7
携帯の着信音が鳴る。死んだようにベッドで寝ていた曜はようやく眼を覚ます。
携帯を確認する。ディスプレイには『
曜は額に手を当て、溜息を吐いた。そして、独り言を漏らす。
「こんな時に」
曜は電話に出た。寝起きに一番聞きたくない声を聞く。
『生きてるかーい?』
「電話に出てる時点でわかれ。何の用だよ」
相変わらずのほほんとした奴だ。曜は黎明が嫌いだった。
光墨黎明は高校の同級生で小学校時代からの幼馴染だ。背は曜よりほんの少し低く、くっきりとした目、少し長い髪が、左目を隠している。
性格は天然。能天気な男でありながら、妙に頭の切れる男でもある。だが、その事を知っている者は数少ない。元の性格が邪魔をしてなかなか周りは気付かないのだ。
何かにつけて曜と関わりを持っており、曜はそれを疎ましく思っている。
『いや、特に何も用はないよー』
いちいち語尾を伸ばすのか気に食わなかったが、我慢した。
「用がないならなんだよ。何の為に連絡してんだよ」
『君の様子が気になったんだよ。もしかして自殺する気かなぁーって』
口調はさほど変わらないが、言葉の雰囲気が変わった黎明に、曜はどきっとした。そして、あくまでも平静を装って返した。
「他人事みたいに言いやがって」
すると、黎明の口調が明らかに変わった。何時もとは違う、真剣な口調に。
『言っちゃ悪いけど結局他人事だろう? 誰も君の本当の気持ちを完全に理解することは出来ないし、綺麗事を言ったところで何の解決にもならない。所詮人は、他人に干渉するなんて不可能なんだよ』
曜は口を噤んだ。確かに黎明の言っていることは正しい。だからこそ曜はむかついた。まるで説教でもされている気分になった。
『でもだからこそ僕は心配してるんだよ。君の気持ちや様子がわからないからこそ、どうなっているのか心配なんだ。だからいつまでも塞ぎ込んでないで、外に……』
「とにかく、一人にしてくれ。もう俺に構うな」
そう言って半ば無理やり電話を切った。黎明は本気で心配してくれているのだろう。そう思うと、ほんの少し罪悪感が芽生えるが、それ以上に誰とも逢いたくないし、話したくもなかった。彼との会話を拒絶して得た、多少の解放感。曜はほんの少し顔が緩んだ。
玄関のチャイムが鳴る。解放感はすぐに消えた。大体誰なのか見当はついている。曜は起き上がって、ふらふらと階段を降り、玄関付近のチャイム用受話器へと向かうと、それを取った。
「はい」
『開けて』
曜の予想は当たった。
「わかった」
玄関のドアを開けると悠が目の前に立っている。
「何の用だよ」
「家の中を見せてほしいんだ」
「急だな」
「そりゃあ、あんなこと言われちゃね。やる気出さんと、君、自殺しちゃうし」
曜がもう一つ決意したこと。それは、二日以内に依頼が達成できなかった場合、曜が自殺をするという条件を付けたことだった。やるなら本気でやってほしいと、自分の命を賭けて契約をしたのだった。
まだ完全に全てを信じたわけではなかった為、これで責任は重くなり、もしかしたら彼も諦めるかもしれない。そう曜は安直に考えた。しかし、そう伝えた時、悠はにやりと笑みを見せて、いつものわざとらしい妙な口調に戻してこう言ったのだった。
「別にか、ま、わ、な、い、よ。俺をまだ、信用してないみたいだけど、俺がやることは、い、つ、も、ど、お、り、だ。絶対に君を死なせることは、ないよ」
そしてその後一旦家へ戻り、現在に至る。
渋々曜は悠を部屋へ上がらせた。
「良い家だね」
きょろきょろ辺りを見回しながら言う。
「他人の家を評論しに来たのかお前は」
「良いものに良いって言うことの何が悪いんだい?」
真顔で悠に言われ、照れくさくなった曜はそっぽを向く。
「……父さんの設計した家なんだよ」
「建築家なのか」
「だった、だ」
「そう言うなって。また逢える機会を得てるんだから」
逢える、ね……。果たして本当なのだろうか。曜は考える。霊になった両親に逢える。そんな話を一体誰が信じるのか。しかし、だからこそなのだ。どんなペテンでも、それが希望に見えてしまう。死んだ両親に逢わせてほしいなどという、突拍子の無い依頼ができてしまう。流されながらも掴もうとする藁は、小さな一つの希望なのだ。
だが、自分でもおかしいと思う。例えば、老人でそれらしい服装をしている人ならば、まだ騙しようがある。しかし、曜と同じ今時の若者で、それらしき雰囲気も何もない少年が、本当に死んだ人間に逢わせられると思い、こんな依頼をするのは、魔が差したとしか思えない。
そうやって落ち着いて考えてみると、また新たな疑問が浮かんできた。
逢わせる具体的な方法だ。
悠はどんな方法で両親に逢わせるつもりなのだろうか。イタコであるなら、その場で口寄せの準備をすればいいだろうし、ましてや、お札や水晶など、素人の想像でしかないが、それらしき道具を持っている様子もない。ならば悠は、どうするつもりなのだろうか。
そんなことを考えていると、悠は立ち止まり、後ろからついていた曜は、その背中にぶつかってしまう。「おい」と曜の漏らした不満を悠は無視し、ジーンズの右ポケットから小さな袋を取り出す。
「お、おい。何する気だよ」
質問に答えず、悠は包帯の巻いた手で袋の赤い紐を解き、中から白い粉を取り出したかと思うと、いきなりフローリングの床にまいた。
「! いきなり何を」
「いいから」
悠はきょろきょろと周りを見回す。電灯のスイッチを見つけるとすぐさま歩み寄り、電源を切った。
曜は絶句した。白い粉が所々青白く光りだしたのだ。悠は白い粉を手でまんべんなく広げ、じっと青白く光った粉を観察している。
「何だよこれ……」
「
真面目な口調の悠の言葉が、曜の頭の中のネジを一本ずつ外してゆく。常識が通用せず、新しい事実が頭の中を暴れまわり、パンクさせようとする。曜は今そんな状況だった。そんな中、悠は床の霊痕を指さし、言った。
「多分、これが君の母さんの痕跡だよ」
曜はひとまず思考を止め、すぐさま青白い光を見る。
二つの一か所にまとまった光は、一部一部途切れてはいるが、おおよそでは小さな塊から細長い棒が五つ生えたような形ということがわかり、それを左右の手形と理解するのに時間が掛かった。これが自分の母親のものなのか? その疑問が浮かぶ。
「他も見てみよう」
そう言って悠はまた粉をまく。手の痕の近くから、今度ははっきりと足の形とわかる霊痕が出た。どうやら両手で身体を起こし、立ち上がった時のもののようだ。
「立ち上がって……何処へ行った?」
そう言いながら悠は床を模索する。真剣な顔で。傍から見れば、確かに警察の鑑識のやる捜査に見えるだろうと、曜は思った。
霊痕というものは、どうやら足跡となって何処かへ続いているようだ。足跡はリビングを歩き、そのまま玄関方面のドアへ。
「外に出たみたいだな」
真顔で悠は言った。外に出た? 曜は疑問をぶつける。
「外に出たって……魂は場所や物に固着するものじゃないのか?」
「はずれ。霊とかのオカルトの常識ではそんな解釈がされたりしているけど、それは間違い。まあ固着する奴もいるけど、霊も生きてる奴と同じように動いている」
悠は全く知らない話を、さも当たり前で誰でも知っている常識のように言う為、曜はまた苛立ったが、霊の常識を知らないのも確かなので、我慢して悠の話を聞くことにした。
「意外と霊も、現実世界に影響があるんだ。何かに固着するのも、現実世界への影響をもたらすのに、勝手の良い方法だからで、別にそうしなければならないという制約があるわけじゃない」
知ったことか。その言葉を曜は飲み込んだ。
そんなことはどうでもよかった。とにかく、両親に逢えればそれで良い。誰も霊の常識を享受してほしいなんて思っちゃいない。せめて、両親の霊に逢える知識をくれ。そんなことを思った。
悠はちらっと曜の顔を見て、口元に笑みを少し浮かべて言った。
「自分から訊いたのにな」
曜は視線を逸らし、溜息を吐く。どうやら顔に出てしまっていたらしい。
悠は特に機嫌を損ねず、また床に眼を移す。
「駄目だね。外に出てったみたいだから、外だと他の霊もいるし、君の母親の霊痕だけを特定するのは難しい。生きてる人と違って、指紋とかがあるわけじゃないし、これじゃ何処に行ったかわからない。何か君のお母さんが行きたそうな場所とかがわからないと、これ以上の追跡は無理」
そう言って悠はまた曜の顔を見る。曜は少し期待している悠に肩をすくめる。
「残念ながらわからない。予想もつかない」
