第九話 その瞳は刹那を写し取る

「そう言われましても」

「ち、ちょっと変わってるのよ、あたしの目! ほらっ、見てっ! ここっ!」


 長身のメイドに向けて、ぐぐっ、と爪先立ちになりながら、ぐりん、と目一杯大きな瞳が零れ落ちそうになるくらいに見開いた。渋々ブリルの薄青い瞳を覗き込んだメイベルの顔色が、さあっ、と変わる。


「……!?」

「どうし――」


 言いかけた身体が、ひょい、と宙に浮き、メイベルに抱きかかえられたままブリルの瞳をまじまじと覗き込んだレイもまた、ひゅっ、と息を呑んだ。


「こ、これって――!?」

(近いっ! 近いよお……!)


 至近距離から少年に見つめられ、ちょっと頬を染めたりなんかしているブリルの心臓は途端に激しいビートを刻み始めたが、残る二人はそれとは別の意味で激しく動揺している様子だった。


「どうして……何故……!?」

「――レイ様。まだ決めつけるのは尚早かと」


 メイベルはレイの耳元に息を吹きかけるようにことさら小さく囁いたのだが、すぐ目の前のブリルにもそれは聴こえてしまった。


「……?」


 だからこそ、ブリルは不思議だった。


 ブリルのこの目の謎について、今まで幾人もの魔法医がそのたび一様に首を傾げてきたものの、この二人のように何かを知っている素振りを垣間見せた者に関しては只の一人としていなかったからだ。


「あ、あのさ――」

「差し支えなければですが、お伺いしても?」


 なので、尋ねてみようとしたのだが、断固たる口調でメイベルが口を挟んできた。


「ち、ちょっと! あたしが先に聞こうと――」


 そこでメイベルに抱えられたままのレイが控えめな口調で、上目遣いのキラキラした瞳でせがんだ。


「あの……教えて欲しいなブリル。いいでしょ?」

「よ、喜んでっ!」


 即答するブリル。メイベルは密かに視線を交わすと非難がましく片眉を跳ね上げ、それを見せられたレイの方は誤魔化すように曖昧な笑みで舌を出す。どうやらそのやりとりに気付いていないブリルは、少年に乞われるがまま告白することにした。


「今、あなたたちが見たとおり、あたしの目って変わってるのよ。縁のあたりに目盛みたいな線があって、何だか……時計盤みたいに見えるでしょ?」


 改めて目を見開いてそれをアピールし、再び興味をかきたてられて覗き込んできたレイに向けてお道化た仕草でウインクを返す。レイが真っ赤になってもじもじする様子に満足したようにブリルは続けた。


「もう五年くらい前になるかなぁ、あたし、町の魔法医も匙を投げる原因不明の熱病にかかっちゃって。それで危うく死にかけたことがあったのね。でもその時、たまたま領――や! いやいやいや!」


 何と言いかけたのか分からなかったが、ブリルは身振りまで交えてその言葉を搔き消してしまう。


「そ、そう! 近所を通りがかった旅の魔法使いにパ――こほん……父が泣きついて、彼から貰った秘薬を飲ませてくれたところでようやく回復したらしいの。つまり、あたしの恩人、ってとこ。でも、どうしても名前を教えてくれなかったらしくってね。もう一度会って、あたしの口から直接、あの時の御礼を言いたいんだけどなあ。……ま、それはさておき、この目、その時の後遺症みたいなのよ」

「副作用、ではなくて――でしょうか?」

「……秘薬の?」


 メイベルの見当外れの質問に、ブリルは怪訝そうに眉を顰め、手のひらをひらひらと振る。


「違う、違うよ。熱病の後遺症だってば」

「その秘薬とはどんな物だったんです? たとえば、形とか色とかですけれど……?」


 重ねてレイが尋ねると、どうして二人が奇病より秘薬の方にこだわるのかさっぱり分からないブリルはますます戸惑うような複雑な表情を浮かべる。


「うーん……」


 それでも一応考えてみる。


 が、無駄だった。


「レイ君の質問には何だって答えてあげたいんだけどさ。ちっとも覚えてないんだ。だって、そうでしょ? あたしは物凄い高熱出して、朦朧とした状態で生死の境を彷徨ってたんだから。言い方は変かもしれないけれど、気付いたら治ってた、ってとこ」


