第5章

 前年の秋頃から次第に体毛が濃くなりはじめた私は、この夏が近づくことを非常に恐れた。梅雨明けの時節前後になれば、学校で水泳の授業が始まることになる。それまでにはこの、腋と股間に生えはじめた縮れた毛に、早々に対処しなければならない。その手立てを一体どうするか。私は、悶々と頭を悩ませる日々が続いた。

 Kの股間に生い茂る陰毛を目撃したのは、私にとって決定的な打撃だった。彼の体毛が毟り取られる様を見て、自分自身のそれをこのまま放置していたら、きっと私もあのようにされる。私は、その予感に心底恐怖した。

 私はもう、自身にそういう『特徴』を持ってはいけない人間なのだ。私はこれ以上、その事実をもってこの者は『そういう人間』である、などと、私以外の他人に見られてしまうような何かを、自分自身にもはや何一つ付け加えてはならない。この世界の中で、私が自分自身を保っていられるためには、自分自身として『何もない人間』でいなければならない。小学校時代の経験以来、私はそう確信していた。

 にも関わらず、どうしてだか私には次々と、私自身の意に反して『そういう何か』が降りかかり、後から後から私に取り憑いてくるように思えた。なぜ、自分にはこんなにも変わるがわる、余計なものがくっついてくるのか。なぜ、それがよりにもよってこの自分なのか。私は、そのような私自身の宿命(と、私はそのように信じ込んでいた)を、いつも本心から呪っていたものだった。


 私とよくアニメ番組の話に興じていたクラスメイトのYも、かなり体毛の濃い生徒だった。聞けばどうやら小学校時代からそうであったらしい。その中二の春の健康診断でも、上半身裸になったときに露わになった、その背中一面にごわごわと生えた産毛をクラスメイトたちにからかわれていた。それに対して、俺の背中ジャングルだから、などと卑屈にさえ思える笑い顔をして、彼はおどけてみせていた。それを見て、私にはとても彼のように、自虐でかわせるほどの余裕は持てない、と思った。(ちなみに私は当時、まだ腋の毛も数本伸びてきた程度であったので、その健康診断の際は、事前に毛抜きを使って対処する程度で済んでいた。その後急速に私の体毛は密度を増して成長していくことになった。全く、私にとって私自身の成長とは、迷惑である以外のものではなかった。)

 見回したところ、さしあたりこのクラスでは、私と同程度の状況にあると見受けられる生徒といえば、どうやらそのYとKの二人くらいであるようだった。よりにもよってこの二人の仲間入りをするとは。さすがにそれは私にとって受け入れ難いことだった。誰の目にも明らかに彼らと同じ立場にある者として見られてしまうような事態になることだけは、私としては何としても回避したかったし、絶対に回避しなければならないのだと、頑ななまでに強く心に感じた。


 次第に汗ばむ気候となり、水泳の授業が開始される頃合いが現実に近づくにつれ、私はいよいよ心理的に窮地に立たされた。そして私はある日、意を決して、母の鏡台の引出しから脱毛クリームを取り出して、風呂場に入った。

 私は、チューブからクリームを絞り出して手に取り、腋と股間にたっぷりと塗りつけた。白くねっとりしたクリームは、肌に塗りつけると一層ベトベトして、その感触が非常に気持ちが悪かった。

 説明書きの通りに数分そのままの状態で待ち、それからティッシュペーパーで丹念に拭い取ると、面白いように縮れた毛が全て除去できてしまった。思った以上の効果に私は、少し興奮をおぼえながら石鹸を泡立て、べたついた身体を洗い流した。

 しばらく経って、腋の方は何ともなかったのだが、次第に陰嚢の表面がチクチクと痛みだしてきた。何となく熱も持っているようだった。気にはなったが、しかし結局その日はそのまま放置し、私は家族に対しても素知らぬふりをして、残りのその日一日を過ごした。

 翌朝起きてみると、下着が茶色く汚れていた。私の下腹部は火がついたように熱く、ヒリヒリとした痛みを絶え間なく感じた。どうやら私の陰嚢は、かぶれて化膿してしまったようだった。

 私は、腹が痛い、と言ってその日学校を休み、母がパートに出るのを待って、爛れた陰嚢に化膿止めの軟膏を塗りたくった。触れるたびにビリッと電気が走るような鋭い痛みがあった。私は、落胆と後悔に涙を流しながら、夏掛けの毛布にくるまって寝た。


 それから数日間、私は連続して学校を休んだ。爛れも痛みも二日ほどで引いたが、気持ちの落ち込みはなかなか元には戻らなかった。

 小学六年のときに祖母がいなくなり、両親が居間の部屋で寝るようになって、私は一人の自室を持てることになった。その部屋で私は、その週が終わるまで、食事のときなどを除いてずっと布団に横になっていた。私は寝ながら、ただただボンヤリしていた。何も考えることができなかった。破綻だ、破綻だ。そればかり私は思っていた。

 あまりに長く寝ているので、週明けに母が仕事を休んで、私を近所の胃腸科医院に連れていった。もちろん私は、腹は本当のところ少しも痛くなかったのだが、精一杯の芝居をうって、医師の診察を受けた。

 初老の院長が私を寝台に横たわらせ、指で強く私の下腹部を押し込み、ここが痛むか?と訊ねた。痛い、と私は答えた。力いっぱい強く押しているのだから、痛いのは当然だった。すると院長は、カーテン越しに傍らにいる母に向かい、虫垂炎ですね、いわゆる盲腸です、と言った。今日、これから切りますか?すぐにできるけど、とまで言い出したので、私は慌てて起き上がり、ああでもそんなに痛くないです、とごまかした。そう?でも準備万端みたいじゃない?と、彼は私の下腹部でチクチクと目につきはじめていた短い毛について、暗に揶揄するように言った。私は、一番触れて欲しくないことを無神経に暴露した院長を心から憎く思い、ムッとして睨みつけた。彼はそれに対し、悪びれもせず肩をすくめただけだった。コイツもこんなヤツか。私は失望した。無論、別に彼に対して、何の希望も持っていたわけではなかったが。

 まだそれほど悪くなくても、予防で今のうちに切っちゃった方がいいんだけどなあ、まあしばらく薬で散らして様子を見ようか?と院長は言い、何とか私は、無実の手術の危機を免れた。それにしても、ろくにレントゲンも撮らずにいきなり手術が即決されてしまうとは、当時の無知だった私にとっても衝撃的なことで、それこそ本当に腹が痛くなりそうだった。


 翌日には学校に届け出をして、結局私は水泳の授業のみならず、その後の体育の授業そのものを丸々見学することになった。そこまで事が大きくなるのは私にも想定外だったが、しかしこの際、背に腹は代えられなかった。一見健康そうな(実際に健康なのだが)私の様子に、不審がる生徒も中にはいたが、そのたび私は少々媚びるように卑屈な笑みを浮かべて、盲腸だから、と言い訳をした。そう言われれば、誰も何も言い返してはこない。葵の紋所の印籠のごとく、その効力は絶大だった。それは私にとって思わぬ拾い物であり、起死回生の必殺技であるようにも思えた。

 そのまま一学期の終わりを迎え、学校は夏休みに入った。


(つづく)

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