第十二話 エルのおしゃれ講座
西郷宅は現代において平凡な住宅と呼べる。
家の外壁にラインが入ってはいるが全体的に白く塗装されており、角砂糖を積み上げて建てたような印象を抱かせる造形だ。
家にタグ付けすれば、ADDによる描写装飾で自由かつ手軽に外壁の染色や模様の添付ができてしまうこの時代、こういったデザインの家屋はありふれていた。
そんな西郷宅の前に、学校から帰路を共にした二人が到着する。
ちなみに、授業終了後二人一緒に教室から出る際、案の定西郷の友人らから
「西南戦争勃発」
「腹切れ切れ腹ッ」
「介錯は任せろ、心得がある」
――などといった声が聞こえたが、西郷は気にしなかった。
物理鍵と認証によるロックを解除し、西郷は遥音を伴い帰宅する。
「エルー? ただいまー」
「おじゃまします……」
二人の声に反応して、とっとっと、という軽い足音を鳴らし清麗の少女が現れる。
薄い金色に彩られた絹糸のような髪と、水色の虹彩という目を引く出で立ち。
その彼女こそ西郷の義妹、エルだ。
学校から帰ったばかりだったのか上はブラウス、下は制服のスカートという格好だ。
「わぁ……」
異国情緒あふれるエルの容姿に、遥音は感嘆のため息をこぼす。
エルはその外見通り西郷およびその両親と血が繋がっていない。
海外で紛争が起きた際、亡命先で両親を失い孤児となっていた彼女を西郷の母親が引き取り、それ以来西郷家四人目の家族として過ごしているのだった。
「おかえりー、その人が?」
「そ、水紀さん。おしゃれに興味あるんだって」
「ど、どうも水紀遥音と申します……」
行儀よくお辞儀をする遥音。
初対面のうえに相手が本物の北欧美人であるせいか、遥音はすっかり固くなってしまっている。
エルもまた、ゆったりとしたお辞儀を返す。
顔には見る者を安心させる、やわらかな微笑が浮かんでいる。
中学生とは思えないほど余裕と落ち着きを感じる立ち振る舞いだ。
「よろしく遥音さん、私はエルシーラです。エルって呼んでくださいね」
「は、はいっ」
「それでは上がってもらって、さっそく本題に入りたいところなんですが――その前に一つだけ」
「な、なんでしょう?」
「お互いに敬語はやめよっか、疲れちゃうしね」
「は――う、うん」
「ハルちゃんって呼んでもいい?」
「す、好きな呼び方でいい、よ」
「うん、じゃあハルちゃん私の部屋行こっか」
自分が数日かけて至った段階へほんの数分で追いつくエルの手腕に、格の違いを感じざるを得ない西郷だった。
エルが西郷に顔を向ける。
ただし、彼女の微笑は悪戯めいたものに変化していた。
「ほら、たーは散歩の時間でしょ?」
「は、散歩?」
西郷家にペットはおらず、西郷も犬の散歩代行業などやっていない。
散歩が趣味というわけでもない。
妹の意図が読めない彼は訳が分からず尋ねる。
「散歩って?」
「だって日課でしょ? 四足散歩」
「ヨンソク? なにそれは」
「四足歩行で徘徊して縄張りを示す行為のこと」
「変態じゃねーか! そんな日課があってたまるか!」
「え、西郷くん……?」
エルの信じがたい発言を受けて、不審げに西郷を見やる遥音。
「水紀さん信じないでね、でたらめだから」
「今日は通行人に吼えちゃダメだよ? また補導されちゃう」
「常習犯みたいに言わないでくれる?」
「さっハルちゃん私たちは行こ? 四足歩行の変態はほっといて」
エルは自然な動作で遥音の手を引いて、自室へ向かう。
「たーはお茶とお菓子用意してー」
振り向きながらエルがそう指示して、彼女らは部屋へ消える。
妹にあらゆる面で劣る兄は、配膳役という端役を押し付けられてぽつんと残されるのだった。
「――で、なんでまだいるの?」
エルの部屋で開かれる予定だったおしゃれ勉強会は、お茶を届けた後もなお居座り続ける西郷のせいで中断されていた。
「エルがなに吹き込むか分かんないから、その監視」
「ジャマなんだけど?」
「立ち往生してでもどかん!」
エルの部屋は一見して瀟洒かつ小綺麗にまとまっているが、年の割には少々背伸びした印象があった。
清掃は小まめにされており、あらゆる小物や道具はすべて収納されている。
数少ないインテリアやオブジェでは、ARエフェクトで桜が年中降り続ける桜の樹の小型レプリカや、同じくARでクラゲや熱帯魚が泳ぐ海中が再現された空の水槽などが設置されている。
しかし西郷は知っていた。
意外と寂しがりやのエルが今までこつこつ集めてきたぬいぐるみコレクションがクローゼットの奥に隠されている事実を。そしてエルはそれをなぜか恥ずかしがっているということも。
「無理に排除するなら、お前のクローゼット奥の――」
「ほんとに立ち往生する?」
「ごめんなさい、どうか傍に置いてやって下さい!」
平身低頭許しを請う西郷に、兄としての威厳はかけらもなかった。
怒った妹は恐いということを、彼はその半生をもって思い知っていた。
