世界の終わりには花束を
カイ
世界の終わりには
明日、世界は、静けさに包まれる。全ての物が消えてなくなる。僕らでさえも。つまり明日、世界は終わる。
誰かが予言したように。
***
それは、昨年だっただろうか。
SNS のトップニュースに出ていた、「20××年、世界は終わる」
という記事。あまり内容を鮮明に覚えていないのは、また、誰かの嘘だろうと思っていたからだ。ネット社会では、よくデマが流れる。いちいち気にしていたら、きりがない。だから気にも留めず、他のページへと画面を移した。
*
世界が終わる日。それは不幸なことにも僕らの記念日だった。それに気づいたのは、「世界の終わり」というものが真実味を増してきたころだった。
物がどんどん消えていく。それが違和感の始まりだった。はじめは、単に物をなくしたのかと思ったが、消えかたがどうも変だ。そこにあったものが、さらさらと消えてしまうのだ。まるで、砂になるように。
この運命は残酷で、「最後に」消すのは人間らしい。全てがなくなる世界。それが世界の終末。最後の日には、一体どれだけのものを失い、どれだけのものが残るのだろう。
失われるのは、きっと物だけじゃないはずだ。
***
「もう一週間もないんだね。」
「うん。」
君は無表情で頷く。感情でさえも消えていくのかもしれない。
「ずっと一緒に居られればいいのにね。」
「私だってそう思ってるよ。」
「でも、始まりがあれば、終わりがあるの。だからいまを愛そうよ。」
そういう君の声は震えている。
感情をもなくしたのかとも思えた君の瞳に涙が浮かぶ。そんな君が恋しくなって、思わず抱きしめる。温かい。
君の体温が伝わってくる。
「ねえ、」
「...うん。」
「ずっとこうしてたいの。」
「僕もだよ。」
君の涙のおちる音。
ぽつり、ぽつりと。
「ユキくん、」
名前を呼ばれたのは、すごく久しぶりな気がした。
*
夢の中にいる。その自覚がある。
白くてもわもわした、少し輪郭のぼやけた、そんな夢。
二人がいる。僕と君。そこにピントを合わせるように近づく。
何故か夢というものはどこか客観的だ。
遠くから自分をみている感覚。
君はこういった。
「世界は終わるんだよ。」
「だから、精一杯いまを生きよう。」
夢の中の僕は、うん、としか返すことができなかった。
まだ、自分がいなくなるという実感がわかなかったから。
*
はっと気づくと、カーテンの外が薄明るい。時計をみると五時を指していた。隣には君の寝息。僕の夢に出てきたことなど、一ミリも知らないんだろうな。君は。
目覚ましが鳴る前に止める。いつも。君を起こさぬように静かに止める。君は嫌がるから。幸せそうな君の顔を見た。世界が終わるなんて、感じられなかった。
もう少し寝ていよう。君が起きるまで。また起きたら、残りの日々が始まるのだから。
***
「おはよう。」
君が起きたみたいだ。
「おはよう。」
僕も返す。
キッチンにいって朝食を作り、食卓を二人で囲む。こんないつもの光景が、あと二日で終わる。それが、どれだけ切なく、悲しいことなのか、僕はまだ知らない。
チン。トーストの焼けた音で我に帰る。
「何ぼーっとしてたの?」
「何でもない。」
そういいながら、トマトとレタスにドレッシングをかけたシンプルなサラダを皿に盛った。
君はコーヒーを注いでいる。
僕は、二枚のトーストの上にそれぞれ一つずつ目玉焼きをのせた。
いつもの匂いだ。安心する。
「いただきます。」
二人でテーブルを囲む。トーストの耳を咀嚼する音が響いた。さくさくさく。
君はコーヒーにミルクをいれる。僕も真似する。
「この世界も溶け合えたらいいのにね。コーヒーとミルクみたいに。そしたら、争い事もなくなって愛し合えるのに。」君はスプーンでかき混ぜながら言った。優しい声だ。世界が終わるなんて思えないくらい。でも、世界の終わりは本当は優しいのかもしれない。
「でかけようよ。店は閉まっているかもしれないけど。」
「いいんじゃない。たまにはね。」
君の賛成を得て出掛けることにした。最近は家にいることが多かった。久しぶりの外だ。
*
ドアを開けると、風が頬を撫でた。
少し歩くと、街の静けさに気づく。
車は一台も動いていない。赤青黄色どの信号も真っ黒だ。もうすぐふっ、と消えるのだろう。君と手を繋ぐ。離れないように。
殺風景な街におちるのは二人の影。
響くのは二人の声だけだ。
君が言う。
「あ、あそこ、お店やってるみたいだよ。」
OPEN とかいた看板。少し汚れている。チョークの白い文字がところどころ消えていた。
ドアをゆっくり開けて、中に入ると、カウンターにはマスターがいた。
物はもうほとんどなくなっていた。
