最終話
「無理心中ということで片がついた。嫌な思いをさせたな。許せよ」
「いえ……お勤めですから。間に合わなくて、申し訳ありません」
「わしが遅かったのだ。迂遠に過ぎた。そう縮こまるな。もう一つ食え」
仁孝さまは最後の団子をおれにくださった。三つあったから、たぶん伊都乃の分だと思う。伊都乃はいないし、仁孝さまが食えと言ってくれたから、食べる。おいしいけど、なんだか飲み込みにくい。
「仁孝さま、二人は本当に死なねばならなかったのですか?」
伊都乃は林もくのいちも死んで当たり前みたいなことを言った。二人が生きていると術者が困るから、らしい。おれにはどうしても当たり前だとは思えなかった。どんなに困っても、それは人を殺していい理由にはならない。おれたちの意見はいつもみたいに平行線で、いつもみたいに途中で伊都乃が横を向いて、それきりになった。
「死なねばならぬ人間はいないだろう。殺す以外の道を、術者は考えていなかったのだ」
「伊都乃みたいに、ですか?」
「伊都乃とは少し違う。あれは、半分は面倒なのだろう」
伊都乃も言っていた。面倒なことになる前にって。面倒だから人を殺すなんておかしい。人を殺すより面倒になった方がいい。
「紅丸、術者の目的は二人を殺すことではない。手に入れた機密を使い、何かを成すことだ。その前に、やっておかねばならぬことがいくつもある」
「……そのうちのひとつが、二人を殺すことですか?」
「そうだ」
仁孝さまが言ってることはわかるけど、おれはうなずきたくなかった。
「くのいちも、別の目的のために林を殺したのですか?」
「恐らくな。紅丸、人を殺すことを目的にしている者は、それほどおらぬぞ」
余計にわからない。殺すことが目的じゃないなら、殺さなくても目的を果たす道があるはずだ。人を殺せば自分が希薄になる。どんどん薄まっていって、いずれは死んでしまう。みんな、怖くないんだろうか。おれは怖い。
「そんなにしてまでくのいちが果たしたい目的とはなんですか?」
「推測だが、例えば術者に『林を殺せばお前と俺で所帯を持つことができる。二人で幸せに暮らせる』と言われれば、そういうことをするかもしれぬな」
どうして? 所帯を持つことと、人を殺すことは別の話だ。人を殺さなくても所帯を持てる。たくさんの人がそうやって生きてる。誰も殺さずに祝言を上げて、子どもを作って、静かに暮らしている。
「人を殺さなきゃ手に入らない幸せなんて、本当の幸せじゃない」
「愛する者に囁かれると目が眩む。男でも、女でも」
「術者はくのいちを愛していません。そんなの、すぐにわかる」
おれには恋人はいないけれど、もしもいたら絶対に人を殺せなんて言わない。好きな相手が薄まって死んでしまうのは嫌だ。
「傍から見れば明らかなことも、渦中におれば見えなくなるのだ。渦中に巻き込む。その目を塞ぐ。くのいちの術とはそういうものだ」
くのいちの術がどんなものかは知ってる。知ってるけど。
「仁孝さま、おれは、あの女が怖いです」
あの女が人を殺すから怖いんじゃない。人が人を殺すところは、何度も見たことがある。仁孝さまも伊都乃も人を殺す。でも、あの女は仁孝さまとも伊都乃とも違う。殺し方とか、道具とか、そういうのじゃない何かが違う。違うことはわかるけど、何が違うのかわからない。
「どうして怖いのかわからない」
「それはな、わからぬから怖いのだ。そのくのいちは、恐らくお前がこれまで見てきた者たちとは違う。人は、初めて見るものを怖いと思うようにできている」
「くのいちくらい、おれだって見たことがあります」
「そうではない。くのいちにも……いや、人にも、と言うべきだな。人にも色々いる。腹の中は皆違う。そのくのいちの腹の中には、お前がまだ見たことのないものが詰まっていたのだ」
くのいちの腹の中には何が詰まっていたんだろう。おれは何を見たんだろう。覚えていない。見たことのないものだったから、覚えられなかったのかな。覚えられなかったのに、怖い気持ちだけ残ったのはどうしてだろう。なんだかどんどんわからなくなる。仁孝さまは、わからないから怖いんだと言った。ずっとわからないままだったら、ずっと怖いままなんだろうか。それは嫌だ。
「おれはどうすればいいんですか? どうしたら、怖くなくなりますか?」
「いずれわかるし、いずれ怖くなくなる。それまでは、あまり気にかけぬことだな。怖い気持ちになったら、団子のことでも考えよ」
「団子?」
「好きだろう?」
「はい、好きです」
「では、わしを信じて団子のことを考えていなさい」
仁孝さまはにっこり笑った。仁孝さまが言う「いずれ」はいつなんだろう。いつかわからないけど、仁孝さまが言うんだから、いつか来るんだろう。早く来るといいなあ。それまでは団子のことを考えよう。丸くて白くてもちもちの団子を思い浮かべたら、ちょっと怖くなくなった気がする。
「ところで、伊都乃は何をしておる?」
頭の中の団子がぱちんとはぜた。
仁孝さまに報告に行こうって言ったのに、お前ひとりで行けと言って、伊都乃は部屋から出てこなかった。ふたりの任務なんだかふたりで報告しなきゃ駄目だって言っても出てこなかった。今日だけじゃない。伊都乃は報告を面倒くさがる。報告だって大事なお勤めなのに。
「伊都乃のことなんか知りません」
「……また喧嘩したのか」
伊都乃の部屋に近づいていくと、だんだん不思議な匂いがしてきた。今まで嗅いだことがない匂いだ。
「伊都乃、仁孝さまへの報告終わったぞ」
板戸を開けると匂いは強くなった。薄く煙がただよっていて、ちょっと目に染みる。伊都乃は油紙を火縄で炙っていた。油脂の上では赤黒いものがぶすぶす音を立てている。
「あまり吸い込むなよ?」
おれは鼻と口を手でふさいだ。文机の上に小さな壺や竹筒が並んでる。全部伊都乃の火薬や毒だ。あのハマグリもあった。
「その燃してるの、あの紅か? 使うのか?」
「まだ使い方を考えているところだ」
伊都乃は、また人を殺すのか。
「女相手なら一言二言色よいことを囁いて塗らせるが、男相手はそうもいかん。俺があと十若ければ、自分で塗って吸わせた」
「えっ? 伊都乃が塗るのか?」
そりゃ、伊都乃は見目がいい。色が白くて、首が細くて、髪もきれいだ。すれ違う女のほとんどが振り返る。でも、化粧をしているところは想像できない。
十年前の伊都乃か。年で言えば、十をふたつみっつ超えたぐらいだ。たぶん、ものすごく愛らしい子どもだったんだろう。見目だけは。
「何を唸ってる?」
伊都乃は紅を小指に取って唇に塗りつけた。
毒々しい赤が孤を描く。きれいだから、性質が悪い。
「吸うか?」
「吸わない!」
Fin.
紅を差す人 タウタ @tauta_y
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます