29◆30 戦のゆくえ


  ◆◆十三話◆◆



 ナージア王子を倒し、イウがその場に転がっていると。

 地面の振動から、接近してくる気配を察知した。


「くそっ……」


 すぐそこまで迫っている。敵か、味方か。


 王子の所在を知っている者であるならば、前者の可能性が高い。


 この場で何があったかは一目瞭然だ。



「ナージア王子ッ!!」


 男の悲鳴が耳に届く。敵に違いなかった。


 王子の死体を目の当たりにした敵兵は怒り狂い。

 満身創痍の彼女を八つ裂きにするだろう。


「しんっど……!」


 イウはこの場を離れようと、疲労に軋む上体を持ち上げる。

 なんとかして追っ手を撒いて、身を隠さなければ。


「ひゃ!?」


 しかし、駆け出そうと力を込めても膝が立たない。

 派手に転倒してしまう。


――道化師イウは死を覚悟した。



「逃げるな。俺だ」


「へっ?」


 どうしたことだろう。


 死を覚悟して振り返ってみれば、そこにいたのは見慣れた顔だった。


「オッサン!?」


 ヴィレオン将軍が一人。悠々と近づいてきていた。


 他に人影は見当たらない。

 悲鳴をあげたのも彼で間違いなさそうだ。


「いまの何っ?! なんで敵兵の真似なんかしたんだよ!!」


 イウは抗議した。


 どれほど肝を冷やし。何年、寿命を縮めたことか。


「ああ、おまえが打ち漏らした時のために待機していた」


「質問に答えろぉぉぉっ!!」


 なぜ悲鳴をあげたのかと問われれば。

 その答えは単に、面白かったから。なのだが。


 それは重要ではないので割愛した。



「おまえは死んでもかまわんが。主犯を逃がす訳にはいかないからな」


「はあ……。ボクの行動なんか、お見通しか」


 介入して即座に決着させることも可能だった。

 その上で自由にやらせてくれていたという訳だ。


 どの道、王子は助からなかったのだろう。



「指揮官が離れてても大丈夫なの?」


「お前のように出来の悪い弟子とは違う。すぐに鎮圧を完了するだろう」


 左遷続きとはいえ、英雄である彼には優秀な崇拝者がたくさんいる。


 憧れ、腕を磨き、辺境までついてきた連中は猛者ばかりだ。


 城主と息子たちの状況などは、まだ未確認だが。

 戦況は一方的であり、既に後始末に入りつつあった。



「王様たちは無事?」


 イウの質問に対して。将軍は険しい表情を浮かべる。


「そのことだが――。

 賊の襲撃にかこつけて始末してしまうという手を考えている」


「はっ?」


 将軍の提案はイウを驚かせた。


 マルコライスの懐柔に失敗した場合。

 彼が騎士団長の側について女王に仇なす可能性もある。


 そうなる前に殺してしまおう。という意味だ。


 現領主と後継者候補は、旧王国残党の報復に遭い戦死。

 その後、国境警備軍により領土を奪還。


 ここまでの筋書きはできている。


 あとは女王に働きかけ、マルコライスの不在を将軍が補う形にすれば。

 騎士団長に対抗する地盤も固めやすくなる。


 より、確実に――。


「ダメダメっ、そんなの!?

 おそろしい男だな!! おまえはッ!!」


 イウは慌てて将軍の案を否定した。


「言ってみただけだ」


「冗談に聴こえないんだよっ!!」



 しかし、ここが大きな分岐点であり。


 そうした方が良かったと思える未来が来ないとは限らない。


 ヴィレオンが実行しないことを吐露したのは。

 そんな憂慮の現れだった。


「それだけ元気なら、身体の心配はいらないな」


 さんざんな言われように、彼女は苦い表情を浮かべた。

 言いたいことは沢山あるが、庇護されている自覚から強くは出れない。


「……ボク、皆の無事を確認してくる!」


 張り合っても無駄だと。

 そう言い残して、イウはその場を離れた。



 道化師は速歩で戦場を駆け抜ける。


 敵兵の死体がそこかしこに転がっていて、自軍の兵士は外周に散らばって行く。


 残った敵兵の逃亡を防ぐ体制だ。


「勇者イリーナ、お急ぎですか?」


「あっ、お、お疲れ様ですっ……!」


 まったくの他人より、自分を知っている人物の方が。

 タイツ姿を見られて恥ずかしい。


 声を掛けてきた味方を、気恥しさからやり過ごし。

 イウは人目の多い正面を避け、調理室側の通用口から城内へと侵入した。


 謁見の間を通るよりも、こちらがマルコライスの寝室に近い。



「王様ちゃん、元気? イウちゃんが来たよ――」


 とっくに避難して居ないだろうとも考えたが。

 一応、声を掛けて室内に入った。


 開け放たれた窓から、月明かりと街灯が射し込むんでいる。

 今でこそ収まりつつあるが、喧騒も届いていたに違いない。


「……王様?」


 逃げ出すでも、息子たちに護られるでもなく。


 先程まで、紛争のただ中だったというのに。

 何事も無かったこのように、マルコライスは一人ベッドに横たわっていた。


「王様、寝てるの?」


「……イウか」


 彼女が隣で呼び掛けて、マルコライスはようやく反応して見せた。


 緩慢な反応だ。


 調子が良くないのは知っていた。


 数日前から、ロイに剣の稽古をつけるのも辞めてしまったと聴いている。



「病気、重いの?」


 イウは枕元に腰掛け、優しく語りかけた。


 傍若無人なくらいだったマルコライス。


 それが、緊急時に動けないほど、衰えてしまったのかと思うと。

 なんとも言えず、物悲しい気持ちになってしまう。



「おお、我が娘よ……」


 上体を起こすと、マルコライスはイウに掴みかかった。


「娘じゃないよ。て、ちょちょ、どうしたのさ!?

