メッセ来た――そこに希望はあるのか?

 諏訪すわまもるは動けなかった。


 目の前に女神がいる……。


 身長は、140センチ台か?彼の中学生の妹より少し小さいくらいの高さに見える。


 男として、視線を上下させる。


 綺麗な水色の髪は、片側で編み込まれて垂らされている。

 時折ピョコピョコ動くのが、なんとも言えず可愛らしい。


 首肩完全丸出し、で申し訳程度に横から胸を覆っている布。

 胸の膨らみが、あまり無いのが惜しくてならない。

 一部の貧乳需要には応えているのだろうが……。


 両の二の腕は健康そうな丸みを帯びている。

 手の甲から下腕にかけて、金属の質感のある白いプロテクターのようなもので保護されているが、とても薄いもので衝撃を吸収できそうには見えない。


 当然へそどころか、お腹丸出し。

 しかし、残念ながらその下はスパッツ。

 正確には、スパッツに、下半身の急所を守るくらいしかできなさそうな、先ほどと同様のプロテクターがついた代物。

 この辺りはレギュレーションを満たすために仕方なかったのだろう。まあ、体にぴったりとしたこれはこれで、上手く表現できないが、そそるものはある。


 美しい素足。

 何者にも穢されぬ、やや幼さを携えたこの女神のみに許された足のラインだ。

 

 「……」

 「……」


 彼女と見つめ合う。


 彼女は護の方を向かってニコリとすると、拳を突き上げてこう言った。


「見てよこの紙装甲、神だけになっ」


 その言葉に我に帰る。


 もう何度この台詞を聞いたろうか。


 繰り返し繰り返し、スマホの画面の向こうで、今目の前にいる彼女がこのポーズをとりながら言っていた言葉だ。


 それが、今は、自分の部屋の中で立って、自分に話しかけている。


 これは、AR等では無い、現実だ。


「……」

「……」


 再び2人の間に沈黙が戻る。

 彼女は、先ほどのポーズからもう普通の立ち姿に戻っている。

 そして、ニコニコしながら、愛想の良い視線を護の方に送ってくる。


 護は、しかし、この現実に反応できていなかった。

 正確には、どう反応したら良いのかわからなかった。


 妹以外の女子を部屋に入れたことなど無い、というのは大きいとしても、それだけではない。

 彼女の出現があまりに驚きに満ちたものだったからだ。


 彼はここに至るまでの出来事を頭の中で思い出していた。



 ―――――――――――


 

「今日は何としても7時には家に帰らないとな」


 護は、拳を強く握りしめながら、その決意の程を語った。


 ここは護が通う高校の教室の中、今は休み時間。

 会話の相手は、クラスメートであり、神人戦姫仲間の伊勢照彦だ。


「まーたガチャのオカルトに頼ろうっていうのか?メンテ開けすぐに回すとレアガチャで★5が出やすいとか、っていう」


 そう、今日は、今日開始のイベントに備えたサーバメンテナンスデー。

 メンテナンスは午後0時から午後7時が予定されている。


 昼休みを超えた今、既にアプリはメンテナンス中の画面になっており、重度なスマホゲーユーザであれば、遊べないことで手が震えそうな状況なのだ。


「ガチャって別に一日でレアが出る総数とか決まって無くて、あくまで確率らしいから、それ意味ないらしいぞ。ほら、ガチャの画面の詳細説明ボタンから飛ぶと、★5は0.5%とか書いてあるじゃん」


 友人のくせに冷たいことを言う。


「お前はいいよな、テル。★5わんさか持ってるからさ。持たざる俺的には必死なんだよ」


 本当に必死過ぎる。


「まあ、気持ちはわからなくないけどな。マモのアルバム見ておかしいって思わないやつはいないよ、絶対!……あれ、★4、★5出たら素材にしちゃってるとか、そんなことないんだよな?」

