第16話 些細で繊細なこと

 森を抜けて平原へと出る。今朝ほとんど人の姿が無かった野営地を幾らかの冒険者が活気で埋め、その中でもとりわけ存在を主張するものがあった。


 あの大口の龍である。正確に言えばそうであった物、切り分けられ縄で縛られ荷台で運ばれるその姿でさえもどこか雄々しさを感じさせる。それが幾台にも並べられ一段と周囲の興味を集めていた。


 こんな光景、普段であれば作りものや物語の中だけの専売特許であった。しかし現に動き、その様を間近で体感した俺にとってそれは最早過去の話である。


「さっきあんだけ一緒に居たんだから、今更珍しくもないだろ? 突っ立ってないでさっさと飯にしようぜ」


「いやまあそうなんだけど、こう改めて見てみると惹きつけられるところがあると言うか」


「あとで幾らでも惹かれてりゃいいさ。それより私の腹を満たす方が先だ先!」


 戦の花形がそうおっしゃるなら仕方がない。人一倍体を動かしたのだから興味が自然と食に移ってしまうものなのだろう。だが、もう少し感じる部分があっても良いのではないかとも思うが。


 活気を片隅に彼女を追いかける。すると、ズンズンと歩みを進めていたその足が止まり身を翻してこちらに戻ってくる。


「はは、やっぱり龍が気になったか」


「そんなわけあるかよ、 ほらこれだよ」


 両手を揃えて突き出される。そうだ手錠をすっかり忘れていた。


「あー、でももう必要ない気がするんだけど」


「お前が良くても私がダメなんだよ! いいからつけろ」


 手錠を掛けてくれとはまた変なことを言うものだ。俺としては逃げる素振りも見せないし、危惧していた寝首をかかれることも無さそうなので必要性を感じないのだが、そんなにこれが気に入ったのだろうか。


 そんなわけないだろうが、断る理由もないので言われたとおり手首に枷をつける。


「よし、じゃあ行こうか。なにか食べたいものとかある?」


「腹に入れば何だっていいよ」


「ならまずくても後で文句言うなよ」


 保険を掛けたところで車列の間を歩き出す。その途中、重いからと先に装備を返してから食事にすることにした。


「すみません、お借りしてた装備を返しにきました」


 すると声に反応するように荷台からタイスさんが姿を現した。


「おお、もう帰ってきたのか。丁度良かった、食事の支度をしていたところなんだ。食べていくといい。お腹すいてるだろ?」


「そんな悪いですよ。装備もお借りして食事までなんて」


「ははは、遠慮することはないよ。そうだな、かわりに初参加の感想でも聞かせてくれればいいさ」


 ここまで言われてしまうと無下に断るわけにいかない。それに、あわよくば魔術について教えて貰えるかもしれない。この機会を逃す手は無いが、問題は彼女である。


「て、言って貰ってるけど君はそれでいい?」


「多分、大丈夫だと思う」


「二人とも問題ないようだね。なら早速食事にしようか」


 『多分』という言葉が引っかかるが明らかな嫌悪感も見受けらない以上、素直に申し出を受ける。荷車の反対側に案内されると、既に数人の騎士が鍋を囲うようにして腰をおろしていた。その中に見知った顔も混ざっている。


「むさ苦しい連中ばかりで申し訳ないがテキトウに座ってくれ」


「むさ苦しくて悪かったですね。ミスイさんだったかな、さ座って座って」


「失礼します。えっと」


「紹介がまだだったね。グラッザだよろしく」


 この人は確か草原に着いた時に設営の号令をかけていた方だ。短く整えられた金髪に左の頬に小さな傷が一つ、年齢は30代くらいだろうかザイウスさんよりは少し若く見える。


 食事のときでも鎧は脱がないようで、お椀を受け取る際に談笑に混じってプレートのこすれる音がする。木製の椀には葉と根菜を刻んだと思われるものが浮いており、ゴロゴロと無造作に切られた肉から出た油が漂っている。


