ある奇妙なバイト
水上 佐紀
ある奇妙なバイト
あれ?こいつと何を話していたっけ。まあいいや。
「ははは、そうなんだ。それじゃあまた明日ね」
じゃあね。
昇降口でクラスメイトと別れ、靴を履く。この前買った、お気に入りの靴。
外に一歩踏み出すと、ヒュウウと乾いた音がして、北風が顔を打った。思わず目を閉じた。いつの間にこんなに寒くなったのだろう。リュックからマフラーを引っぱり出して首に巻く。
わっかを作って右から左、――ネットで見た結び方を試していると、
川上くん。
僕の名前が呼ばれた。
振り返った。声をかけたのはいつも仲良くしている先輩だ。
「こんちは」
ひとつ上の学年の先輩。なぜだかとても話しやすい。
いつものようにしばらく喋っていると、先輩が唐突に
そういえばきみ、バイトしたいって言ってたでしょ?
と言った。
「その話をしたときはこの靴が買いたかったんですよ」
僕は靴を指差した。「今は別に」
ああ、そうは聞いたけどさ。
「どうしてそんなことを聞いたんです?」僕は先輩に尋ねた。
私がおじさんのところでバイトしてるって話したじゃない。
はて、いつそんな話を。いや思い出した。確か、たまに単発のバイトをしているという話だった。
今度一緒に行きたいな、と思って。
まあいいかな。バイトはしたことがないし。何か楽しそうだ。
「いいですね。いつですか?」
やったあ。それじゃあ今週の土曜おじさんのところに行くから、空けておいてね。また連絡するから。じゃ。
先輩は自転車置き場へと歩いて行った。
約束の土曜日。先輩のおじさんに仕事の内容を聞いたが――なるほど、これはかなり簡単な仕事らしい。
簡潔に言うと、講演会に赴いてその話を聴くということだ。それも、学者のするような講演ではなくて、趣味で研究をやっている、平たく言えばアマチュアの人の講演会である。
なぜこんなことでお金がもらえるのか、とは思ったが、そんなことは僕が考えることではない。
超簡単な仕事だから、そんなに気負わなくても大丈夫だよ。
そう先輩に言われたので、「そうみたいですね」と返した。
この日は、書類にサインし、行くべき講演を教えてもらった。
バイト当日。先輩とターミナル駅で待ち合わせをして、二つ隣の駅から講演のある公民館へ向かう。
駅を出て、通りを渡り、北へ。オフィスビルの間を抜け、住宅街を歩く。
この辺りは来る? 先輩が言う。
少し顔を上げた。
「いや、来ないですね。基本的に住んでる市から出ないもので」
正面にこんもりと茂る林が見える。公民館はあの向こうだ。
「先輩はどうですか?」僕は先輩に聞き返した。
橋を渡る。川沿いにはサクラが植えられている。水際まで降りられるところもあるみたいだ。
私はねぇ、と先輩が喋り始める。初詣の時くらいかな。ほら、大きい神社あるじゃない。毎年家族であそこに行くの。
そういえば有名な神社があったな。正月にローカルテレビのニュースで取り上げられている。
しかし、初詣か。思い返せば、三が日は家にいるばかりで初詣にはもう何年も行っていない。これを先輩に言うとなぜだかとても驚かれ、林の間の道を抜け目的地に着くまでずっとこんな話をしていた。
はじめ、公民館の建物が分らなかった。確かに林を抜けたところにあったのだが、古びていて、人工物のはずなのに周囲に溶け込んでいたのだ。
公民館には背後の林の枝葉が覆いかぶさり、建物を林に飲み込もうとしている。
玄関(入口ではなく、玄関だ)に『古墳の変遷に見る古墳時代の力関係』との札がかかっている。これが今日聴きに来た講演。
中に入ってみると、そこにいたのはほんの五、六人。先輩によると、これでも多い方だという。
席について間もなく、講演が始まった。
内容は題の通り。全国に存在する古墳の形状、特に地元のものから大王の勢力の拡大を推測するものだった。
僕は人の話を聴くのが苦手なのだが、興味のある分野だったからか退屈せずにいられた。
そして気づいた。講師の目が燦然と輝いていることに。聴いているものからの問いかけのときには一層まぶしいことに。
そこでようやく、講演会に行くという、このバイトの意味もわかった。
講演会はこんな言葉で締めくくられた。
「最後まで聴いてくださってありがとうございます」
講演が終わって、川沿いを少し歩いていた。ずっと座っていると、体がだるい。
「なかなか面白かったですね。特に、ある時を境に古墳の形が変わって、そのとき外からの支配を受け始めたっていうのとか」
道を逸れ、ツツジの木の間から土手を川へ降りていく。涼しげな水音が近づく。
そう?私はあんまり詳しくないからよくわからなかったな。
先輩が顔だけふり向いて答えた。肩にかかっていた髪がするりと落ちる。
今回はこうだったけど、私がおもしろいと思ったのは科学系の講演の時だったんだけどさ、
先輩は先を進んでいく。足を出すごとに斜め掛けの赤いバッグが揺れる。
正直、おもしろいか面白くないかは関係ないよね。
石畳の場所に出た。川を挟んで同じようなところがあり、飛び石で行き来できる。頭上では葉の落ちた裸の枝がドームを作っている。
でもさ、雇われてるから一応ちゃんと聞かなきゃなって思って。このバイトってそういう目的でしょ。
それはそうだ。このバイトは、自分のことを見てほしい人のためのサービス――
ヒュゴウッ。突風が吹いた。先輩の上着の裾がはためく。
そういえば、先輩はなぜ僕をバイトに誘ったのだろう。行く理由はないと知っていたのに。
考えている間に、先輩は飛び石を渡っていた。星が書いてあるスニーカーで、石を蹴って。
僕の考えは巡る。バイトの金銭以外の目的? 何かをわからせようとしていた?
先輩はぴょん、ぴょんと跳んで行って、真ん中の飛び石の上で止まった。
ああそうか。先輩が僕をバイトに誘ったのは、
「自分も見られたい側の人間だからですか」
「あ、わかっちゃった?」
僕の反応を見て、先輩がいたずらっぽく笑う。
「そう。私も、そういう人間。ちょっとはこっちを見てほしいと思って」
「言ってくれれば直したのに」
先輩を追って飛び石を跳ぶ。
「言ってもきみ、聞かないじゃない。人のこと見ないから。気付かせないといけないっていうのは大変だよ」
そうか。僕は他人のことを見ていなかったのか。反省。
「だからね、ちょっと私のことを考えてくれたら嬉しいな」
先輩は、僕の顔を見て微笑んだ。そうだ、少しずつ慣らしていこう。
見ると、先輩の赤いバッグに、ネコのストラップがついている。
こういう所からだ。僕は一歩を踏み出す。もういつの間にとは言わない。
「そのストラップ可愛いですね」
「でしょう! お店で見つけたとき一目惚れしちゃったの」
帰りは、ずっとそんな話をしていた。
ある奇妙なバイト 水上 佐紀 @mystere
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます