第十五話 それぞれの始まり(1)

(さあて、こりゃ絞り甲斐があるねぇ……祥吾くん)


 模擬戦終了後、教官も他のイーロン達も階下へ下り、コントロールルームには里香だけが残っていた。

 回収用トレーラへ積み込まれようとしている2機のシェムカをモニター越しに眺めている里香は、今夜行われるであろう自宅での反省会(という名の精神的しごき)の中身に思いを巡らせていた。


(まぁ、あの娘も大したもんだけどね。私仕込みの近接戦闘に対応しちまうんだからさ……)


(とりあえず、あたしも様子を見ておくか)


 里香は自分も階下へ向かおうと、寄り掛かっていた壁から背中を離した時、手首に巻いたウェラブルフォンから着信のバイブレーションが伝わる。

 相手を確認した里香は、「ハイ!ハニー!どうしたの~?」と、声色を変え手首に吹き込む。電話の相手は英明だった。


「うん。うん。今? 祥吾の学校だよ。うん。祥吾から頼まれて届け物してたの。え~、そんな事ないよ。私は優しい母親なんだから~」


 里香の声色は、ボイスチェンジャーを使っているのか?と思えるほどの変容振りだった。

 これが、英明の前では通常運転の里香であったが、電話から伝わる不穏な雰囲気に、その目と声が里香本来の険しさへ戻っていた。


「え? なぜ? ……ん~、ハニーの言う事もわかるけどさ……それだけじゃ、根拠が薄いね……」


「で? その相手に見当は? ……うん、そうか……」


「司令には? うん、うん……ま、そう言うだろうね。私も同じ事言うと思うし」


「でも、ハニーがそこまで言うなら……うん、そうだねぇ、私と祥吾のだったら何とかなるかもね。」


「フル装備? ……いや、そんな事はわかってる。準備するって事はそういう事だからね。でもさ……本当にそんな可能性があるの? ……そうか……あぁ。わかったよ。当たってみる。」


「今更避難マニュアルは変えられないしね……イーロン達も居る以上、守る必要があるからね。何とかしてみる。ま、取り越し苦労だったら、司令に詫びればいいだけさ……」


「うん。わかった。そっちも気を付けて。愛してるよハニー」


 最後にお約束の台詞で締めくくった里香の顔は笑っていなかった。


(祥吾達に実弾入りのMPGで戦闘やれ、と果たして自分に言えるの……?)


 一部からは戦闘狂と言われている里香であっても、息子に対し(敵に弾を撃ち込んで殺せ)、と命令できるのか……?

 祥吾がMPG乗りを希望した時から、いずれは覚悟を決める時が来るだろう、と思ってはいたが、こんなにも早く、そして逃れられない状況へ向け、突然傾き始めるものなのか?……いや、こんなもんなんだろう。それでもやり切らなくちゃならない。本当にその時が来たとしたら……


 一瞬の逡巡の後、兵士特有の論理で割り切った里香は、知った先へ電話を掛けた。


「あたし。もう上がっちゃった? まだ? 良かった。悪い。今日も残業できる? ……そうか。助かる。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」


 電話の相手と小声で10分程話し込んだ後、里香は階下の格納庫へ向かった。


          ※ ※ ※


 午後5時15分。


 杏の張り手によってノックダウンされた祥吾は、格納庫へ戻る救護班の車中で意識が戻った。


「んん……?」


 祥吾は、まだ完全に意識が戻り切っていない様な表情で、自分が寝かされている室内をぐるっと見回す。そして上体を少し起こし、隅の方で俯きながらこちらの様子を窺っていた杏と目が合った。


「あれ……名嘉真?」


 祥吾から声を掛けられると、杏は一瞬目を逸らしたが、再度祥吾の方を向き、「大丈夫?」と申し訳なさそうに尋ねる。


「いや……俺は大丈夫、だと思うけど……名嘉真、気絶してたよな?」


「あ、そ、そう……直ぐ、気が付いたけど……」


 祥吾は「そうか」と答えると、起こしていた上体を再度横たえ、揺れている天井を見ながら、「ところで、なんで俺、寝てたか知ってる?」と、杏に尋ねる。


 今度こそ祥吾に顔を向けられなくなってしまった杏は、「よ、よくわからない、な……」「でも、判定は、引き分け……らしい」とだけ答え、話題を変えた後は、横を向いて黙ってしまった。


