アイしてる人

如月

第1話 奇妙な親子

 看護師という仕事をしていると、色々な場面に遭遇する。まだ看護師になって数年だけれど、それなりに修羅場を潜り抜けてきた自負がある。

 でもまさか、あんな場面に遭遇するとは思わなかった。

 病室に入ると一人の老人と一人の男が揉み合っていて、男が老人の首を絞めていた。

 私はすかさず彼らに近付いて、老人の首を絞めている男の顔を思い切りビンタした。

「うっ……!」

 男は呻いて、老人の首から手を離した。男を老人から離して、咳き込む老人を私は支えた。

「大丈夫ですか?」

 老人は苦しそうに顔を歪め、男を指差し「犯罪だ!」と叫んだ。

「こ、この男は私を殺そうとした……! 今すぐ捕まえろ!」

 老人に指を差された男も苦しそうに顔を歪めていた。彼は力無く座り込んでいて、これ以上老人に危害を加える気はないと分かった。

「まあまあ、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか! 警察だ! 警察を呼べ!」

 老人は怒りに声を震わせていたが、それだけ喋れるなら大丈夫だろうな、と私は冷静に思った。

 老人と男を見ながら、私はさてどうしたものかと考えた。老人の言う通り警察を呼ぶべきなのだろうが、老人の言いなりになるのは何だか腑に落ちなかった。

「……先に、僕に手を出してきたのはあなたでしょう。あなたが警察を呼ぶなら、僕はそれを警察に言います。それだけじゃない……あなたが過去に僕にしたことも全て話してやる」

 男が老人を睨み付けながら憎々しげに話し出したことにも、その内容にも驚いた。

 え? 手を出してきたって……それはつまり……

 何だかとんでもない人達に関わってしまったのではないか、と冷や汗を流していると、老人は苦々しげな顔をした。

「それは、やめろ。……く、今回だけは見逃してやる」

 男は老人から視線を外した。

「……っ、見舞いになんて、来なければ良かった。……失礼します」

 そして吐き捨てるように言って、病室から出ていった。

 私は老人を見て大丈夫だと判断して、病室から出て男を追い掛けた。

 男は病院の外に出て、ベンチに座って煙草を取り出してそれを吸い始めた。

「あの……」

 躊躇いながらも男に話しかけると、男は私を見て、罰が悪そうな顔をした。

「……すみません。くだらないことにあなたを巻き込んでしまって」

 私はいいえ、と首を横に振った。

「仕事柄修羅場にはよく遭遇するので、気にしないでください」

 男はまだ罰が悪そうな顔をしていたが、煙草の灰を落とすと目を伏せた。

「僕を止めてくださって、ありがとうございます」

 そこで漸く男の腫れた頬に気が付いて、私は慌てた。

「す、すみません!咄嗟のことで……看護師なのに、あなたにビンタするなんて、私」

 男は構いませんよ、と返して小さく笑った。

「あなたにビンタされて、何だか目が覚めました」

「……うぅ、すみません。治療しますから、病院に戻りましょう」

 男は迷う表情を見せたけれど、頷いた。


 病院の一室で男の腫れた頬に消毒液を付けて、湿布を貼った。

「これで大丈夫かな」

 男は右手で湿布に触れた。確かめるように手を動かして目を細めて、右手を下ろして私を見た。

「先程のことですが……警察には通報しないで頂けますか」

「……分かりました。通報はしません」

「ありがとうございます。………まあ、父の気が変わるかもしれませんが……」

 父、という言葉に驚く。あの老人は、この男の父親だったのか。

 私は男が憎々しげに言った言葉を思い出す。この男と、父であるあの老人の間にはただならぬ何かがあると感じて、それに興味を抱いている自分がいた。

 ……踏み込んだらいけないよね。

 そう言い聞かせていると、男が口を開いた。

「僕の名前は、田沼嘉治よしはるです」

 男はそう名乗り、視線を泳がせた。

「よければ今度、一緒にお茶でもどうですか。あなたにはご迷惑を掛けてしまいましたから、そのお詫びがしたいです」

 まさかお茶に誘われるとは思わなかったから、私は目を見開いた。

「……それは……有難いですが、お気持ちだけ受け取っておきます」

 私がそう言うと、男──田沼さんは眉を下げた。

「……そうですよね。すみません」

 田沼さんが目に見えて落ち込んでいるのが分かったから、罪悪感が湧き上がるのを感じていると、田沼さんは立ち上がった。

「本当に、ありがとうございました。では……さようなら」

 去っていく田沼さんの腕を、掴んでいた。

「……い、一回だけなら……」

 田沼さんの顔が、パッと輝いた。……あ、その顔可愛い。……父親を殺そうとした人とは思えないな。そんなことを思いながら、私は彼と約束を取り付けるのだった。

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