第二話 世界情勢(1)と弓野家

 弓野家は北海道名寄市の中央を流れる、天塩川とJR宗谷本線の間に造成された宅地に居を構えていた。此処は、国主導のあるプロジェクトに協力する関係者にのみ国から貸与された居住区画であり、他地域の駐屯地や基地の一部においても、隣接した地区に同様のプロジェクト関係者が生活を営んでいた。


 名寄市所在の《自衛隊名寄駐屯地》は、最前線基地として機能していた冷戦時代から、北海道地区の一駐屯地という役割を経て、昨今の世界情勢から、再び防衛の最前線基地として最新の機動戦術兵器であるMPG(マシンド・パンツァー・グレネーダー)の1個中隊を中心とする機甲連隊が駐留し、基地関連と一般市民の生活は一定の線引きがあるものの、実質的には基地を中心に街全体が機能しているといっても過言ではなかった。


 また他の基地所在地でも、地域の運営はほぼ同様であったが、その裏には日を追うごとに緊張を増す外交情勢の影響があった。


 現在から約30年前に遡る2020年代初頭、開発途上の国々においていわゆる(人口爆発)が生じ始めた。


 これは先進国と比較して約100年後にようやく訪れた発展の兆しであり、各国共にこれを足掛かりにして、先進国と肩を並べるべく、多くの国々において様々な取り組みが行われた。


 しかし開発途上国においては、もともと一部の富裕層、政治家、王族など、支配層への利益を最優先としていた国々が多数派だった事もあり、人口が増え続けた一般市民の生活水準の向上に関する政策は蔑ろにされ、結果、慢性的な資源不足に陥っていった。


 そして市民の間には不満が鬱積し、やがて支配層への暴動にまで発展したのは、必然であった。


 各地で暴動が拡大するにつれ、自らの既得権の消失を恐れた一部の国の支配層達は、市民の怒りの矛先を近隣の開発途上国へ向けるべく、ろくな議論も交わさず策定された大規模なプロパガンダ政策によって、『地域の国々が手を取り合って皆で発展し先進国に追いつこう! その為の新たな連合を立ち上げよう!』と呼びかけ、『異を唱える者は我々の団結を恐れる奴らに与する敵である!』と、骨董無形とも言えるまやかしの理想論で市民を扇動していったのだった。


 しかし外交において、一部の欲に根差した底の浅い交渉が実を結ぶ筈もなく、業を煮やした支配者層は軍部をプロパガンダ政策の先導者に見立て、市民を徴兵し武力行使を念頭に置いた脅迫交渉へとシフトさせた。そして、偶発的、散発的な武力衝突を経て、最終的には交渉中の国々への宣戦布告、複数国間での紛争勃発という最悪の状況へと流れてしまう。更に仲裁に入った他の開発途上国をも巻き込み、戦火は急速に拡大してしまった。


 結果、戦争によって国家の予算と資産は食い尽くしたが、当事国の支配者層は自分たちの財産まで投げ打って戦争を継続する覚悟も信念も鼻から持ち合わせておらず、国家の資源と多数の国民を犠牲にし、何の実りも無いまま大儀の無い戦争は無条件・無期限の停戦という形で終結した。


 停戦後、先進各国は人道的な見地から、これらの国々へ支援を行った。

 特に日本は後のMPG開発の基礎となった《補助AIオペレーション型汎用作業ロボット》と、人為的操作によって秀でた人間を生み出し社会の発展に貢献させる《イーロンプロジェクト》の人材によって、戦災国の復興に大きく寄与した。

 しかし、皮肉な事にそれらの先進技術が仇となり、国家間の争いに新たな火種を撒く結果となってしまったのだった。

 

 以降、その火種は様々な化学反応を起こし、ジリジリと延焼しながら、日本を包囲していく事となる……


          ※ ※ ※


 弓野家の朝食は毎日静かに過ぎる。これは《食事中は無駄口厳禁。特に料理の感想は無し》と母親が決めたルールに則ったものだが、今朝は少し様子が違った。

 顔を洗い着替えが終わった祥吾が、ダイニングテーブルでおかずの焼き鮭(に似ているもの)を突いてると、いつもなら、祥吾より10分以上早く朝食を食べ始めている筈の結花が、今日は遅れて2階から下りてきた。


「結花遅い。遅刻する気か?」


「ごめん、お母さん。ちょっと支度に時間かかっちゃって……」


「あ? 支度ったって、いつもどお……」


 不満げに言いながらキッチンからダイニングテーブルに振り返った里香は、娘の恰好を見てちょっと言葉に詰まった。


「ねぇ、あんた、タイツ忘れてるよ」


 里香は片方の眉を少し上げながら、やや声のトーンを落とし抑揚を付けずに言う。

 リビングに入って来た結花の足にいつも履いている厚手の黒いタイツの姿は無く、家族の誰よりも白い素肌が短めのスカートから覗いていたからだった。


「え?い、いやぁ……忘れたんじゃなくて……えへへ」


 結花は母親の追及から逃れるように照れ隠しの返答をするが、里香は容赦ない。


「へえ。そうかぁ。結花も遂に誰かに見せたくなっちゃったかぁ。ふ~ん」


「そ、そんなんじゃないってば! お母さん!! ……た、ただの気分転換だから……」


 顔を真っ赤にして席に着く結花を、里香はニヤニヤしながら、「今日は男子達の視線を独り占めだねぇ。ああ羨ましいわぁ……風邪ひいて帰ってくるんじゃないよ!」と、からかう調子で言い放ちキッチンの方へ向き直った。


