12◇14 ティータ②
◇◇八話◇◇
――僕の図書館に利用者がいる。
そこにティータの姿を見つけるたび。
パトリッケスは安堵を覚えるようになっていた。
成果を上げた訳でもないのに。ただ楽しい。
そんな気分がこれまでにあっただろうか。
軽い足取りがなんだか気恥ずかしかった。
――受け付けの老人は、今日も居眠りをしている。
その度に、パトリッケスは怒りを覚えるようになっていた。
いっそ解雇してしまいたい。ただただ、不愉快。
そんな気分は日常茶飯事だ。
だが、この件については保留する。
温情などではない。
この老人をクビにしてまで、有能な人材を雇う意味が。
無人同然の図書館にはまだ無いからだ。
飼い殺すならば、無能の方が世のためだろう。
蔵書のラインナップが悪いのか、環境が悪いのかと。
人が寄り付かないことを日々、彼は気に病んでいた。
しかし、それ自体が見当違いで。
お偉いさんの目が光っているような窮屈な場所に。
一市民が入り浸れるわけもない。
図書館が流行らないのは。
自らの熱心な態度こそが一端であるという事実に。
本人は気づけずにいるのだ。
生真面目すぎて、不器用な男だった。
「こんにちは、ティータ」
「ご機嫌麗しゅうございます。騎士様」
そんな最中、数少ない常連である彼女が。
まるで窮地に駆けつけた援軍のように頼もしい。
「最終巻を読み終えたようですね。どの戦術家の記述が気に入りましたか?」
出会った時に読んでいた戦術書の全十一冊。
彼女と意見を交換できる日を心待ちにし、パトリッケスは先んじて読破していた。
「わたしは、この方の記述が好きです」
ティータが指したのは、あまり功績の芳しくなかった騎士のページ。
「ほう、意外ですね。なぜです?」
勝率が低いということは、優秀とは呼べないということ。
参考にするならば、より適切な偉人がいそうなものだが。
パトリッケスの疑問にティータは答える。
「常勝の英雄の戦術はたしかに華麗です。
しかし、上手くいったことの記述はそこで完結してしまっています。
それに引き換え彼の作戦は、勝敗がまちまちなので。
読み物として、とてもスリリングでした」
パトリックは首を捻った。
どういうことだろう。
どの戦術が参考になったかと訊ねたら。
勝ち負けがわからない方がハラハラすると、返ってきた。
「そのような楽しみ方をする本ではありませんが?」
軍属でもない彼女にとって、参考書にはならないのかもしれないが。
ドラマが欲しければ、もっと適した読み物があるというもの。
「そうですかしら?
でもほら。失敗した作戦は、その原因に言及する記述があったりして。
反省が綴られているので、こちらにも思案するゆとりがあって、お得ですよね」
お得かどうかはともかく。
似たような状況において、二の鉄を踏まないため。
成功体験と同様に、失敗談が役に立つ場合もある。
ティータは続ける。
「世に知れ渡っている戦術とは種明かしのされたマジックです。
成功しなかった戦術を見直した先に、新しい勝ち筋があるかもしれませんね」
天才の記述に感心するばかりだった彼にとっては。
また、新しい価値観への気付きだった。
「ふむ、失敗から学ぶと……。なるほど」
「……ところで騎士様」
感心していた所、ティータが申しなさげに呼びかける。
「なんでしょうか?」
「先程から時おり、視線がこの辺を」
パトリッケスの視線が刺さるらしく。
ティータは指を組んで胸のあたりを覆い隠した。
「――誤解です! これは、その……!」
迂闊だった。パトリッケスは取り乱す。
確かに、彼の視線は彼女の胸へと注がれていたが。
それが下心からの行為だと言われれば誤解である。
――デカパイ・オア・ノットデカパイ。
先日また、兄弟たちに問い詰められたせいで。
『どうだったかな……?』と、無意識に答え合わせをしていたのである。
して、しまっていた。のである。
しかし、それを当人に弁解しようもない。
「わたしの胸に、なにか不備がありましたら。おっしゃってくださいね?」
などと、女性側に意味不明な気遣いをされてしまう始末。
気まずい雰囲気が漂う。
「なんということだ……」
そんなにも凝視していただろうか?!
