偽りの英雄伝
笹野にゃん吉
プロローグ
その日、城塞都市グランパスの
執務室を訪ねてきたのは、意外な男だった。
その男は金糸を編みこんだローブに輝きを波打たせ、決して厚くはない胸板を荒々しく上下させていた。鎧の類は装着されておらず、剣を佩くためのベルトも見当たらない。おまけに眼窩にはモノクルがはめ込まれたままで、平服した拍子にそれが床をころころと転がった。明らかにグランパスの守護を任された兵士ではない。魔術師や学者のたぐいである。
団長は、ノックもせず殴るようにドアを開けた無礼を糺すより、震えて融け落ちてしまいそうなその緊迫を危ぶんだ。
「……何用だ」
団長はかろうじて威厳を保った声音で促した。
すると男は、己の使命を思い出したようにハッと顔をあげ、しぼりだすような声でこう言った。
「も、申し上げます! 〝
「何だとッ!?」
団長はたまらず腰を浮かした。中腰のまま男と視線を交わし、自分がなにかとんでもない聞き間違いをしてしまったのではないかと考えた。
いや、実際そうだったのかもしれない。
おもむろに震える腰をおろし、こめかみを揉んだ。
そして昨夜の夢の内容でも尋ねるように言った。
「……〝マリオクテア〟が輝きを失った?」
「相違ございません……」
「ウォルシュモンド家からの報せは?」
「依然、わたくしどもの耳には届いておりません」
「……ッ」
団長は拳を握りしめ、席を立った。男に背をむけ、窓の外を睨んだ。
空は快晴だった。雲のひとつもありはしなかった。魔術師のきざむ術式のごとく、旋回する鳥影までが窺えた。
「あれが、間もなくやって来るというのか」
「……」
しかしそれは空のほんの一部に過ぎなかった。
天空は今や自然のえがきだした一枚の絵画に非ず。キャンパスに墨をぶちまけられ色彩を奪われた疵物だ。吸いこまれるような青を割った漆黒は、今まさに押しよせんとする魔物の大群に他ならなかった。
それを押し留めてきたのが〝英輝〟と称される神秘の宝である。邪をはねのけ人の世に安寧をもたらす神の慈悲――。
男はその輝きが失われたと言った。
即ち、〝英輝〟の力もまた、そう長くはもたないという事だ。空を覆い尽くさんばかりの軍勢が、遠くない未来に地上をも喰い荒らすだろう。
団長はグランパスの守護者として、気炎をあげる義務があった。彼自身が
ところが彼の唇から漏れだしたのは、吐息より色濃くその部屋を曇らす、夢幻への執着だけだった。
「今はただ、英雄様の降臨を待つしかあるまい……」
もはや人類になす術など残されていない。
これより三日の後。
城塞都市グランパスは崩壊の日を迎える事となる。
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