第6話交渉。そして嵐の前。
わたしとアンヌたちはまず王宮まで出向いてエッラと決着をつけることにした。
ロレーヌ王国の2等書記官であるアンリ・ポンクレールの伝をたよりに王宮主催の文化勲章授与式のパーティに招待されることにしたのだ。
当然、事前にジュゼッペにエッラの情報の糸と接触させサルヴァトーレ氏からの使者としてわたしがエッラに会いたい旨伝えてある。
こうしてわたしたちは美女3人に囲まれ得意満面なアンリ・ポンクレールのエスコートのもと馬車で王宮に乗り込んだ。
アンリ・ポンクレールはわたしからみてもまず美男といえる男だった。ロレーヌ共和国でも南の生まれで、アンヌと同じく濃い栗毛。群青に近い青色の目をしていた。なかなかの野心家らしく、顔に出世してやるぞと書いてあるかのように精力に満ち溢れている。
アンヌが彼に話をもっていったところ、敏腕外交官らしくそれとなく察して積極的に手を貸してくれることになった。
わたしがエッラに会うまでは万事この男が取り仕切る約束である。
それにしてもマグダの手を預かりながらアンヌを見るアンリという外交官の目がいやらしい。
わたしがアンヌを飾り立てたのだから当然といえば当然なのだけれど、何か腹立たしい。
今日のアンヌはいつもの貧乏なアンヌではないのだ。
一言で言えば古の侯爵令嬢のアンヌだ。高貴な身分の者だけがもつであろう気品、威厳、寛容さをすべて身にまとってそこに立っていた。こういったものは最近ではハイ・エルフでも身に付けていない。こういうのを奇跡というのだろう。
今日はいつも微かに窪んでる彼女の頬もバラ色に輝き、悲しげな彼女の目も生気を帯びてまるで発光しているかのようだ。その漆黒の美しい長い髪の毛は頭の真ん中から分けられ耳を隠すようにして細い項の辺りで複雑に編み込み巻かれている。
緑色の地にところどころ黒色で染め上げた豪奢なカシミヤのドレスも今の彼女からすればほんの室内着か寝巻きにしか見えない。
一方、マグダとて美しくないわけではない。赤毛特有のアルビノのおかげでその肌は純白に近い。項が細く長い。慎ましやかで優しげな緑色の瞳。
その細い体と長い手足は華奢で砂糖か石灰岩ででも出来ているようで支えてあげなければ今にも崩れさりそう。
マグダほど男に庇護欲を駆り立てる女性もいないだろう。
威圧的な大階段を登りきり祝賀のための大広間に入ると、わたしたちは多くの人の注目を集めてしまった。何といってもアンヌがその圧倒的な美しさで男たちの目を独占してしまったのだ。
これはわたしとアンリの目論見どおりだ。わたしはエッラと密談する予定なので余計な人間の注目を浴びるわけにはいかない。
+
王宮の祝賀会とはいえ、出ている料理はエルフのものなので食べる気がしない。察しのいいアンリの提案でわたしたちは事前にロレーヌの高級料理を摂っていた。
しばらく食事のまねごとをすると、昼間に既に叙勲された男の演説。誰だかよく知らないが大臣らしい高位のエルフの演説。それから招待客を代表した者の演説に続き、女王陛下の来場。そのお言葉。女王陛下の退場。また演説。演説。演説。
実に退屈な時間だった。
さて。料理が下げられ、歓談の時間がはじまった。これも長い。
アンリに連れられて高位のエルフやらロレーヌ王国の外交官たちに紹介される。
ここで問題が起きる。モニカ・エーコとその秘書官がここに来ていたのだ。予測しなかった訳ではないが、親ザールラント派の秘書官との接触だけは避けたい。
しかし、わたしに出来ることといえば花を摘みにいくと称して場から逃れることだけだ。外交官でもないわたしにはこれ位が精一杯。
しかし、甘かった。酔った(ふりをした?)ドワーフの駐在武官らしい男に話しかけられてしまった。
金を返してやったにもかかわらずポロニア人が裏切り、わたしとエーラ人との関係がドワーフ側にバレているのか?
