白銀の聖剣・ディアボロシウス

 それは、地上にとって呪詛の類。

 存在は暗く深い湖の底。隠匿された聖遺物。

 地上に名を知らしめた聖剣、魔剣は数あれど、これほど無名の剣はなく、魔剣と謳われた聖剣はない。

 剣の名は、白銀の聖剣・ディアボロシウス。

 本来の所持者たる騎士より多くの担い手の腰に収まりながら、次々と不幸、不運へと貶めて呪い殺した呪いの魔剣として湖に封じられた。

 だが回収した熾天使してんし曰く、剣はやはり聖剣であり、呪われてもなかった。

 ただ、。剣自ら、持ち主を選んでいる。

 適さぬ者には過ぎたる力を求める愚かさを知らしめ、適した者には欲する力を与え給う。そんな、何とも上から目線で持ち主を計る剣だ。

 故に熾天使からしてみれば、高々聖遺物となっているだけの古い遺産の一つに過ぎぬ代物に対して、愛着まではいかずとも、一種の興味くらいは持ち合わせていた。

 かれこれ五〇〇年近くもの間、誰も受け入れず受け付けず、寄せ付けず、拒み、呪い殺すような真似をしてまでして新たな主を決めなかった剣は、自分を呪い殺すのか否か。

 自分さえも呪い殺して見せると言うのならそれはそれで面白かったし、自分の手に収まると言うのならそれまでの話。

 だったのだが、まさか自分を見限って、自ら新しい主を見定め、飛んで行くとは予想外。腹が立つような、また一つ小さな好奇心が芽生えたような、何とも複雑な感情が渦巻いた。

 単純な相性の問題か。それとも利害の一致か。いずれにせよ、意思を持つ剣に見限られたなど、久し振りに掻いた大恥だ。

「何がそこまで、あの娘を魅せたのだ……」

 自分の体に、剣が突き刺さっている。

 敵の攻撃。でも誰の――いや、この際そんなことはどうでも良くて。

 早く治癒。いや、止血が先。ダメだ、まったく頭が回らない。思考回路が定まらない。

 突き刺さった胸から跳ね返ってくる鼓動が、馬鹿でかく聞こえてくる。耳の奥から心の臓腑が飛び出して、全身の血管が表皮を突き破って出てきそうだ。

 不幸中の幸いと言うべきなのか、痛みはない。思考回路の定まらない頭が、痛覚を感じられないほどに麻痺しているからだ。

 痛い代わりに、体がひたすらに熱かった。いや、冷たかった。

 もはや熱いのか冷たいのかさえわからない。傷口が持った熱を感じ取っているのか、熱を失っていく血の気を感じ取っているのか、いずれにしても、両腕のない自分には剣を抜く事さえ出来ない。

 白雪姫しらゆきひめの命の炎が燃え尽き、氷が砕かれる。

 体感時間が延長された今この時間は、さながら吹き消される前の灯の一揺らぎか。もしくは粉砕者の現身を映す残影の見える刹那の一瞬か。

 どちらにしても、またはどちらでないにしても、白雪姫という少女の命がもう永くない事を本人に告げるには余りにも長く、絶望するには短い時間だった。

 このまま死ぬのかと、このまま誰の手によるものかともわかる事なく死んでしまうのかと覚悟――とは聞こえの良い諦めが脳裏を過ぎった時、白雪姫は生死の境にいた。

 実際に、そこが生死の境であるのかは当人にもわからない。

 だが彼女自身、今さっきまで剣の刺さっていた体に剣がなく、代わりに失ったはずの両腕が生えている状況で、不意に目の前に現れたそれと対峙している場所を差す言葉として、生死の境と言うのが一番妥当だと思っていた。

