探偵、学校に行く

冷門 風之助 

前編

 さっきから、どうも尻がムズムズして落ち着かない。

 そりゃそうだろう。

 俺にとって一番居心地の悪い場所、学校の教室、それも『教壇の上』なんかに立っているんだからな。

 下からは80個の目玉が俺を見上げているってわけだ。

 え?

『何で私立探偵のお前がそんなところにいるんだ』って?

 決まってるだろ。

 仕事だよ、仕事。

 訳を話すと長話になるが、俺がまだ自衛隊にいた頃の隊友(懐かしい響きだな・・・・苦笑)から、急に電話がかかってきたのだ。

 そいつは、40人以上いた同期の中では一番の出世頭で、俺が退職してからも残り、二等陸士から、今や二尉(二等陸尉)にまでなった男だ。

 過去の自慢話は好きじゃないが、俺だってあのまま残っていれば、そこそこの出世はできたかもしれん(俺は一等陸曹で退職)が、この男・・・・小野寺正雄二尉は、俺なんか比べ物にならないほどの傑物だ。

 今と違って、俺たちの時代の陸上自衛隊は、

『試験を受ければ誰でも通る』と世間では揶揄やゆされていたほどの存在でしかなかった。

 勿論中には俺みたいに『親が自衛官だったから』とか、或いは『軍事や鉄砲に興味があって』というのもいなかったわけじゃないが、しかし彼はそれとはまったく逆の存在だった。

運動は人並み外れていたが、勉強はお世辞にもそう出来たわけでもない。

自衛隊を受けたのも、

『他に行くところもないし、とりあえず受けてみるか』というノリだったという。

 しかし、最後まで残って、任期制でなく、プロの自衛官になったのは、俺と、もう一人と、小野寺二等陸尉だけだった。

 彼はまさしく飛び抜けた存在だった。

 射撃検定も常に一級、体力検定も一級、格闘技も特別何かやっていたわけでもないってのに、教官三人を相手に倒してしまうほどの実力の持ち主だった。

 おまけに行動力も、統率力も、判断力も優れ、俺と一緒に第一空挺団に入った時なんか『空挺のデューク東郷』なんて呼ばれてたほどだった。

(もっとも、本物のデュークと違って、二曹に上がるとすぐに結婚しちまったがね)

そんな『自衛官になるために生まれてきたような男」が、珍しく俺に電話を寄越した。

(どうしてもお前に会って頼みたいことがある。俺は今日非番だから、出て来てくれないか?)

彼にしては珍しく弱気な声である。

在隊時代、妙にウマが合い、変り者で偏屈なこの俺にとっては、数少ない心の許せる男の頼みとあっちゃあ、引き受けない訳にもゆくまい。

俺は二つ返事で了解し、

『アバンティ!』で、会う約束をした。

 

『頼むよ、乾』挨拶の乾杯もそこそこに、小野寺は顔を真っ赤にして、弱気な声を出した。

『初めてだな、お前のそんな姿を見たのは』

そういって俺もグラスを干した。おごりだと思えば何杯でも行ける。

何でも、今度配置換えになって、久しぶりに都内(とはいっても、都心から少し離れた駐屯地だが)の勤務になったそうだ。

 で、そこで高校に上がった娘が、都立の某校に通いだしたのだが、そこで彼女はいじめを受けているのだという。

理由は別に大したことではない。

お決まりの『ヘイワ教育』というやつだ。

彼女の娘・・・・房子という・・・・の担任教師が、極めつけの『アレ』で、何かというと、

『戦争は絶対にいけない』

『自衛隊は憲法違反だ』

『みんなは小野寺のお父さんのような自衛官には絶対になってはいけない。自衛官の仕事は人殺しだから』

と、言い募って止まないのだという。

 それがどうやら生徒の間に広まってしまったのか、同級生、特に男子が彼女をいじめたりからかったりするのだという。

 女子の方はそれほどでもなく、友達もいるのだが、この頃ではすっかりふさぎ込んでしまい、家に帰っても、殆ど話もせずに、部屋に入ったきりだという。

『しかし、俺に何をしろっていうんだね?俺はただの私立探偵でカウンセラーじゃない。』

『そっちが当てにならないから、お前に頼んでいるんだよ』

 幸いなことに、教師も全部が全部おかしいという訳でもなく、中には幾分理解のある人物がいて、

『それならば一度小野寺さんのお父さんに学校に来てもらい、皆の前で自衛隊について話して貰ったら?』と、助け船を出してくれたのだそうだ。

 彼としても是非そうしたいところなのだが、その担任教師が『現役の自衛官を学校に入れるなんてとんでもない!』と騒ぎだし、挙句は同じ考えを持つ生徒の親を募って、反対の署名活動まで始めるという騒ぎになった。

『そんなところへ俺が行くわけにもいかんだろ?俺が罵倒されたら、娘が可哀そうだ』

娘の房子は、俺も一度だけ逢ったことがある。

確か彼女が幼稚園に入ったばかりの頃だった。目鼻立ちのはっきりした、素直そうないい子だったな。

『頼むよ、乾。お前なら現役じゃないし、しかも俺と違って頭が切れる。変な挑発にだって乗らんだろう。

 小野寺は真っ赤にした目で俺を見据えた。

 確かに俺だって元は自衛官だったんで、一通りのことは知っている。だからって奴が買いかぶってるほど出来はよくなかった。たまたま水が合ったんで長くいただけのことだ。

しかも学校・・・・俺が最も苦手な場所だ。

でも、同期の親友に頭を下げられると、無下にも断る訳にもゆかん。

弱いところだ。

『分かったよ。引き受けてやる。その代わり、これは仕事だからな。ギャラはちゃんと貰うぜ。それでもいいか?』

 俺はそういって、何杯目かのグラスを干した。





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