第七話 心優しき少女、キャンディア

「えっと――まずは、御礼を言わないとですね」


 そう言って、レイは、ぺこり、と頭を下げた。

 そして顔を上げ、室内を見回す。


 一行が迎え入れられたのは、お世辞にも居心地が良さそうには思えない狭い部屋だった。大荷物を背負った長身のメイベルがそこにいるだけで、得も言われぬ圧迫感が生まれている。奥にもう一部屋、二部屋くらいはありそうだったが、それだけだ。すっかり夜も更けてしまった今は、そこかしこから隙間風が吹き込んできて妙に寒々しい。


「ご、ごめんなさい。こんな汚いところで……恥ずかしい……です……」


 そんなわびし気な印象を持ったもう一つの理由は、レイと同い年くらいであろう目の前の少女以外の、他の誰かの存在を感じ取れないせいでもあった。




 いや。

 かつてはもう一人いたのだろう。




 それは、すっかり古びてしまった食器や調度品のいくつかからも推測できる。今しがた入ってきた玄関脇にあるコート掛けには、目の前の少女にはとても似つかわしくない白い外套がいとうが掛けられていた。だが、表面にはくすんだように見えるほどの大量の埃が積もっている。ずっと使われていないのだろう。


 一人慌ただしく何やら準備している様子の少女は、とてとて、と可愛らしい足音を立てて走り戻ってくると、突っ立ったままの三人を見て、あ、と短い声を出した。


「す……すみません! 荷物を降ろして、何処かに座って休んでくださいね!」

「う。何処かって言われても……」


 ブリルは思わず不躾ぶしつけな科白を口に出してしまった。


 無理もない。


 あるのはぐらついたテーブルと粗末な椅子が二つきり。ここには三人、いや、家主である少女を加えて四人もいるのだ。


「せっかくああ仰っているのですから、お座りください、レイ様。お心遣いを無駄にするのはかえって失礼にあたります。……ほら、そっちが空いてますからとっととお座りくださいませ、お・嬢・様」

「何だか扱いに差を感じるんだけど……」


 釈然としないブリルは、ぶっすー、とむくれながらももう一つの椅子を引き寄せて、ちゃっかりレイの隣にべっとり寄り添うようにして座った。


「メイベルは?」

「……私はレイ様のおそばにおりますので」


 レイとブリルの間の狭い空間にメイベルが引き締まったヒップをねじ込むようにして割って入った。おかげで狭い室内がさらに輪をかけて窮屈になる。


「むー!」

「……何です?」


 またぞろ不毛な局地戦が繰り広げられている中、トレイの上に湯気の立ち昇る不揃いのカップを四つ携えた少女が三度姿を現して、くすり、と笑い声をこぼした。


「仲がよろしいんですね」

「どこがよ!?」

「失礼ながら――心外です」

「あ、あはははは……」


 レイは笑うしかない。


 三人の見つめる中、少女はトレイの上の木製のカップを一つ一つ置き終えると、身体の前にトレイを抱え込んで改めて会釈をしてみせた。その拍子に、深々と被っているざっくりとした手編みの帽子が落ちそうになり、慌ててそれを押さえつける。


「いきなりこんなみすぼらしいところにお招きしてしまってごめんなさい。私はキャンディアと言います。ご覧のとおりここは私一人きりですので、もしよろしければ一晩泊っていかれたらいかがでしょう? ご迷惑でなければ……ですけど……」

「本当ですか!? 助かります!」

「ちょ……ちょっと、レイ君……」


 思わず腰の引けたブリルの科白を、キャンディアと名乗った少女は誤解したようだ。


「いえいえいえ! 遠慮しないでくださいね!」

「あー……」


 引くに引けなくなってしまったブリルは、わずかに開いた口元を人差指で、ぽりぽり、と掻きながら言った。


「じゃ……じゃーあ、そーさせてもらおうかしら」


 そして隣にいるレイの耳元に大急ぎで囁く。


(……ちょっと! レイ君!)

(な、何です?)

(大丈夫なの? これ!? やばそうじゃない?)

(まさか! 良い子じゃないですか!)


 あ……れ……?と目の前の状況に戸惑うような表情を浮かべてキャンディアが見つめている。それに気付いたブリルは囁きを中断し、引きった愛想笑いと共にひらひらと手を振り返した。それでも落ち着かなげに見守っていたキャンディアは急かされたように言い繋いだ。


「やっぱり……ご迷惑でした? 何処も泊めてくれる宿がなくて困っていらっしゃるのかと……思ったんです……けど……」

「どうしてそれをご存じなのでしょうか?」


 今まで静観していたメイベルが言うと、キャンディアはもじもじと済まなさそうに告げた。


「それは……それがこの町のルールだからです」

「やはり――」




 ルールだ。

 全ての元凶はそこにあるらしい。




「失礼ながら申し上げます。心優しきお嬢様――」


 丁重に一礼してから、メイベルはキャンディアに尋ねてみる。


「そのルールとやらですが、拝見したところ、誰一人、その存在を快く思われていないご様子ですね。もし、そのルールを破るとどうなるのでしょう? 例えば、それを知らずにこの町を訪れた我々のような者が、ですが……」

「――誰であろうと、ルールは絶対です」


 キャンディアの口調が硬く平坦なものになった。


 が、すぐにもそうしてしまったことを悔いるように、正面に立つメイベルの丸眼鏡の奥の真っ直ぐな視線を避けるように顔を反らした。それでもメイベルの表情は相変わらずのポーカーフェースだった。


 やがて、根負けしたようにキャンディアはそっと溜息を吐いてから口を開く。


「この町にいる限り、たとえ誰であってもルールには従わないといけない。そう決められているんです。破れば、相応の罰を受けますから。つ……吊るされた人だっているんですよ?」


 今日日、絞殺刑などというものは、皇国領内ではよほどの大罪人でもない限り執行されることがない。ごくり、と唾を呑み、ブリルが尋ねる。


「その人って……何をしたの?」

「え……あの……」


 言いにくそうにキャンディアは答えた。


「約束の……時間に遅れた……そう聴きました」

「え……ええええ!? それ、ひどくないっ!?」


 我慢できずにブリルが大声を上げると、キャンディアは怯えたように、びく、と肩を震わせる。


「あ、あの……」

「何よっ!?」

「――日没後に大声を上げるべからず。それもルールの一つなの……で……。その……できれば……」

「う」


 ブリルが動きを止めた。隣を見て、次に見上げると、どちらも困ったような、可哀想な子を見るような目で見つめている。


「いやはやまったく――」

「し、仕方ないでしょ!? そんな事、ちっとも知らなかったんだもん! ……ご、ごめんねー?」

「だ、大丈夫です、きっと」


 恐らくキャンディアにだって確信はないのだろうが、ブリルがぺこぺこと何度も頭を下げるのを目にすると弱々しい微笑みを浮かべてそう請け負った。


「このあたりは誰も住んでいませんから。空き家ばっかりなんです。一部の町の人たちには《負け犬通り》なんて呼ばれているくらいで……」

「な――っ!? ……はうっ」


 そこに一人きりで暮らしている少女を目の前にしていることもあって、つい感情移入しすぎる傾向にあるブリルはまたも怒り混じりの叫びを上げそうになったが、隣でずっとにこにこと微笑んでいたレイから絶妙なタイミングで脇腹を肘で小突かれ、うっ、と口をつぐんだ。


「?」

「ナ、ナンデモナイワヨー。オホホホホ……」


 きっ、と隣を見ると、レイは涼しい顔でまだにこにこ笑いを続けている。




 うん。可愛い――じゃなかった。



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