 では目の前のそれは、怪物にしか見えない何者かは、何と呼称するべきか。

 生と死の端境を行き来する死神か。もしくは天国と地獄、どちらに魂を向かわせるかを決める権利を持った天よりの使途か。

 禍々しいような神々しいような、異形と異質が同居しているような白衣の怪物は、怪しく口角を吊り上げた。

「死ねと叫んで死んでいく。殺すと喚いて殺される。死は取り返しのつかない最期なれど、死んでしまえば皆同じ……地獄を見るのは殺戮者、生者であると知りながら、命を狩る者希少なり。命の貴さ歌いつつ、命の重さを知る者も、また希少なり……」

 歌のようにスラスラと、怪物は祝詞の如く捧ぐように紡ぐ。

 果たして一周回った問いかけなのか、ただの独り言なのか、白雪姫には断定出来なかった。

「命の重さを知らぬ者よ。命の貴さを知らぬ者よ。汝に命の重さを量る天秤を持つ意思はあるか。命の重さを知るか。貴さを知るか。知った上で尚、命を狩り取る覚悟はあるか」

 今度は問いかけだ。迷う必要はなかった。

 だが今度は、問いかけの答え自体に迷わされる。

 世間知らずの檻入り娘が、急に戦場へ駆り出されただけでも異質だと言うのに、命の重さも貴さも、そんなに急に知れるはずもない。

 故に使途は問うたのだ。急に知れる覚悟はあるか。意思はあるか。あるならば尊重し、無いならば捨てる。それだけの事だ。

 だが白雪姫に、そこまでの深い考察は出来ていない。

 命の重さ、貴さと訊かれて、頭を過ぎった海上都市の現在の光景と、元凶たる屍の女帝の歪み切った笑顔ばかりが再生されている。

 結果、彼女は選んだのだった。

「命の重さも貴さも、この胸にしかと刻みましょう。そのために今、倒さねばならない人がいます。多くの命を滅ぼさんとする災厄があります。今これを退け、多くの貴い命が救えると言うのなら、貴方の言う天秤をも掴みましょう。私に、生きる力を与えて下さい! このまま死んでは、私の命の価値が見出せない!」

「命の価値? では汝のそれより低い価値を捨てるか。高い価値を救うか」

「命に価値に序列なく、値札もなければ血筋もない! ただ私も、貴方の言う貴い命の一つになりたいがために! 自分の命もまた貴い物だったと、誇って胸を張れるようになるために!」

 怪物はまだ、口の端を吊り上げて笑う。

 不格好に並んだ臼のような白く巨大な歯が見えて、血生臭い口臭が鼻を突いて来た。

「なればなってみせよ、貴い命に。見出してみせよ、貴い命を。殺して殺して殺し続けて、己の命が如何なる価値か、見出してみることだ――くかっ、くかかかかかかかかかきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!!」

 白雪姫は目を覚ます。

 前のめりに倒れかけていたはずの体は真っ直ぐに立ち尽くし、体には傷の一つもない。

 両腕は健在。両脚も健在。両目も、耳も、代償として支払った物はない。

 強いて支払った代償はと言えば、彼女は呪いの魔剣と呼ばれた白銀の聖剣に呪われた。失くしてしまった剣の代わりに、自分を貫いた白銀の聖剣が、腰にぶら下がっていたのだった。

 ゆっくりと、剣を抜いてみる。

 真っ直ぐと伸びた真白の直剣。鏡のように映し出される白雪姫の姿は、白い絵の具を上から塗りたくられたかのように白く見える。

 その姿が見えた時、聖剣の名が脳裏を過ぎった。同時、どのような性質の剣なのかもわかったが――関係ない。

 自分はまだ生きている。

 自分はまだ戦える。

 自分はまだ立ち向かえる。

 それだけわかっているのなら、まだ剣を振れるのならば、剣の性質など、自分が何に見初められたかなど関係ない。

 屍の塔が見える。屍の塔の上に、屍女帝しじょていが立ち尽くして見下ろしていた。

「貴様、腕を斬り飛ばしたはずだが……まぁ良い。次は確実に、その首斬り落としてやろう」

「次はもう譲りません。これ以上、この国の命を、取らせはしない!」

 強く叫んだ白雪姫を覆うように、青白く冷たい炎が燃え上がった。

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