12話

 体育祭も、間もなく午後になる頃。僅かだが、校門の方が騒がしく、女子の黄色い歓声と言われる部類のものが聞こえる。

 今はまだ人が少なくて、混乱も無いし、騒ぎも大きくない。それに、体育祭は円滑に進んでいる。しかし、これ以上騒ぎになれば、怪我人や体育祭進行に問題が出る可能性だってある。幸い面倒臭い教師として名を連ねる片桐にはまだこの騒動は耳に入っていないらしい。騒ぎが大きくなる前になんとしてでも終わらせたい────。そう思った千里はほかの係……、とは言っても今の時間は男子しかいなくて、そばに居た男子に「ちょっとここ任せた」と伝えてから校門の方へと向かう。

 離れたところで様子を伺っていると、どうやらひとりの男性が女子生徒に囲まれていて、男性が困っているようだった。すぐに状態を察した千里は女子の波を超えていくのは正直言ってごめんこうむりたいため、まだ比較的に、楽であろう塀の上を歩いて男性の前に行くというなんというかアバウトな方法だった。そうと決まれば千里は、早速スニーカーの靴紐をきつく締め直すと、手近にあった木に手をかけると────。そのまま登った。体重なんて感じさせずにスルスルと近くの塀の高さまで登るとピョンっと飛び移る。そのまま塀の上を歩き、男性のそばまで行くとそのまま飛び降りた。この感覚、久々だなあ、なんて考えながら慣れた様子で着地をした。というのも中学の時や、高校入ってすぐの時は遅刻する度にこの方法で逃げていたり、避けたりしていたからなのだが、最近はあまり遅刻せずにいるのもあり、久々だった。体は覚えているもんなんだなー、なんて呑気に考えながら服や体に着いた木の葉を落としてから男性の方へと振り返る。千里がそこに降り立つと周りからヒソヒソという話し声が聞こえる。聞くまででもないが、悪口だろう。

 当然、男性は驚いた顔をして千里のことをまじまじと見つめていた。こいつ失礼なやつだな、なんて思いながらその顔をまじまじと千里も見返すと、その男性がなにかに気がついたようにそっ……と口を開く。

「地雷……千里……ちゃん?」

「……は……?」

 千里は不意に名前を呼ばれ、ポカンとしながら相手の顔を再びじっと見詰める。相手の男性は驚いた顔を見ると顔をくしゃりと幸せそうに笑みを浮かべる。

「やっぱり、その驚いた顔。千里ちゃん……ですね。お久し振りです」

「え……、もしかして、その丁寧語……的庭……お兄ちゃん……?」


 千里はその話し方に聞き覚えがあった。もう会えないと思って、なるべく思い出して辛い思いをしないようにと記憶の隅に追いやっていた人、昔初恋をした人の名前をそっと呼ぶと、男性────いや、的庭は「やっと思い出してくれたんですね」と柔らかい笑みを浮かべながら口を開く。

「え……、的庭お兄ちゃんいつ帰ってきてたの?!連絡してくれればいいのに……」

「転勤で、こっちの方に。千里ちゃんが3年生ぐらいの時だと思いますよ。……一応連絡したんですが、住所変わっていたみたいで、ハガキ、帰ってきてしまったので、もう会えないと思っていたんですよ」

「あー、うん。ちょっと色々あってね、今家の場所は違うんだ。なんなら今日寄ってく?それに話したいことも、報告しなきゃいけないこともあるから……。大丈夫?」


 千里のいつ帰ってきたの、という千里の問に対して去年の春にこちらに戻ってきていたことを伝える。連絡の手紙は出したが、ハガキが戻ってきていたことを聞いた千里はそこでは明確な答えを出さずにお茶を濁す。理由は千里自身があまり話したくないのとあまり人に聞かれたくない話だったからだ。それでも的庭に隠し事はしたくなかった千里は今日家に来るか、という提案を出した。家の場所を教えるのはついでだ。

「今日は一日お休みを頂いているので、大丈夫ですよ。……千歳さん達に何かあったんですか?」

「ちっと、ね。ココじゃ話しにくいし、隠してることもあるから……だからうちで話したいの。空いてるならよかったよ」


 まさかこんな所で的庭に会うとは思ってもいなかった千里は慌ててへらりとした笑いを貼り付けた。うまく笑えている自信はない。むしろ、酷く下手くそなのではないのだろうか。うまく笑えなくなった気がするからだ。現に、的庭に心配をかけてしまっている。

「せっかく来たんだし、的庭お兄ちゃんも見ていってよ。それに、用もないのにこんなところ来ないでしょ?的庭お兄ちゃんは特別席にしたあげる」

「そうですね、お言葉に甘えさせて頂きますね。ありがとうございます、千里ちゃん」


 話の話題が尽きると、千里が体育祭を見に行かないか、と口を開いた。元々コミュニケーション能力は皆無なのだからここまで話せたのも正直的庭の包容力というか、コミュニケーション能力の高さのおかげだろう。普段の千里ならとっくの昔に話題が尽きているか、詰まっていたりする。


 千里が本部に戻ると、随分騒ぎになっていたようで、ざわざわとしていた。

「片桐、捜し物?もしかして教師も借り物やるの?暇なの?」

「おぅ……テメェ地雷……、一年代表のくせになに持ち場離れてんだ……?それに、次はもう部活対抗だよ、お前待ちだぞ?!」

「あー、俺に客人。……まぁ、多分この学園の誰かと知り合いだよ。少なくとも俺は知り合い。めっちゃちっちゃい頃世話になった人。あ、じゃあ俺このまま入場門行けばいいの?」

「当たりめぇだ!!はぁ……。とりあえずその人ってのは?」

「的庭真守お兄ちゃん。優しくて繊細な人なんだから片桐じゃ怖がるし、失礼だから遊原に接待やらせてね。ちなみに接待は俺の権限で最高級のよろしく」

 なにか探し回っている片桐に声をかけると、どうやら探し人は千里自身のようで、そろそろ出番なのにいつになっても帰ってこないから探し回っていたようだ。随分話し込んでいたようで、もう競技も終わりに近い。やっちまったなぁ、なんて考えながら入場門へと向かう。

「的庭お兄ちゃん、俺これに出るから、応援してね!」

 走り間際に的庭にそんな風に声をかけながら入場門へと向かった。的庭はそれを見送ると、先程まで千里がいた所に向かい、頭を下げた。

「いつも千里ちゃんと、橘さんがお世話になっています。僕、的庭真守と言います。……千里ちゃんがなにかご迷惑かけてないですか?」

「あ……あぁ、特に迷惑かけられてないから大丈夫だ。だが、あの性格だから、周りと衝突が耐えなくてだな……」

「え?あの千里ちゃんが……?すみません、僕今日再会したばかりで、何も知らないんですが少なくとも小さい頃の千里ちゃんはそんなんじゃなかったですよ……」


 的庭が声をかけると、片桐も頭を下げながら口を開いた。千里が迷惑をかけていないか、と聞かれ一瞬本当のことでも言ってやろうかと思ったが、言うのを辞めた。なんとなく、話す気になれなかった。しかし、衝突が激しいことを伝えると、的庭は驚いたような顔をした。その言葉を聞いて片桐が怪訝そうに顔を上げると、少し困ったようにしながら的庭は”今日再会したばかりだ”と告げる。その後、千里が走るレーンを見ると、どんどんほかの部を追い抜き、一位に登りつめる。そのままゴールすると、的庭の方に向かって、小さく手を振った。

「……でも、千里ちゃん変わりましたね。言葉遣いだけじゃないです。……昔あれでもかなりの運動音痴で走るのも剣道も苦手で”もう剣道もやりたくない”と言ってよく僕に泣きついてきたんですよ。……でもいつの間にかあんなに早く走れるようになったんですね。……今日、色々話してくれるみたいなので、その時色々聞いてみますね」


 片桐は、的庭の言葉に耳を疑った。でも確かにそうかもしれない、と思う節があった。千里の名前を剣道部(小学生の部)で聞き始めたのも丁度小5位からだった。小4の時は、たまに聴く程度で、本当によく聞くようになったのは小学5年だった。そのぐらいから始めた、とは1度も聞いていない。片桐とて、千里とは色々話しているが、そんな話はしたことないし、彼女自身が話す気がないようでいつも適当にはぐらかされていた。

「そうか……」

 片桐は、そうとしか答えられず、校庭に目を向ける。的庭は今校庭を見ていない。そこには目に輝きを失った少女がただただ、ぼんやりとしているのが、印象に残るのだった────。

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