2-5
たえず吹きすさぶ風が、奥へと入っていく。懐中電灯の明かりが周囲に幾度となく照らされる。鉱山特有の鉱石の匂いなのか、異様な空気がたちこめている。洞窟全体に広がっているようだった。
キャサリンたちは、かつて労働者のいた鉱山跡地を進んでいる。足元は平坦であった。隊員たちの靴音がこだましている。
幾つもの分岐路が存在していたが、トロッコの線路をたどり奥へと進んでいく。
「とまれ!」
突然、奥から声が聴こえてくる。
言葉が明らかに英語ではなかった。だが、キャサリンでも言葉の意味を理解できた。
奥の集団の中に、倭人らしき東洋人がいる。キャサリン側の倭人が、ひとり代表として奥の倭人へと会話を交わしているようだ。
会話がおわり奥の倭人が近づいてきた。
「キャサリンさん、おひさしぶりです」
キャサリンは声に聞き憶えがあった。
「あなたは」
片言のニホンゴで彼女は言葉を交わした。
「エルシェントさんが中で療養しています」
「療養? 怪我を負っているのか?」
その言葉にヴェイクは訊きかえした。
「はい、ここで傷をいやしアルファシェルターへ戻るつもりでいるようです」
倭人の英語のしゃべりに違和感を持ちながらも、キャサリンは英語で聞き返した。
「ホード、オン《待って》! こんなところで傷をいやすことができるのですか?」
「とにかく中へ行きましょう。ベータシェルターの住人の方が待っています」
倭人の後に続いて奥へと歩みはじめた。
ところどころ松明が灯され、周囲の様相が鮮明に浮かんでくる。ときおりだが、明かりが揺らめくほどの風が吹き抜けることがあった。地上に出て行く吹き抜け口があるようだ。
近くから水の流れる音が聴こえてくる。どうやら、地底湖かそれに付随する水の流れる場所があるようだ。
ベータシェルターの住民の穴なのか、最近つるはしで作られた場所にベータシェルターの住人が座っているのがみえた。急いで逃げてきたらしく、荷物らしきものもない。
さらに奥へ進むと、金属音でなにかを砕く音がかすかだが聴こえてくる。ベータシェルターの住人のために穴を掘っているのだろうか、複数のつるはしのリズミカルな音が鳴り響いていた。
近くにはドリルらしき道具があるが、エネルギーの問題で使えないのだろう。放置されている。
「もうすぐです」
倭人はキャサリンたちに片言の英語で話しかけた。
明かりの中に数人の人影が浮かび上がる。その中のひとりは横たわっているのが、遠目からもわかった。みるからに老人に似た男の顔が、毛で覆われているのがわかった。エルシェント・ヴォード・パリティッシュだった。
「エルシェさん、エルシェさん! 喜んでください! キャサリンさんが迎えに来てくださいましたよ!」
キャサリンは、エルシェントに寄り添っていく。
「お義父さん! お義父さん!」
「キャサリン? キャシーなのか?」
声が以前にくらべ張りがない。しゃがれていたのだ。キャサリンは
「とうさん?」
簡素なベッドに横たわるエルシェントは、急激に年老いたようだった。キャサリンには見えた。白く覆われはじめている髪は、いきいきとしてはいるものの明らかに生気がなくなりつつあるようだった。
「すまない、キャシー、まさか一番信頼していたあいつが裏切るとは思ってなかった」
「えっ?」
やはり、そうだったのかと、キャサリンは内心憤りを感じていた。助けた恩を仇で返す。そんな卑劣なあいつが許せなかった。
「ハリーはもう出発しているわ! だから、義父さん」
首を振りエルシェントは沈黙する。ベッドからやっと起き上がりキャサリンをみつめる。
「キャシー、よく聞いてくれ! 残念だが私は正直、隊から退く。それに、このままキャシーをこれ以上危険な目にあわせるわけには」
「えっ? なんて言ったの?」
「隊から退くと言ったんだ!」
以前のエルシェではないとキャサリンは直感した。
「それが、本当に義父さんの答えなの?」
「もちろんだとも、ベータシェルターの住民は、以前に比べ気力を失ってしまった。シェルターを襲撃された以上、隊を組みなおすのは時間がかかるんだ! だから」
「アルファシェルターでハリーの帰りをおとなしく待ってろっていうの? ねぇ、あたし義姉さんに逢える日を楽しみにしているんだよ! 義父さん、一緒に行けないの?」
