学園襲来編

過去とこれから

 ハンマーで鳩尾あたりを殴られたような感覚を単衣は感じた。目の前には金髪で鋭い目つきをした男。その硬く握らせた拳を単衣の腹に思い切り叩き込んでいた。あまりの苦しさに蹲る単衣。


「はっ!おいおい、もう終わりかよ。てめえに合わせてまだ身体強化の魔法しか使ってねえってのによお」


 金髪の男は単衣に近づくと、伏せていた単衣の顔を雑に蹴り飛ばした。倒れ込む単衣。


「荒木、ちゃんとやりなさい」


 審判の教官が荒木を窘めた。相手のバッチを奪ったら勝ちの模擬戦で、荒木は単衣を必要以上に痛め付けていた。


「涼!」


 友里の悲痛な声。


「あー、へいへい」


 荒木 涼は屈んで単衣の首にぶら下がっていたバッチを取った。


「なあ、単衣」


 涼が単衣の耳元に口を近づけて、そして囁いた。


「お前、才能ねえよ」


 その言葉の意味を、単衣は自覚していた。何度も何度も言われた言葉。


「強化魔法しかろくに使えず、剣を振っても弱い。もう、やめちまえよ」


 言い終わった涼は立ち上がって去っていく。


「くそ……くそう」


 誰にも聞かれないように、単衣はぶつぶつと呟いた。握り拳を何度も地面にぶつける。





「単衣、単衣」


 林の声だ。もう起きる時間なのだと単衣は理解した。むくりと立ち上がると、涙がこぼれた。


「単衣、大丈夫ですか」


 その様子を見て、林は心配そうな表情を浮かべた。白い眉毛をハの字に曲げて、上目遣いで瞳をうるうるとさせている。


「大丈夫。ちょっと嫌な夢を見ただけだから」


 単衣の言葉を聞いて安心した林は、右手を差し出した。単衣はそれを握って立ち上がる。


 鷲田の狙撃によって吹き飛ばされた右腕は完全に完治していた。現在の医療技術なら、切断された部位が残っていれば後遺症もなく完治させることが可能だった。


「今日から学校ですね」


 林の言う通り、今日は星葉学園の始業式がある日だった。


「さあ、一緒に顔を洗いに行きましょう」


 見ると、林も寝間着姿のままだった。夏休みの時とは違って登校時間があるから、林は自分が起きたついでに単衣を起こしたのだった。


 二人は洗面所に向かって顔を洗い、歯ブラシで歯を磨く。


「林」

「なんでふは」


 歯を磨きながら林がしゃべるものだから、少し舌足らずだった。林の口まわりは歯磨き粉の泡で溢れていた。そんな歯の磨き方を彼女は好んでいた。


「僕、大丈夫かな」


 単衣の言葉を聞きながら、林は口をゆすいだ。


「実技の試験があるんでしたね」


 林はそう言いながらタオルで口を吹く。


「枝垂流を会得した単衣なら、大丈夫ですよ」


 歯磨きとコップを棚にしまうと、林は洗面所を後にする。


「あ、ちょっと」


 まだ満足できていない単衣は、慌てて林を追いかけた。


 林は自室の前で立ち止まる。


「単衣」

「ん?」

「私、着替えたいのですが」

「あ!」


 単衣は顔を赤くして後ろを向いた。その後ろ姿を林はそっと抱きしめた。


「り、林?」

「単衣。私たちは恋人同士なのですが、その、まだ裸を見せ合うのは早いと思うのです」


 とくん、とくんと林の鼓動が早くなっていくのを単衣は感じた。次に林の言葉の意味を理解して、自身の鼓動も早くなっていくのを実感する。


「わ、わかったから!」


 林はその言葉を聞くと、そっと離れた。


「単衣も早く支度しちゃってください」


 林はそう言って笑い、自室に入って障子を閉めた。単衣は足早に自分の部屋に向かい、星葉学園の制服を取り出して着替え始めた。


(さっきのはどきどきしたなあ)


 着替えながらぼんやりとそんなことを思う。


(僕は、林のことが好きなのだろうか)


 単衣は林との出会いを思い出す。公園で弟子となり、恋人になれと言われた。私に見た目は関係ないと。すごく嬉しかったことを覚えている。


(林はなぜ僕を弟子にして、恋人にしたのだろう)


 単衣にとって林との出会いは唐突だった。今思えば、林の行動は不思議だ。


(まだ僕は、林のことをあまり知らない)


 だから知らなくちゃいけないと、単衣は思った。


(もっと林のことを知りたい)


 そして林の微笑む顔を思い浮かべた。じわりと胸が締め付けられて、温かくなる。


(なんだ、やっぱり好きなんだ)


 単衣はようやく自分の気持ちがはっきりした。”何となく好き”が”はっきりと好き”に変わったのだ。


 きゅっとネクタイを締めた。姿見鏡で自身の恰好を見る。ショートカットの黒髪。寝ぐせはない。相変わらずブサイクな顔だ。でも制服はきちんと着ることが出来ている。白と黒の基調の星葉学園の制服。165センチの伸長にピッタリだった。


 単衣は鞄と刀を持って玄関に向かった。すでに林が玄関で単衣のことを待っていた。


「来ましたね。さあ行きましょう」


 林が玄関の方を向いて横開きのドアを開けようとした。しかし単衣が林の肩を掴んで無理やりこちらに向かせる。


「単衣? んっ!」


 林はすぐに言葉を失った。単衣が林にキスをしたのだ。キスは友里の前でしたきりだった。だから、単衣からしたのは初めてだった。


「はあ……」


 林の吐息が漏れる。くっついていたお互いの唇が離れた。


「ようやく、単衣もその気になったのですね」


 林は左手で唇を触りながら、どくんどくんと脈打つ心臓あたりを右手で抑える。


「うん、僕は林が好きだ」

「私もです。単衣が好きです」


 二人は時間を忘れて抱きしめ合った。

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