捨てる神々

冷たき白炎

 燃え盛る真白の炎は、熱くもなければ冷たくもなかった。

 温度を持たない炎は、駆け抜ける白雪姫しらゆきひめの体を包み込み、五体を覆う。

 灼熱で以て敵を焼き、時に氷結で以て凍らせる凍てつく炎。もしくは、燃える氷を操る白雪姫の魔術の基盤は、奇しくも彼女が憧れを抱く女騎士、歴代純騎士じゅんきしの、三代目の秘術にまで遡る。

 初代が“黎明”、二代目が“慟哭”と謳われた中、三代目純騎士は“酷薄”と謳われた。

 騎士王国最強の女騎士、純騎士の基盤を作り上げた初代。

 初代によって作り上げられた期待に圧し潰され、悲痛な運命に翻弄された二代目。

 彼女達に続いて純騎士の名を継承した三代目は、何事においても淡泊で、全ての物事に対する興味と反応が、酷なくらいに薄かったとされる。

 故に、人々が畏怖と恐怖を抱くような怪物や霊体が相手だろうと、彼女はただ国を護るために戦う事が出来た。

 どれだけ恐ろしい相手だろうと、どれだけ恐ろしい猛毒を持ち、呪いを持っていようとも、彼女はただ国を護るための機能として戦い続けた。

 そんな彼女が操ったのが、毒も呪いも消し去る浄化の光。

 時に熱く。時に冷たく。時に鋭く。時に軟く。光は絶えず姿を変え、質を変え、熱量を変えて、あらゆる邪悪、害悪を打ち消し、滅却する浄化の魔術。

 三代目はこれに更なる性能と攻撃力、防御力を求めて改良と開発を繰り返し、燃える氷と凍てつく炎へと変転する魔術が誕生した。

 歴代純騎士に対する尊敬の念を尊重した宮廷魔術師より教えを受け、習得に至ったこの魔術の基盤は、大きな変容を遂げようとも、浄化という基盤から外れない。

 何より歴代純騎士に憧れを抱く白雪姫が習得したことで、純騎士のの字が意味する純粋、純情、純潔の三つをより色濃く体現し、浄化の力を強く発揮する結果となった。

 純粋で禍々しい魔力を操る屍女帝しじょていに対し、純粋なる浄化の魔力を操る白雪姫は魔力の質からして正反対の相性。

 まさしく屍女帝に対して繰り出された、天界の対抗手段と言っても過言ではなかった。

 炎は凍てつき、屍女帝の繰り出した断首の刃を受け付けない。浄化の力を秘めた炎が白銀の装甲と化して、白雪姫の五体にまとう。

 白銀の装甲に身を包んだ姿は、さながら騎士王国の歴史に名を刻まれた高名なる騎士の再現であり、“酷薄”と謳われた騎士の可能性イフ

 かの騎士が、もしも“酷薄”と呼ばれるまでの防衛機構でなく、人間としての防衛本能と感情に従って動き、戦い、護る人間だったならという可能性を体現した存在へと、彼女は成り代わった。

 彼女自身、その事に気付けていない。むしろ気付けていないからこそ、彼女は体現し得ているとさえ言える。

 聖剣の存在も、聖剣によって強化が掛かった魔術による新たな装甲も、今はまだ、彼女の意識からずっと離れた場所にある。

 常に意識は屍女帝へと、屍女帝の操る魔術、首を断つため飛んで来る刃へと向けられていた。

 剣を振り上げれば炎が昇り、意思一つで凍り付く。閉じ込められた刃はミリ単位ですら動かず、寒さに震える事すら許されない。

 屍女帝の本能に近しい部分が、白雪姫の魔術を初めて脅威と見定めた。

 生命でない魔力塊でさえ、活動を停止させられる凍てつく炎。燃え盛る氷。それらを受けて、生命が無事でいられるはずがない。

 帝国にて魔を極めんとした屍女帝に、騎士王国の女騎士に関する記録など知る由もない。三代目の秘術も、浄化の力も知らない彼女には、炎と氷という直接的脅威しかわからない。

 が、もっとも単純な部分だけは正当に理解していた。

 まともに受ければ終わる――そんな、当たり前の事だけを理解していた。

 故に屍女帝は必死になる。

 銃天使じゅうてんしの魔弾、龍巫女りゅうみこの体を借りる海神わだつみの弓矢をやり過ごしながら、走る炎の上を瞬時に氷結させて滑走する白雪姫の繰り出す剣撃、炎、氷を受けまいと魔力を展開し続けていた。

「この! 妾の断罪を受けよ! 受けよぉぉぉおおおっ!!!」

 今まで真っ直ぐ、直線状にしか伸びて来なかった断首刃ギロチンが、曲線を描く。

 本来変幻自在に動かし、伸ばせる刃を直線状にしか伸ばさなかった刃の本来の機能を見せたという事は、それだけ彼女が精神的にも、状況的にも追い詰められている証拠と言えよう。

 白雪姫の剣が描く軌道を走る炎が氷結し、襲い来る刃のすべてを凍らせる。

 すぐそこまで肉薄された屍女帝は堪らず自らに浮遊の魔術を施し、屍の尖塔を滑り落ちてから宙に舞い上がった。

「おのれ……! おのれおのれ、おのれ! 妾を誰と心得る!」

 放たれる魔弾を撃ち落としている間に、弓矢によって屍の塔が倒壊させられる。魔杖を振り上げた屍女帝の下へと、首なし兵から抜け出た魔力が収束した。

「妾は屍女帝! この地上を統べる魔導の王にして不死の王、骸皇帝がいこうてい陛下より魔導の教えを受けた者! 陛下の右腕にして、断罪の刃を揮う者ぞ! 妾の存在は、神の側近にして神々に仕える御子と同義と知れ!」

 収束させた魔力を、即座、天上へと解き放つ。

 星の空が裂け、現れ出た巨大な眼の中央に、太陽に匹敵する光と熱が発現しようとしていた。

「三柱の神も天界の天使も、陛下の前では有象無象なり! それでも三柱を崇拝するのなら、天界の天使を神の使途と宣うならば、妾がその罪を断罪す! 海上に浮かぶ信仰の都市諸共に、貴様らを消し去ってくれようぞ!!!」

 もはや滅悪種めつあくしゅによる精神汚染は、働いてなどいなかった。

 屍女帝は屍女帝として戦い、今の魔術を行使していた。

 だからこそ、冗談では済まされない。

 彼女が今発動している魔術はかつて、骸皇帝が作り上げた対大国魔術。厖大な魔力量を必要とするために使い手をこそ選ぶが、発動すれば、一撃で大国規模の生命を焼き払う滅却の魔術。

 それだけの質量を、屍女帝本来の性質で解き放つと言うのだから、正真正銘、海上都市国家を焼き滅ぼす一撃となろう。

「仰ぐがいい! 天より放たれる、破滅の灼熱――“神羅万象、灰燼、塵芥と還すオロイ・エピストレイフォゥン・スティン・テフラ”!!!」

 日の光をレンズで一点に収束させる事で、火を点けることが出来る。魔術は、それをずっと大規模にしたものと言えば簡単か。

 天に見開いた眼の眼前に収束、圧縮された陽光は、土、鉄、国を焼き滅ぼす灼熱と化して降り注ぐ。

 しかしこの一撃、この魔術を選んだ事は悪手であり、発現した時点で屍女帝の敗北はより濃厚な物となってしまった。

 彼女は忘却していた。怒りに身を震わすうち、失念していたという方が正しいか。

 自分が今の今まで誰を相手にしていたかを考えれば、を選ばなかったはずだと言うのに。

『囚われの姫君よ!』

「合わせて下さい!」

「俺が一時的に食い止める! その間にやれ!」

 天界の聖槍、“聖槍、神の袂より解き放ち魔星を刺し穿たんロンギヌス・ヴァルキュリオン”が地上から天より降り注ぐ視線を受け止める。

 その隙に炎に乗った白雪姫、浮遊の魔術を駆使する海神が、空高く舞い上がる。狙いは熱を放つ天の眼。

『我が存在は仮初なれど、海神たる我が解き放つ! 加護の弓矢よ、冷たき白炎を乗せて天を穿たん!!!』

「“真白の炎よ、永久の契りを交わせレフコ・イポゥスヒタイ・アイオニオティタ”――!!!」

 白雪姫の放つ炎を乗せて、矢が天を昇っていく。

 刹那、光が爆ぜて、天を覆うような巨大な眼が氷に変わり、放っていた閃光も凍り付いて、聖槍によって眼諸共に粉砕される。

 屍女帝はようやく己が繰り出した一手が悪手だった事に気付き、急ぎ断首刃ギロチンを展開した。

 が、それでも遅い。

 砕けた氷の破片が屍女帝へと降り注ぎ、炎に変わって屍女帝を焼く。刃が幾重も渦を巻き、伸びる勢いで炎を消し去ったが、白雪姫が肉薄するだけの充分な時間は稼いだ。

「“純白剥離氷結カサリ・レフキ・アリシダ”――」

 繰り出された突きを躱した屍女帝へと、白雪姫の後を追いかける氷雪が降り注ぐ。

 屍女帝の体に降り積もった直後、真白の炎へと変じて爆ぜる。冷たき炎が包み込み、全身の感覚を奪っていく中、浮遊の魔術を維持出来なくなった屍女帝は落ちていく。

 最後に余力を振り絞って、相打ち狙いで繰り出した断首刃ギロチンは、白雪姫を追いかけて伸びる途中で、屍女帝の意識の途絶と共に消え去った。

 そのまま地下へと落ちていく屍女帝を見送り、暗き闇の底にまで至ったところで見失う。

 追撃も考えたが、これ以上の戦線は自分達にとっても消耗が激しい。続投は不可能、と判断した。

「終わったな。お姫様」

「……はい」

「今の奴なら、さほど魔力も使わず仕留められる。俺が行って来るから、おまえは弓兵の娘と一緒にゾオンに戻ってな」

 結局、とどめは刺せなかった。

 未だ、命を止める事には抵抗が強い。

 抵抗がない事を良しとはし難く、命を止めるための戦いに繰り出していると理解しつつも、やはり一歩踏み出せない。

 踏み出す必要のない一歩であると言いたいところだが、仮にも王族の生まれであるならば、民を害する悪を断じるのもまた役目。

 その点だけで言えば、屍女帝は帝国を護る防衛機構として完璧とさえ言えた。

 三代目純騎士もまた、同じく優秀な防衛機能だった。が、同じ防衛機構では機能で勝る屍女帝に勝てはしなかっただろう。

 畏怖と恐怖を抱きながら、命を奪うことを躊躇いながらも、他国の民を思って戦った白雪姫という戦士だったからこそ、純騎士に列席する姫騎士だったからこそ、勝ち得た勝利であった。

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