一世一代の誕生日

三砂理子@短編書き

一世一代の誕生日

蝉が騒々しい、夏真っ盛りだった。戸田タケルは毎日の満員電車通学から解放され、祖父母のいる田舎へ遊びに来ていた。

タケルの祖父母宅は毎年盆と正月には親戚が集まってくる。

とはいっても、何か法事や一同に会する理由があるわけではない。身内をもてなすことの好きな祖父母たちが毎年呼んでいるうちに、皆それぞれが夏冬の好きな時期に顔を出しては何泊かして帰っていく、そんな習慣ができたのだった。

だから日程が被らずに何年も顔を合わせない親戚も少なくないのだった。

「久しぶり、タケル」

「……誰?」

「ちょっと! ヒナよ、田島ヒナ。忘れるなんて、最低」

タケルとヒナはタケルの父とヒナの母が従姉弟同士という、はとこの関係だ。タケルは高校二年生、ヒナは大学一年生だが、二人が会うのは実に五年ぶりだった。

「ああー。全然、わかんなかった」

綺麗になった、とは、思ったけれど口には出さなかった。そんな言葉をさらりと言えるほど、タケルは饒舌ではなく、むしろ口下手な方だ。

第二次性徴のピークを疎遠に過ごした二人は、顔のつくりこそ変わらないがその身に纏う雰囲気を大きく変化させていた。制服を卒業したヒナは服装が変わったというだけではない、明らかな大人の雰囲気を持っていた。

「タケルこそ、随分背が伸びたんじゃない? 前に会ったときはもっとヒョロヒョロだったのに」

「タケルはねえ、中三でようやく背が伸びたのよ。それまでは本当に、小柄で私も心配だったわ」

「あ、タカコさん! お久しぶりです!」

二人の会話に割って入ってきた声に、タケルは少しむっとした顔になった。「余計なことを言うな」と、顔に書いてあるようだった。タケルはの母、タカコはそんな不機嫌そうな息子の気持ちなど気にも留めず、どこ吹く風だ。

「いやあ、背が伸びて、かっこよくなりましたよ、タケル。ね、学校で結構モテるでしょ」

「う、うるさい」

てっきり身長のことをからかわれるのかと身構えていたタケルは、思いがけない褒め言葉に動揺して声が上ずった。そんなタケルをヒナはにんまりと笑う。

「なんだ、気になる子でも、いるんだ?」

「えっ、それ、本当? ヒナちゃん」

タケルの恋路に興味津々なタカコとヒナは血の繋がりがあるのではないかと思わせるほどに同じような笑顔だ。

「母さんは、いいだろ、もう!」

タケルはタカコの背を押して、無理矢理リビングから追い出した。

「で、どう? 高校は。青春してる?」

フッとヒナの纏う雰囲気が和らいだ。素のトーンになったヒナに、タケルは今なら、とグッと意気込んだ。

「誕生日プレゼントをどうしようか、悩んでて」

前のめりに意気込みすぎて、話の前提を大きく飛ばしてしまった。それをフォローするように、ヒナが尋ねる。

「彼女に? それとも、気になる子?」

「気になる子」

「仲良いの?」

「少しだけ」

「なにそれ。少しって、どのくらい?」

ひとつふたつと、指を折って過去を反芻する。右手で拳をつくりながら、タケルは答えた。

「五回くらい?」

「一学期の間に?」

「いや、去年も同じクラスだったから、一年と一学期の間で」

 これが大阪のお笑いステージの上だったら、ヒナは盛大に転んだだろう。かわりに大きなため息をひとつして、ヒナは肩をすくめた。

「だって俺、女子と話すとか、ほとんどしないし……。成瀬も、いつも本読んでて喋んないから、男子と喋ってるとこ、一度も見たことないし。全然、情報がないんだよ」

「そのくせ、よく誕生日知ってたわね」

「あ、それは、なんかの提出書類に、生年月日が書いてあったから」

「盗み見たの!」

予想以上の状況の悪さに、ヒナは呆れ返るしかなかった。

「そんなんじゃ、アドバイスのしようがないわよ」

ヒナに匙を投げられ、タケルはがっくりと肩を落とした。

「はあ。もう、いいや。やっぱ誕プレ渡すとか、やめる。そもそもプレゼントあげたからって、付き合えるかもわかんないし……。第一、名前すら覚えてない可能性の方が、高いし……」

