに来る人は少なからずいるのだ。


 六薬堂の主人は、詩乃という女で、年齢、生まれ、素性に居たって不明だ。ただ女であること以外何もわからない。ああ、キセルをよく燻らせる行儀の悪い女である。こと以外、解らない。

 解らないと言えば、この店で働いている、番頭。時々姿を見せる運び屋と呼ばれるがに股の男。出入りする美人、傀儡師と呼ばれている。あと、彼らの話しの中で、薬師と坊主という仲間がいるらしいが、彼らはそう呼ばれ、それ以外の名前をお互い知らないという。番頭は番頭でしかないというのだ。非常に変わった店だが、別に名前を知らなくても愛称で会話が成立しているので支障はないようだ。

 このご時世、病気などというものは自力で治すか、万病に効く「万華薬ばんかやく」で事は足りるのに、この店では症状を聞き、それに合った薬を処方するのだ。病気知らずの大江戸人のほとんどがうさん臭く思っているが、この店に所縁えnを持った者はこの店に足しげく通うようだ。


「……、また来てるのかい?」

 私室の襖を開けて詩乃が出てくると、店には米問屋越後屋の一人娘たか子が白粉おしろいを片手に持っていた。

「聞いてよ、お詩乃さん」

 詩乃は煩そうに手を振ったが、たか子は一人でしゃべり続けた。あとで番頭が要約した話では、見合い話が来ているようで、受けるかどうか迷っているらしい。それだけの話をずっと話し続けたたか子に、詩乃はイヤミに「よく口の動くこと」と言ったが、たか子にそのイヤミは通じなかった。いつものことなので、気にもせず詩乃はキセルをふかし、番頭は他の仕事をする。たか子にしたって、ここで相手にされないことは重々承知なのだが、ここでうっぷんや、何かを吐き出すとホッとするのだ。

 たか子は以前、付き人だった娘を自分の欲で死なせてしまったことがあった。自分が欲しいモノのために夜に販売するという噂に使いに出させ、そのために誘拐され身売りをしなくてはいけないと解った途端、自害したらしく。それがどうやっても心の重荷となっていたところを、詩乃たちが何とか普段の生活を送れるようにまでしてくれた。だからと言って、怪しい薬を飲ませたり、叱咤激励をしたりするやり方ではなくて、ただただ静かに話を聞き、心を少しでも軽くするようなまじないの方法を教えてくれるだけなのだが、効果はそちらの方があった。時間はかかったが、両親が勧めた荒行を続けていたら、心が壊れていただろうと思った。

 たか子はいつも詩乃の大好物である、草団子を買ってくるので、詩乃はそれのために黙って聞いているような顔をしているが、もし、たか子が十日開いて店に来なければ米問屋のほうに来てくれるだろう。なのだと、うるさい顔をしながら受け入れてくれているのだ。

 

 草団子を、詩乃とたか子と、番頭とで食べている時に、

「邪魔するぞ」

 といつもの挨拶で、岡 征十郎が入ってくる。

 この男も不思議と言えば不思議だ。

 南町奉行所の同心で、与力助川様の班員であり、由緒正しい同心一族のものなのに、少しでも時間が空くとこうやって六薬堂に顔を出す。理由は、六薬堂が怪しいからなのだが、本当のところは詩乃に片思いをしていることは、番頭を始め皆が知っていることだし、詩乃でさえも気づいていて、それをおちょくっているのだが、岡 征十郎は毎日やってくる。それを詩乃は、「だな」という。

 番頭は、またけったいな言葉を。と言いながら、食べ終わった皿を片付ける。

 番頭は非常にまめな男で、抜け目のない潔癖症だ。身体は細かくて、詩乃によく「針の先のような男だ」と揶揄される。そういう時番頭は「わっかの詩乃さんに言われたくありません」と答える。網目すらない枠だけでは何も掬えないし、役に立たないと言う意味だ。