「不備が!! あったのは!! 僕の方です!!」
パトリッケスは頭を机に叩きつける勢いで謝罪し。
実際に三度叩きつけた。
その反動で跳ねる上体を、強引に折り曲げ。
四度、頭を振り下ろす。
「申し訳なないッ!! ガッ、この通り、グゥッ!!」
「やめてください!! もうやめて!!」
パトリッケスが脳漿を飛び散らせ、絶命してしまわぬよう。
ティータは必死になって取り押さえた。
「くっ、ハァ、ハァ……。
取り乱してしまい。申し、訳ない……」
パトリッケスは打ち付けた額に触れながら、無事を訴えた。
激痛はあるが、流血はしていない。
ティータは一息ついて言った。
「この世の終わりでも来たのかと思いました……」
その奇行には彼女同様。パトリッケス本人が驚いていた。
――僕はいったい、どうしてしまったのだろう。
今まで、女性相手に下手に出たことなどなかった。
精神的にはいつも優位でさえあった。
効率重視の采配で、使えない部下や使用人は即座に切り捨て。
泣き言に耳を貸すこともなく。結果だけを重視してきた。
自他ともに認める冷血漢として知られているというのに。
何故、このような事態が起きてしまったのか。
何故、彼女の機嫌を損なうことを恐れているのか。
「あの、視られたからといって減るものではないので、気にしないでください。
生物としての本能ですし。むしろ、興味を示さなくなったら一大事ですから」
ティータはそう言って場を収めてくれたが。
その論調は、スケベ心からの行動だと断定したも同然だった。
「いや、ちが……」
違うんだ。性欲からの行動じゃないんだ――。
腑に落ちないが、しかし。
「以後、気をつけます……」
反省してみせる他になかった。
「では、代わりと言ってはなんですが。こちらの読書に付き合ってください」
ティータは言って、手にしていた書のタイトルをパトリックに向かってかざした。
そのタイトルに、彼の表情が露骨に歪む。
『チンコミル将軍の恋愛指南書――』
「そんな低俗な本。読む価値がありますか?」
発言に困るチョイスをされてしまい、少し乱暴な言い方になってしまった。
かの名将の手記。というだけで取り寄せた一冊だが。
正直、この図書館には不要だと思っている。
「そうかしら。こういう本を揃えることで、一般の利用者が増えるかと思いますけど?」
「そうかな……」
パトリックは、利用者が増えるという発言に反応する。
「この図書館は何故、歴史書や難しい学術書ばかりに偏っているのでしょう?
この図書館の蔵書は素晴らしいです。叡智と尊厳に満ちています。
しかし、人々の九割は賢者ではありません」
そう言ったティータに、パトリックは反論する。
「だからこそ、僕はこの図書館がそのきっかけになればと考えたのです」
それこそは。市民の教養を底上げしたいという、彼の崇高な願いからだ。
「わたしは思います。
人は心から必要だと感じるものしか求めないし、身につかないのです」
それが例え他者から見て必要でも。
押し付けられたり、与えられたりしては意味が無い。
自発的に興味を持たなくてはいけない。
ティータは続ける。
「忙しない日々で。限られた時間を、緊急でないものの為に割くのは大変なことです。
でも、恋愛はほとんどの人にとって切実な課題でしょう?」
「僕は、その恋愛というものをどこか見下しているのです。
切実だと考えたことはないですね」
子孫繁栄に不可欠ではある。
しかし、それ以上の意味を求めるのをパトリックは。
下品だと思っていた。
先日のおっぱい議論もそうである。
それ以上でも以下でも無いものを、あれこれとこねくり回し、飾り立てる。
滑稽に極まるし、無駄だと嫌悪していた。
恋に溺れる者は自制心や知性が低下し。
醜悪で、見るに堪えない。
――そう考えていた。つい、最近までは。
「では、この機に歩み寄ってみては如何でしょうか?」
ティータがニコリと笑う。
それだけで、パトリックは逆らえない。
大人しく椅子に座り直した。
