第8話
「篤宮さんは、幕府について何処まで知ってるんですか」
羚が問う。それを舌なめずりでもするように、品定めの如く、見やって、お雪はやっと口を開いた。
「この国の一政権であり、我々が支援する側の政権であり、我々以上に多種族主義、無差別平等主義を謳う組織、という所まで、ですかね」
お雪は紅茶を飲み干す。
「ですが、これは私達以外の、一般的な人々でも同じレベルの認識ですよ。ある程度の正しさの側面と、その後ろの暗さを、誰でも知っている。知らないのは、政府の一部の人間達ぐらい」
かちゃりと茶器を置いて、お雪は言葉を止める。それに応じて、羚は隣の愛の手を握って、言葉を置いた。
「どうして僕には『対等』なんですか」
羚は口を半開きのまま、伺うようにお雪を見た。その様子を見て、お雪は不気味さを感じるほどに美しい笑みで、羚に打ち返す。
「貴方が私と同じか少し上くらいの権力を持てる子だから」
ハッキリと言って見せる。お雪は、羚に目を合わせる。それは見下すような素振りではない。対等で、且つ、公的人物が成る目。
「僕は僕が何者かまだわかりません。それを含めて、貴女から説明が欲しい。貴女は何者? どうして、幕府や貴女達は僕達を知っていたの?」
ずるりと裂けた腹から内臓が漏れ出すように、本音が漏れ出していく。その言葉には恐怖を含んでいた。無知を知らしめられるということは、恐怖感を植え付けられるということだ。
お雪が笑った。作戦通りというような、そんな嫌な笑みだった。
「名乗り直しましょう。私は『時の世』に存在する帝政国家
一つ置いて、お雪はまた謳った。
「貴方はこの『欲の世』の
お雪はティーカップを床に叩きつける。割れた破片がふわりと浮かんだ。それはお雪の挙動に応答するように、その動きを変える。
「『王』、唯一の帝王と呼ばれた『無常王』に始まった、最も肉体として有益な年齢で体の時間を止めた完璧な不老不死に、比類なき魔力と生命力、好戦的本能を持った、どんな種族にも、どんな神器にも劣らぬ最高の兵器」
お雪がそこまで語ると、浮いていた破片が一枚、羚の顔に向いた。ハッキリとした殺意を、幼いながらに感じた時、既に、鋭い一枚が、羚の首筋に届いていた。羚は本能的に、愛を突き飛ばし、自分の傍から離す。
――――ガリッ
羚の細い首筋の、硬い筋肉繊維が切れる音がした。
愛の目の前に、赤いものが降りかかる。それは先程まで手を介して感じていた、心音と共に、その挙動に合わせて、勢いを変える。
羚は愛に、自分の穢れモノをかけんとしたが、それは悲しくも叶わない。必死に首を抑えるが、血液は永遠に出続けるようだった。焼ける様な痛みを永遠に、脳に感じ続ける。
「さあ! 治してごらんなさい! 貴方は『月読の王』! 大宮一族と肩を並べる稲荷山から生まれた王なのだから!」
お雪の戯言に、耳を傾ける様などなかった。息がしづらくなっていく。意識が虚空の彼方に奪われていく。羚は、暗転する目の中に、今日の朝まで見ていた、あの夢を浮かべた。
あぁ、あの夢も、こんな血だらけの木造建築だった。神社の中のように静寂だった。今ここには死体は無いけれど、自分がその糧になりそうだ。
焦点を自分の妄想に合わせていたからだろうか、一人、少年が浮かんだ。名も分からぬ、あの黒い少年だ。今思えば、何処かその暗い雰囲気に、想夜の面影をちらつかせる。
幻影の少年が、こちらを振り返る。縋る絵も無いからか、その血のように深い赤の目で羚を見た。ひたりと素足で羚の傍に来ると、蹲る羚の頭を撫でる。
「その体を捨てろ」
一言、少年は言った。
「お前の体はお前のものじゃない。幾らでも、無限に、枯渇しない資源だ。お前がそうであることを、俺達が許す」
羚の頭を撫で続けて、少年はまた続ける。