だがー。
「ダークエルフの女性は実に可憐で美しいですな」
ドワーフの駐在武官は心にも思っていないことをベラベラしゃべりながらしつこくわたしとアンヌらロレーヌ人との関係を聞きたがった。
駐在武官はメラリアのダークエルフとロレーヌ人との妙な組み合わせに興味を覚えて探りを入れにきただけだった……。
わたしはホッと胸をなでおろした。
しかし、わたしではこの鬱陶しい男を追い払う術を思いつかない。外でなら素性を隠してぶん殴るとか拳銃を鼻先に突きつけてやるなどいくらでも手はあるが、さすがに王宮内で出来ることではない。
アンヌやマグダなら男の行為のどこかに隙を見出しあえて無礼を咎めて人前で恥をかかせてやる等高等テクニックを披露できるのであろうが、わたしにはできない。なんせわたしは生粋の軍人だからな。女性として扱われた経験があまりなくその手の経験豊富とは言えないのだ。
困惑していると、救いの神がやってきた。大公女の兄上様のエーロ伯爵の登場だ。
エーロ伯爵は「失礼」と男に断り、わたしに向かって「こんなところにいらしていたのですか。探しましたよ、美しい人」という訳の分からないセリフを言うと、腕をとってたちまち危険圏から連れ出してくれた。
驚いたことにエーロ伯爵はエッラの手先であった。エッラに頼まれ、わたしをエッラのいる人気のない小部屋へと案内しにきたのだ。
わたしは室内を上品なバラ色と灰色の漆喰の壁と彫刻された木で飾られた小部屋の中に入った。
+
室内には当然のことながら“ブラブラする蜘蛛”こと侯爵令嬢エッラ・キルシマイヤ・ハエルコーネンがいた。
エッラはハイ・エルフ特有の冬の衣装つまりサテンかなにか絹でできた襞のたくさんある長い布を固い丈夫な紐で身に巻きつけ上から金地に鳥や花が織り込まれた豪奢な四角い布を被っていた。そして、彼女はその頭に花の冠を戴き、左手には針葉樹の枝をもっていた。
わたしと彼女はしばらく黙って見つめ合った。
わたしは不思議だった。この鳥の嘴を想わせる変な鼻をしたエルフの女性に人々は本当に恐れを抱いているのであろうか?
わたしは幼い頃から危険な男たちをずいぶんと知っている。彼ら特有のその身に纏う雰囲気というものにも馴染みがある。
だが、彼女からは全くそんなものが感じられない。
沈黙の間がしばらく続いた。しかし、わたしの方から口火を切るわけにはいかない。わたしは何といっても招待されたダークエルフの小娘にすぎない。
「叙勲の祝賀会という退屈な儀式にメラリアの少尉さんがやってくるなんて珍しいこともあるものですわね」
白々しい。だが、開始の合図だ。
「招待いただき光栄です。わたしのような田舎者にはすべてが珍しく感激することばかりですわ。不躾なことを申してご寛恕願いたいのですが、わたしは今宵、メラリアのいち軍人としてではなくメラリアの伯爵令嬢としてまたサルヴァトーレ氏の使者として参っているものと認識いただきとうございます」
「あらそう」
彼女は暖炉のそばへ行った。
「別にかしこまる必要はなくてよ。楽にして頂戴。ああ、そこのソファにでもおかけになるとよろしいわよ」
「ありがとうございます」
わたしがソファにこしかけ、話し合いがはじまった。
「貴女の友人のサルヴァトーレ氏がエーラ人ばかりかどういうわけだかポロニア人も押さえてしまったらしいわね。その飛ぶ鳥も落とす勢いの殿方からどんなお話を聞かせてもらえるのかしら?」
わたしは説明した。
1つ。エルフランド南部にあるメラリア王国と交易している都市の港湾労働者組合にサルヴァトーレ氏の影響が及ぶことを黙認すること。
2つ。現在首都ベルエンネにいるエーラ人過激派がロレーヌ共和国に亡命することを妨げないこと。
3つ。ポロニア人が国際金融市場を操作することについて事前協議に応じ事前協議で決めた以上の介入はしないこと。
1つ目から2つ目までは実は要求ですらない。サルヴァトーレ氏はそれくらいのことを簡単にできる実力をもっている。これはマフィアとマフィアに影響を持つわたしの力の示威なのだ。
「ホホホ。要求ばかりですわね。交渉ごととはお互い交換できるカードを切り合うことではないかしら?」
わたしはこれでも極ささやかで穏やかな要求のみであり、要求を飲んでもエルフランドに実害がないことを説明した。
表の政治の世界で小娘のわたしがこんな要求をしたら狂人の戯言としか映らないであろう。
しかし、彼女は要求を明確には拒絶しなかった。
彼女はわたしがサルヴァトーレの単なるメッセンジャーではなく、独自の立場からマフィアにもエーラ人にもポロニア人にもそしてメラリア王国の外交までにも影響を持ちうることを正確に理解していた。
わたしの持っているカードは交渉のはじまる前から開いて見せている。
わたしにはマフィアへの影響力、エーラ人の情報と彼らとの友誼、ポロニア人の情報と彼らへの影響力というカードがあった。
そして、彼女はわたしがメラリア王国で政治を司る権力者からもザールラントのドワーフたちからもノー・マークで、それらと距離を置いた存在であることを認識していた。
エッラからしてみればリスクなしに情報を取得できるわたしは篭絡したくてたまらない人材であろう。少しくらいはワガママを聞いてくれると嬉しいのだが。
「では、こちらからも要求をさせてもらいましょうか」
エッラは少しばかり厳しい要求を突きつけてきた。
1つ。サルヴァトーレ氏はエルフランドにいる犯罪者の検挙に協力すること。
2つ。エーラ人過激派の身柄も官憲に引き渡すこと。
3つ。ポロニア人の亡命政府樹立の手助けをすること。
4つ。メラリア王国内にいる全体主義者のドワーフの情報を提供し、ザールラントとメラリア王国とが結びつくのをできうる限り阻止すること。
1つ目は簡単だ。サルヴァトーレ氏に反対する犯罪者を官憲に引き渡せば足りる。2つ目もしかり。エーラ人の身柄など確保していないと言い切ればどうにでもなる。3つ目はこちらとしても願ったり叶ったり。マフィアの手助けといえば商売をするのと同義だ。ますますマフィアの、ひいてはわたしのポロニア人に対する影響力が強まる。
だが、4つ目はエッラのわたしに対する嫌がらせだ。表の政治になんの影響力もない小娘にメラリア王国の親ザールラント派の全体主義者すべてを敵に回して戦えだと。わたしはエルフの手先になる気など毛頭ない。全体主義者のドワーフはもとより嫌いだが、祖国への裏切りにつながりかねない行為をするわけにはいかない。たとえわたし自身ではなくマフィアの力を利用するとしてでもだ。
交渉は長引いた。
+
エッラは小部屋の戸口から入ってきたまま挨拶もしないダークエルフの小娘をじっくり眺めた。
マリアカリアとかいうダークエルフの銀髪は長さが肩までもなかった。エルフではありえないことだ。その顔の造作は美しい。意志の強さを示す眉は細すぎず、少しはねているが不自然さを感じさせない。目には濃い青色の瞳が大きく見える。鼻筋はとおり鼻の形は完璧。唇は薄くはなく少し厚ぼったさを感じさせるが下品ではない。余り化粧をしない質らしく口紅は塗られず唇の地が見える。色素の薄いそれはかえって顔全体を神秘的にすらみせる。
だが、このエキセントリックな美しいはずの顔から猛々しい印象しか受けないのはなぜだろうか。
マリアカリアは長身で、その激しい活動に必要な筋肉がついているにもかかわらず均衡がとれていて体つきがスラリとしている。
エッラはマリアカリアがわずか18才の小娘にすぎないのにシホンベルベットでつくられた黒のイブニングドレスを上品に着こなしていることにも驚いた。
完璧主義者のエッラはあらゆる伝を使いマリアカリアの経歴を詳細に調べ上げていた。
彼女はマリアカリアがメラリアの南部の大土地所有者で伯爵の娘であることも、その領地管理人でマフィアでもある一族と親しいことも知っていた。そして、彼女はマリアカリアが幹部候補生学校で残した優秀な成績のことも隙がなく優秀すぎて教官たちから煙たがられていたこともその猛々しさから上級生を含めたすべての学生たちに恐れられていたことも知っていた。
つまり、彼女はマリアカリアが近寄らせることの大変危険な猛獣であることを知っていた。それでも近づけさせなければならない状況に彼女は苛立ちを覚えていた。
彼女はポロニア人でみそをつけ、次いで、事もあろうかエーラ人については犯罪者集団に後れをとってしまった。
首都ベルエンネのエーラ人過激派を一掃しエーラに武器が流れるのを完全に止められる状況にあったのにもかかわらずその機会を永遠に逃してしまったのだ。
その失態の原因の関係者が目の前にいる。これほど屈辱的なことがあろうか。