 しかし、向き直った表情に冷やかすような笑顔は何故か消え失せ、里香はただ寂し気な目で蛇口から流れる水を見つめ続けるだけだった……


「わ、わかってるよ……了解です!」

 

 もじもじとスカートの裾を直しながら、ちょっと睨んでみたが、こちらに背を向けたままじっと動かずにいる母親の姿に、結花も何かしら胸に詰まる思いがして、俯き加減に朝食を採りはじめた。


 しかし、少し乱暴にみそ汁を飲んでみても、結花の胸の詰まりは収まる様子が無く、無意識にすがる様な視線を正面に向けると、それまでそんな雰囲気も気にも留めない様子で焼き鮭にかぶりついていた祥吾が、場の様子を察したかのように、チラっと結花へ目を向けた後、「親父、まだ寝てんの?」と、背を向けてる母親に話題を振った。


 里香は一瞬虚を突かれたような顔で振り返ったが、直ぐにいつもの調子で、「お前たちを食わせる為に、山へ芝刈りに行ったよ」と返事をすると、祥吾は、「ったく、桃太郎かっての……こんな時間から天文台?」とあきれ顔で返す。


「ノリの悪い奴め」


「ノリ?もう食っちまったし。残念」


 目の前の繰り広げられるくだらない日常のやり取りに、少しは気が楽になったように感じ、気を取り直して焼き鮭に箸を付けた結花だったが、里香から「あ、結花。手伝ってほしい事があるから、学校が終わったら天文台に来て欲しいってお父さんからの伝言だよ。」と聞かされると、焼き鮭を食べようと開けた口が塞がらなくなってしまった。


「え? ……ええーーーーーーっ!! 無理無理無理無理! 今日は無理ーっ!!」


 両腕を前に突き出して、《今日は無理!》を盛大にアピールした結花だったが、


「なんで?今日そんなに重要な用事ってあったっけ?」

 

 里香は、全くもって不可解なり、といった表情で軽く返した。


「う、うんうん! あのさ、ほら……け、圭子! 圭子と、ちょっと学校行事のことで、放課後打ち合わせしようって……せ、先生も来るみたいだし……」


「ふーん、そっか。じゃ、お父さんに今日は行けないって、結花から連絡しておきな」


「あ、あたしから?」


「そ。お母さん基地に用事があって、今日はしばらく連絡できないし、結花から連絡した方がお父さんも喜ぶからさ」


「う……了解です……」


「で、祥吾は学校が終わったら格納庫に直行!」


「あれ? 今日は休みだろ?」


「予定変更。勝ち逃げは許さん」


「ひっでぇ。こっちにも予定ってもんが……」


「あ? 何か言ったか?」


「……りょーかいでーす」


 父親である弓野英明ゆみの ひであきへの連絡をどうしたものか……機械的に箸を動かしながら、納得させる妙案が浮かばず逡巡していた結花だったが、軽やかな電子音と共に、名寄地域のお知らせ画面がダイニングテーブル上に浮かび上がると、答えの出ない問題は一旦隅に置き、祥吾と共に目の前に浮かび上がっている文字を追いかけた。


「野良犬う? 野良犬に注意だってさ」


「1週間前くらいから頻繁に見かけるようになったんだって。お母さん知ってた?」


「いや、知らないねえ。誰か襲われたとかなの?」


「ううん。違うみたい。ただ、まだ一匹も捕まえられないんだって」


「雪で食いもんが見つからないだけだろ。ほっときゃいなくなるよ」


「ま、噛まれでもしたら面倒だし、見かけても近寄るんじゃないよ。特に祥吾」


「はい。わかりました。ちかよりません」


 祥吾の指先だけの敬礼と棒読みの台詞でこの話題が打ち切られると、父親への連絡の事、目下の大問題である明日の事で、結花の頭の中は再び一杯になった。 


           ※ ※ ※

 

 結花と祥吾の両親は、共に国家機関の仕事に携わっている。(母親の里香は《以前はどっぷり携わっていたが、今は時々》が正しい)

 里香は、女性初の自衛隊特殊作戦群隊員であり、退官時の階級は叩き上げでは異例の二等陸尉まで昇進した。

 また実働部隊の中隊長を務め、男性のレンジャー隊員も上回る戦闘能力と、それに相反する美麗幹部という事も加わり、様々な意味で自衛隊内では一目も二目も置かれる存在であった。


