Tokyo, The ghost city

直木新

EP 0. Ghost on the Sun Shine <SUN>



 見果てぬ青空が広がっていた。

 視界を遮る雲のない、どこまでも見透せそうな空。

 台風一過の後かなと思ったけど、定かじゃない。


 その先にはいく千億の星が存在するはずだけど、今は昼間。

 見える星は太陽ただ一つしかない。

 全てを覆い隠す強烈な光を、嫌が応に浴びせてくる。

 俺以外は見なくていいぞ、と激しく自己主張するが如く。

 でも、あまり俺はこの星に興味がもてない。


 みんな君を知っているけど、みんな君から目をそらす。

 悲しいやつだ。


 空が持つの本来の姿は、今はすべて青一色で塗りつぶされていて、うっかりこれが正しい色なんだと勘違いしそうになる。

 昼間の格好は、よそ行きのファッションなのにな。

 どこまでも見えそうなのに、実は何も見えてない。人の心と似ている。


 そんなくだらないことを考えていた。


 ぼーっと空を見ていた。

 ずっと空を見ていた。

 はて、なんで俺は空を見つづけているんだ。

 暇なのか。暇すぎるだろ。暇なんだっけ。

 そろそろ足下を見つめ直す時期がきたか。


 足下を見た。

 大地は、そこから遠かった。

 おおよそ239.7メートル下方に灰色の大地が広がっている。

 お尻がヒュンとなったが、耐えられないほどじゃない。

 ビルの屋上のへりに俺は座っていて、宙空に足を投げ出していた。

 人が米粒のようだ。

 米粒一つ一つに魂が宿っているように、あの人たち一人一人にもちゃんと魂があるのだろう。


 なぜ俺はここにいる?

 どうやって忍び込んだんだ? 俺すごい。

 馬鹿と煙は高いところに昇りたがるというが、俺は馬鹿なのだろうか。

 わりとその自覚はある。

 そして馬鹿じゃなきゃ、気がついたらサンシャイン60の屋上に腰かけていたりはしない、たぶん。

 薄々気づいてはいたけど、俺って馬鹿だったんだなぁ。

 完全に自覚してみると、結構悲しい。

 小さいころは自分が天才だと思っていた時期もあったのに。

 でも紙一重で馬鹿の可能性もある。紙を破いたら馬鹿かつ天才なのでは?

 でも、その紙は未来の技術でできた、シュワルツネッガーでも千切れない強化繊維でできている気がする。

 そう考えてしまうことが、なにより悲しい。


 そんなくだらないことを考えていた。


 俺は見ていた。

 眼前に広がる東京の街並みを見ていた。

 世界でもっとも沢山の人が暮らし、世界でもっとも広い都市圏である、どこまでも続く灰色の街を見ていた。

 空ほどではないけど、広い。


「おや、そこの旦那、さっきからずっと俯いてるけど、なにかありやした?」

 不意に、後ろから声をかけられた。

 嬉しさがこみ上げた。

 馬鹿は俺だけじゃなかったんだ、という嬉しさが。


「未使用のiTunesカードでも、ありやした?」

「いやマサイ族の人たちの視力でもこの距離じゃ発見できないよ」

「たぶんそうでしょうなぁ、あっしなんかコンタクトが無いと5m先の人の顔も判別つきやせんぜ」

「じゃあなんで言ったし」

「人のもってる能力はわかりませんからねぇ。旦那があまりに熱心に見てるからね、きっとお金になるものが落ちてるのかなと」


 そう、なれなれしく話しかけてくるは、俺の知らない人だった。


「見えたとして、使用済みか未使用かの判別が俺にはまず出来ない」

「シールが剥がれてるのが使用済みですよ……」

「現代文明についていけない哀れな奴を見る目をやめてください。それは知っています」

「私の前では強がらなくてもいいんだよ?馬鹿にしないから、素直なキミでいてよ」

「いろいろ禁止して申し訳ないが、そこで変な口調をやめるのもやめてください。それいじょうはいけない。温厚な私も、実は怒るとちょっとしたものなんですよ?」

「まあ、レジを通してない高額の電子マネーを落としておいて、反応を見て遊ぶ悪い奴もいるらしいですぁね。世の中は悪意で満ちてやす」


 無難な発言でお茶を濁されたので、殴らずにすんだ。空気は読めるらしい。いやこの空気になってやっと気づいたのかな?