エッラはこれまで他人に要求をしたことはあるが、されたことはなかった。他人を無理やり従えたことはあっても、従えと言われたことはなかった。おどしたことはあっても脅かされたことはなかった。
だから、エッラは顔には表さないが内心では涙が出るほどの屈辱感に打ちのめされていた。
目の前にいる薄汚いダークエルフの小娘がわたくしに要求する。わたくしを脅かし、わたくしに命じる。こんなことは許されない。しかし……。
彼女は思った。追い詰められておりマリアカリアたちの要求を完全に拒否することはできない。しかし、譲歩させることはできるはず。見ればこの小娘、交渉には素人。できるはず。
そこで、まだ冷静さの残っていたエッラは、まずマリアカリア自身には到底できない要求を出してその無力さを噛み締めさせることにした。
どうだ。薄汚いダークエルフは自らの身の丈を思い知って闇のなかで控えていろ。いまだ表の世界はお前たちが逆立ちしても触れることすら出来はしない。
しかし、マリアカリアも粘り強い。交渉は長引いた。
マリアカリアとエッラとはメラリア王国内にいるドワーフの全体主義者を嫌いぬいていることでは一致している。問題はやり方である。
マリアカリアにはメラリア王国の外交を表から直接動かす力は無いし、やる気もない。
これに対して、エッラの立場はこうだ。エルフランドは均衡外交を基本としている。一方的にザールラントだけを敵視してメラリア王国にのみ肩入れすることはできない。メラリア王国がエルフランドに近寄りたければドワーフの追放という形を自ら示せ。これができなければ現状を静観する。ザールラントが戦争を仕掛けてくるまでは何もしない。ただし、マリアカリアたちがエルフランドにエーラ人やポロニア人に関する利益をくれるだけでなく、メラリア王国内のドワーフたちに対して何らかの行動を起こすならばなんらかの支援を考えないでもない。
交渉が長引くにつれ、マリアカリアが次第に苛立ち始めた。
エッラは何を言っているのだ。エルフランド側から動いて何が不都合なのか。そんなものはありはしない。それにエーラ人やポロニア人に対する影響力をマフィアが握ることでドワーフからの影響を排除しているではないか。エルフランドにとって利益こそあり害はない。それ以上望むのは望蜀というものだ。
エッラは陰で謀をするが表で外交などしたことはない。当然、自身が思っているほど交渉は得意ではない。所詮、鞭を食らわすか飴を与えるかしか知らないのだ。
こうして交渉の素人同士が互いに譲らず、苛立ちを募らせて爆発寸前の状態まで立ち入った。
そして、爆発の引き金を引いたのは、やはりエッラの方であった。
エッラは交渉がちっとも進展しないので攻撃を自分の得意な個人に向けることを考えついた。簡単にいえばマリアカリアの交友関係に言及し脅迫したのである。
さっさと譲歩しろ。さもないとお前の友人がどんな目に合っても知らないぞ、と。
またしてもエッラは悪手を打ってしまった。
+
わたしはエッラから脅迫のセリフを聞かされた瞬間、左手で彼女の細首を掴んで手繰り寄せその顔面に頭突きを食らわしていた。
「交渉はもうやめだ。貴様の面を見ているだけで虫酸が走る」
右手の拳をエッラの腹部に突き立てた。
「わたしは今まで散々クズの男共に巡り会って気分を悪くしてきた。だが、貴様ほど気分を悪くさせた奴はいなかったよ」
ズガッ バシンッ
床に蹲り私を見上げ身を震わしながら「もうやめて頂戴」と涙するエッラに向かってわたしは罵倒し続けた。
エッラは鼻血を流し腹を抑えている。それでもわたしは止まらずにいた。
「貴様はわたしを薄汚い下品な小娘だとかゴロツキだとかと思っていることだろう」
わたしはエッラに右手の2本の指を突きつけて言い放った。
「どっちがゴロツキで悪党なんだ。蜘蛛女めが。貴様のしてきたことは何だ?人を恐怖で縛って弄ぶことか?それとも憐れみを乞う人を嘲笑いながら地獄に突き落とすことか?」
ドガッ
わたしはエッラを蹴り倒した。
「何ヶ月か前、貴様はわたしにくだらない悪戯を仕掛けたな。
そのせいでカシアというポロニア人の留学生が消されたぞ。そのことについてどう思っている?虫かなんかが死んだとでも思ったか。チェスの駒がどこかにいってしまったとでも思ったか。貴様と同じく体の中に血が流れている人間が死んだんだぞ!
お前みたいな虫の、自分だけが特別だとかいう思い上がりのせいで人の運命が決まってしまった。
こんなバカバカしいことがあってたまるか!」
ガッ ガスッ
「貴様はさっきわたしの友人たちをどうこうすると仄めかしたな。フン。貴様のくだらない脅しなどなんの意味もない」
ボカッ
「貴様の脅しがたとえ現実のものになろうと彼女たちがわたしを恨むことはない。彼女たちは自分たちで決めてわたしを信頼したんだ。その決意の代償を支払う覚悟はもとより出来ている。
わたしの友人たちは貴様と違ってみな気高い。貴様の汚い手で彼女たちを触ろうとするな」
ズガッ ズガッ ズガッ
「他人に体の傷を訝しく思われたら体面を守るために階段から転んだとでも言っておけ。フンッ。
今後もし貴様がわたしの友人たちをその汚い手で触るなどと仄めかそうものならわたしは貴様のど頭に鉛の弾丸をぶち込んでやる。このようにな」
わたしはボロ切れのようになって床に倒れ伏しているエッラの頭に向かって唾を吐きかけた。
わたしが小部屋から立ち去ろうとすると、隣室でただならぬ物音、悲鳴、怒声を聞いたエーロ伯爵が飛び込んできた。
わたしと鉢合わせになったエーロ伯爵はボロボロになって床で呻いているエッラを見て驚く。
「……なんてことを。貴女は本当にダークエルフの女性なのですか?」
どけよ、青瓢箪。
わたしは言った。
「ああそのとおり。床に這っている虫とは違い、わたしも一人前の女性だ。頭に血が昇りやすく口より手が先に出る欠点があるがな。わたしの友人たちはみんな一人前の女性たちばかりだ。だからわたしも負けてはいられない」
そして振り返り、床に蹲るエッラに向かって言い放った。
「要求の追加だ。今後一切、わたしと友人たちに構うな。そして、わたしが告げた4つの要求をすべて飲め。譲歩はなしだ。その代わり、ポロニア人たちが自分たちで流していいと判断した情報だけは流してやる。それで満足しろ」
嗚咽が聞こえたが、わたしはエーロ伯爵の肩にぶつけるようにして小部屋の外へ出た。
+
そのころ、アンリ・ポンクレールは釣り人が魚が釣り針の餌をつついて浮きが沈むのを待っているのと同じ心境にいた。
ダークエルフの小娘と陰で糸を操るだけの能しかないエルフ女に政治のやり方がわかる訳がない。きっと2人の交渉は失敗する。ダークエルフの小娘が抱え持っているものは貴重だ。自分が彼女を手伝いその貴重品を上司やお偉方連中に見せびらかしてやればきっと出世につながる。
アンヌも自分の友人が上手に交渉をこなすとは思えず、不安であった。
そこで、アンヌは保険をかけることにした。カリアがエッラとの交渉に失敗してもロレーヌの外交官共と交渉すればいいではないか。こちらは売り手なのだ。買い手はいくらでもいる。アンヌは買い手たちにカリアの価値をことさら高く見せつけることにした。カリアがエッラとの交渉に成功しても買い手に貴重品であることを匂わせただけで済む。失敗したらそのままカリアの持つものを高く売りつければいい。
こうして2人は外交官たちの間をしばらく泳ぐことにした。
+
「ボージュー家の方でしたか。私の先祖もモルティエ元帥に繋がりますから私たちは遠い親戚にあたるわけですな。ハハハ」
アンヌはロレーヌ共和国の大使とくだらない話をしながらお互いの腹を探りあった。
「噂ではこのベルエンネの下町でエーラ人たちがお互い殺しあったとか。しかもそこに奪われたポロニア人の金の延べ板の山があったとかなかったとか。なにかおとぎ話に出てくる盗賊たちの話みたいで驚いてしまいましたわ」
「はあ。世の中には奇妙奇天烈で残酷な話が転がっているものですな。その噂はどこで?」
「私の友人にダークエルフの伯爵令嬢がおりまして、その友人がマフィアのコンシリエーレとかいう……えっと相談役みたいな人物から耳打ちされたそうですわ」
「ほう。そのご友人はそれはまた物騒な人物とお知り合いのようですな」
「そうですわ。困ったことに。でも私の友人は誰にでも優しくて交際範囲が広いため様々なダークエルフの方々から慕われとても尊敬されておりましてよ」
「それに大変な美人ですよ。大使閣下」
アンリも援護をする。
「ますます興味が湧いてきましたな。私もそのご友人の紹介に与りたいものですな」