 ああっ! 踊り子さんには手を触れないでくださーい!!」


 ガタイの良さ故に驚いたが、半ば倒れかかる形で力もない。

 イウはか弱い老人を受け止め、背中を撫でた。


「親不孝な娘でごめんね。お父さん」


 いつもの様に、フリに乗っかてやる。


 体調の急速な衰えに、気が弱くなっているのかもしれない。

 そう考え、慰めていると。


 マルコライスの口から、不可解な言葉が吐き出された。



「――殺される。私は、殺される」


「ええっ?」


 動かなかったのではなく、恐怖に身がすくんでいたのか。


 しかし、この怯えようは尋常ではない。


 もしかすると、自分のしてきた非道に対する自覚から。

 報復を過度に恐れているのかもしれないとイウは考えた。


「大丈夫、もう心配いらないよ。怖い人達はみんな、追い払ったからね」


 そう言った直後。廊下から激しい衝突音が聴こえた。

 暴れる様な、何かを叩きつけるような騒音だ。



「……ちょっと、ごめん」


 イウはマルコライスを引き離して、立ち上がる。

 こちらへと向かってくる足音を察知し、入口を警戒した。


 誰だ――。


 父を保護しに来た息子の誰かか。

 賊の生き残りを捜している味方兵士か。


 あるいは、追い詰められた敵兵か。


 乱暴な音だ。必死の思いで走っているのだろう。


 その人物はドアを突き破る勢いで部屋へと突入。

 入り口で転倒。文字通り、転がり込んで来た。


 立ち上がった人物を見て、イウは呟く。



「ヤズムート、兵士長……」


 緊張が走る――。

 彼が敵側であることは承知の上。


 そして、手に負えない強敵であることも。



「ゲホッ、ゴホッ! ふっ……フゥーッ」


 ヤズムートは呼吸を整え、血走った眼で室内を確認する。


 自軍の敗北を察し、起死回生をと。

 単身、マルコライスを狙ってきたのだと判断できた。


 まさに、死にものぐるい。といった風体。


 何人を斬ってきたのだろう。


 抜き身の剣身には血液がベッタリと付着し。

 返り血が顔や衣服を紅く染めていた。



「道化師殿、そこを退いて頂きたい……!」


 鬼気迫る形相だ。


 落ち着き払い。表情や感情の表現に乏しかった相手だけに。

 まるで別人のように感じられた。


 呼吸、立ち姿から。

 本人も深刻なダメージを受けているのが伺える。



「ヤズムート兵士長!

 ナージア王子は倒れた、終戦だ!」


 イウはナージア戦死の証として。『王の剣』を掲げて見せた。


 ヤズムートは即座に敗戦を理解すると、その瞳に悔恨の念を宿す。


「無念……ッ!」


 彼らにとって、長い。途方もなく永い戦いだった。

 生き延び。屈辱に耐え忍び。ついに勝利は目前。


 まさか、部外者によって阻止されようとは思いもしなかった。


 実際、イリーナが騎士団長の謀反を察知しなければ。

 ヴィレオン・ジェスター将軍が国境警備軍に配属されていなければ。


 その将軍がマルコライスに拘らなければ。


 旧王国軍は復讐を果たせていたのだから。



「投降しなよ。そしたら、できる限り減刑してもらえるよう。

 ボクも努力するから」


 イウの脳裏をヤズムートとの思い出が過ぎる。

 思えば、随分と世話になった相手だ。


 亡国の復興。その心情を理解もできる。


 敵とはいえ、手に掛けるのは重い相手になっている。



「お心遣い感謝いたします。

 しかし、我が身の明日に興味はございません。


 今日、この日の為に私は生き。人生の全てを捧げてきたのです。

 結果は残念です。無念で仕方がありません。


 それでも、我が命。ここで使い切る所存でございますれば。

 どうが、御理解いただきたい」


 気づけば、彼の足下には血溜まりが出来ている。

 傷は深く。どの道、助かりはしない。



「命を賭した使命。障害となるならば、排除するのみでございます」


 言葉をいくら積み上げたところで、もはや止まるはずもない。


「それ以上は、進ませない」


 イウは『王の剣』を構え、ヤズムートと対峙する。


 マルコライスが殺されるのを、黙って見過ごす訳にはいかなかった。



「兵士長。色々、めんどうを見てくれて、ありがとうございました」


 決別を前に、イウは感謝の言葉を伝え。


 もはや返事をする余力も無いヤズムートは。

 口角を少しだけ上げ、それに答えた。



「いざ!」と、消えかけた最後の灯火を煽るように。

 イウが開始の合図を告げた。


 ヤズムートが踏み出す。


 力なく振り下ろされる一撃と交差させて。

 イウが介錯の一撃を放った。


 王の剣の威力はすさまじく。


 突き出した魔法の刃は甲冑ごと、肋骨を砕き。

 ヤズムートの胴体を穿つ。


 民族の誇りに殉じ、全てを捧げた男を葬る一撃だ。


 そのあまりの手応えの無さが、なんとも言えず。

 哀しかった――。




  ◆十四話、失敗

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