「しかしきみ、初対面の人に対して、いつもそんな感じな人なの?」

「ああ、ご安心くだせぇ。そこはケースバイケースとギブアンドテイクとタイムイズマネーとディペンドオンザパーソンです」

「ちょっと言いにくいことをオブラートに包んで言わせてもらうが、うぜぇ」


 しかしそいつは何を言われてもどこ吹く風だった。


「しかし、旦那はいったいなにをみていたんですかねぇ」

別に何かを見てたわけではないので一瞬答えに詰まってしまった。

その隙をついて、こいつはたたみかけてくる。


「ああ、わかった」

 俺もわかってしまった。次にこの変人は言うだろう。俺に対して失礼なことを。


「上からなら、見放題でさぁね、胸の谷間」

「きみがここに来た目的は、俺を怒らせることなのかな」

「違うんですかい?でも、どうやってもここからパンツを見ることは不可能ですぜ?」

「いや、その人が逆立ちしてたら見える。不可能じゃない」

 あまりに発言がひどすぎて、おもわず乗ってしまった逆に。即座に後悔した。


「旦那、そいつぁ砂漠で落としたストロングゼロの350ml缶を見つけるようなもんだ。街中をスカートで逆立ちしてるやつなんざいないし、もしいても、立ち会えることはまかりやせん。実質的にありえやせん」

「いやそのまえに、砂漠でストロングゼロは見つけんほうがええ。アルコールの利尿作用で体内から水分が放出されてまう」

「でもストロングゼロの91%は水でできてやすよ。旦那は砂漠の夜の寒さを知らないんですかい?体はあったまるし、それに酒を飲めばさびしさもまぎれやすよ」

「あいにく俺は酒を飲んだことがないから15歳なんで。砂漠も行ったことがない、鳥取すら」

「あっしもまるっきり同じです」

「きみさ、やってないことをさ、経験したように装うとボロがでるから、これからはやめたほうがいいんじゃないかな」

「すいやせん、まことに。そのご助言は真摯に受け止めやす」


 怒涛のようだった、わけわからない会話に区切りがついた。よかった。

 しばらく沈黙が続いた。

 きまずくなどない。

 正直ホッとした。

 向こうの心境は、知らん。知る必要もない。


「んでさ」

 でも、聞かなければいけないことがあったから、俺の方から沈黙を破った。たとえ後悔することになっても仕方がない。


「俺って誰なんだろ、君知ってる?」

 俺が有名人だから、当てっこゲームを始めた、わけじゃない。

 俺は記憶喪失ってやつだった。気がついたら、池袋のサンシャイン60の屋上で空を見上げていて、真っ昼間から黄昏てた。

 池袋のサンシャイン60は覚えてて、屋上からでもわかるんだな。看板もないのに。


「残念ですが、旦那のことは、誰だかは知りやせん。初対面なので」

「だよねぇ」

「でも、旦那がなんだかは知ってます」

「へぇ」

「だんなは、浮幽霊です。たぶん、つい最近死んだばかりの」

 まあ、そんな気はしてた。手もあるし足もあるしその感触もある。ただ、なんか、生きてるって感じがなかったから。


「まああっしも同類なんですよ、ここだけの話ですがね」

「だろうなあ」

「あれぇぇ? 意外性ないですかねぇ。まあ本当は、邪悪な霊を強制的にあの世へ送る、裏の世界の掃除屋なんですがね」

「うん頑張って自分を成仏させてね」

「そのとおりです。旦那のみたてどおり、あっしもただのしがない浮遊霊です」


 うん、あしらいかたがわかってきた。

 もう少しでこいつとの距離感をつかめそうだ。

 でも、そんなスキルなんて、欲しくなかった。


「俺たちは、何かしなければならないのかなぁ」

「別になにもしなくても、いいんですよ」

 得体の知れない不安感が、おれをおそった。


「記憶を無くした霊など、旦那以外会ったこたがないもので、なかなか助言は難しいですが」

 背筋が少し寒くなった気がした。


「霊は皆、目的を持っておりやす」

こいつは断言した。


「あっしらは、いきものが生前果たせなかった未練から発生するもので、その未練にずっと執心するもんなんですよ。あっしもそんなに霊付き合いがあるわけじゃないんで、少ない経験から言ってますがね。旦那みたいな未練を忘れてしまったのに、この世に執着してる霊なんざいやしやせんよ。ちょっと笑いました」

 あとやっぱこいつは一度殴られた方がいい。


「旦那は、いったい何がしたかったんでしょうかね。その未練も忘れちまったんですかね。忘れてなお、なんでこの世に留まってるんですかね」


 こいつは、軽い感じで言った、けど顔に笑いは無くなっていた。


「俺はどうすればいいんだろうか」

「その悩みには、ふざけないで答えやすよ」


「記憶が戻るかなんて、あっしにゃわかりやせん。あっしらは人間の形ぁしてますがね、中身はからっぽなんですよ。

比喩ではなく、脳も内臓もありません。さらにいえば、骨も筋肉もありやせん。この生前の姿はただの見せかけです。ハリボテです。なんの機能性もなく、この姿である必然性すらありやせん。でも、みんな生前と同じ容姿になってしまうので、やっぱり必然なのでしょう。誰だか判別するためだけの姿なので、見かけなんぞただの記号です。今風にいうならアバターです。」


 めっちゃ長文を軽快に、詰まらず喋った。話してる内容も、まあまあ理解できた。こいつ、意外とできる。しかも、まだ喋り足りないようだ。


「まあ、霊なんてのはだいたいオツムも空っぽなんですがね。どいつもこいつも未練たらたらで、そのことしか考えてませんからね。おっと話が大幅にズレやした。まあ、あっしらにゃ脳がない。能はあっても記憶領域はない。生前の記憶は、いったいどっから引き出されてるんでしょうかねぇ。学者じゃないんでわかりませんし、わかりたいとも思いませんが。ま、いいたかったのは」


「今の旦那に、生前の旦那の魂があるなんて、証明が出来ないんですよ」


「あっしらは、あっしらが何か、わからない。人間だった時も似たようなもんですがね。でも、そのときは科学で無理やりこじつけた。少なくとも自分たちで作った人間の定義はあった。あっしらは、生前同じ姿をした人間の、心残りを解消すれば成仏しやす。成仏ってなんでしょうね。文字どうり、仏になれるわけじゃないんでしょうがね。あっしらは、何も知りやせん。この世がどうなってるのか、成仏したらどうなるのか、そして、今の自分に何が起こってるのか。なにもわからない。なんてかわいそうな存在なんでしょう、およよ。研究してるやつもいるが、だいたいはある程度満足すりゃ成仏する。真実にたどり着いた奴なんて、いるんですかね。紙があっても記録ができないから、神とあっても記録が残せないでしょう。幸いあっしはまだまだ髪だけはありやすがね。おっとこりゃ古典的だ。もうこの世界すべてが投げっぱなしです。投げっぱなしジャーマンスープレックっスですよ。なんのフォローもないので地獄のような痛みですよ、怪我するし、投げっぱなしってのは、ほんと。死んだらいろいろこの世のネタバレ見れるんだろうなーって思ってた霊にお会いしましたがね、死んでも何もわからなかった。むしろ謎がまた増えた。こりゃ酷い詐欺だ。まあ手前様の勝手な思い込みだ。これを詐欺で訴えてもまず負けるでしょう。被告は神様、この裁判はきつそうだ。まず勝てないでしょうな。奴は絶対君主ですからな」


 ここまでまくしたてた後は、彼女、はずっと黙っていた。


「もういいのか?」

「以上でございやす」

「言いたいこと、言えたか。途中からよくわからなくなったんで、頭の中でぷよぷよやりはじめちゃったけど」

「腹に貯めてたもんを、幾らか吐き出せやしたんで満足です。ご静聴感謝いたしやす」


 そして、彼女、は、さっきと違い、今は俺の目を見て、また語り始めた。


「シンプルに言います。旦那の記憶が蘇る保証はありません。ただ成仏したけりゃ、やりたいと思ったことをやればいい。成仏したくなくても、やりたいことをやるしかない。ただ存在するためだけに存在しつづけようとするとか、人間らしきものにとってそれ以上の地獄などないんで」


「なんとなくわかったわ。ありがと」

「どういたしましてでやんす」

 まあ今はこんなもんだ。記憶を取り戻すことに執着せず少しずつやるべきことを見つけようかな、と思った。


「しばらくは手伝いやすよ、旦那が何をするべきなのか、一緒にさがしやす。迷子の子猫はほっとけやせん。ワンワン」

「いや、いいよ。あんたもやりたいことがあるんだろ?」

「旦那……。失望しますよ? いいんですか? いつまでも、くれると思うな我が善意、でやんす。善意ってのはいったん拒否したら、次からはもらえなくなるもんなんですぜ、多分」