「引き分け、か……」


 そう呟いた祥吾もそれ以上喋る事はしなかった。

 車中には、少し気まずい空気と、タイヤの転がる音だけが滞留した。


      ※ ※ ※


 同時刻。名寄第一高校から北北東へ直線距離で約50㎞弱に位置する雄武港に、2隻の大型遠洋漁業船が入港しつつあった。


 ロシア船籍との報告を受けていたが、僚船のエンジンに問題が発生した為、修理の為一番近い港へ緊急入港したいと港の事務所へ連絡が入ったのが約20分前。

 無線を受けてから入港までの速さに驚いたが、先方の船長より、夜通し修理を行えば、明日の朝に出港できるだろうとの説明を受けた港の関係者は、稚内の入国管理局も既に閉まっている時刻であったという事もあり、大事は無いと考え、彼らの判断で今晩の一時寄港を許可した。


 現在においても、ロシアからの北方領土返還は実現出来ていなかったが、一般市民レベルにおいては、むしろ以前よりも交流が盛んとなり、まして同じ漁業にて生計を立てている者同士であれば協力を惜しむことは無かった。


 雄武港組合の長である柏崎は、そんな僚友を迎える気持ちで、入港して来る2隻を出迎えた。


(困ってる時はお互いさまだ。そうだ何か差し入れでもしてやるかな)


 そんな事を思いつくと、すぐさま自宅に電話を掛け、夕食の準備をしている妻に、夜食の手配を依頼したのだった。


 既に夕闇が濃く、加えて電話口でぶつぶつ文句を言っている妻をなだめる必要があった柏崎は、通常より数の多いアンテナ類や、デッキとほぼ同じ幅の直方体が鎮座している船体の装備に、違和感を覚える余裕は無かった……


          ※ ※ ※


 

 救護班の車輌が格納庫に到着すると、教官と保健室の担当医に迎えられた。

 

「体は?どこか具合が悪いところはあるか?」


 教官が二人の全身をチェックするように言う。


「私は大丈夫です」


「俺も大丈夫です」


 杏と祥吾が答えると、保健室の担当医から2、3確認なされ、何かあればすぐに連絡する様にアドバイスを受けた。


「とりあえず、今日の模擬戦については、明日コントロールルームで反省会を行う。いいか名嘉真?」


「はい。」


「弓野もだ。明日の5時限目を充てたいと思う。担当の先生には私から伝えておく。」


「えっと……それは5時限目の歴史の授業は出なくて良いって事ですか?」


「そうだ。模擬戦の反省会に出席してほしい」


「はい。問題ありません!」


 (では今日は解散して宜しい。)と最後に伝え、教官は足早に格納庫の奥へ消えていった。

 祥吾は教官が見えなくなったところで、小さくガッツポーズをした。その姿を見ていた杏は、少し迷ってから(なぜ喜んでいる?)と声を掛けようとしたが、既に祥吾の目線は、格納庫へ運び込まれる2機のシェムカに向けられてしまっていた。


 2機のダメージは、修理というより、このまま廃棄処分にしてしまった方が良いのでは、と思わせる有様だった。


「派手に壊しちまったな……」


 珍しく消沈した表情でシェムカを見ている祥吾に、杏は不思議そうに尋ねる。


「弓野は気にしてるの?」


 杏の問いかけに、「そりゃそう……」と答えようとした祥吾の視線の先に、結花と同じクラスのイーロン達が、同じく2機のシェムカを物珍しそうに見ている姿があった。その姿に言いようの無い違和感を覚えながらも、祥吾は杏に、「あ、ちょっとゴメン」と断りを入れ、イーロン達へ近づいた。


「あの……俺が借りたシェムカの担当は?」


 少しトーンを落とした声で祥吾が尋ねると、全員の顔がこちらへ振り向いた。

 そして、少し間があって大柄で少し太った少年が、「ぼ、僕だけど……」と構えるように、祥吾の前へ歩み出る。しかし、その目は少し潤んでいるように見えた。


「柿崎か……」


 その言葉に勇人が驚いた表情をする。「僕の名前、知ってるの?」

 今度は祥吾が少し怪訝な顔で、「当たり前だろ。高校3年間一緒だったんだぜ?」と答える。

 