「はぁ……アホはほっといて始めよっか」
「う、うん」
妹に手も足も出ないどころか床に這いつくばって頭を下げる西郷を気にしつつ、遥音は頷く。
「一口におしゃれといっても衣服にメイク、それから仕草や言葉遣いと範囲は広いけど、まずどれからにする?」
「えっと、実はまったく知識がなくて……」
「そっか、でも無知から始めるのはみんな同じ。焦っちゃダメだよ?」
「うん、だから……一から順番に覚えたいの」
「わかったわ、なら最初は――やっぱり服から入ろっか」
そうしてエルのおしゃれ講座が始まった。
あくまで私の持論だけど、と前置きして彼女は語り始める。
「今日は三つだけ覚えればいいわ、一度に覚える知識は少ない方が習得も早いから」
「はいっ」
「まず最初のポイントは、これ」
そう言ってエルはパーの形に右手を開いて遥音に見せる。
それを見た西郷が対抗してチョキをだす。
「じゃんけんじゃないから」
「い、今なら勝てると思って……」
エルが右手で拳を作る。
「……チョキにはグーよね」
「ひぃー!」
「で、話を戻すわ。ポイントその一はずばり――パーツは五個に収めること!」
「パーツは、五個まで……」
復唱しながら遥音が指を空中に振る。
ADDのメモ帳に残しているようだ。
「まず、適当なファッションサイトを見てみて。そのモデルさんたちは意外と、身に着けてるものが少ないのよ」
エルがアクセスしたサイトが遥音にも共有され、視界に表示される。
それらを一通り眺めた遥音が「たしかに……」とうめく。
「彼女たちが素敵に見えるのは、なにも顔やスタイルが良いからだけじゃないわ。『引き算のおしゃれ』を知ってるから美しいの」
「引き算のおしゃれ……」
「初心者は『おしゃれしよう』という気持ちが先行して、余計に盛りすぎてしまうのね。そうするとかえって印象が悪くなりがちなの」
遥音は聞き入った様子でうなずく。
「おしゃれはいかに増やすかじゃない、いかに減らすか! これが基本にして奥義よ!」
思わず、といった具合に遥音がささやかな拍手を送る。
エルはそれに笑顔で返す。
「それじゃ続けてポイントその二――シルエットを意識すること!」
あらかじめ取り出していた私服を手に取ってエルは解説する。
「個々のパーツは優れているのに、いざ着て姿見の前に立つと、どこか違和感がある……それは大抵トップスとボトムのシルエットが噛み合ってないからなの」
たとえば、と言ってエルは自分を指す。
「今私は学校用のブラウスとスカートをはいてるけど、バランス悪い?」
遥音は迷いなく首を横に振る。
エルははにかんで頷く。
「これは制服がシルエットを意識してデザインされてるからなのね。スラっとしたブラウスやブレザーには、落ち着いてなだらかなスカートが似合う、だから印象がいいの」
ブラウスには他にもホットパンツなんかも似合うね、とエルは補足する。
「逆に、ブラウスにロリータ系のフリフリスカートを合わせるとちょっと浮いちゃうもんね。シルエットの相性を意識して服を選べば、そういったチグハグ感も減らせるわ」
「なるほど……」
「それじゃ、次が最後のポイントね!」
「はい!」
遥音はすっかりおしゃれ講師エルに心酔しているらしく、尊敬のまなざしで彼女を見つめている。
「ポイントその三――それは、基調となる色を選ぶこと」
「色……」
「コーディネートする際、メインとなる色を決めとくと見栄えがずっとよくなるの。最初はシンプルに白や黒なんかの無彩色を基調とすると手堅いわ」
エルはリボンやネクタイ、シュシュなどの小物を取り出す。
「で、次にピンクや赤、水色や黄色なんかの華やかな小物を上から添えていく感じね。黒が基調なら寒色、白なら暖色が合いやすいわ」
彼女の説明に合わせて、ネクタイなどの色がピンクから水色などに次々移ろっていく。
これは衣服や小物全般にタグ付けがなされており、ADDの描写装飾の恩恵によりトランス上の色彩を自由に設定できるからこその芸当である。
このシステムのおかげでわざわざ色違いの同じ服を買う必要もない。
だがその分、この類のタグ付けされた商品は既存品より割高の傾向にある。
「手応えを掴んできたら、今度は無彩色以外の色を基調にしてみるといいわ、いろいろ試してるうちに楽しくなってくるよ――と、こんなところかな?」
「すごい……とても勉強になったよ、ありがとうエルちゃん……!」
遥音は惜しみない拍手で賛辞を贈る。
「私、今までこんなこと全然意識してなかった……」
「少しずつ知っていけばいいんだよ、そうすればどんどん視野も広がっていくからね」
「あの、また教えてもらっても、いいかな……?」
「もちろん、私もハルちゃん興味あるし。そういえば、二人って……」
エルが西郷と遥音を見比べ、こんなことを言う。
「付き合ってるの?」
その一言で遥音が硬直する。
心臓が止まったのではないかと錯覚するほど、ぴたりと停止してしまう。