「大使殿。こちらの美女を紹介してくださらぬかな」
アンヌとアンリがロレーヌ人たちと話していると、エルフの外務次官も話しかけてくる。
「こちらはエルフランドの外務次官をなさっているニルス・ロッカ・カタヤネン子爵です。この方はロレーヌでも指折りの名門のご出身でアンヌ・ド・ボージュー侯爵令嬢です」
「……それでですな。アンヌ嬢はご友人に大変広い交際をお持ちの方がいらしてですな」
話は拡散し始めた。
アンヌは相当疲れたが、友人のために細工は流々といったところなのでそれなりに満足していた。
そこにマリアカリアが帰ってきた。アンヌはマリアカリアの顔が固いことに気づき交渉は失敗に終わったことを悟った。
「話にならない。あの虫はクズだ」
マリアカリアが吐き捨てる。
「では、こちらの方でお話を進めてもいいですね」
そんなマリアカリアにアンリ・ポンクレールがニコリとほほ笑みかける。
「ハッ。お前が信用できる保障がどこにある?」
「私は出世がしたい。それにいろいろと世界を動かしてみたい。私は表の世界で現実に力をお持ちの方々を存じている。貴女は彼らの欲しがる貴重なものをいろいろお持ちだ。お互いに協力しあえば双方とも幸せになれる。信用いただいても損にはならないでしょう?」
「フン。まあ人を脅迫することしかできない奴よりはましだな」
こうしてマリアカリアとアンリは手を結んだ。
その結果、マリアカリアは各国要人にポロニア人、エーラ人そしてメラリアのマフィアに影響力のある人物であることを印象付け、主にマフィアにとって有用なことを彼らから引き出していった。
交渉相手のロレーヌ大使にとってもほとんど自分たちの腹をいためることなくポロニア人たちの情報が得られて仮想敵国であるザールラントの力を間接的に弱めるとっっかりを掴んだ。しかも闇の世界に詳しいマリアカリアという人物との貴重な繋がりまでできて至極満足であった。
また、エルフランドの外務省に連なる人々にとっても少しの犠牲でドワーフたちのエーラ人への武器供与の情報を得たばかりか、なおかつ傲慢なエッラの鼻をあかして自分たちの主導権を取り戻すことに成功した。
翌日、外務大臣から嬉々としてエッラの失態を告げられた女王陛下はいたくお怒りとなり、エッラを呼び出してしばらく王宮に出仕する必要はないと告げた。
あの夜会の後日譚としてアンリ・ポンクレールは一連の出来事でうまく立ち回って点数を稼ぎ、ロレーヌ共和国から叙勲され一等書記官に出世したということがあった。
そして、関係がないかもしれないが、親ザールラント派であったモニカの秘書官がある日、突然事故に遭いその長くない人生を終えることとなる出来事があった。
それは、まるで彼の存在が誰かの障害にならないようおもちゃ箱にでも片付けられたように。
メラリア王国の王都ラーラにある、とある古書店の奥の部屋では一人の紳士が少し過保護かなと笑っていたという。
+
わたしは無事、もとの平穏な生活にもどってこられた。
そして、わたしたちは6ヶ月の予備学校の生活を終了し、春からそれぞれの専門を学ぶべく大学に進学することとなった。
わたしがアンヌたちと考えた計画とは、まずマフィアに対してわたしがマフィアとその他の勢力を結びつけマフィアにますます利益をもたらす存在であることをアピールする。次にその他の勢力に対してわたしがマフィアに影響力を持ち他の勢力とマフィアの仲介をなしうる唯一の存在であることをアピールする。これでどちらに対してもわたしは欠くことのできない存在として両者の中間に立ちうる。
マフィアがもしわたしを飲み込もうとしても他の勢力との結びつきをもって牽制できるし、他の勢力がわたしを捨てようとしてもマフィアへの影響力を示して無視させないというものであった。
当時はわたしはマフィアと両天秤にかける勢力としてロレーヌ共和国とエルフランドを選び計画は成功したと思っていた。
しかし、所詮は18歳の小娘の浅知恵にすぎない。6年後、戦争への機運が高まるとすべてが裏目に出た。天秤棒に載せるべき勢力はいなくなり、逆にわたしのサルヴァトーレに対する依存度がますます高くなってしまった……。
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