 岡 征十郎は鼻を鳴らし、

「どうだ。調子は?」

 とたか子に聞く。たか子も慣れてきたようで、

「岡様と違って、多少は忙しくなってきましたわ」

 と答える。苦々しい顔をしながらも、岡 征十郎はたか子の回復に目を細める。

 たか子が帰ると、岡 征十郎は小上がりに腰を掛け、懐から包みを取り出し詩乃の前に差し出した。

「おや、何かいいモノかしら?」

 詩乃が受け取ってそれを開くと、何やら奇妙な葉っぱが出てきた。

「葉っぱ?」

「なんの葉か解るか?」

「あのねぇ。葉っぱだけで分かるわけないでしょ? 植物学者にでも聞きなよ、なんであたしに聞くよ?」

 岡 征十郎は包みの中の葉を見つめたままで唸る。

「何? どこにあったのさ、」

「……、御荷堂おにどう寺の裏のかやの原」

「奇妙な場所だねぇ……殺し?」

「いや、酔っ払って、足を踏み外した。ってところだろう。ということになっている」

「なっているが、引っかかるんだね?」

「……、俺はあの一件―大江戸で独り身の女が誘拐され、大麻漬けにされたのち長崎へ運ばれ、外国人相手の女郎にさせられる。という事件があった―の後で、小早川先生―小早川療養所の蘭学医師―に大麻草を見せてもらった。それに似ている気がしてな」

 詩乃は葉っぱを手にした。それは細長くてギザギザしていた。

「確かに、大麻に似ているが、オクラだね」

「オクラ? なんですそれ」

 番頭が素っ頓狂に声を出した。詩乃が顔を上げると、番頭は番頭台のほうに逃げていた体を乗り出している。もし、岡 征十郎が持ってきた怪しいものが大麻だとすると、発狂したり、暴れたりしては大変だと逃げていたのだろう。その姿に詩乃が片眉を上げながら、

「アフリカ原産の野菜だよ。清の船が運んできたものだろうけど、まだまだ流通はしてない珍しいものだよ」

 岡 征十郎は詩乃の顔をじっと見る。

「惚れ直したかい?」

 詩乃の言葉に赤くした顔をそらし、けっ。と吐き捨てて、

「なんでお前はそんなことを知ってる? 普段この店から出ないだろうに」

「……、出なくても、知恵はつくものさ。ところで、オクラだとしても、奇妙じゃないか、死体のそばにあるなんて。まだまだ珍しいモノなのに」

「大麻のような危険性はないんだな?」

「ないわよ。実は粘り気があっておいしいよ。天ぷらなんかいいねぇ。細かくたたいて節と一緒に醤油で味付けっていうのもいいね」

「そうか、危険性がないのなら安堵した」

「……危険性はないけど、変だとは思う」

 岡 征十郎は詩乃を見て息を整え立ち上がった。

「わかった。清の商品を扱っている店に聞いてみる。オ?……」

「オクラ。もしくはトロロアオイ。で扱っているかもしれないね」

「トロロアオイ、そのほうが覚えよい。では、邪魔したな」

 岡 征十郎はそう言って出て行った。

「岡様は、随分と慎重になってますねぇ」

「気が小さいというか、大麻に狂った女の姿がよほど衝撃的だったんだろうね。まぁ、常識人から見たら、吃驚びっくりするようなあられもない姿だったんだからしようがないけども」

「岡様に、詩乃さんのその図太さの少しでもあれば、お役仕事も楽でしょうにねぇ」

「……番頭? お前、あたしに喧嘩売ってる?」

「売ったところで買いますか?」

「……買わないけどさ」

「ですから売らずに、直接言ってるんですよ。ガサツ。不躾。ろくでなし」

 番頭の言葉に詩乃が嫌そうに顔をゆがめる。番頭はそう言いながらも笑いながら番頭台に戻り、

「でも、それらが無くなったら、逆に怖いですけどね。詩乃さんだなんて、この世の終わりでも拝めますまいからね」

 番頭は身震いをして見せ、詩乃は苦々しくキセルにた箱を詰め燻らせた。


 秋の入り口には長雨が降るのは定番だが、それにしたって、四日も続くとさすがに嫌気がさしてくる。そうしてカラッと晴れたりすると、普段と違うことをしたくなるらしい。



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