「俺達は祝福しよう。お前が王という、孤独な存在になって、無間地獄を歩むことを。俺は願おう。お前がいつか、真に求める存在を諦めて、死んでいくことを」
少年は、スッと指先を羚の心臓の部分に動かす。
「それまでは、お前が諦めるまでは、幸運を。祝福を。呪いを。恨みを。痛みを。その体に、永久の生命を」
どちゅん、と、ちゃちな肉の音がして、少年が、自分の心臓を抉りだしているのだと、羚は理解出来た。
「一夜君」
君も、諦めないでね。
痛みが消えて、自分の体を捨てる直前、少年に、羚はそう呟いた。暗闇が、更に黒で塗り潰された。僅かな光を探すのに、体感で、二日くらいに思える。だが、自分の瞼の先に、暖かな光を見て、羚は目を覚ます勇気を持った。
薄っすらと目を開けると、そこには、赤く濡れた愛が、自分の傍に寄り添っている。そして、白銀の長髪を床の血で濡らす、お雪もまた、畳に倒れる羚の頬を撫でる。その手の温度は、酷く冷たかった。
「ごめんなさい。こんなに再生が遅いとは思わなかった」
羚はお雪の言葉を聞き取ろうと、上半身を起こす。
「羚、大丈夫なの?」
愛が心配そうに、見つめてくる。それでも羚はいつものように、今朝、鼻血で血だらけになった時のように、へらっと笑う。
「大丈夫だよ、ほら、傷も無いでしょ?」
自分で触れたわけでもないが、自分の体に、もう何も傷が無いのだと、自覚はあった。痛みも無ければ違和感もない。これは自分の体だった。
「……やはり、覚醒段階によって回復力は違うのか……」
分析するように、お雪が唸る。その言葉に、キッと愛は精一杯の威嚇を飛ばした。
「もう! 意味の分からないことを言わないで! 羚を怪我させて! 何よ! 何が兵器よ! ふろーふし? 知らないわよ! これ以上羚を傷つけないで!」
珍しい愛の激情に、羚も目を丸くする。お雪はそれも無視して、羚の傷があった場所に手を触れた。
「ちょっと!」
愛がその手を叩き落とす。
「ふむ、血液は通っていますね」
研究口調で、愛を無視して、お雪は続けていた。羚はぽかんとして、血だらけになった愛の顔を、自分の服の裾で拭う。泣きそうな愛の顔をへらと笑って、大丈夫、大丈夫、と唱え続ける。いよいよ自分が人間ではない自覚が、ゆっくりと、遅れてやってくる。
「皇女様! 皇女様!」
突然、襖の向こうから、一人の女性の声がした。
「何、カリンパ」
興味のなさそうな声色で、その女性に襖越しに唱える。襖の向こうの女性は、少し戸惑ったような呻きを出しつつ、要件を流し込んだ。
「幕府軍が出陣を始めました! 皇女様も出陣の要請が出ております! 四番隊も全員回収しております! 存分に力を奮うようにと、陛下が仰せです!」
はあっと、お雪は深いため息をついて、襖を開けた。その向こうに見えたのは、少し驚いたような顔をする、獣耳を持った長身の白い女性である。彼女はお雪と似た青い瞳を丸くして、血だらけの幼子二人を見た。
「カリンパ、片付けておいて。貴女は今日は出なくて良いわ」
立ち去ろうとするお雪を二度見して、カリンパと呼ばれた女性は、一度お雪を呼び止めた。
「皇女様! 今度は何をしでかしたんですか!」
「あぁ、二人を湯浴みさせてあげて。血だらけだし。あと、幕府軍の蝦夷藩に食事を頼んであるから、湯上りにはそっちにお願い。それまでに私もこちらを片付けるわ」
「皇女様! 待ってください! 色々説明お願いします!」
よろしくね、とだけ置いて、お雪は白く長い髪を揺らして廊下を歩く。カリンパは困ったような表情で、二人を見た。
「えぇ……と、この血、何……?」
狼狽える彼女に、羚は朗らかに笑った。
「僕の血」
更に困ったような表情をして、カリンパは重い溜息を吐いた。
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