一度後ろ向きな気持ちになると、そのネガテイブ発言はどんどん溢れてきた。ふてくされるように、フローリングの床に身体を丸めて寝転ぶ。

もともと、女子とはあまり交流する方ではなく、彼女がいたこともない。それがいきなり誕生日プレゼントなど、ハードルが高すぎたのだと、タケルは自分に言い訳をした。

「あら。ヒナちゃんがアドバイスしないなら、母さんがアドバイス、してあげよっか?」

横入りされた声に、タケルががばりと顔をあげると、先ほど追い出したはずのタカコが戻ってきていた。「げっ」とタケルが嫌そうな顔をする。

「まあ、アドバイスというか、昔話よ。私の、高校時代の話なんだけど」

「聞きたいです!」

「俺は聞きたくない」

ヒナとタケル、対照的な二人に、タカコはふふっと微笑し、そして息子の意見を却下した。

「私にも青春の時代があったのよ」


*

タカコが高校生の頃、それは今では当たり前になった携帯やパソコンなどといった通信手段はなく、ラインで気軽に連絡をとるなんてことは当然できない時代だった。

わしたことはなく、ただ放課後にグラウンドを駆け回る野球部の練習を教室の窓から眺めるだけが幸せだった。

「ねえタカコ、私たち帰りに大宮寄って行くんだけど、タカコも行かない? 来月、誕生日でしょ? プレゼント候補、リサーチに行くから、好みとか教えてよ。アイスも食べよ?」

「アイス! 行く行く!」

タカコは夏生まれだったが、暑い日差しは女子の天敵で大嫌いだった。

クラスメイトの誘いに二つ返事で答えたタカコは、グラウンドに向けていた熱意をさっさと街へ向け、涼しさを求めて教室を後にした。

玄関で上履きを履き替えて外に出ると、太陽の熱線と野球部の大声がわっと一斉に襲いかかってきた。反射的に、目を細める。

先に校門を出た友人たちがタカコを待っている。タカコはそちらへ向かう前に一瞬視線をグラウンドに移し、そしてまた友人たちの方へ戻そうとして――瞬間、誰かと目が合った気がして、視線をぐるりと泳がせた。

(あれ? 今誰かと、目が合ったような、誰かがこっちを見ていたような……?)

けれどそこには野球に熱中する球児たちしかおらず、タカコは不思議に思いながらも学校を後にした。


翌週、月曜日の放課後に窓辺からグラウンドを覗いたタカコは、(あれ?)と小首を傾げた。

「どしたの、タカコ」

「んー、先輩がいないなあって思って」

「あれ、タカコ知らないの? 野球部、週末の試合負けて、三年生は引退なんだってよ」

「へえ……。そうだったんだ。残念」

実のところ、タカコは野球のルールを知らなかった。知らなかったから、マネージャーになることもしなかった。そして夏に大会予選があることも知らず、それ故に試合の応援に行ったこともなかった。

ただなんとなく、ぼんやりと、かっこいいなと、思っていた。憧れなのか恋なのか、それともそれらのどれでもなかったのか。

もうグラウンドに現れることのない先輩を思って、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちになった。

それっきり、タカコが放課後にグラウンドを眺めることもなくなった。


放課後、校庭はどこの部活も活動していなかった。そういえばテスト前は部活禁止なんだっけ、とぼんやり思いながらタカコは駅へ向かった。

いくつかの高校の最寄となっている駅にはいつも以上に学生で溢れていた。ホームに着くとちょうど電車が停まり扉が開くところで、タカコは流れに逆らうことなくその電車に乗った。