「この世界が終わる理由を知っているかい?」彼は僕らに尋ねた。僕は、分からない、と答えた。
「何故だか聞きたい?」
頷くと、彼はこう言った。
「この世界は、必要なくなったんだ。だから世界は終わるんだ。」
「僕らには...世界は必要なんです。あしたも生きてたいし、その次の日だって...。」
彼は少し間をおいてこう話した。
「優しさが、優しさが足りないんだ。紛争や戦争が絶えない地域がある。この国で言えばいじめや差別。ほんの少しの争いも、優しさがあれば許し合えるんだがな。」話す声は低く、落ち着いていた。まるで最初から知っていたかのように。
帰路につくと、僕らは涙で滲んでいた。どっと疲れた。
***
君は眠る。すやすやと。その脇で、僕は呟く。
「もう、世界は終わるんだ。」
君はまだ寝ているから、返事はむにゃむにゃとだけ。つん、と君の頬をつつくと、寝返りをうった。
いつも、僕は君より早起きだ。でも、二人とも朝型なのは、付き合う上で大事だったと思う。三十分くらいたった頃、そろそろ起こそうと試みた。まずは、「おーい」と呼び掛ける。起きない。もう少し大きな声で「おーはーよーう」と言う。
まだだ。もうあきらめて布団を剥がすことにした。
「へにゃ?」作戦成功。変な声をあげて君は起きた。
「おはようございます」
「おはひょう」
何だか寝ぼけているようだ。
「顔洗ってきたら?」
「そうするー」
そう言って君は洗面所にてちてちと歩いていった。
*
いつも通りの朝食を済ませ、身支度をした。
「今日はどうする?」
「うーんと、行きたい場所があるの。」
君が選んだ場所は、僕らがよく行った公園だった。
僕らは少し静かなこの公園が好きだった。風に君の髪が吹かれて、ふんわりとシャンプーの匂いがした。
「座ろうか。」
ベンチを指して言う。
「うん。」
僕らは、出逢った日のことを話し始めた。
「覚えてるかな。僕らの出逢った日。」
問いかける。
「あの日はたしか、雨だったよね。」
「君が傘を貸してくれてさ。」
君は微笑む。
「あのバス停からの帰り道、本当にドキドキした。」
「でも、あの日がなければ、私たち出逢えなかったかもしれないね。」
「だから、この出逢いは雨の日の奇跡、だね。」
「そうだね。」
僕はそう言って君の頭を撫でた。
「なんだよー。」
「なんだか愛おしくなった。」
君の頬は赤く染まった。
***
また朝がやって来た。
憂鬱な朝だ。僕の好きな曲に憂燦々という曲があるが、こういう時を指すのだろう。燦々と降る憂鬱。それは、太陽のように。
本当に今日で終わるという実感がない。世界が終わる。こんなにも呆気なく。ドラマの最終回みたいだ。
今日は、僕らの記念日だった。そうだ、花束を買いにいこう。彼女には内緒で。
花束を買いにいくまでの道中、色んなことを考えた。これまでの日々で、幸せを見つけてこれたかな。彼女は幸せだったのかな。殺風景な街中で、花屋さんはもうなかった。前行ったカフェもなくなっていた。これが世界の終わりか。花束を買うのは諦めるしかないみたいだ。
「しょうがないか。」
帰路についた。辺りは薄暗くなっていた。オレンジがだんだん沈んでいく。そして藍色になった。
ドアを開けた。ただいま。おかえり。もう今日で終わりだ。
「どこにいってたの。」
「んー、内緒。」
花束を買えなかったから、内緒にしておきたかった。
「ねえ」
「星、見えるかな。」
彼女に見せたかった。花束の代わりに。
屋上に出た。そして二人寝転んだ。
藍色の空に白い絵の具で描いたような星。
「見られてよかった。」
「そうだね。」
「そういえば、流れ星が流れるときって、命が生まれ変わるときなんだって。」
君が言う。
「じゃあ、この次の世界でも星が流れたら...」
「僕は君を探すよ。」
手をぎゅっとにぎった。
さらさらとお互いの存在がなくなってゆく。
最後に。
「さよなら。またね。」
二人の小さな鼓動が響いていた。
***
ユキくんが死んだ。無機質な白い病室で。私は、その冷たくなった手をそっと握った。
彼の世界が終わった。彼の見る世界が。人は死ぬと、自分の世界を失う。それが、彼にとっての世界の終わりだった。
長い長い夢を見ていた。ユキくんと過ごす夢。どうやら、彼も同じ夢を見ていたようだ。長い間彼は、闘病生活を送っていて、余命宣告を医師から受けていた。彼はそれを世界の終わりと呼んだ。だから、私は、彼との世界の夢をみたのかもしれない。
大切な時間だった。例え夢だとしても。
*
彼との間に命を授かった。それはまるで、世界の始まりのようだった。
世界の終わりには花束を カイ @kai_000
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