「わかった。おーけー。これは俺が悪かった。もらっとく。ありがと」

「あっしは何も急いでませんので。物分かりがいい子は嫌いでないでがす」

「なにその語尾」

「普通に方言ずら」

 なんか、しょうもなさすぎて、結構笑えてきた。


「あと、気を悪くしたらあやまるけど」

 さらに俺は思い切って、ずっと思ったことを言うことにした。

「君口調おかしくない? おかしいよね?」

 俺も、もやもやしていたものをやっと吐き出せて、少し心が軽くなった。

「気にしやせん。こうはっきり、ずばっと言ってもらうのは、ワリと気持ちいいもんなんです」

 違う。もし気を悪くしたら、ってところに反応するんじゃない。スルーしてもらって良かったところだそこは。

 その口調を始めるに至った訳を説明せよ。


 この変な人は、セーラー服を着ていた。

 長い黒髪は、みずみずしいツヤを帯びていた。

 顔には、大人になる過程の、あどけなさを多分に残した、少しの間しか見ることの出来ない儚い少女の表情。


 世間一般の目から見たら、彼女は多分美人とは呼ばれない顔立ちだろう。

 少しタレ目で一重、だけど大きな涙袋は多分チャームポイント。瞳孔はそんなに大きくない。

 鼻は低いけど小さい。幼く見えるのは多分このパーツのせい。

 口も小さいけど、歯並びは良好。

 なんていうか、特徴的な覚えやすい顔立ちだと思う。

 だけどバランスは悪くない。不快感は全くない。

 むしろこの顔は、俺の好きな部類の顔だった。


 声は、高くはないけど淀みのないまっすぐな音。抑揚のある聴きやすい、聴いてる人を意識した声。

 この声も俺好みのいい声だ。


 けど、口調がわけがわからない。あれ、方言って言ってるけど適当すぎだろ。おそらくアニメとかマンガに影響されてるんじゃないか。


 そして、話す内容は、とてもとても頭おかしい。

 そんなめちゃくちゃアンバランスな、変な女だこの人。


 人からの評価は大きく分かれるだろう。

 かかわりたくないやつ。

 おもしろいやつ。

 の2つに。


「だんなだんな」

 分析中で黙ってた俺に、しびれを切らしたのか声をかけてきた。むしろしばらくの間黙って見ていてくれたことが奇跡な気もする。

「いまあっしのこと考えてやしたよね」

考えていたことを当てられた。

「ふん、よくわかったな」

「ふふ、そのぐらいはわかりやさぁね」


 でもこの状況で君のことを考えない人は、かなり少ないと思うよ。


「ふふ、そして、変なやつだから関わりたくないと思っておりやすね」


 それもだいたいあってる。


「しかし一方で、興味をもった。あっしのことが気になり始めている」

「それもあってる。割とすごいな」

「へへ、あっしは人の心を読む能力があるんですよ嘘です」

「ちょっと信じたぞ。嘘つきで正直だな」

「この嘘は信じてしまう可能性が高いと思い慌ててつけたしやした」


 俺は、この女はちょっとだけいい奴だなと一瞬勘違いをした。


「おれは、他の霊も、自分のことも、何もわからない」

「そのとおりでごんす」

 あれ、口調間違ってない?

「なにもわかってないことを、わかってる。十分でごんすな」

 なんかしらんが褒められてた。


 昔読んだ本に、詐欺師はすぐに分かる嘘と簡単にはわからない嘘を使い分けると書いてあった。

 この人の嘘はすぐにわかる、とあらかじめ油断させておき、いざというときに見破られない本気の嘘をつくのだ。


 人は信じるべきだが、同時に嘘がないかを常に疑うべし、とのこと。矛盾するようで、矛盾はないらしい。

 生きてた頃の俺は何を考えてそんな本を読んでたのだろう。詐欺師になりたかったのだろうか。



 あと悪意を善意と解釈してしまうことほど怖いことはないと、そのハウトゥー本に書いてあった覚えがある。


気をつけよう。


「あんたは、どんな未練があって浮遊霊になったんだ?」

「覚えてやせん。すいやせん、あっしも記憶喪失なもので」

「記憶喪失でも、10分前に自分が言ったことくらいはおぼえておこう、な」

「あいや、こいつは手厳しい」

「言いたくなけりゃ、そう言ってもらえばいい。もう話題にしないから」

「ご配慮痛み入りやす旦那」

「なにか聞き出したいほど君に興味ないから」

「おおう感謝して損しやした」

 俺も嘘をついた。自分が誰かもわからず、自分が誰かも知られず、何が目的もわからず、死ぬこともできず、いつ終わるかもわからず、この広大な街をさまよう羽目になっていたら、と考えると、幽霊だっていうのに悪寒が走る。生前だったら関わりたくないようなやつでも、こうやって話してみれば結構楽しい。