蔑むようにエルシェントは、キャサリンの顔をみず
「すまない」
エルシェントの応えに彼女は沈黙した。
「キャサリンさん、彼の気持ちも察してあげてください。どうやら、毒を飲まされたようなのです」
「えっ? 今なんて?」
振り返りざまに聞き返した。
「彼は遠征に出ようとするとき、毒を飲まされたようなのです。幸い、ここまで来ることはできましたが、彼の命は……」
「俺の
悔しがり両腕で自らの腿をたたく。
「皮肉なものさ。にいさんと同じ、こんなざまだ!」
毒に侵され、身体の自由が効かない様子だった。
「そんな! あたしはホルクさんになんて言えばいいの? みんなをつれて帰るって、約束までしてしまったのよ!」
興奮するキャサリンにブロンズヘアの男が、前に出てくる。
「心配はない。この鉱山で採れる鉱物をつかって、少しずつですが回復しつつある。ここにつれてきた目的は、ゆっくりだが毒を浄化してくれる鉱石があるからなんだ!」
「あなたは?」
作業員ともベータシェルターの住人とも思えない風変わりな恰好した男だった。
「科学者だ! 彼の毒は解析済みだ! すこし時間がかかるかもしれないが、立って歩けるようになるだろう」
自信のみなぎる声が坑道内に響き渡った。
「キャサリンという方。どうやら、あなたは東の山脈を目指しているそうだね。先ほど、仲間からきいた」
呆然とするキャサリンに男は、早口でまくし立てる。
訝しくキャサリンは彼に小首を傾ける。
「ぶしつけに声をかけてすまない。フォーイック・ラインという者だ。事情があってこの鉱山跡まできたのだが、目的のものが手に入らなかった。よかったら、私を同行させてもらえないだろうか?」
顔立ちがよく三十五を有に越えているようである。純真で真っ直ぐな、戦いを知らない平和そうな眼であった。
キャサリンは興奮と不安から今後の予定が耳に入ってこなかった。
「キャサリン、聞いてるのか?」
強い語気でヴェイクが、彼女を正気に戻す。倭人から提供された食事にも手を出す様子がなかった。
(いったい私は何のためにここまできたんだろうか……)
一息つき始めた。だが、彼女の心は落ち着いていられなかった。ベータシェルターの住人が、眠りに落ちようとしても、ハリーのこと、エルシェントのこと、ヴェイクのこと、そしてエルシーのことが頭から離れようとしなかった。このままエルシェントと残ってアルファシェルターに帰る道、ヴェイクを慕い、エルシーにもっと自分の弱さを鍛えてほしいとさえ思う気持ちにもなった。揺れ動く中に、ハリーへの想いもあった。
エルシーが心配そうに近づいてくる。
「となり、座ってもいいかい?」
キャサリンは無言のまま、どうぞ、とエルシーに薦めた。
「心、ここにあらずかい?」
「あたし、決意してアルファシェルターを出てきたっていうのに……」
「悩んでいるようだね。昔の私、そのままだわ」
キャサリンにはどういうことかわからなかった。
「それって?」
「私もアンタみたいに子猫みたく、仲間意識が薄かったんだ。ひとり突っぱねてね。けど……」
急に立ち上がり、キャサリンの目の前で見おろした。
「けど、私を心から信頼してくれた男と出会って気づいたんだよ。この男になら命を捧げても悔いはないって。それからさ、私はその男と一緒にいくつも遠征を繰り返したんだ。おかげで色気らしい色気はなくなっちまったけどね」
興味を持ち、キャサリンは話しかけた。
「エルシーさん、その男の人は、今どうしてるんですか?」
「去年だったか、私を
「……亡くなった」
エルシーは無言のままうなずく。すっと立ち上がりキャサリンに背を向けた。
「その男、口癖なのかよく言ってたのよ」
キャサリンはエルシーの背中をじっとみていた。
「なんて?」
「『生きている以上、悔いを残すな』ってね。私もこの言葉に動かされたんだなって」
エルシーは鼻をすすっていた。キャサリンは彼女が背中を向け、泣いている姿を見せまいとしているように感じた。
「アンタも生きている以上悔いの残らないように進みな。誰が何ていようとも覚悟を決めた道を進むんだよ」
エルシーの立ち去っていく姿をみつつ、キャサリンは彼女に感謝した。
6へつづく
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