「そ、そうだけど……」


 勇人は、また自分の至らなさを指摘されたように、小さく呟いたあと俯いてしまった。

 その様子に戸惑いながらも、祥吾はあらためて勇人の方を向いて深々と頭を下げた。


「ごめん。柿崎。お前の機体をこんなにしちまって。夢中で戦った結果ではあるけど、壊した事は事実だ。謝る。」


 言い終わった後も頭を上げない祥吾に、「い、い、いや、も、もういいよ……そ、そんなに、あ、謝らなくても……」と、勇人は怒るどころか、そわそわと目を泳がせながら、後ろに下がり始める。


 祥吾がそれでも、「いや、俺は……」と言いかけた時に、「気にしなくて大丈夫だよっ! 結花の兄貴ィ! 柿崎ってどん臭いからさぁ、結花の兄貴の方がよっぽど上手く動かせたじゃん? ぶっ壊れたこいつも本望だって!」と、祥吾と勇人に間に玲奈が割って入ってきた。


「な? 柿崎もそう思うだろ?」


 玲奈は勇人の方へ振り向きながら、その肩に手を回し、まるで不良が弱者へ絡むような態度で顔を近づける。

 

「お、織田さん……は、離れてよ。も、もうわかったから……」


 勇人は肩に回された玲奈の腕を払おうとしたが、玲奈はそれを許さず、そのまま祥吾に顔を向けて、「ねぇ、ねぇ、あたしと柿崎にさぁ、今からMPGの操り方教えてくれるってのはどお?」「あんた結構イケメンだし……教えてくれたら、あんたの言う事もきくからさ……」


 最後は、祥吾に顔を近づけ、誘惑するように囁いた玲奈は、畳みかけるように、「どお?」と、祥吾に迫る。


「は? ……い、いや、織田、そ……」「それは無理ね」


 流石に押されて焦り気味の祥吾を遮って、少し怒りを滲ませた声が響く。

 

「……なんでさ? 名嘉真」


 玲奈は祥吾の背後で自分の邪魔をする杏を醒めた目で見返す。「模擬戦とこれは関係ないじゃん?」と、重ねる玲奈に、杏は表情を変えず、「これから模擬戦の結果についてミーティングをするから」と答えた。


「え? でもそれ明日って……」


 杏へ振り向き、思わず言ってしまった祥吾は、自分を冷たく睨んでいる杏の目に少し圧倒され、そのまま口を噤むことになった。


「ふーん……ま、いっか。じゃ、明日にでもまた声かけるよ。じゃあねえ……」


 玲奈は祥吾にヒラヒラと手を振りながら、そのまま格納庫から出て行く途中、「ほらっ! 帰るよ、柿崎! 送ってけ!」と勇人に振り向きもせず言い放つ。

 勇人は「なんだよ、もう……」と文句を言いながらも、自分の荷物を慌てて抱え、玲奈の後を追った。


「はあ……なんか良くわかんなかったけど……ところで名嘉真……」

「こら祥吾おっ!!」


 祥吾の言葉に、杏が返事をしかけたタイミングを見計らうように、今度は格納庫内に怒鳴り声が響く。


「やべぇ……謝んなきゃならない人がもう一人いた……」


 まるで、親に悪戯が見つかった時のように、祥吾は肩をすぼめてその場に立ちすくんだ。


「祥吾っ! あんだけ壊すなっていったじゃねえかよ!」


 声の主は保だった。


「ごめん、保っちゃん……また壊した……」


 祥吾は消え入るような声で、保に謝罪する。

 トレーラに近づき、積まれたシェムカの姿をあらためて確認した保は、頭を抱えながら、「おいおいおい……これマジかよ……訓練でこんなんなったの今まで見た事ねえぞ。祥吾……これ、車に例えたら、廃車だよ、廃車!」と、シェムカの装甲に手を付く。


