第19話
乱暴に強く打ちつけられて、オルガズムで体が跳ね上がった瞬間、僕の腹の癒着し初めの傷が、張りつめた緊張感を急に思い出させるようにぴりと裂けた。
それに驚いて僕は、酷い声で叫んだ。
流れ出す血液を目前にすると、誰も馬鹿みたいに混乱するものなのだ。
どれだけ動転して困惑しても、流れ出る血液は止まらない。
かすり傷や擦り傷などで体験した血液の流れ方とは、到底比較にもならない量の血が僕という物体から流れ落ちてゆくのだ。それをどうすることも出来ない僕より先に、晴臣さんが寝巻きの上から傷口を強く手の平で押さえつけた。
まず、人差し指と中指のハザマから漏れ出た血が垂れ始め、玄関にぽたりぽたりと二滴落ちた。
それから間髪いれずにぼたぼたと三滴。
それで更に強く晴臣さんが僕の腹を押さえたので、さっきまで寄りかかっていた玄関の壁に僕はまた力なく寄りかからねばならなくなった。
いつの間にか食いしばっていた唇が切れて血を流していた。
咥内にもう、慣れあがったような血の味が広がる。
堪えきれず涙が毀れる。もう、必死になって力まなければ立っていられなかった。
晴臣さんが急いで上着を脱いだ。そうして僕の胴回りに強く巻きつけた。ぐいぐいとひきつけられるたび、何度か飛びそうになる意識を晴臣さんが赦さず、力が入らない落ち込んだ顔を上げさせたり、額を手の平で壁に押し付けることで保たせている。
僕は流れ出る血液を涙でかすれた視界でぼんやり眺めながら、どうやら心臓の拍動しか聞えなくなってしまった自分の耳もぼうぼうと耳鳴りのような音と共にそれだけを響かせているのを感じ、
そしてとうとう手を伸ばした。
晴臣さんの首元を探った。
血液と神経が集合するこの男の死を探った。
触ると、それは異常に熱く燃えていた。
ごくりとつばを飲み込んだのが手指に伝わった。力の入らない僕の指にも、それがじっとり汗で濡れているのが分かった。
僕は両の親指を交差させ、しっかりと気道を押さえ込んだ。
ぎゅっと力を込めた。唇をつよくかみ締めたから、また血が吹き出てしまった。
今度は血の味など感じている暇などない。
掴んでいる感触はあるのに、あんなに大好きだった晴臣さんの顔が見えない。
碧灰色の綺麗な瞳が見えない。
鼓動は感じるのに、熱い体温を指先で触れるのに。血がとまらない。
もう嫌だ。流れるなら流れつくしてしまえ。
もうどうなったっていい。このまま半端に醜態をさらすよりは、どれだけ鮮やかな痛みでも、瞬間のほうがよほど単純で爽快だ。
もう降参だ。
そうだ僕は白状する。
どれだけ殴られたとてどれだけ好き勝手されたとて、僕は晴臣さんに恋情を抱いてる。
そうだ。ただそれだけのつまらない事情だけで、僕は、何度も何度もあんな乱暴行為に興奮したのだ。そう、ただつまらない。ただのアレだ。なのに、僕は苦しい。息をするにも体力が必要だ。その体力だって今の僕にはないのだ。僕の恋情が流れてゆく、こんなに汚れた血液など、すべて流れて消えてしまえ。
「もう殺してくれ!!」
晴臣さんが僕を抱き寄せた。
そして僕の左耳に口をつけた。
僕は反射的に殴られる時と同じように顔を晴臣さんから離した。
離れた顔を晴臣さんが追ってきて、初めてキスをした。
なかば、噛み付くように、そうした。
舌を容赦ない力で噛まれて、僕は何度か顔を横に振った。
それでも前髪を押さえつけられたまま動けないくらい壁に押さえつけられると、もうどうにもならない。
全く甘くも愛しくもない、ただただ痛みだけのキスだ。
「泣くなんて姑息だな」
耳元で晴臣さんが言った。
「痛いよな、ああ、泣くな」
優しい言葉で、晴臣さんは僕の前髪をあろう事かなでつけ始めた。
まさか、狂っているのは晴臣さんの方なのか。
僕の傷を相変わらず強い力で圧迫止血しながら、「我慢しろ」とかすれた声で言った。と思った次の瞬間には耳をこれでもかと噛み付かれて、およそ喰いちぎられるんじゃないかと思うほど乱暴に僕を扱った。
それから二度強く左頬をはたかれて、口が切れてしまった。
もう、口も鼻も無論腹も血の洪水で、出血多量のぐったりした僕をまた無理に抱き起こすと、今の今、僕の腹の止血をしていたその手で、晴臣さんが僕の首を掴んだ。
相変わらず熱を帯びたその手にぐっと力が入って、急速に僕の息が細くなってくる。視界が二転三転して、黒から白へ黒から白へと移動した。
圧迫止血していた方の晴臣さんの右手は異様にぬるりとした液体で覆われている。
押さえていた晴臣さんの上着は赤黒く染まり地面に落ちた。
僕は地にがくりと尻をつけ、そこに晴彦さんが跨った。気道を偏った風が吹き込んでは消えていく音がする。閉じたまぶたが真っ白くなった。
「好きだ、
晴臣さんが言った。首を絞める手が緩んだ。晴臣さんも地面に力なく落ちた。
「好きだよ」
全く動けないけれど、僕はただただ小さく肯いた。晴臣さんが僕をまた抱き寄せて、強く抱きしめた。
「なあ、ユト…好きだよ」
僕はまた肯いた。朦朧とする僕を人形みたいに抱きかかえて晴臣さんは泣き声みたいに切ない声でそう言った。
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