第十話 ホント、馬鹿みたい

 キャンディアの姿が見えなくなったのを確認してから、ブリルはメイベルにそっと告げた。


「あの……ありがと。うまく話、合わせてくれて」

「いえ――私、特に嘘は申し上げておりませんし」

「ま、それはあたしも同じだけどね」




 しかし、さすがに驚いた。

 今まで獣人との混血だなんて見たことがない。




 それでも、決して顔や態度には出すまいと、ブリルはブリルなりに必死に自分の余計な感情を抑えつけていたのだ。幸か不幸か、可愛いもの、幼い子供に対する愛情の方が勝利した――何だか複雑な気分ではあったが。


「でも、きっと……今までいろんな嫌な目や、怖い目に遭ってきたんじゃないかな……って」


 ざわ、とブリルの胸の奥で感情がうねる。






 聖十字教の教義では、異種交配は最大の禁忌だ。


 とは言え、厳格な父親の前でだけは仕方なく敬虔けいけんな教徒を装ってきた《なんちゃって信徒》のブリルは、常々その時代遅れの差別的な考えに疑念を抱いていた。


 かつて人間対魔族の争いがあったこの世界も、ブリルの曽祖父の代に辛くも人間側が勝利するという形で平和が訪れた。その戦争において脆弱な人間たちの手助けをしたのは、長命かつ魔力の扱いに長けたエルフ族であり、無骨な見た目にそぐわぬ繊細で巧みな技術で武器・武具を生み出すドワーフ族であり、ずば抜けた敏捷さと死をも恐れぬ蛮勇さで並み居る魔の先兵を次々とほふった獣人族だった。


 だがしかし、それ以外にも大勢いた《仲間たち》は、代を重ねるにつれ、次第に疎まれ、《亜人》と呼び習わされて遠ざけられることになる。あろうことか、手を差し伸べ共に戦った、当の人間たちによって――だ。




 理由は単純かつ明快だった。

 人ではないから、である。




 その根幹にあるのは、聖十字教の教義の中にある意味深で理解しにくい一文のせいだとブリルは考えていた。もっと言ってしまえば、それを自分たちの都合に合わせて良いように読み替えてしまった司祭や神父、宗教家たちこそ罪深いとブリルは思う。


 元々、他人と他人とを分け隔てなく愛せよ、というのが聖十字教の経典に書かれている教えだ。


 だが初めて教会の集まりに参加した幼いブリルは、いかにも温和そうな神父からこう教えられた――他人と他人、そのいずれも人間のことを指すのであり、それ以外は悪魔のしもべなのですよ――と。


 経典にはこうも書かれていた――純粋無垢であること、清廉な身を保つことこそが常に正しき道を歩み神に近づく術である、と。


 しかし、神父はこう教えた。これはつまり、人間は人間だけの純粋無垢な世界を守り、それを維持していかなければならない、という意味なのです。他の種族との交流など言語道断、血の交わりは神への反逆なのですよ、と。


(どうりで――)


 教会の中を見回しても、代々の名家の血筋の者しかいない訳だ。ブリルの通う学校でも街中でも、やはり目に見える範囲には純血の人間族しかいない。


 しかし幼いブリルだって知っている。


 この世界には、かつて共に戦った別の種族の者たちがいて、ある者は友となり、ある者は恋に落ちた。一代前、二代前にそうだった者たちの間に生まれた子孫たちが今もこの世界で生きているのに――。




 中でも獣人に対する差別は格段に酷かった。

 それは、経典の中に登場するこの一文のせいだ。






 ――見よ、あれが終末の獣。


 彼の者は盗人のように夜に現れ、人間の三分の一を殺すだろう。わたしはその歓喜の声を聞いたのだ。






(ホント、馬鹿みたい!)

(そんなにありがたい教えだって言うんなら、誰にでも、子供にでも分かる言葉で書けばいいのに!)


 腹を立ててむっつりと顔を顰める幼いブリルに向けて、神父がことさら優しい声音で獣人族の恐ろしさを諭していたが、あまりに頭に血が上っていたためにあまり耳に入らなかったくらいだ。まあ、聴こえた範囲でも、神父の話は大した内容ではなかった。




 ――獣人族は人間を裏切った。

 ――獣人族は人間を騙した。

 ――獣人族は人間を殺した。




(へえ! 知らなかったわ!)

(それ、人間同士でもやることじゃないんだ?)


 そうちっぽけな少女から指摘された神父は、露骨に顔をしかめると「また、おいでなさい」とだけ言い残し、代わりの別の子供のところへと歩み去った。要するに逃げて行ったのである。その一件があってから、父親同伴の日でない限りは、ブリルは教会に行くことを止めた。




 だが、この世界に住む誰もがブリルと同じような考え方をするとは限らない。むしろたとえそれが妄言のたぐいであろうとも、ありがたい経典に書かれた方を信じるのが普通なのだろう。だからこそ、これまでの人生でキャンディアがどんな辛い目に遭ってきたかを思うと、ブリルはやり場のない怒りに身体が震えるのだ。


 ぶるる。


「くちゅん!!」


 震えた――ついでにくしゃみまで飛び出す始末。


「いやはやまったく――」


 いつものようにメイベルは溜息をいた。


「すっぽんぽんで恰好つけているお嬢様もなかなか滑稽で見物ですが、そのままでは風邪を引きますよ? ただでさえ……ぷっ……下半身を冷やされていらっしゃるのですから……」

「ううう……そ、そうね。って、まだ引っ張るのかよ! ホント、しつこいなあ、メイベルってば」


 まださっきのお漏らしの件を引き合いに出してくるメイベルには、もう怒るより呆れが先に立つ。


「ふふふ」

「ふふふ、じゃないわよ、もう……」


 一方、妙に優しい瞳をブリルに向けて微笑んでいたメイベルが思わず笑い声を漏らすとブリルはますます嫌な顔をする。


「さ。行こ行こ」

「……ええ」


 じゃー行くかー、と湯浴みのタオルを手に、肩で風を切るように豪快な大股でブリルは二、三歩踏み出し、






 ……あれ?






「ねえちょっと、糞メイド?」

「はい?」

「さっき、笑わなかった? 凄く嬉しそうに?」

「………………何のことでしょう?」


 ブリルが振り返って見つめると、丸眼鏡なしの素顔もまた、やはりいつものポーカーフェースだった。入浴の時は眼鏡はかけない派らしい。


「あれ? 気のせい……?」

「……」

「あ、あのー!」


 さすがに待たせすぎたようだ。


「お二人とも、お湯が冷めてしまいますよー?」

「やばっ……ごっめーん! 今、行くわー!」


 自分で言い出しておきながら小走りで風呂に向かうブリルの背中をじっと見つめ、メイベルはもう一度、自分でも気付かぬうちに微笑みを浮かべる。


「……」


 そして、そっと呟いた。


「人間にもいろいろいるのですね……興味深い」



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