信じる者は救われる
全知が神、知らぬが仏
三つの宗教が入り乱れる国である
店内のメニュー表にも一品一品事細かく材料が書き記してあり、宗教上の理由で食べられない食材があることを考慮しての工夫だ。
例えば
海神崇拝のアックアは魚全般食べてはならず、聖母崇拝のラピスラズリは母の象徴として牛を食べてはならないなど、三つの宗教信者が集うこの国の飲食店は、多くの点に配慮しなければならないから大変だ。
一つの団体を贔屓していると他の信者が潰しに来ることだってあるものだから、観光客相手の方が気が楽だったりもするわけで。
故に二人が入った店の店員も、特に食べ物にこだわらないとわかるとホッとした表情を見せたのが
「さぁさぁ食え食え。腹が減っては何とやらだ」
「何とやら、とは?」
「戦ができねぇって、おまえら地上の人間は言うんだろ? 俺達天使は空腹だろうがなんだろうが、頭を支配されてる間は戦わされるから縁遠い話だと思ってたが、今となっちゃあよぉく、わかぁうを」
ゾオンが崇拝する空に生きる神の眷属、界人。それに最も近しい天使がなんの躊躇いもなく鶏肉を食べている光景は、さぞ衝撃的なことだろう。それこそゾオンの信者などいれば、その場で卒倒していたかもしれない。
周囲の空気を察して、白雪姫が代わりに訊く。
「鶏肉はその……抵抗とかないのですか?」
よくぞ訊いてくれた、と周囲が頷いた気すらした。
「んあ? 抵抗も何も、天使は鶏肉が主食だぜ。草木も
なるほど、それもそうだ。白雪姫は納得してしまった。
よくよく考えれば、天界は空にあるのだから当然と言えば当然のことだし、疑問に感じる方がおかしいことなのだが、この国に入って先に知ったゾオンの宗教観が先入観を生んでしまったのだろう。
「あいつらが勝手に作ってる教えだからな。まぁ気にするな。拝みたきゃあ拝めばいい。この国が三つの宗教に分かれてるみたいに、それぞれ信じる者があるってだけの話さ」
「そういう、ものなのですね」
「そういうもんさ。あ、それともおまえも何かしらの信者だったか?」
「い、いえ……その、この国では大変申し上げにくいのですが、監禁生活の中で神様に祈ったことは何度もありながら、特定の神様に祈っていたわけではないので……」
「なるほど。捨てる神あれば拾う神あり、ってわけか。まぁそりゃ、助けてくれるんならどんな神様だろうと拝むわな」
素直には頷けなかった。
無神論者というわけではないが、かといって特定の神様を信じているわけでもないし、さらに言えば神様なんて存在を、もう信じられなくなってしまったからだ。
銃天使の言う通り、助けてくれるのならどんな神様でもよかった。さらに言えば、神様ですらなくたってよかった。救いの手を差し伸べてくれるなら、悪魔とだって契約したっていいと思っていた時期だってある。
だが悪魔も神様もやってこない。奇跡は起きず、幸運にも恵まれず、励ましの言葉すら、神様は掛けて下さらなかった。
強いて言うのなら、この戦争の参加資格を得たことを夢の中で告げてきた声の主が神なのかもしれないが、檻から戦場に出されても助けてくれたと思うのは難しい。
さらに今、目の前に天界の天使がいる状況では、あの声も天界の天使のものなのだろうなと思ってしまうのは、もはや必定だった。
神様なんかよりも、今目の前に広がっている色彩豊かな香ばしい匂いを放つ料理の数々の方が、神々しく思える。
七歳から十一年の監禁生活。テーブルを占領しているのは、どれも名前も知らない料理ばかり。そのすべてが美味しそうに見えるのだから、これこそ奇跡だ。
「なんだ。苦手なものでもあったか?」
見入るあまり、まったく手を付けていなかったことに言われて気付く。
銃天使の真似をして、おそるおそる手に取った鶏肉に歯を立てた白雪姫は、言葉を失った。何も言えなかった。
噛んだ部分から流れ出る肉汁が口の中を満たし、表面についた香辛料の辛味が舌を刺激する。皮のパリパリとした食感と肉の柔らかな食感が楽しく、ずっと噛んでいられそう。
美味。美味。美味。
七歳まで食べていた食事のことなど、十一年の監禁生活にすべて掻き消されたしまったし、ましてや他国の食べ物など初めてなので、感動が込み上げてきた。
「美味いか」
「……ふぁい」
「そいつぁ、よかった。そら、どんどん食え!」