「そんな贅沢なこと、するわけないだろ。出たらスクショ取って印刷して神棚に飾るわい。神だけにな」


 本当にやりかねない。


「おかしいなあ、★5確定ガチャとか、今まで何回もあったと思うんだけど」

「★5確定って課金チケ使うじゃないか。無課金を貫くユーザの俺に回せるわけないぞ」


 実は、レアチケットには、ゲーム内でもらえる普通のレアチケットと、課金して購入できる課金レアチケット(正式名はゴールドレアチケット)の二種類があり、課金レアチケットでしか回せないガチャが世の中には存在するんだ。


 せちがらいね、全く。


「……そのこだわりが全ての元凶だ」

「えー、だってよー無料でできるのが、スマホRPGのいいとこじゃね?CMでも無料無料言ってるし」

「普通は、回すんだよ、マモ。俺のカード★5多いって、お前言うけど、俺だって身を削って投資してるからこの布陣が敷けてるんだ。無課金から、せめて小遣い範囲の無理しない課金に移行しろ」

「そうやってハマって、1万が10万になって……とかで、ゲームのカードで、文字通りカード破産するとかなんだろ。人の欲望ってやつは怖いな」


 ウマいこと言った、という体の護の顔を見て、照彦はいろいろとあきらめがついたらしい。


「ハア……まあいい、お前を説得するのは諦めた。それに、考えてみると、問題はお前の運の悪さだからな。例え★5確定を回したところで、なんちゃって★5的なのしか出ない可能性も高い。俺も味わったことがあるが、アレこそ精神的にキツイ」


 なんちゃって★5とは、レア度は★5であるが、★4以下の使い勝手とされている戦姫カードのことである、念のため。

 どのゲームでも、よくあるよね。


「なんてこと言うんだよ。今日これから帰って回そうと言ってる俺に対して……希望を打ち砕かないでくれよ」

「あれだよ、『人間、要求水準、即ち期待する度合い、を下げておけば、ダメでもショックが少ない』とか、さっきの授業で先生無駄な雑学として言ってただろ。★3しか出ない人間君」

「失礼な、確かに★3しか出ないけど、それならまだマシだぞ。俺は……言うなれば……タケミナカタ症候群だ」


 ため息をつきながら、神人戦姫のアルバムページを開く。


 そこには、★5、★4の欄は空っぽで、★3の欄は一つしか埋まっていない。


 No1タケミナカタ。


 日本の神話に馴染みが無い方のために説明しておくと、タケミナカタとは、地の神クニツカミとして、アマテラスを初めとした天の神アマツカミの侵攻に、最後まで抵抗した戦士の神である。


 残念ながら、最終的には負けてしまい、長野県の諏訪湖という湖に封じられてしまうが、それでも、地の神クニツカミ主神である父、そして兄がほぼ降伏し、劣勢の中で戦う姿は、人の心をうち、今でも相撲の始まりとして語り伝えられている。