 実際は、永遠に醒めない悪夢に毎夜うなされ続けるような酷い状態だったのだが、今思い返すとそれすら夢の中だけの絵空事のように感じるくらいだ。


 ときおり顔を見合わせては何やらむっつりと考え込んでいる様子の二人にブリルはしびれを切らし、その目の持つ不思議な力を披露することに決めた。


「――ね? 見ててよ」


 じゃら。


「じゃーん! ここに取り出しましたのは何枚かのコイン! あたしも何枚あるかは数えてないよ!」


 ひょい――。


 目を瞑ったままブリルはそんな謡い口上を口走ると、手の中のコインを頭上高く放り投げてしまった。


 そして、

 ぱち。

 一瞬だけ目を見開き、すぐに両手で覆い隠す。


「はい! 今、何枚の――あいた! コインが――いたた! あったでしょうかー!?」


 ばらばらと宙を舞ったコインの数枚が、そのまま真下にある栗色の髪目がけて降り注ぐと、ブリルはそのたび小さく悲鳴を漏らした。傍目には、ちょっと変わったおバカな女の子の下手糞なジャグリングを見せられている気分である。


「?」

「?」


 あまりに突飛なブリルの行動に、レイとメイベルは顔を見合わせ、きょとん、としてしまった。


「――あ」


 が、すぐにも何かを察したレイは、地面に散らばったコインを一つ一つ丁寧に拾い上げ、小さな手のひらに並べてから頷いた。


「はい、準備できましたよ。全部集めてあります」

「よーし。じゃあ行くわね……」


 むむ……。

 むむむむむ……。


 額に人差し指を添えて、芝居がかった仕草で唸るその様は、まるで街々を渡り歩く芝居小屋にはつきものの胡散臭いインチキ占星術師のようでもある。だが本当は、そんな細工をするまでもなく、ブリルには答えがはっきりと《視えて》いた。


「そーこーにーはー……コーイーンーがー……」


 見た目通りの純粋さで好奇心を丸出しにしたレイは、身を乗り出して、今か今かと答えを待っている。一方、メイベルは呆れた顔付きで肩を竦めただけだ。


「はい! 視えた!」


 どやっ!

 両手を広げてポーズを取った。


「ずばり! コインは十二枚! ……でしょ!?」

「わわわ! 当たってます!」

「……私にでもそのくらいは」

「って言うと思ったわよ! この――」


 糞メイド、という暴言は心の中だけに留めておく。


「……でもね。じゃあ、金貨と銀貨と鉄貨、それぞれ何枚あったかなー? あ・っ・た・か・なー?」


 ぐいぐいと詰め寄り問い質してくるブリルの圧力に、うっ、と言葉に詰まりながら、メイベルは彼女だけに聴こえる程度の小さな呟きを漏らした。


「……ウザっ」

「ちょ――!? 聞いた聞いたレイ君っ!! このメイド、今すっごい失礼な科白吐いたわよ!?」

「あは……あははははは。き、気のせいだと思いますけど――」


 慌ててレイが二人の間に割り込んでくる。その後ろでメイベルはまだ諦めきれずに頭を悩ませている様子だったが、遂に首を横に振ることになった。


「敗北を認めたくはありませんが、私は答えが分かりません。降参です。お嬢様にはお分かりだと?」

「もちろんよ」


 そうなのだ。


 目を閉じれば、ブリルはいつでも好きな時にその一瞬を《再生》することができるのである。


「――金貨一枚、銀貨は六枚で、鉄貨も六枚よ」

「す、凄いじゃな――!」


 興奮気味の表情でレイはぶんぶんと首を縦に振り頷いたが――あれ?と首を傾げつつ、もう一度手の中にあるコインを数えてみる。


「あの……ええっと」


 やっぱりそうだ。


「今……十三枚、って言いました? 僕、もう一度ちゃんと数え直しましたけど、最初に言った通りここには十二枚しかないんですが……」

「でしょうねぇ」


 それを聞いてもブリルは少しも動じることなく、少年の隣でポーカーフェースを貫き通しているメイベルに向けて告げ、にやり、と笑いかけた。


「あたし、言ったでしょ? ――そこにはコインが十二枚、って。あとの一枚、金貨はそこのメイドの右足の下にあるんだから。さ、見せてちょうだい」

「……」


 ブリルとレイに見つめられ、メイベルが溜息混じりに渋々右足をずらすと、そこには確かにぴかぴかの金貨が一枚落ちていた。


「メ、メイベル……いくら苦しいからって……」

「それは違うよ、レイ君」


 ブリルは弾むようなステップでゆっくりとメイベルの目の前まで近寄ると、膝を折って金貨を拾い上げ、それがまるで勝者に与えられた褒賞であるかのように、誇らしげに、自慢げに、メイドの丸眼鏡の前でひらひらと何度も振って見せつける。


「この一枚を見逃すんじゃないか、って期待してたんでしょ? あーらあら、残・念・で・し・た」


 どうやら図星だったらしい。

 メイベルは歯噛みしながら悔しそうに呟いた。


「くっ、殺せ……!」

「殺さないわよっ!」


 誰がオークだ。



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