対照的に西郷はいたって普通で、のんきに茶を飲みながら答える。
「いいや?」
「ならどういう繋がり?」
「クラスメイト兼インステのフレンド」
「インステ? ハルちゃんが?」
「うん、実は設計民で筋金入りのロボ娘なんだよ。ね?」
ようやく元に戻った遥音がなんとかうなずいて同意する。
「あ、う、うん、そうなの……」
「ふーん、そうなんだぁ……その話はまた聞かせてね――っとそれで、たー」
「なんだ」
「今晩からたーだけ土食料理でいいんだっけ?」
「土食……は? 土!? なんで!」
「夜な夜な庭の土を頬張る兄を、妹として応援すべきかと思った次第」
「だれが食うかそんなもんッ! ……で、本題は?」
エルは本題に入る前に、こういった冗談を枕にしてから話す癖があった。
それを理解してるのは、長年一緒に暮らす西郷のみである。
「うん、出てって?」
「えらい端的だな。理由は?」
「分かんない?」
「あー……全然」
「はぁぁ~~~……」
これ見よがしにエルは溜め息をつく。
そして遥音の両肩に手を置いて、こう言う。
「見たくない? ハルちゃんのおしゃれ!」
そういう経緯で、西郷はおとなしく部屋の外で正座待機を敢行していた。
祖父と過ごした数年間で慣れ親しんだ姿勢のため、長時間の正座も苦ではない。
時折、扉越しに漏れ伝わってくる少女らの会話が西郷にはもどかしい。
断片的だが、こう聞き取れる。
――エルちゃんってほんと綺麗……。
――ハルちゃんは前髪……すると、……。
――かわいい服……どこで……。
――これが本物の隠れ……どこに収納してるの……。
より正確に聞くために聞き耳立てようかという考えが一瞬よぎるが、即座に自制する。
「いかん、聞き耳なんて立てたらほんとに土を食わされる……!」
今晩の夕食当番はエルである。
ここで彼女の不興を買ったら、最悪「土カレー」や「土のハンバーグ」なる拷問のような料理が食卓に並ぶ恐れがあるのだ。
かつて喧嘩した際、謎の昆虫料理によるバイオテロを受けた経験が西郷にはあった。
それ以来、エルが当番の日だけは彼女を怒らせてはならないというのが西郷家の不文律となっていた。
「今日の分の記事でも考えとくか……」
心身に刻まれた妹への恐怖に屈した彼は、おとなしく二人の着せ替えが終わるのを待った。
――そしておよそ三十分後。
ADDにエルから通信が入る。
『たー、もういいよー』
彼女たちの方はひと段落したらしく、西郷に入室の許可が下りる。
『盗み聞きとか変な妄想してないよね?』
「断じてそのようなことはッ!」
人間らしい食事がとりたい、その一心で彼は叫んだ。
『ほんとにぃ?』
「もう、もう虫はいやだぁ、信じてくれぇ」
半泣きで西郷は訴えかけた。
そんな兄の様子が面白かったのか、エルはけらけら笑う。
『うんうん、信じたげるよ。だから入っていいよー』
妹のお許しに心の底から安堵する哀れな兄は立ち上がり、ドアをノックして入室する。
そこには遥音とエルがいる。
遥音の服は、ブラウスの上に紺色のブレザー、同じく紺色のスカートという出で立ちで――。
「まるで制服のようだ……制服風……っていうか、これただの制服だね。うんそうだ、いつものだ」
彼女が着てるのは制服そのものだった。
遥音の装いは着替える前とまるで変わっていなかった。
「あの、話が違うんじゃないかと」
腕を組んだエルが、神妙な顔でこうのたまう。
「見たくない? とは聞いたけど――見せるとは言ってない」
「おまえそりゃあんまりだ!」
「私たちは楽しめたもんね~」
笑顔のエルが遥音の後ろから抱きつく。
この短時間で親睦を深めたのか遥音も動揺することなく、はにかむのが見て取れる。
「西郷くん、ごめんね……エルちゃんは悪くないの」
「こいつ以外の黒幕がいるのか……?」
「あの、そうではなくて」
「たー、楽しみはとっておいたほうがいいでしょ?」
エルが遥音をフォローする。
「どういうこと?」
「頑張れハルちゃん」
「うん……えっと、大会が終わったら打ち上げしない?」
抱きつくエルに支えられるようにして、遥音は言葉を紡ぐ。
「ああ、それは全然。また映画でも見るか」
「だから、その時までに……頑張って覚えるから」
「な、なるほど……?」
(おあずけってことかな?)
などと浅い理解を示す西郷であった。
「あーあ、今時こんな健気な子いないよー、大事にするんだよ!」
「お、おう!」
思った以上に真剣な口調のエルの喝に、西郷は反射的に応じる。
「まぁなんだ、そういうことなら……」
釈然としない部分が残りながらも、西郷は自分の為すべきことを理解していた。
どうやら遥音は遥音で一つ新たな挑戦をするらしい。
ならば、自分のすることはただ一つ。
「勝たないとな」
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