勧められるがままに食べ続ける。
気付けば銃天使と一緒に、店のメニューを片っ端から頼んで食べ尽くしていた。このとき初めて、白雪姫は自身が実はかなりの大食いであったことを知ったのだった。
「はっはっは! 見たかあの店主の顔! あの体のどこに入るんだって、おまえのことガン見してたぜ?!」
「も、もう・・・・・・恥ずかしいから蒸し返さないでください・・・・・・」
一国の王女が、もう何日もまともな食事を食べていなかったと言わんばかりに、食卓に並んだ料理を片っ端から皿だけにしていたなどと、恥ずかしくて言えたものじゃない。
何年も監禁されていたので感覚は大分鈍っていると思うが、その様は間違いなく品性の欠片もなかっただろうことはわかる。
自国の王族が皆そのような意地汚い教育を受けているのだと思われたら、亡き両親を含めた先祖から、恥だと怒られてしまいそうだ。
だが出てきた料理のすべてが美味しかったのは本当であるし、清々しいほどの食べっぷりを見た店主にまた来てくれよと言ってくれたのも嬉しかったから悪いことばかりではないのだが、恥ずかしいことに変わりなく、思い出す度に火照った顔を冷たくした手で覆うばかり。
しかし、今は気持ちを切り替えなければならない。自分が今いるのは観光地でなく、戦場なのだから。
「さて、それじゃあ本題と行こうか」
犯人は現場に戻ってくると言うが、誰が言ったのだろうか。まったく、その通りである。
銃天使が作戦を練る場所として選んだのは、今朝激戦を繰り広げたばかりの港にある倉庫の一つで、すでにそこには彼の
暖かそうな毛布に、ラジオを模した魔導探知機。銃弾の作成に使ったのか、空の箱や試験瓶が散らばって、足の踏み場を無くしていた。
塒にしてからまだ三日と経ってないだろうに、どうやったらここまで汚く出来るのか。
ただ、自分が監禁されていた環境の方がずぅっと悪かったので、王族ならばあって然るべき文句もなく、せっせと自分の座る場所を作ってちょこん、と座り込んだ。
そこは突っ込むところではないなと落としどころを見つけて、銃天使は煙草を吹かす。
「俺達の標的は
「確かに、実際に戦ったわけではありませんが、とても強かったです。もしかして、今回招集された参加者の中で、一番強いのではないかとさえ思ってしまうほど」
「もしかしてじゃない。あいつは紛れもなく最強さ。今朝の戦いに顔を出さなかった四人がどんな連中か知らないが、少なくともうち一人が、もう奴に消されてる。抵抗する間もなくやられたなんて言われても、俺は疑わねぇ。奴には、それだけの力があるからな」
「あの方は一体・・・・・・」
「言っただろ。紛れもねぇ怪物さ。俺達天使の中でも頭一つ、いやそれよりずっと飛び抜けていた。才能も実力も、天使の常識で測ってなお飛び抜けてた。天界最強戦力の一角を担ってることに、誰も不満なんてありはしなかったよ。無論、俺もな」
銃天使は煙を噴く。自分で彼女のことを語れば語るほど、どうやったら勝てるのかわからなくなっていく。一種の不安と不満を、煙に巻かなければやっていられない気分になっていくのだ。
それだけ、自分は彼女の恐ろしさを知っている。
地上に生きるすべての種族を俗物と呼び、埃を払うかのように蹴散らすその様は、真の天使と呼べるのかもしれない。
脳の抑制を必要とせぬまま、古くから伝わる天使としての在り方をしている天使を、彼女以外に知らない。
ただし民を導くのではなく、塵芥を廃するという考え方の元、熾天使という天使は存在している。それが果たして、神の使いと呼ばれた古代の天使達が理想とした在り方なのかは疑問に感じるばかりだが、今はそのようなことはどうでもいい。
問題は、あれが地上の種族すべてを塵芥と同等かそれ以下にしか見ていないということだ。
少なくとも、自分や目の前のお姫様はこの国に対する被害を最小限にしようとしている。だがあれは、機嫌次第でこの都市そのものを崩壊させかねない時限爆弾のような存在だ。
彼女にやられた参加者がどのような人物だったのかは知らないが、一先ず感謝しておきたい。何事もなく殺されてくれたお陰で、こちらは作戦を練る時間まで与えられているのだから。
とにかくあの天使を倒す方法を考えなければならない。彼女の恐ろしさを知っているが故に全然思い浮かばないのだが、それでも思いつかなければいけないのだ。
