34◆34 王の誕生
◆◆最終話◆◆
将軍の剣術は、ロイにとってはもはや未知の領域だった。
相手の思考、肉体、双方の反射に訴えかける駆け引きは。
まるで催眠術の類だ。
ロイは将軍の操り人形でもあるかのように。
身体の制御権を奪われていた。
刃のオン、オフが自在である『王の剣』の特性を活かし。
ロイの攻撃を受けるフリをしては刃を消し。
ロイが攻撃を受けようとしては刃を消した。
――例えば。持ち上げた荷物が想定よりも重かった時、または軽かった時。
認識と負荷の差に肉体は事故を起こす。
強い衝撃を想定して剣を振り、それを空振りさせられる。
ロイはその都度、致命的な硬直を起こした。
想定と結果の違いに筋肉が混乱を起こし、上腕の筋繊維が悲鳴を上げる。
相手が刃を消すか消さないか判らない以上。
頭でどう考えようと防ぎようがない。
攻撃も防御も、もはや自分の意思では制御できない。
相手に引き出されているだけだ。
これが悪夢でなくてなんなのか――。
ロイは自分の身体が、敵の意のままに踊る事実に恐怖するだけ。
一方で将軍は一呼吸で片付く相手を弄んでいた。
ロイの命を惜しんで、トドメを躊躇しているわけではない。
この状況を利用して、パトリックたちとの交渉材料を得られないかと思考しながら。
ロイの攻撃をあしらっているのだ。
結果、将軍の行動は。
イリーナたちが追いつくまでの時間稼ぎになったのだった。
「あれ、オッサン。こんな所でなにやってんのさ?!」
イリーナは、ドゥインとパトリックを連れだって合流すると。
なんの打ち合わせもなく登場した将軍に訊ねた。
パトリックが答える。
「あなたを監視するよう、僕たちに指示したのは将軍です」
一大決心して潜入したのに。
逐一お見通しだった事実が恥ずかしい。
イリーナは憤慨した。
「酷い裏切り行為だッ!?」
三人に追いつかれたことで。
ロイは心身ともに抵抗する力を失い、その場にへたり込む。
兄たちはロイから武器を取り上げ、取り囲んだ。
イリーナは将軍に詰め寄る。
「そもそもなんで、オッサンが『王の剣』を持ってるのさ?」
将軍は答える。
「これは、マルコライスが俺に当てて送ってきたものだ。
一方的に、説明書きの一通も無かった。意図は不明だ」
今のマルコライスから真意を聞き出せるかは判らないが。
一つはナージアに持ち去られ、唯一だった貴重な一品を。
独占せずに委ねてきたのだ。
深い意味が込められていることは疑いようも無い。
「それで、オッサンはマルコライスに拘っていたのか」
「まあ、そういうことだ」
本人に会って失望を覚えたことは確かだが。
限られた時間を浪費してでも、方針を貫いた。
その根拠は、『王の剣』の譲渡にあったのだ。
「闘い方は普通の剣と変わらないって言ってたくせに。
ぜんっぜん、剣術じゃなかったね!」
遠目に垣間見た闘いは、まるで手品の類だった。
イリーナは指導内容に反することを将軍に咎めた。
「俺にとっては剣術の延長だ。
そう見えないのは、おまえの精進が足りてないからだな」
まさか持ち主相手にロマンを説いてたと思うと屈辱的で。
イリーナは「ぬぐぐ……」と呻いた。
「ジェスター将軍。お手数をお掛けしました」
ドゥインとパトリックは、ロイを捕らえてくれた礼を告げた。
感謝を口にしてはいるが。
二人とも、生きた心地はしていなかった。
弟の罪に関与こそしていないが。
我が身に降り掛かったことのように感じ。
立場が上の者に不正を看破され、処罰される者の心境を噛み締めている。
将軍はひと段落させずに、判決を促す。
「弟の処断だが。お前たちにできないならば。
俺が手を下してやってもいい」
それは、この場で刑を執行するという意味だ。
「ちょっと、待って。
家庭の問題だし、よく話し合うしかないって」
なにも即座に殺すことはない。
イリーナは一旦、解散すべきだと主張した。
加害者、被害者ともに家族ならば、和解は不可能ではないはずだと。
「それで、このままマルコライスが死んだ場合。
病死だと偽って、身内の不祥事を隠蔽するか?」
「それでも、弟の首を跳ねるよりずっと良いだろ!」
将軍とイリーナが口論を開始し。
パトリックはただそれを見守っていた。
心境的にはイリーナに寄り添っている。
ロイを助けたい。しかし――。
「そうはいかねぇだろ……」
二人の口論に割って入ったのは、ドゥイングリスだ。
「普通の家庭なら、家族の力で乗り越えて行く問題かもしれん。
殺されたのが身内でもなきゃ、周りもとやかく言わないだろう。
だが、我々は特別な人間だ。
そういう庶民を罰していく立場の人間なんだ。
規則を作る側の人間が、身内だからと例外的処置を下すなど。
絶対にあってはならない」
「兄上!」
「聞き分けろ! ここで身内贔屓をするようならば。
今後、何者にも裁きを与える権利はない!」
もはや、パトリックも口を噤むしかなかった。
兄の決断が苦渋の覚悟から下されていることを理解できるからだ。
「ならば、俺が処断してかまわないか?」
将軍はもう一度確認した。
ドゥインは考える。
温情に甘えてしまうのは情けないが。
利き腕の動かない自分や、パトリックに可愛い弟を殺させるより。
きっと、ロイが苦しまずに済むだろうと。
「お願いします」
「解った」
「待ってよ! まだ、十五の子供じゃないか!
間違いのひとつくらい犯すよ。
でも、それを正して導いてやるのが本当の正解じゃないの?!」
最後まで抵抗したのはイリーナだ。
しかし、他の全員がその結論を受け入れる覚悟ができていた。
「異論はあるか?」
将軍の問い掛けに、当のロイ自身も首を横に振っていた。
兄たちが自分の為に苦悩してくれた事実が。
己の過ちに気づかせたのだ。
「俺が間違っていました……」
我が身の不幸を儚むばかりで、注がれていた愛情を無視してきた。
家族に愛されてきたことは事実なのに。
「では、ここに処罰を与える――」
将軍はロイに向かって『王の剣』の切っ先を向ける。
その場の全員が、歯を食いしばる心地で見入っていた。
ヴィレオン・ジェスター将軍が宣言する。
「騎士見習いロイ――。
この瞬間より全ての権限を剥奪し、国外追放を命じる」
――沈黙が落ちた。
将軍は振り返って訊ねる。
「なんだ、刑が重かったか?」
「えっ?」
イリーナは困惑する。
たしかに、国外追放は軽い罰ではないが。
完全に『死刑』を想定していた為、肩透かしを食らったのだ。
将軍はロイを振り返って伝える。
「首都を跨いだ先でチンコミルという男を訪ねろ。
俺の名を出せば良いようにしてくれるはずだ」
将軍は親しい人物にロイの身柄を任せるつもりだ。
相手の想定を裏切る結果で場を支配する。
「まるで、将軍の剣術みたいな裁きでしたね」
そう言って、ロイは笑った。
「ドゥイングリス!」
事件を決着させると、将軍はすぐさま次の行動に移る。
「は、はい?!」
「マルコライスを引退させろ。そして、お前が後を継げ」
マルコライスの回復には療養が必要だ。
後継者を決断する頃合だろう。
「いや、しかし……!」
即決できるくらいならば、後継者争いなど勃発していない。
ドゥインは対立候補を振り返る。
「構いませんよ」
パトリックの返答はやけにあっさりとしていて。
ドゥインを困惑させた。
「僕の仕事を任せるわけにはいきませんからね。
兄上にはこの際、玉座の上で置き物にでもなっていて貰った方が良さそうだ」
これまで、腕力以外に見る所が無いと見下してきた兄だが。
今回のことで、より理解することができた。
自分が尻込みする場面で、兄は常に率先して動き。
また、決断を下してきたのだ。
人の上に立つ者である意識が強く、自らを犠牲にもできる。
また、自分よりも兄の方が。
人を惹きつけるのにわかり易い魅力があると認識できた。