 神人戦姫の最初のストーリーは、この天の神アマツカミの地上侵攻をベースとしているため、実はストーリー上の主人公であり、それ故のアルバムNo1である。

 ★3なのは、なるべく主人公を多くの人が手にできるようにとの配慮なのだろう。おそらく。


 護も最初は嬉しかったものだ。★3とはいえ、主人公キャラを引き当てたのだから。「俺主人公!」中二を心に宿す者なら、普通そう思っちゃうよね。


 それからはメインページに設定して愛でる毎日。


 タケミナカタは、ファンにはロリミナカタと言われるように、どちらかというと、いやどちらかと言われなくても、可愛い小動物系のキャラである。


 愛でている姿を女子に見られたら、ひかれることは間違いない。


 実は、護も、胸はそれなりにあってほしい主義者であったから、そこは当初不本意ではあったのだが、毎日接しているうちに、その、何というか可愛く思えてくるものである。

 彼女の一人称が「オレ」なのも、これはこれでいいじゃないかと。


 これが、心理学でいうところの単純接触効果的なアレか。

 いつも会ったり見たりしてると、なんでかわからないけど、対象を好きになっちゃう、気になっちゃう、ってね。


 しかし、ガチャを回すにつれて、段々精神的に辛くなってくる。どれだけレアガチャを回しても、彼女しか出ないのだ。


 スマホを部屋の中で投げ捨てかけたのも1度や2度ではない。

 なぜか、メインページの彼女がちょっと悲しい顔をしたような気がして、実際にはしていないのだけれど。


 確かに、同一カードは素材として重ね合わせることで、+1、+2とキャラ名横の数値が上昇してゆき、ステータスもプラスされてゆく。

 嬉しくなくはない。

 しかし、それも程度というものがあるだろう。


 今や、護のキャラは+107という恐ろしい数字になっており、初めてこのアルバムを見て絶句した照彦に言わせると、一部ステータス以外はノーマルの★5を完全に上回っているという。


 でも……、やっぱり新キャラがガチャで登場するたびに、世間の流れに乗れないのは精神的に辛い。


 先生、俺もユミル様の冷たい視線を浴びつつ、罵倒されてみたいです。


 先生、俺もアトラス姉さんのGかHかわかんないようなおっきいおっぱいもんでみたいです。


 先生、俺もガネーシャたんに、「私の象さんとあなたの象さんどっちが大きいかなぁ?」とか意味あり気に言われてみたいです。


 先生、……。先生、……。

 ……。

 このあたりにしておこうか、悲しくなるから。


 それに加え、敵が弱めの最初のほうこそ問題なかったが、タケミナカタは単体攻撃しかできず、攻撃に比べて防御が薄いため、ボス戦闘はともかく、基本敵が同時に複数出てくるストーリー上の通常戦闘の方が厳しかった。


 今はフレンドさん達の強キャラのヘルプでなんとかしのいでいる毎日だ。


「ヨシヨシ。泣くんじゃ無い、マモ。きっと今日は出る。出ちゃうさ」

「そうだよな。俺もそんな気がしてるんだ。大体100枚以上同じカードが出続けるってどういう確率って感じだよな」

「……全く呪われてるとしか思えんよな、それ……」

「……持ち上げといて落とすのだけはやめてくれ……」


 ともかく、最終授業終了後、まっすぐ家に帰った彼は、自室の床の上で正座をしつつ精神統一し、サーバメンテナンスが終わるのを、今か今かと待っていた。


「まさか……メンテが終わったらメンテが始まっちゃった、てへ、とかいう展開にはならないよな、頼むぞ……おっ!」


 ジャスト午後7時、ゲームを起動すると、5分前とは異なり、メンテナンス中の文字が消えている。


「よっしゃー運営さん、良い仕事しますなー。頑張っても、なかなかできることじゃないぞっ、と」


 運営を持ち上げておく、少しでも良いカードが出て欲しいという、もうヤケクソな彼の心境の現れだった。


 使えるチケットは1枚だけ。

 ここは慎重にいきたい。


 今存在するもので、彼が回せるレアガチャは、イベントキャラの出現確率が上がった『イベントレアガチャ』と、期間限定イベントなど特別なものを除いた前回イベントまでの全キャラが出る確率のある『ノーマルレアガチャ』の2種類である。


「ぬう……神よ、どっちを選んだら……」


 ガチャのボタンの上に表示されている戦姫を眺める。


「イベント限定アルテミスか。可愛いなあ……『かぐや姫は誰?月の神選手権』って運営もよく考えてるよな。よし、こっちだ!」


 あっさり決まった。

 まあ、男なんてそんなもんである。

 それに、ずっと悩んだままだと、午後7時待ってた意味もなくなるしね。

 

「神よ、この一撃に全てを掛けます!」


 『チケットを使って1戦姫』のボタンを押して、目を閉じる。

 神☆召喚の音楽が流れている……流れている……流れている……止まったああ。


「見てよこの紙装甲、神だけになっ」


「……」


 無情。呆然。そして連打。


 アルバムページに強制的に飛んで+108になったのだけ確認すると、彼はスマホを机の上において、涙を流しながら布団を頭からかぶった。家族の誰にもその嗚咽を悟られないように。


 だから、気づいていなかったのだ。

 アプリ内の『メッセージ』に届いていたお知らせのメールに。

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