 加えて黎明期から積極的にMPGの開発に関わり、パイロットとしての才能も開花させ、その腕前は模擬戦の全国大会で優勝を収めたほどである。


 それらの経歴故、出産を機に退官しても、自衛隊側から訓練教官としての復帰要請が絶えなかったのだが、あくまでも家庭最優先を理由にその要請を断り続けてきた。


 しかし子供達が10歳になった頃から、急速に悪化していった国際情勢によって日本の置かれている状況の変化を鑑み、あくまでも非常勤という体でMPG及び体術格闘の訓練教官として復帰を決意したのだった。

 

 一方父親である弓野英明は、ノーベル物理学賞とノーベル化学賞を連続受賞した天才科学者として世界的にもかなり著名な人物であった。

 だが私的な研究が、自身の意向に反して外部に漏れたのが気に食わないと、いずれの賞も辞退。そして、それらの研究も中断してしまい、当時の政府を大いに慌てさせた経緯もある問題の多い科学者でもあった……


 日本政府は賞の辞退を受け入れた上で、英明に引き続き既存の量子学、遺伝子学、ロボット工学の研究を継続しするよう依頼した。

 加えて国主導のプロジェクトに参加するよう要請し、その見返りとして、”英明専用の研究施設と多額の予算提供、また、プロジェクト以外の私的な研究には、一切口を出さない”等の英明から提示された条件を飲むことによって、協力の了承を引き出したのだった。

 このような経緯もあり、信奉者も多いが一方で自由奔放な性格故、敵性国家への技術の横流しや、逆に暗殺の恐れもありとの見地から、様々な手間を要する偏屈な天才科学者であった。

 

 政府は国際情勢が自国にとって少しづつ望ましくない方向へ傾き始めた事をきっかけに、PKO派遣時に用いた(補助AIオペレーション型汎用作業ロボット)をベースにした、全く新しい戦術兵器の研究をスタートさせ、その開発に英明の協力を仰いだ。


 英明はその天賦の才を如何なく発揮し、驚異的なスピードで現行の第一世代MPGの基礎となる機体を造り上げたのだった。


 ただ、肝心の機体をテストする為の操縦者については、複雑な操安要素が必要となる為、「戦闘機パイロット」、「ヘリコプターパイロット」、「いやいや戦車操縦士が良いだろう」等議論が紛糾し、結果、少しでも素養が見込まれる人材を初期のテストパイロットとして数多く採用した。

 その初期メンバーの中に当時既に中隊長であった里香も含まれており、これが祥吾と結花の両親の出会いであった。


 もともと英明は兵器の開発にはあまり興味が無かった。故にMPGの開発にも乗り気ではなく、テスト機の段階から高い完成度を誇っていたにも関わらず、英明にとってその機体は妥協の塊から生み出された二流品であった。

 また、テストパイロット達にとっても、MPG構想に関して否定的な意見が主流だった事もあり、初期以降の開発は遅々として進まなかった。


 ところが、里香がテストパイロットとして加入した後、状況が一変する。

 それまでは中・近距離から、各種兵装を用いての攻撃を主戦術とし、戦車より優れた機動を生かした、素早いオールレンジ攻撃がMPGの利点とされていたが、里香はそれらに加え敵が同様のMPGを用いる事を想定し、超近接戦闘、有体に言えば人間の格闘術も盛り込むべきであると主張。英明ら開発チームの反対意見を無視し、テストにおいて幾度となく僚機との格闘戦を行った。


 当然、貴重なテスト機は里香が乗機する都度破損し、その度に開発チームと意見が衝突。最終的に英明の「あんたは脳みそまで筋肉で出来てるのか?」の捨て台詞に激昂し、里香は英明をぶん殴りテストパイロットを解任となってしまう。


 里香は今までの功績を考慮しお咎めなしでの原隊復帰となったが、引き継ぎが終了し現場を離れる朝、英明は改良したテスト機を持ち込み、「改良した。だがお前には乗りこなせんだろうがな」と里香を煽った。

 そして反発した里香に対し、「だったら証明して見せろ」と指示。

 これは単に英明と里香の負けず嫌いな性格がぶつかった事が主な原因であったが、急遽改良型と既存機の模擬戦を行い、3対1にも関わらず僅か10分で里香の操る改良型に軍配が上がってしまう結果となった。


 既存機と改良型の差は目を見張るものがあり、自分の思い通り以上に動く改良型に感激した里香は、降機後興奮のあまり英明に抱き着いてしまう。その事がきっかけとなり、あれだけ里香と衝突していた英明が、今度は一方的に里香へ好意を寄せ、度重なるアタックで里香が根負けし結婚を承諾した、という経緯があった。

 実際、当時の英明には女性に対しての免疫が備わっておらず、突発的なスキンシップに舞い上がってしまった事が原因だったらしい……


 里香に惚れてから、英明のMPG開発意欲は燃えに燃え、その力の入れ具合は、他国がようやくMPGの有用性を認め試作機の開発まで漕ぎつけた段階で、既に現行のMPG20式シェムカを完成させていた程であった。

 以降、自衛隊内ではシェムカを語る際(20式は二尉がいたから完成したようなもの)と、しばらくの間語り続けられたのだった……

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