「兄上の短絡的な決定に、上から説教をする。
僕にはそれくらいの役割が合っています」
憎まれ口を叩く次男に、イリーナが茶々を入れる。
「リッキーは、家族大好きっ子だもんね」
「大好きっ子とか言うな。リッキー呼ぶな」
「……そうか」
ドゥインは安堵した。
当初の予定通り、領主の座に落ち着いたのだ。
「そこで、ドゥイングリス王よ」
「王、とは!?」
将軍のそれを誇張だと思いつつも、緊張のあまり取り乱す。
しかし、それは冗談の類ではなかった。
「俺が国境を下げると同時に。
女王陛下を主君と仰ぐ。新興国の王になってくれと頼んでいる」
「?」を表情に貼り付けている新領主に代わり。
パトリックが確認する。
「騎士団長の指揮下から独立しろ。ということですね」
「そうだ。戦力の二分化を計り、軍事力の独占状態を終わらせる」
騎士団長が女王暗殺を起こす根拠は、軍事の独占状態あってこそだ。
分裂させてしまえば、無謀はできない。
新興国の目的は、女王揮下の二つ目の騎士団。
「戦争になりませんか?」
「山賊討伐とは違う。支持者を募れば、拮抗する戦力だ。
陛下を無視して、そんな規模の戦闘は起こせんさ」
それは、現行の騎士団を弱体化させ。
団長自身の力を削ぐことになるのだから。
「これから、首都に帰って。
ボクが騎士団長側とバチバチやり合うから心配いらないよ」
イリーナの言葉はなんの保証にもならなかったが。
将軍の提案は、一度は完全に閉じたパトリックの対話の扉を開かせた。
「わかりました。その件について、詳しく伺わせてください」
「ええっ!? 建国すんのか!」
騎士の名門で満足していた所、王にされるかもしれない。
ドゥインは急展開に慌てふためく。
「それは詳細を聞いて、これから判断するんです」
パトリックはため息を漏らし、改めて感嘆の声をあげる。
「まったく、上手くやってくれたものですよ」
領地を独立した王国にすれば。
国外追放したロイを、帝国領からは追い出さずに済むということ。
それは兄弟にとっては望むところだ。
斬首に処さなかったのは情けからではない。
将軍は、そこまで計算し刑を下したのだ。
翌日から、マルコライスは療養に入り。
長男ドゥイングリスが正式に当主に就任した。
あくまで帝国の二分であり、環境に変化はないと民衆には説明の後。
折を見て、新興国を立ちあげることも決定。
『王の剣』は将軍より、二人で支え合うようにと。
ドゥイングリス、パトリッケスへと返還された。
新たな騎士王の誕生である。
――旅立ちの朝。
実に何年ぶりか、ロイは城門の外へと足を踏み出した。
広い丘の下には、広大な街が横たわり。
その先には、無限とも思える大地が広がっている。
ただ、それだけでも目眩がするというのに。
自分はこれから、地平線のはるか先へと出向くのだ。
心細い――。
ロイは第一歩から挫けそうになってしまう。
「――んっ?」
項垂れていると、大地に影が落ちてきた。
影の正体を確かめようと顔を上げると。
「!?」
巨大生物が空中から彼を目掛けて降ってきていた。
「うわあああっ!!?」
家から一歩出たら、怪物に襲われる。
世界とは、こんなにも危険な場所だったのか。
しかし、それは勘違い。
怪物は、彼の横にゆったりと着地した。
巨大生物は飛竜。
その背中には鞍が備え付けられており、乗用であることが確認できた。
「おはよう、ロイくん!」
飛竜の騎手が、元気に挨拶をした。
「えっ、イリーナさん!? これ、どういうこと?!」
どうもこうも、見たままなのだが。
馬のふた周りも大きい生物は、少年にはあまりにも刺激が強い。
「あれっ? ボク、竜に乗ってここまで来たって言ったよね」
リアンナとしてロイと接触したとき。
たしかに、竜に乗って来たとは言っていたが。
「そんなの、冗談にしか聞こえなかったよ」