でなければ最悪、この都市が海の藻屑と化す。焦土も避けたいが、藻屑よりはマシだ。とりあえず、世界地図からこの都市が消える事態だけは避けなければ。
「でも、参加者を一人倒されたなら、もう玉座に向かわれているのでは・・・・・・」
「それはねぇさ。あいつは俺を殺すために天界が送り込んできた刺客なんだからな」
「どういうことですか?」
「そもそも、この
「け、穢れ?」
「俺も、なんでおまえが選ばれたのかはわからん。だが俺は、天界にとって堕天使っていう汚点だ。それを消すために、奴が送り込まれたんだろう。そう考えれば、奴だけは例外ってわけだ。俺達汚れを駆逐する側。もしかしたら、おまえもそうなのかもな」
「でも私、今回選ばれた中できっと、一番弱いですよ・・・・・・?」
元々自信などなかったが、先の戦いでさらに失っていた。
だがそんな虚勢は、港の戦闘ですぐさま消え去った。
熾天使もそうであるし、銃天使もそうであるし、熾天使と対等に戦った自分と変わらぬ歳の少女。そしてもう、初見殺しは通用しない屍女帝と、現れた脅威の数は多く、さらに未だ正体のわからぬ四人の参加者。
現在一人減ったものの、それでも未だ控えている三人の参加者がさらなる脅威としてしか考えられず、自分がそれらに敵うとはとても思えない。
が、王女の弱音を聞いて、銃天使は大声で笑い出した。
「当然だな! それが普通なんだよ! こんな化け物ばっかりの戦場に飛ばされて、生き抜く自信がない方が普通なんだ! なのに第七次まで見返してみれば、どいつもこいつも自分が負けるどころか倒れてる姿すら想像もしてねぇような化け物ばっか出てるんだから、見届けてる方も感覚が狂うってもんだ」
天使の寿命はこの世の生物の中でも指折りの長さだと聞く。
これまで七度行われた五〇年に一度の戦争を、彼が何度見届けたのかは知らないが、きっと此度の参加者に引けを取らないくせ者揃いだったのだろうなと想像を膨らませる。
だが今を戦っている白雪姫からしてみれば、過去どのような戦いが行われたかなど、興味は湧くものの、聞いたところで意味はない。
自分が出ているのはこの第八次戦争で、現在生き残っている八人――銃天使が味方になってくれたので正確には残り七人との戦いを制し、生き残らなければならないのだから、聞かなければいけないのは此度の参加者の情報だ。
「銃天使様が知っておられるのは、あの天使様だけですか?」
「まったく知らないってわけでもねぇがな・・・・・・知らぬが仏って場合もあるぞ? それでも聞くか?」
「知らないよりは立ち回れるかと。お恥ずかしながら、世間知らずのまま育ってしまったものですから」
まぁ、箱入り娘だものな。
銃天使はそう言いそうになって、口を紡ぐ。
彼女が入っていたのは箱は箱でも温室でなく、冷たい鉄の檻だ。自分はなんの罪も犯していないのに、勝手な嫉妬によって自由を奪われた籠の鳥。
彼女の世間知らずは、人災と言っても過言ではないのだから、箱入り娘なんて言い方は合っていても、彼女に対しては言ってはいけないという理性が働いたのだった。
「そうだな・・・・・・まず俺と戦ったヴォイの屍女帝は、あの
「はい。あの方とは、一度お手合わせしました。とても、とても強かったです」
「んでもって、あの熾天使とやり合ってた弓使いに関しちゃあ、俺は知らねぇ。あんな化け物みたいな奴がいるなんざぁ、思ってもみなかった。あとは俺とおまえとで、港に来たのは全員だな」
「問題は、あの場に来なかった残り三名、ですね」
「一人は魔導生物兵器、
「では、あと一人は?」
正直なところ、銃天使はあれについての話は避けようと思っていた。
天界側がどう考えているのかは知らないが、あれは決して放置していていい代物ではない。何かしら対策を打っているはずだ。故に自分達は近付かず、事が終わるまで待とうと思っていた。
しかしこうも思うのだ。あれの力を借りられれば、熾天使を倒すことができるかもしれない。ならば考えなければいけないわけだ。
あれと協力関係を築き上げるための策を。
「
知らぬが仏。
我ながら、そんな可能性に気付かなければよかったとさえ思いながら、銃天使は煙を噴く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます