閑話 ユリウスは思う1

 最初に事件の一報を聞いた時には驚いた。まさかこの礎の里の学び舎で生徒が襲われるなど思いもしなかったし、しかも襲われたのは我が国の皇女である。俄かには信じられなかった。

 しかし、血まみれのシャツを着たままのティムが意識のないコリンを抱きかかえたまま離宮に現れると、血の気が引くと同時に犯人に対して言いようのない怒りを覚えた。

「ちょっと待て、どこへ行く?」

 一緒に戻られた皇妃様の指示のもと、姫様を一室に休ませると、ティムはきびすを返して離宮を出て行こうとする。犯人の刃を受けた左腕は何かを裂いた布切れで止血してあるものの、着ているものは血だらけで目が座った状態の彼は鬼気迫るものを感じさせる。私は慌てて彼を止めた。

「大元をぶっ飛ばしてきます」

 彼は今しがた犯人を叩きのめしたはずだ。その黒幕に何か心当たりでもあるのだろうか? だとしてもいきなり行ったところで素直に認めはしないだろうし、下手をすれば彼自身が逆に訴えられることもあり得る。とにかくこのままいかせるわけにはいかない。

「待ちなさい、ティム」

 説得を試みたが聞く耳を持たない。思い込んだら一直線なところは彼の義兄と一緒だな。血はつながっていないはずなのによく似ているよ、ルークとティムは。

「だから、待てって!」

 親友の過去を思い出してほっこりしている場合ではなかった。私は最後の手段としてティムのみぞおちに拳を叩き込んで気絶させた。ふう、これで大人しくなった。私は遠巻きに見ていた部下に空いている客間で彼を休ませるように指示を出す。そして離宮の警護をしながら陛下からもたらされる情報を待った。

 陛下に同行しているアスター卿からの情報を整理すると、犯人は入念な下準備をしていたことが分かった。

 コリンが連れ込まれた備品庫はほとんど使われていなかったらしく、犯人がそこの整理を自ら申し出ていたらしい。中を片付けるだけでなく、空いている寝台を持ち込み、内側からかかる鍵も取り付けていた。

 コリンと仲のいいダーバのクレメンティーナ王女を引きはがすため、独占欲が強いらしい彼女の婚約者に卒業の祝賀会の招待状を送り付け、まんまとコリンを1人にする状態を作り出した。ぞっとする話だが、犯人はずっとコリンの様子をうかがっていたことになる。

 陛下も偽の書状で引き離し、コリンが1人になったところを見計らって会場から連れ出し、あの備品庫へ連れ込んだ。彼にとって想定外だったのは、薬品をかがせた瞬間を見られたこととティムの存在か。

 彼が駆けつけなければ、あの瞬間を目撃したものがいても手遅れになっていた可能性が高い。その彼もエルニアでの反乱が実際に起こってしまっていたら里に来ることすら出来なかっただろう。ちらりと聞いた話では、この反乱も里の誰かが関与しているらしい。全く、忌々しいことだ。

「ユリウス卿」

 1階で新たな情報が届くのを待っていると、玄関の方が騒がしくなる。報告に来た部下の様子からどうやら焦れた黒幕が動きだしたらしい。

「神殿騎士がティム卿の身柄を寄越せと言って参りました」

「ティムは?」

「まだお休みでございます」

 彼がコリンを運んできたのが夕刻。今は夜も更けて深夜というべき時刻だが、まだ起きてこないところを見ると随分疲れている様子だ。彼の事だからエルニアからほとんど休み無しで飛んできたに違いない。その前は反乱の平定に出向いていたわけだから、蓄積している疲労は相当なものだろう。

「彼は起きるまで休ませておこう。悪いが神殿騎士殿にはお引き取り願おう」

「かしこまりました」

 私の命を受けて部下は下がった。しかし、玄関の騒ぎは一向に収まる気配はない。その騒ぎを聞きつけ、コリンに付き添っていた皇妃様も何事かと侍女を介してお尋ねになる。私は一先ず彼女に説明しておこうとコリンを休ませている部屋に向かった。




 ティムの身柄を引き渡すよう、執拗に迫ってきた神殿騎士も陛下が戻ってきた途端に大人しく引き下がった。同道してくださった神官殿のおかげだ。だが、緊張から解放された皇妃様がその場で倒れられた。