 おれは、このビルの屋上で、声をかけてくれたこの変な女に感謝した。

 感謝はしたけど、絶対に声には出さないし態度には出すことも、絶対にしない。心のルールブックにそう記した。


 こいつの未練はわからなかったが、もし手伝えることがあれば手を貸したい。

 それがこの世とあの世のルールってやつだ。こいつの言葉を借りるならギブアンドテイクってやつだ。

 あと、そろそろ、「こいつ」っていう、心の中での呼び方をやめたい。名前を聞き出したいけど、完全にタイミングを逃している。いつ聞けばいいんだ。ていうか、向こうから自己紹介するべきだろ?人に名前を聞くときはまず自分からっていうけど、そのルールを守ったら誰からも名前聞けないがな。俺は記憶喪失なんだから、もっと気を使って欲しい。

 そして、俺はもう少しエゴを捨てるべきかなぁと自省した。


「それじゃ、このビルをおりやしょう。ここで下々の者たちをアリの巣を観察するかのごとく見ているのも悪くないですが、あっしは結構飽きてます」

「あなた何様ですか貴族の霊ですか」

「まあ、アリの世界は、アリになって同じ目線でみないと、いつまで経ってもわかりやせんよ」

「それはそうだね」

 なにか深いことを言ってる気がするけどたぶん浅いから流した。


「じゃあ、そろそろ飛び降りやしょう。旦那からどうぞ」

「いやまて、そこはエレベータを使おう。文明の利器に頼ろう。ビルから出るのに落ちるって選択肢は、現代人としてどうなん幽霊だとしても」

「落ちた方が早いっすよ」

「がんばって説得してるのにばっさり切り捨てるのやめて」


「それに屋上から屋内には入れやせんし」

 そりゃそうか。じゃあ、俺はどうやって屋上までたどり着いたんだろう。

 壁を透過できないなら、セキュリティの抜け穴をついたか。


「まあ、飛び降りたところで痛くもなんともないですから。無敵ですよ、あっしらは。そしてどんなに嫌になっても、浮遊霊はさまよいつづけ地縛霊は縛られ続けやす。最終的には成仏する方法をみつけるしかないんです。ばっちゃがいってた。血縁関係のない、最近仲良くなった、本間かよ(享年89)ってばっちゃがそう言ってた」


「いや誰それ。死のうが死ぬまいがサンシャイン60から飛び降りとか怖すぎるわ。まさに死んでも嫌なんだけど」

「なれりゃ楽しいっす、多分」

「だから、あんまりやってないことをさもその道のベテランかのようにふるまうの、やめて」


「まあ、安心してください」

「なにを?」

「履いてますから」

「その心配はしていない。もういいわ脱げろ」


「あいやふざけました。安心してください。幽霊はほとんど重さがないので、高いところから落ちても生身ほど速くないんですよ」

「いやそれは400年前にピサの斜塔でその理論は否定された。どんな物体も、空気抵抗が同じなら質量で落下速度は変わらない」

「えええ!あっしの思い込みでやんしたか。ニュートンはそこでリンゴを落として試したんですねぇ」

「いやニュートン関係ない。そんとき生まれてない」


 俺の言葉に感心するかのような、初めて見せる表情で俺を見た。こんだけ話してて初めてリスペクトされたのかちくしょう。


「こういっちゃなんですが、旦那物知りですね。死んだときまだ中坊でしたよね。いい高校行けそうだったのに残念ですねざまぁ」

「記憶がないのに自分の知識量が怖い。そして君を生き返らせて、再度この手でじわじわ息の根を止めたい」


「まあ、そろそろ細かいことはスルーしやす。そろそろ日がくれそうなんで、もう落ちましょう」

「そうだな、その強引さに覚悟を決めたわ。あ、名前を教えてくれよ。お前とかいっちゃうのはやっぱ悪いと思うし」

もう名前を聞くタイミングを完全に失ったので、俺は強引に質問した。

「名無しの浮遊霊で十分でやすよ。なんなら好きなように呼んでください。あっしも旦那のこと好きに呼びますんでおあいこでさぁ」

「ああ、わかった」

 言いたくないなら聞き出すまい。詮なきこと、詮なきこと。


「さ、旦那、さっさと一緒にここから飛び降りやしょう。2人で飛べば怖くない。キャンウィーフライ?」

「オーケー。いこう、霊子」

 そして俺たちは道を踏み外し、その身を宙に投げ出した。


「やっぱその名前は無しで」

 落下し始めるさなか、霊子は初めて見せる真顔でそう言った。

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