第2話 理不尽な出会い

 銀色の長い髪をダラリと垂らしながら、机の影に倒れている女。


 味気ない世界の割に、女性の造形は得意と見えて、自分の夢ながら良くできたものだと感心した。なにより日本人離れしたその顔は洋画のヒロインが飛び出してきたようではないか。


 だが、これが寝ているのかはたまた気を失っているのか、どちらにせよなかなかに異常な夢と見える。


 少々気恥ずかしいが確認のために顔に耳を近づけると、しっかりと寝息が聞こえその息が耳にかかるのも分かる。


 夢の中で人を起こすとは何だか矛盾しているように感じるが、このままではなにも進展が無さそうなのでここは思いきって声をかける。


「すみません、ちょっといいですか」

 

 果たして吉と出るか凶と出るか。すると彼女はふわっと大きくあくびをしながら起き上がり、これまた大きく伸びをする。しかし、俺が見えていないのか一瞥もくれずに椅子に座ると、開いた本を選び何事もなかったかのように読み始める。


 拍子抜けしまったがこちらから話かけずにいると、いつまでも読み続けてしまいそうな雰囲気である。なので机の正面に立つともう一度声をかけた。


「あの~、すみません」


 今度はどうだ。

 

 彼女はハッと俺を見ると固まってしまった。もう一度声をかけるか悩んでいると、急に彼女が口を開いた。

 

「あーーー!! すみません、起きていらしたんですね! 全然起きてこないものだから待ちくたびれちゃって、それで気が付いたら寝てしまいまして」


 そんなことなどどうでもよいのだが、聞いてもいないのに随分とおしゃべりな人である。だが、この人は俺がベッドで寝ていたのを知っていたようだ。とすると、もしや彼女が俺をここに連れ込んだという設定の夢なのか。


「その口振りですと、俺をここに連れてきたのはあなただと?」


「お暇そうでしたのでお呼びしちゃいました。もしかしてお忙しかったですか? そんなことないですよね」

 

 確かに暇ではあったが、いやにきっぱりと決めつけてくれるものだ。それに暇そうだったから人を拉致してきたなどと世迷言にもほどがある。流石に自分の想像とはいえ随分な物言いに頭に血が上るのを感じる。


 だが彼女が何を目的にしているか分からない上、どんな人物なのかも掴めていない状態で怒りに任せるのは良くない。それに自分の想像に当たり散らすのは妙を覚える。ここは努めて冷静に対処しなければならない。


「では早速ですが、あなたにこれから異世界、でいいのかな。に調査をしに行ってもらいます」


「いやはは、異世界なんて言いますけどもうこの状況が俺にとっては異世界そのものですし、そもそもこれって俺の夢ですよね?」


「夢? あははは! これはまたおめでたいと言うか、いいですねその能天気さ。でも、夢だとしたらこんなにハッキリした意識なんて持ちますでしょうか」


「ええまぁそれに関しては最初驚いたんですけど、そうは言っても俺はさっきまで自分の部屋で寝てたわけだし、こんな気味の悪い場所にどうやって連れてきたんだって整合性が取れないんで、まあ結論夢ですよ」


「そうやって自分の理解の範疇から外れたことから逃避してしまうの、分かります。私もあの時は最初夢かなにかかと思いましたもん。おっと、この話は関係ないですよね」


「なんかあなたと話してると本物の人間と話してる気分になりますよ。見れば見るほどリアルですし」


「そうでしょうそうでしょう。ほらこの髪の質感だって」


 彼女はおもむろに自分の頭に手をやると、長い髪をハラハラと撫でて見せる。


「まるで本物! ですよね」


「ほんとほんと、良くできてる」


 すると、読んでいた本を置いてゆっくりと立ち上がると、机の前まで回ってきてこちらの横についた。


「でもね、そろそろその夢から覚めて貰わないと困るんですよ」


「ああ、もうそんな時間になるのか」


 おどけて言ってみたが、先ほどまで明るかった彼女の顔が、まるで血の通っていない人形のように冷徹になり、少し心拍数が上がる。


「能天気も過ぎると命取りになりますよ。そんな調子じゃ向こうに行っても死なれるだけですし」


「向こう? 異世界とかいう」


「はぁ、まだ分からないんですか。夢って言ったってこうも一冊一冊精巧に再現されるものですか? 会話だってこんなにスラスラ出来るものでもないでしょ?」


 たしかに、言われてみれば机の木目だってハッキリしてるし、なによりスウッと鼻で呼吸をすると、しっかりとした臭いを感じる。


だが、これが現実となると、目の前にいるのは誘拐犯御本人となるわけで、段々と嫌な汗が背中を伝っていくのが分かる。


「はは、じゃあここがもし現実だとするなら、さっさと家に帰してくださいよ」


「んー、残念ですがそれは無理ですね。あなたには何としても旅だってもらいます」


「いやいや、そんなの困りますよ。第一そんな義理もないし」


 と、彼女が一歩間を詰めてきた。なんだと思っている内に、拳が腹に飛んでくるのが分かった時には遅かった。


「グウッ!」


 痛い、なんだこれは。やはり夢じゃあないのだろうか。


「情けない声出さないでくださいよ」


「な、なんてことするだ!」


「あまり感情的にならないでくださいよ。女の子には優しくしなさい、て教えられませんでしたか?」

 

 頭がおかしくなりそうだ。怒りのあまり言葉が出てこない。すると彼女が呆れたような顔をして、ふぅとため息をつく。よくもそんな態度が取れたものだ。


「事態を呑み込めていないようなので一から説明しますね。私はあなた方人間のいうところの女神にあたります、まあ概念的に当てはめているだけなのであんまり気にしないでください。ここまでよろしいですか?」


 良いわけがない。


「で本題になんですけど、現在観測している世界があるんです。そこがあまり良くない状況といいますか、その原因を調査してきてもらいます」


「冗談はよしてくれ! だいたいなんだって俺なんだ! こんなところに連れてきておいて、人をバカにするのもいい加減にしろ!」


「いえ、別にあなたである必要はないんです」


「じゃあ」


 と言い切る前に自称女神は続ける。


「そう、今回たまたまあなたが選ばれただけ、理由なんてなんでもいいじゃないですか。調査に行くのは確定事項なんですよ?」


「行かないと言ってるだろう! もううんざりだ、早く家に帰せ!」


 何が面白いのか、彼女はバカにしたようにクスクスと笑い、そのあとまた一つため息をいた。


「まだご理解いただけていないようですね」

 

 そのとき、いきなり首を掴まれると、その細い腕からは想像できないような力で床に押さえつけられた。


「あなたにはそもそも拒否権なんてないんですよ? どうあろうと異世界に行ってもらいます。選択肢は二つ、女神の加護を受けて旅立つか、最後まで抵抗して生身のままほうりだされるか、どうします?」


「ど、どうしますて......」


「気が変わらないうちに決めてくださいね。そうですね~あと十秒待ちましょう!」


 そう言うと直ぐにカウントを始める。まずい、ここは言う通りその女神の加護とやらに乗っかって従う振りをしておいた方がよさそうだ。


「い、行きます」


「んー? よく聞こえませんね」


「行きます、行かせてください!」


「はい! 私素直な男性は好きですよ。では早速こちらへ」


 言うやいなや、手をはなすと立ち上がり、俺が入ってきた扉へと歩き始める。くそ何だって言うんだ。こんな、こんな現実離れした状況が夢じゃないなら他に何がある。


 まあいいさ、どうせどこかに出口があるはず、隙をみて逃げ出すなり出来るだろう。今は黙って後を追う。


 彼女は扉の前で立ち止まり、どこからともなく鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込み扉を開けた。

 

 自分の目を疑った。なにせそこに先ほどの廊下はなく、机の上に一つ銀杯が置かれているだけのこじんまりとした部屋に変わっているからだ。


「これで分かりましたか? ここがあなたの妄想の産物ではないってことが」


 ゲロでも吐きそうな気分だ。呆気に取られていると、彼女は銀杯を手に取り、こちらに差し出した。


「さあどうぞ。一気に飲み干してくださいね」


 震える手で受け取り、中を見ると黒々としドロドロの液体で満たされている。これを飲めと言うのか、正気の沙汰ではない。


「飲み干さないと加護を受けられませんよ。それにせっかくこの日のために用意したんですから、無駄にしないでくださいね」


 彼女の凄みに負け、意を決してそれを口に注ぎ込んだ。なんだこれは、とにかく苦い。それに謎の生臭さまでする。形容しがたい不快感が胃をかけ上ってくるが必死に抑え、ドロドロを飲み干す。

 

 その瞬間、手に力が入らなくなり持っていた杯を落としてしまった。何を飲まされたのだ、毒か麻酔か。やがて全身の力が抜け足から崩れ地面に横たわる。


「さっき能天気を誉めましたけど、私そういう人って嫌いなんですよね」


 混濁の最中、不快感だけが体を巡り続けている。意識が途切れる前に女神の不気味な笑みが見えた。

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