 慌てた陛下はその場で皇妃様を抱き上げ、私とアスター卿に離宮の警備強化とティムを外へ出すなという厳命をして部屋に戻られた。今回、奥さんはお留守番なので公然といちゃついていられる陛下が羨ましい。それは傍らにいるアスター卿も同じらしい。

 途中、コリンとティムがお2人に声をかけるのが見えた。こうしてみるとコリンは大丈夫そうに見えるが、最も気にかかっているのが目に見えない部分なので今はまだ何とも言えない。だが、ティムといる限りは大丈夫だろう。楽観的な考えかもしれないが、そう思える。

 アスター卿と離宮の警備の見直しを終えると、私達は2階に向かった。なんとなく予感がしてティムの部屋の前で待っていると、荷物をまとめた彼が部屋から出てきた。

「どこへ行くのかな?」

 苦しい言い訳をするが、すべてお見通しだ。アスター卿と2人でティムを連れて行く。酒席の準備が整えられている部屋を見て彼は顔を引きつらせていたが、これだけ回復していれば朝まで付き合ってもらっても問題ないだろう。

「姫様を襲った神官の師匠から話を聞いたが、別の高神官の紹介で奴を弟子にしたと言っている。出来がいいので重宝していたが、規定にのっとってすぐには学び舎で使うのは控えていたそうだ」

「それなのに何故?」

 酒を酌み交わしながら私達は情報を照らし合わせて行く。離宮の警備を預かっている私達はさすがに酔いつぶれるわけにはいかないので、酒は集中的にティムの杯に注がれる。

「本人が強く希望したのもだが、どうやら紹介した高神官に圧力をかけられたようだ。どこの派閥に属さず、温厚で争いを好まない性格だったから学び舎の講師役を任されていたのだが、その辺がちょっと仇になった」

 アスター卿の報告に頷きながら私はゆっくりと杯を傾ける。昼間の事件を思い出し、憤然としているティムは勢いよく杯を空にしていた。いくら強いからと言ってその飲み方は危険だよ?

「奴は一応の治療をして牢に入れてある。薬をかがせる瞬間を見たご令嬢もいるし、奴の関係先は既に大母様の名で差し押さえてある。一部は既に我々が監視する中で捜索が行われた。他も各国の関係者立会いの下で捜索することになっている」

 黒幕の息がかかった神殿騎士が勝手に証拠を隠滅できないようにした措置だな。夕刻からの短時間で当代様も大賢者様も味方に引き入れ、そこまで成果をあげるとはさすがは陛下だ。

「で、その黒幕は?」

「お前の方が知っているんじゃないのか?」

 何しろ叩きのめしに向かおうとしていたのだ。何か証拠でも掴んでいるのではないかとこちらの方が期待しているのだが?

「単なる憶測です」

 そう言って出てきた名前にアスター卿は重々しく頷く。よくよく聞いてみると、エルニアの復興に何かと難癖をつけてきた高神官だったのでそう思ったらしい。確たる証拠はなかったらしいので、やはりあの時、止めておいて正解だった。

「ですが、エルニアの反乱に手を貸している里の関係者がいるのは確かです」

 ティムはエルニアでの反乱鎮圧に至るまでの経緯を説明してくれた。関係者の中に3年前の夏至祭でコリンに絡んできた神官の名前を見付け、嫌な予感がしてこちらまで飛んできたらしい。その直感は見事に的中した訳だ。

「その証拠は?」

「アレス卿が持っておられます。着くのは……明日の昼かな」

 まだ着いておられない他の国主方もその頃には到着されるはずだ。それまでに大方の調査は終わっているだろう。

「昼頃の予定で、当代様ご本人は難しいかもしれないが、大母補のどなたかがコリンを見舞いがてら事情を伺いに来られる。ティム、お前にも話を聞きたいそうだ」

「分かりました」

 ティムは神妙に頷いた。彼はコリンを庇って重傷を負ったと噂されている。犯人がそれほどの殺意をコリンに向けたと印象付けるためにも、タランテラ側はあえてそれを否定していない。あまり元気に動き回られるのが困るのはその為でもある。色々気になるかもしれないが、とにかく今はここで大人しくしていてほしい。



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