電車は満員とはいかないがパーソナルスペースは限りなく狭く、右も左も制服姿、といったふうだった。

プシュ、と音がして扉が閉まると電車が大きく揺れた。足の踏ん張りが聞かず、背後の人に肩をぶつけてしまった。

「あっ、すみません」

「えっ、あ、いえ……」

慌てて体を小さくひねり、頭を下げる。男の低い声が返ってきて、タカコはそっと頭を上げた。

タカコより頭二つほど大きな身体に、坊主頭。ぎょっとするような風貌を、タカコは見上げる形になった。

「あ、大丈夫っす……」

ボソボソとした喋り方で、男は顔をそらした。よくよく見ると、彼はタカコと同じ高校の制服を着ていた。

「一年生?」

男のネクタイの色は深い緑。それはタカコの後輩、一年生のカラーだった。タカコのリボンはワインレッド。二年生の学年カラーである。

「はい、そうっす」

「野球部?」

「そっす」

質問する度にチラチラと視線を向けるその後輩の男の子が可愛らしくて、タカコは口元を緩ませた。

「こないだの試合、負けちゃったんだってね」

「えっ。来てたんですか?」

「ううん。友達から聞いたの」

「ああ……。そうっすね、残念でしたけど、勝てなかったっす」

「君は、試合出たの?」

「とんでもないっす! ベンチ入りすら、してないっす」

ベンチに入る、の意味も分からないタカコは「ふうん」と相槌を打った。

「先輩は、野球、好きなんすか?」

「うーん。どうかな。頑張ってるのはすごいなあ、って思うかな」

「そっすか。……あ、俺、ここで乗り換えなんで。すいません」

大宮駅で、人がどっと降りる。男はタカコにぺこりとお辞儀をして電車を降りた。


期末テストが終わると、夏休みも目前、タカコたちは浮かれ気分だった。部活も一斉に再開され、タカコは久しぶりに窓から校庭を覗いた。

「あ、いた」

彼の姿は野球坊主の集団の中でも目立っていた。あれだけの体格を、今まで認知していなかったことに驚くほどだ。

練習用具が入ったダンボールを一人で抱え歩く男が、タカコに気づいて足を止めた。ダンボールを抱えたままぺこり、と先日と同じお辞儀をした。タカコも、手を振りそれに応える。彼はそれから再び準備に戻っていった。

その後も暑さの中練習に打ち込む彼の姿に、タカコは先輩に抱いていた気持ちとは違う感情が芽生え始めていた。


八月はタカコの誕生日だった。高校の友人たちからは、夏休み前最後の登校日に少し早めのプレゼントをもらっていた。当時流行りだったカエルのキャラクターのキーホルダーはもらったその場で学生鞄に付けた。

そんな鞄を持って、タカコは誕生日前日に大宮駅前のファミレスに一か月限定のアルバイトに出ていた。

「いらっしゃいませー……あっ」

タカコが思わず声を上げたのは、それが高校の野球部集団だったからだ。そしてその中に、見覚えのある大男を見つけたからだった。

「……ちわっす」

「え、なに、ヨシヒロの知り合い?」

「いや……うちの高校の、先輩の人。二年生だよ」

集団は全員一年生のようだった。同じ高校の先輩だとわかるや否や、大男――ヨシヒロ以外の坊主たちもぺこぺこと頭を下げた。

「こんにちは。お席ご案内しますね」

礼儀の正しい野球小僧たちにタカコはにこりと笑いかけ、ファミリー席に案内した。

練習帰りの野球部員たちはハンバーグやカレーといったメニューを大量に平らげたので、お店はとても繁盛しタカコも大忙しだった。

会計を終えて店を出る際、皆がタカコに一礼して出ていく中で、ヨシヒロが声をかけてきた。

「あの、先輩。……今ちょっとだけ、時間、ありませんか?」

「え? んー、あと十五分したら休憩時間だから、それまで待っててくれるなら、いいよ」

「はい、じゃ、外で待ってるっす」

ヨシヒロは深々と礼をして、カランコロンと扉を鳴らして外へ出ていった。


休憩をもらったタカコが店の外に出ると、大きなスポーツバッグを肩から提げたトオルが一人で待っていた。その額にはうっすら汗をかいていて、ずっとその場で待っていてくれたのだと分かった。

「コンビニかどこかで涼んでくれてて良かったのに」

「いえ、慣れてますから」

昼の練習はもっと地獄っすよ、とヨシヒロははにかんだ。

「それで、話って?」

「あ、えーっと。その……西村先輩が、明日お誕生日だって、ちょっと聞いたんっす。それで……さすがに明日はバイトも休みだろうから、会うチャンスないんで、一日早いっすけど、おめでとうございます」

「あ、ありがとう?」

予想外の言葉に、タカコは目をぱちくりさせた。一度電車で話しただけのタカコの誕生日を知っていることに驚くとともに、律儀な子だな、とタカコは感じていた。

ポカンとしているタカコにヨシヒロは気を悪くしたのかと勘違いをしたようで、しどろもどろに言葉を重ねた。

「なんかいきなり、すいません。実は、電車で会うより前から、西村先輩のことは知ってました。あの、先輩よく、野球部の練習見てたんで……。誕生日を知ったのはほんと、たまたま知っただけなんすけど。すいません、なんか、勝手に」

「あ、うん。それは別に全然、私も、勝手に練習見てたわけだし」

「あ、いえ。むしろそうやって、いつも先輩が窓から見てる姿見て、キツい練習でも、頑張ろうとか、下手なプレーしたくないなって、思えたんです。だから明日誕生日だって知って、どうしても、一言お礼が言いたかったっす。休憩の邪魔して、すいません」

タカコはまさか、自分が見られているなんて、それまで思いもしていなかった。自分が一方的に、野球部を、先輩を見ているのだと思っていた。

タカコが先輩に憧れていたように。タカコに憧れを抱く後輩がいるとは、思いもよらなかったのだった。

そんなヨシヒロの実直な人柄が伝わってきて、タカコは自分の心が温かくなるのが分かった。そして、誠実さには誠実さで応えようと、決めた。

「まさか誕生日、祝ってもらうと思ってなかったから、ちょっとびっくりしたけど、嬉しいよ。ありがとう」

タカコがにこりと笑うとヨシヒロはいつかの日のようにさっと顔をそらした。

それがヨシヒロの照れたときの仕草なのだと分かったのは、随分後になってのことだった。

「あの……プレゼントとかはなにも、用意できてないんすけど。あの、何買ったらいいとか、わかんなくて」

「え、プレゼント、くれようと思ってたの?」

「あ、いえ! あの電車の日に少しお話できて、なんかこう、またタイミングよく渡す機会があればいいなとか、ちょっとだけ、考えたりしましたけど。先輩の好きなものとかも全然知らないですし、……まさかこんな偶然、前日に会えるとは、思わなかったっすから」

タカコも少し前までは「先輩が窓から見ている私に気づいてくれたら」とか、「先輩とたまたま話す機会があったら」とか、そういう偶然や奇跡の類を想像したことがあったから、ヨシヒロのその言葉に強く親近感を覚えて、思わず笑ってしまった。

「あっ、えっ? す、すいません」

「ううん。君のせいじゃないの。ごめん、なんでもないの。……ね、ヨシヒロくん」

「はっ、はいっ!」

唐突に名前を呼ばれたヨシヒロはなにを言われるのかと緊張で背筋をぴんと伸ばした。もうその一つ一つの仕草が、タカコにはたまらなく愛おしく思えていた。

「プレゼントを用意しなかった分、穴埋めする気、ない? ……明日私、暇してるんだけど?」

予想外の質問に、今度はヨシヒロがぽかんとする番だった。しばしの沈黙の後、それがデートの誘いであることに気づいたヨシヒロは「えっ、え?」と途端に挙動不審になった。

「あ、ごめん。嫌だったら、断ってくれていいよ」

「いえ! 行きます! 嫌じゃないっす!」

今度は間髪入れずに答えが返ってきた。

野球部仕込みの勢いのある声で答えた彼の顔はもう、隠しようがないくらい、耳まで真っ赤だった。


*

「……ってね、あの頃は本当に、初々しかったわあ」

「ああー、青春ですねえー。誕生日、なに買ってもらったんですか?」

「はあ。母さんの恋バナなんて、聞くんじゃなかった……。これのどこが、アドバイスなんだよ?」

タカコの昔話に、二人の感想はやはり、対照的だった。母親の昔の恋愛話を聞いてしまったと、タケルは少しショックを受けているようだった。

「タケルもタカコさんみたいに、成瀬さんとプレゼント買いにデート行けばいいじゃない?」

「いやいや、ハードル高いって。無茶言うなよ……」

母親に似ず控えめなタケルには、ヒナのアドバイスが無理難題にしか思えなかった。

「でも、誕生日プレゼント、あげたいんでしょう? 度胸、見せなさいよ。ここが男の一世一代の勝負所よ」

男を見せなさい、とヒナがタケルの背を叩く。タケルは相変わらず、「いやでも……」とうじうじ迷っている。

「あら、違うのよ。私はむしろ、ヨシヒロさんを見習ってほしくて、この話をしたのよ。ヨシヒロさんだって、きっとたくさんの勇気を出して、誕生日おめでとうって言ってくれたのだと思うから」

それにね、とタカコが付け加える。

「タケルはお父さん似だもの。きっと、大丈夫よ。……ねえ? お父さん。私、お父さんに初めての誕生日プレゼント、なにもらったかしら?」

そうタケルに笑いかけた肝っ玉母さんは窓の外の方を向いて、庭で草木の手入れをしていた戸田ヨシヒロの背に、そう問いかけた。

ヨシヒロは大きな体躯をくるりと捻って、「えっ、え? なに、なんの話?」とおろおろした。


End.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一世一代の誕生日 三砂理子@短編書き @misago65

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