ロイはあの時の全てが虚言のように思えていたが。
イリーナ自身、役作りはしていても本音で向き合ってはいた。
隠し事は多かったが、嘘は意外と少なかったのだ。
「乗って、送っていくよ」
彼女が将軍を訪ねる際、国土の端までは長距離移動であり。
それには貴重な飛竜を使う必要があった。
帰りも同様。
ロイは賢く、腕も立つが。
世間知らずの子供に徒歩で行かせるには酷な旅だ。
イリーナが搬送することにしたのだ。
ロイは手を引かれ、二人乗りの鞍に乗り上げる。
「待ってこれ、空飛ぶの?」
「いま、空から降りてくるの見てたじゃん」
疑った訳じゃない。心の準備ができてないだけだ。
「ボクも高いところは苦手だけど。
ちゃんと休憩させれば馬くらい安全だよ」
馬も竜もちゃんと危機回避するので、意外と危険は無い。
「変なところ、触らないでね?」
イリーナはロイの腕を掴んで、自らの腰に回させると。
そう言って、注意した。
思い出のせいで、無駄に密着が恥ずかしい。
「触らないよ!? って、うわぁぁぁぁ!!」
竜が舞い上がると、ロイは慌ててイリーナにしがみついた。
「てっ、触ってる! 完全、アウトな所に触ってるってば!」
飛行はすぐに安定し、景色はあっという間に遠ざかっていく。
知らない街。知らない森。知らない泉が、一瞬で吹き飛んでいく。
ロイは見えなくなった城に思いを馳せた。
思い出の全てがそこにあり、そして二度と帰ることはない――。
「軽装なんだね」
寂しげにする少年に、イリーナは話しかけた。
「あ、うん。これ以上、何かを持ち出すのは贅沢に思えて……」
ロイの腰には、王の剣の一振りが携えられていた。
一対あるのはこの為だと。兄たちが持たせてくれたのだ。
思い出す度、目頭が熱くなってしまう。
「これから、どうしよう……」
何かを目指すどころか、どうやって食べていけば良いかも分からない。
生きるだけでも精一杯で。
きっと、大それた理想を語ることも無くなるのだろう。
「もしさ、ロイくんがあのまま領主になっていたとして。
きっと、思うような世の中にはできなかったと思うんだよ」
「……ぇ、うん」
いま思えば、なんだって理想の世界を作るだなんて言えたのか。
無知の理だったのだろう。
兄たちを怒鳴りつけたことを思い出して、恥ずかしくなる。
「ボクの叶わない恋も。ロイくんの求める理想も。
理不尽だって、ただ憎むだけじゃ変わらない。
原因はなんなのか。それを正す時、周囲にどんな影響を与えるのか。
そういうのを、知らなきゃいけないと思うんだよ。
それは世界と向き合わないと、正しい結末には導けない。
その為の機会をさ。得たんだって、思うと良いよ」
――まずは世界を見て来い。
将軍の采配には、そういう意図があったのだと。
イリーナは伝える。
「オッサン、ロイくんのこと逸材だって。
うらやましいなぁ。ボク、そんな褒められ方したことないもん!」
イリーナは笑う。笑うべきだ。
これは旅立ちなのだから。
「怖くないよ!
これから、見ず知らずの場所で一人で生きてくの。
すっごく、心細いと思う。
でも、もうキミを生まれのことで言う人はいなくなる。
怖くない! 大丈夫!
世界はね、憎みさえしなければ。ものすごーく、楽しいんだから!」
決めつけていたことが、そうじゃないと気づく。
知らないことに沢山、遭遇する。
これ以上ないと信じていた初恋の、さらに先があることを。
彼女と出会って知れたように。
「どうしようもなくなったら、いつでもボクに会いに来なよ。
キミは自由を手に入れたんだから」
彼女と出会う前の自分より、ずっと成長した自分になれる。
『光の剣』の勇者の伝説は、いまスタートを切ったばかり。
騎士王の花嫁さがし
▶︎to be continued
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