「それで、初めての龍狩りはどうだった?」


 配り終えたザイウスさんが隣に座るなり質問してきた。


「どうもこうもありませんでしたよ。龍には勿論、他の冒険者にも殺されかけましたし散々でしたよ」


 彼女の手錠を外しながらそう答える。


「ははは、結果としては生き残ったんだから戦果としては十分だろ。まあ今回は残念だったと思うけど、また狩にこればいいさ」


「いや、それが、倒しちゃったんですよ。彼女が」


 それを聞いたザイウスさんが思わず咽てしまったのを見て、やはり異常なことなのだと再確認する。咽ている彼に変わってグラッザさんが口を開いた。


「ミスイさん、あんまり大人をからかうもんじゃないよ。第一、君ならまだしもこんな少女にそんな芸当が務まるわけがないよ」


 そしらぬ顔でスープをすすっていた彼女がその言葉を聞いて椀越しに彼を睨み付けたのに気が付きすぐさまフォローに入る。


「私だってつくならもう少しましな嘘にしますよ。そうだ、観龍者の方に聞いて頂ければ本当だって分かるはずです」


「いやしかしなぁ」


 渋い顔をする彼を一層強く睨み付ける彼女に肝を冷やしていると、ザイウスさんが助け舟を出してくれた。


「んんっ、まあまあそんなに疑ってかかることもないさ。それが真実だとしたらもうじき龍が運ばれてくる、それに体格関係なく力の行使が可能なのが魔術の良いところだと君も知っているだろ? ミスイ君、その時彼女はどんな魔術を?」


「それが、私は戦闘に参加したかも怪しいもので、魔術を使ったのか分からないんです」


「ほら、隊長やっぱり嘘なんですよ。第一奴隷のしかも白髪の奴がそこまで」


 と、最後まで言い終わらないうちにいきなり彼女が立ち上がるなり一層強く彼を睨みつけ、先ほどまで談笑であふれていた騎士たちの視線を集めた。


「てめえ、今白髪がなんだとか」


「ちょ、ちょっと落ち着いて! すみません今座らせますんで!」


 しかし、制止も聞かずに彼女の手が腰の剣に伸びていく。すると静観していた周りの騎士たちも同様に剣に手をかけ、物々しい空気に一変していく。


「貴様、我々聖騎士に剣を向けるならば容赦せんぞ」


 周りの一人がそう告げると、立ち上がり剣を抜くものまで現れてしまった。


「おい、勘弁してくれ! いいから一旦剣から手を放して、な?」


 それでも彼女は忠告を聞こうとせずただグラッザさんを睨み据えている。食事の申し出を受け入れたことを後悔しつつ、嫌な汗で精神が蝕まれていく。


「皆、剣を納めるんだ」


 ザイウスさんが静かにそう告げる。すると先ほどまで殺気立っていた騎士たちがゆっくりと剣から手を放す。


「ミスイさん、部下の非礼を許してやってほしい。申し訳ない」


「隊長! 何もこんな奴らに」


 納得がいかないグラッザさんを手で下がるように促す。


「そんな、お詫びも何もこちらが先に吹っ掛けたわけですから。ほら、お前も一回落ち着いて!」


 すると、睨むのをやめ、ふーっと一息吐き剣から手を放した。


「はん、お前らはいつもそうなんだ」


 そう言い残すと席から離れてしまった。呆然とその後ろ姿を見ていると周りの視線が今度は俺に移っていることに気が付き、今すぐにでも逃げ出したくなる。


「さあ、この後も仕事があるんだ! みんな食事に戻ってくれ」


 またしてもザイウスさんの号令に助けられる。


「ザイウスさんグラッザさん! 申し訳ありませんでした!」


「いや、いいんだ。むきになったこちらも悪かったし、なあグラッザ?」


「え、ええまあ」


「そう言っていただけると助かります。そ、それじゃあ私もこれで」


 足早に彼女の後を追いかけようとするが、ザイウスさんに引き留められる。


「ああ、その前に確認したいんだが」


「は、はいなんでしょうか」


 振り返り彼に向き直ると、そこには鋭くこちらを見据える姿があり思わず死の一文字が頭をよぎる。


「本当に彼女が魔術を使う所を見聞きしていないんだね?」


 と、予想もしない質問に思わず面食らってしまう。


「あ、そう言えば、龍の時じゃないんですけど、リオードだとか何とか言ってたと思います」


 それを聞いて深く何かを考え込みはじめ、それからこちらを見るとそこにはまた柔和な顔が戻っていた。


「ありがとう、引き留めて悪かったね。それから彼女にも謝っておいてくれ」


「はい! それじゃあ失礼します」


 深く頭を下げると、彼女の歩いて行った方向に走っていく。

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