悠は露骨に残念そうな顔をした。そして先程の曜と比べて、大きな溜息を吐く。
「まっそんな上手くいくとは思っちゃいないよ。少なくとも、こんな事ばっかだからな」
そう言って悠は笑う。まるで楽しんでるかのように。そんな悠を見て、また曜は苛立つ。どうやら、性格的に二人は合わないらしい。
次に二人は曜の父の書斎へと向かう。
扉を開けると綺麗になった、いつも見ていた父の書斎があった。奥の左右の隅には、細く高めに作られた、製図を入れるための箱があり、右が完成、左が未完成の製図に分けていた。右の壁側に長方形の大きなラックが置かれ、その上には私物の大型コンポが置かれ、ラックの一部には邦楽、洋楽、クラシックなどの幅広いジャンルのCDがいくつも立てかけてあった。
そんな風景を見ていると、一瞬のうちにまた曜の瞳に、父の首を吊った姿がリフレインした。部屋に入れず、顔を背ける曜を余所に、悠はずかずかと足を踏み入れる。曜も躊躇いながらも、意を決して身を進める。部屋の中ほどの、父親の首吊り遺体があった場所の床に、悠は早速霊氛粉をまく。
「おかしいな……何で光らない?」
悠はかなり広範囲にまいた。しかし、まったく光らない。
一体どういうことだろうと、悠はしばらく目を瞑り考える。曜は霊的な話で答えを出せる筈もなく、仕方なくただ霊氛粉をまかれた床を眺めていた。そうしていると、
「親父さんは……別の場所で死んだ?」
悠がさらりととんでもない事を言い出した。慌てて曜は問いただす。
「ちょ、ちょっと待て。別の場所ってどういう事だよ」
「そのままの意味。跡が出ないという事は、別の場所で死んだ君の親父さんを、此処に連れてきたってことさ」
「おいおい……まるで死んだ父さんがどこかから運ばれてきたような……」
曜はあることに気付いた。悠は頷き、真剣な眼差しで答える。
「そう……殺人の可能性が浮かび上がるんだ」
殺人。人為的に人を死なせる行為。
父さんが……? ちょっと待てよ……。
「死んだ人はね、確実に霊になった瞬間を残すんだ。……さっきみたいに」
彼の母の手足の霊痕の事を言っているのだろう。だが曜は霊の知識が全くない。要するに信用が無いのだ。実際に見た霊痕はたった一つだけなのだから。
「本当に他殺なのか」
曜は念を押すように訊く。しかし悠は真顔で言った。当たり前のように。
「百パーセントだね」
しばしの沈黙。やがて悠が言う。
「いや、まだ可能性はあるかな」
まさかの言葉に曜は急いで訊く。
「何だよ、その可能性って?」
悠はにやっと笑みを見せ、答えた。
「あらかじめ死んでいた、または自殺していた親父さんを、彼の死とは全く無関係な人が運んで此処に吊るしたって可能性とか」
その言葉に曜は落胆する。
「いずれにせよ、第三者は確実にいるね」
第三者。もし存在するのなら、一体誰が……。
本気で第三者の可能性を考え始めたことに気付いた曜は、ぶんぶんと首を振り、自分で自分の考えを否定する。
悠はただ床をじーっと眺めている。その顔には、先程とは比べ物にならない真剣みが表れていた。
「情報が必要だね。両親のこと、教えて」
「教えてって言われても……何を教えりゃいい?」
「何でもいいさ。何が好きだったとか、くだらないものでも構わない。情報があるなら何でもいい」
曜は考える。しかし、家族というのは盲目的になるのだろう。身近にいればいるほど、その人の事がわからなくなるのだ。
仕方が無く、曜は考え付かないと正直に悠に伝えた。
「まあしょうがない。少し休んだら? 何か思い出したらここに連絡して。俺の携帯番号」
そう言って悠は曜に紙を差し出す。
「とりあえず今日は帰るよ。あっ粉はほっといたら消えるから、軽く雑巾で拭き取ればオーケーだよ」
紙を渡した後、そう言い残して、悠はその場を去った。
曜は自室へ戻りまたベッドへダイブする。
そして、悠の言葉の意味を考える。
殺された。父さんも、もしかすれば母さんも……。
その言葉だけがぐるぐると脳の全ての道を巡って、考えるという行動を邪魔する。
駄目だ。やっぱり寝よう。それが一番良い。
瞼を閉じる。そして睡魔が自分を襲ってくるのを、ただただ待った。
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