「新しいのに、交換って、できない……?」


「アホッ! ここにあんのは去年の暮れに入れ替えたばっかりなんだよ! このタイミングで、新しいの下さいなんて言えるかっ!」


「かといって、ぶっ壊れたところ全部アッセンブリ―で交換したら、新品と同じになっちまう……やっぱ修理するしかねぇか……ううう」


「あ、あの、すみませんでした」


「……う?」


 頭を抱えてジタバタしていた保が、あっけに取られた表情で杏へ振り返る。

 杏は、さき程の祥吾と同じように、慣れない感じではあったが、深々と頭を下げていた。


「い、いや、別にあんたに謝って貰いたくて言ったんじゃ……」


 ここに来てるイーロン達は、人を見下した様な態度の奴が多くていけ好かない。まして、あっちから謝るなんて聞いたことも無い。と、感じていた保は、頭を下げたままの杏に心底驚いていた。


「いえ。成り行きとは言え、私も相手の機体を破壊しました。こちらにも責任があります」


 そうきっぱり言い放った杏に、ポカンと口を開けたまま、何も言い返せなかった保だったが、急にバツが悪くなったのか、「も、もういいよ。頭上げてくれよ……ったく、調子狂うなぁ……」と頭を掻きながら、「これも仕事の内だからな。ま、頑張ってみるよ」と、多少気を遣ったような返事をした。


 しかし祥吾へは、「祥吾、これ貸しだからな。お前がうちに来たら、鶴きんのラーメンおごれよ?」、と言い放ち、何か反論しようとした祥吾を無視して、タブレット端末を片手にあらためて機体のチェックを始める。


「つってもお前らよー……死ぬか生きるかの戦闘じゃねえんだから、こんなんなるまで追い込むと、いつか大怪我するぜ……」「祥吾はどうでもいいけど、可愛い女の子が怪我するのは見たくねえしな」


 その保の台詞は、心配しているような、軽口のような、どちらとも取れる口調だったが、言うだけ言うと、他の整備士達と話を始めてしまった。


 祥吾はそんな保の様子を見ながら、「ふぅ……」と一つホッとしたようなため息を吐いて、杏へ「もう大丈夫みたいだから」と声をかける。姿勢を戻すタイミングが判らず、お辞儀したままだった杏は、ハッとして頭を上げ何か言いたそうに祥吾へ視線を向ける。


「可笑しかった……?」


「なにが?」


「いや……なんでも、ない……」


「でも一緒に謝ってくれて助かったぜ……俺一人じゃ、保っちゃんから、あの100倍くらい怒られそうだもんな」


「私は……弓野の真似をしただけ……」


「まあ、それでもさ。助かったよ。サンキュー」「じゃ、また明日な」


 そう言って格納庫の出口へ向け歩き出した祥吾だったが、「そうだ。さっき模擬戦のミーティングがどうのって言ってたろ? あれ明日の事だよな?」と、思い出したように杏へ振り返り尋ねる。


 尋ねられた杏は、一瞬床に目を落した後、祥吾の目を見て、「私は、明日のミーティングの前に、当事者同士で話しておいた方が、教官へも的確に答えられると考えたの」「だから、もしそれをするのであれば、今日しか時間が無い、と思って……」


 そこまで言うと、杏は、一旦目のやり場を2機のシェムカに求め、再度祥吾を見る。

 祥吾は、「そうか……その意見は正しいかもな」と同意したが、「でも、もう教室は使えないだろうし……今からミーティングやったら、帰るの遅くなるぞ。大丈夫なのか?」と、再度杏に尋ねる。


 「大丈夫」


 杏は短く答えると、人差し指を上へ上げ、「コントロールルームなら今から使えるし、模擬戦の様子も記録してあるから……」と説明する。


 「ああ、そうか。成程……じゃあ、今から始めるか?」


 祥吾の承諾に杏は無言で頷き、「先に行って準備しておく」と残して、祥吾の傍らを通り過ぎる。そして、コントロールルームへの階段へ足を掛けようとした時、「名嘉真」と背後から声が掛かった。

 杏が振り向くと、祥吾が格納庫入口の自販機を指さして、「なんか飲む?」と聞いてきた。「おごるよ」と少し偉そうに笑顔で重ねた祥吾に、今日も少しだけ微笑み、「ありがとう。弓野と同じでいい」と答え、小走りに階段を駆け上がっていった。

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