「失礼のお詫びに付き合いますよ。興味はありませんがね」
ひねくれた発言をするが。
もはや彼が恋の渦中にいることは疑いようもない。
「ありがとうございます」
満足そうに言って、ティータは二人の間で本を開いた。
「面白そうなので。この、タイプ別恋愛占いに挑戦してみましょう」
「は?」
彼女が指刺したのは。
イエス、ノーで分岐して結論を目指す形式の占いだった。
「いったい将軍は、どんな顔をしてこれを書いたのだろうか……」
「では、答えてくださいね。
第一問。あなたはSですか、Mですか?」
「本っ当にしょうもない!」
「どっち?」
「ええ……。知りませんよそんなの、Sじゃあないですか?」
どちらかという自覚もないし。
Mと言うのは恥ずかしい気がしたので、そう答えた。
ティータは分岐を指でなぞる。
「Sぅ……。二問目。あなたは童貞ですか?」
「将軍、死ねばいいのにッ!!」
そして三問目、四問目と。
パトリッケスにとっては地獄のようなやり取りを終え。
彼の恋愛傾向の結論へと導かれた。
「――タイプF。あなたは幼児性愛者です」
「ぜんぜん当たらないじゃないか!! なんだ、この無駄な時間!!」
苦痛に耐えた結果が、酷い誹謗中傷を受け。
パトリッケスは憤慨した。
「あれ、ハズレてました?」
「当前でしょう!!
子供に性的劣情をもよおす人間なんて、もっとも軽蔑すべき対象です!!」
当たってもいない占いのせいで。
異常性欲者あつかいされては堪らない。
パトリッケスは必死で否定する。
「なんだ、幼児性愛者って!? そんな恋占いあってたまるか!!
サイコパス診断でもあるまいし!!
非力な幼子に情欲を解放したがるだなんて。
そんな奴は、拾ってきた猫を惨殺する人間と同じメンタリティです!!」
「そんなことないんじゃ……」
「抵抗出来ない対象を蹂躙したいという点で同類です!
卑劣! 卑屈! 卑怯! 断じて僕はそんな人間じゃあない!」
「そこまでは言ってないんじゃ……」
「いいや。到底承服できません! そんな人間が身内にいたとしたら!
僕は許しませんよ、絶縁してやるッ!!」
異常性愛者扱いされた童貞は、弁明するのに必死だった。
ロリコンを嫌悪しているのではなく。
ロリコン認定されることを恐怖した。
ティータだけには、そう思われたくないからだ。
「ふふ、あははははっ!」
「な、何がおかしいのですか?!」
その必死さと内容は笑うに充分だったが。
本人は真剣だ。
「二人きりだから良いですけど、図書館ですからね?」
ティータは笑いをこらえずにそう指摘した。
パトリックは「あっ、これは……」と、照れ隠しに咳払いをした。
「わかりました。幼児性愛者ではないと信じます。ペドリッケス様」
「そうで……。信じてないじゃないか!!」
二人は改めて笑った。
「まったく。こんな不毛なことは時間の無駄だ……」
昨日までの彼ならば、のんびりした食事も。一分の遅刻さえもが苦痛だった。
成果の出ていない時間に対して、怒りすら覚えただろう。
当たりもしない占いに興じる事など。生涯、ないはずだった。
なのに、今は不思議と不快じゃない。
恥すらかいたというのに。
只々、楽しかった。
戸惑う自分を悪態をついて誤魔化すパトリッケス。
ティータは見透かして言った。
「心が活性化してる時間は、無駄なんかじゃありませんよ。
人生を熟しているでも、過ごしているでもなく。生きているって気がしませんか?
それは、本を読むのと同じ。人生を豊かにしてくれます。それが幸福なんです」
張り詰めてきた彼の人生に、これほど心地よい感動はなかった。
なるほど、恋とは人を愚かにする。
目がくらんで、足下を踏み外してしまうほどに。
日々を彩ってしまう。
この女性が、ずっとそばにいてくれたなら。
人生はどんなに晴れやかで、幸福だろう。
パトリッケスは、価値観に大きな変転を迎えたことを自覚していた。
◇九話、リアンナ②
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