2 変わらないコリンシアの想い2

流血を伴う暴力シーンがあります。苦手な方はご注意を。



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「コリンシア姫」

 目の当たりにした光景に衝撃を受け、しばらくの間その場に固まっていると、若い神官が声をかけてきた。彼は私達の講師役をしていた高位神官の弟子の1人だった。学び舎に出入りするようになったのはこの半年ほどの間だが、知識が豊富なうえに整った容貌をしているので大母補候補からは人気があった。もっとも、私にはティムがいるので眼中にはなかったけれど。

「エドワルド陛下のご依頼でお迎えに上がりました」

 なんだかちょっと意外。代理で呼びに来るならきっと随行している竜騎士の誰かだと思っていたから。疑問を口にすると、学び舎の外で竜騎士が待っているらしい。そこまで案内してくれるというので、少し早いが講師方に再度挨拶をして会場を後にした。

「方向が違うのではなくて?」

 彼が先導してくれているのだが、向かった先は正面玄関とは逆方向。なんでも道に迷ったとかで普段出入りする西門に来ているらしい。だったらハンス卿かなともちらりと思ったけれど、なんだかおかしい。

「いったん戻ります。迎えを正面玄関に案内してください」

 嫌な予感がしてきびすを返そうとすると腕を掴まれた。

「離していただけますか?」

「父から話は聞いております。あの平民風情に結婚を強要され、本当はそれから逃れるためにこちらに参られたのでしょう? 私が守って差し上げます」

 いったい何のことだろう? それにこの人の父親っていったい誰? ますます訳が分からない。きっと他の人と勘違いしているのかもしれない。

「何か、思い違いをされていませんか?」

「つれないことをおっしゃらないでください。3年前、父が私を頼るように伝えたと聞いております。私は貴女様をあの男から救うためにこちらに出入りできるように頑張ったのです」

 3年前と聞き、夏至祭の時、私に近づいてきた神官を思い出した。彼には息子がいると言っていた。この男があの時の神官の息子なのだと気付き、背筋に悪寒が走る。

「離して!」

 こちらで護身術も習っている。それを駆使して手から逃れようとするが、男の方が一枚上手で私は抱きすくめられる。そこで声を上げようとすると、鼻と口を布で覆われた。ツンとした刺激臭から布には薬品が染み込ませてあるのが分かる。嗅ぐまいと息を止めるが、口も鼻も塞がれてしまえばそう長くはもたない。抵抗むなしく、意識が朦朧としてくる。

「では、まいりましょうか」

 どこをどう歩いたかわからないが、足元がおぼつかない私を抱え、男はどこかの部屋に私を連れ込んだ。そして寝台に押し倒してのしかかってくる。

「これで……私のものだ」

 男は私にのしかかったまま、ほつれかけた私の髪をもてあそぶ。気持ちが悪くて仕方がないが、薬の影響で指一本動かせない。これではせっかく習った護身術も全く役に立っていない。

「おいたわしい姫様。すっかりあの男の言いなりなんですね。大丈夫、私が解放して差し上げます」

 男の中で妄想がどんどん膨らみ、既に私の理解の範疇はんちゅうを超えている。ただ、自分がとてつもない危機に直面しているのだけは理解できた。

「陛下もあの男の言いなりのようだが、既成事実さえ作ってしまえば考えを改められるに違いない」

 告げられたのは私にとって最も残酷な方法だった。ティムと結ばれるのを夢見ていたのにどうしてこんな男に……。悔しくて涙が出てくるが、それは男の妄想を更に駆り立てる結果になってしまった。

「涙を流すほど喜んでいただけて嬉しいですよ。今までの苦労が報われた気がいたします」

 普段の品行方正な態度をかなぐりすてた男は己の不幸を語りだす。昔は裕福だったのに粛清されて財産が奪われた。男は苦労したのだと連呼するが、ただ、贅沢な暮らしが出来なくなっただけの話だ。

 あの内乱で命の危険にさらされながらの逃避行を経験した私に言わせるとそんなものは苦労のうちに入らない。そもそも彼らはマルモアで行われていた不正にかかわったお零れで潤っていたのだ。まじめに働くことをうとい、楽をしてお金を手に入れようとすること自体間違っている。色々言ってやりたいが、薬はなかなか抜けてくれない。

「さあ、おしゃべりはここまでです。愛の営みと参りましょう。大丈夫。全て私にお任せください」

 自分に陶酔している男は芝居がかった台詞を口にすると、私のプラチナブロンドに口づける。このままでは本当にすべてを奪われてしまう。私は自分を鼓舞するとままならない体の渾身の力を込めて手を振り上げた。


 パチン


 軽い音がして男の頬をはたく。想定外だったらしく、男はしばらく呆然としていた。だが、男の機嫌を損ねたらしく、今度は私が頬をはたかれ、髪をわしづかみにされる。

「私に必要なのは従順な妻だ。逆らう気がおきないように少しお仕置きが必要だな」

「いや……助けて……ティム」

 怒った男は私の髪を掴んで何度も寝台に叩きつけた。そして懐に忍ばせていた短刀を抜くと、私の顔のすぐ横に突き立てる。刃で枕が裂け、詰め物の羽が辺りに飛び散る。

「そのきれいな顔に傷でもつければあの男は見向きもしなくなるさ。だが、私はどんな姿でも愛しているよ」

 私の頬に刃を滑らす。その冷たい感触に私は思わず目をつむった。


ガツッ! 

バキッ!

ゴン!


 その瞬間に派手な音がして、気が付くと優しくてたくましい腕に抱かれていた。恐る恐る目を開けると、愛しい人がそこにいた。

「姫様」

 そこにいたのは紛れもなくティムだった。安堵から涙が溢れてくる。すると彼はギュッと抱きしめた。

「俺がふがいないばかりに怖い思いをさせてすみませんでした」

「ティム、ティム」

 私はかすれる声で何度も彼の名前を呼んだ。彼に縋りつきたいけれどもまだ体は思うように動かせない。彼は優しく抱擁すると、宥めるように優しく背中を撫でてくれる。

「この野郎……」

 寝台の向こう側に転げ落ちていたらしい男が立ち上がる。顔を正面から殴られたらしく、鼻はいびつに曲がって腫れ上がり、血を滴らせていた。怒りに我を忘れた男は手にした短刀で斬りかかってくる。私はティムの腕の中で身をすくめた。


 ドスッ


 恐る恐る目を開けると、ティムの左腕に短刀が刺さり、羽にまみれた寝具にポタリポタリと血が滴っている。その事実を目の当たりにした私は血の気が引いてそのまま意識を手放した。



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コリンシア、ピーンチ!

でも、いいタイミングでヒーロー登場。

次はティム視点で。


ちなみに大きな音の内訳は

ガツッ=ティムが扉をぶった切った音

バキッ=男の顔面にティムの怒りの鉄拳が直撃した音

ゴンッ=吹っ飛んだ男が壁にしたたか打ち付けられた音


黒い雷光の名に恥じない早業だった。

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