人の業、傀儡の業
人はいつ、死ぬのだろうか。
――心臓を銃で撃ち抜かれたとき。不治の病に侵されたとき。猛毒を飲んだとき。剣で首を刎ねられたとき。全身の血を抜かれたとき。全身の肉と血を焼かれたとき。鉄塊にその身を潰されたとき。獣の牙に脳天を噛み砕かれたとき。凍える大地に身を切り裂かれたとき。馬の蹄に蹴り飛ばされたとき――
違う。
それは命の終わりだ。
命が終わることと、人が死ぬことは違う。
例えその器の命が尽きたとしても、受け継ぐ別の器があればその
年齢が変わろうが性別が変わろうが、肉体とは劣化しながら意思を貫くために必要な器でしかなく、人とはその意志を差して言うものなのだと、とある研究者は結論付けた。
ならば意志を殺すにはどうすればいい。
ならば人を殺すにはどうすればいい。
簡単だ。これ以上なく簡潔に言えば、その意志を殺してしまえばいい。
人格、性格、その人そのものの考え方も何もかもを、殺してしまえばいいのだ。
その発想の下で、後に
なるほどその研究者というのはきっと偏屈で変わり者で、周囲からずっとひねくれ者と呼ばれて来たに違いない。
そうでなければ、そんな発想に至るはずもない。
おそらくは心の死んだ人間を何人も、それもおそらくは自分達の滅ぼした国で見て、見て、見て、その発想に至ったに違いない。
心の死んだ人間は傀儡以上に動かない。
それこそ
人にとって心は動力源であり、さらには原動力たる欲を生み出すエネルギーなのだ。魔術を扱うにはそれだけの魔力と知識が必要であり、それらを知るには知りたいという原動力たる欲が必要だ。
心の死んだ人間にはそれがない。
まさしく死人。動かない人。故にこれは死であり、殺人とはこのことを言うのだ。
そんな考えの元、人の人格を殺す人形は作られた。
まったくもって残酷なことを考える。
人の命ではなく、人の意志を断つことで殺人とするなどと惨いことを考える。
しかしそのお陰で――いや、そのせいで自分と言う存在が生まれたことに重複者は感謝などしていない。むしろ何故作ったのか、疑問ばかりだ。
作る時点で、それが何故自分達にまで牙が及ばないと信じていたのか不思議で仕方ない。
何故自分達が言うことをそうも簡単に、従順に従うと思っていたのか不思議でならない。
人間はいつも身勝手で、しかも自分達の都合のいいように解釈する。
銃という武器を開発した人間は、大砲という武器の存在を何故想像もせずに普及し、それらをさらに敵もまた使用し、利用することを考えなかったのか不思議でならない。
故にこれは、人の業。
自国の利益と宣い、私利私欲のために私達という怪物を生み出した人災だ。
知らぬ、存ぜぬ、興味もあらず。
私達――いやこの身に収められた無数の人格達がその後どうなったかなど、その結果どれだけの国が滅んだかなど、そんなことを知ったところで意味はない。
何せ罪悪感もなければ、さらにやってやろうなどという好奇心もない。
何せただそこで座っているだけで、ただそこにいるだけで勝手に彼らが死んでいくのだから、やりがいもなければ後悔もない。
それこそ、人間に恨みなんてものもないのだけれど、滑稽だと嘲笑うこともないのだけれど、それでも彼らが勝手に死んでいくものだから、それが当たり前になってしまったから、苦しむ心はどこにもない。
未だ、そんな人格を手に入れたことはなかった。
故に今、自分の側にいてくれる誰かの存在がどこかもどかしく、恥ずかしいような気がしてならない。自分を愛玩する人間はいたが、それは人形としての扱いであって、彼のように人間の少女として扱ってくれる人間は今までになかった。
故にどう扱っていいのかわからない。
何せ狂戦士だし、こちらの言うことをどれだけ理解しているのかわからないし、試しに水を持ってきてと頼んでみたら、水槽タンクを丸々持ってくるし、本当に扱いに困る。
だが戦闘においては、これ以上なく頼れる存在であることは違いない。
彼がいて、ここまで落ち着くこともない。
わざわざ自ら目を斬ることでこちらの魔術に干渉されない状態になってまで、自分を護ろうとしてくれる存在の膝の上は、他のどんな椅子に座るよりも居心地がよかった。
「ねぇ、
胡坐を掻く脚の中に座り込む少女の脇を抱えて、自身の肩に乗せた剛修羅は立ち上がる。彼女の頭が窓の淵にぶつからないように気を付けながら潜り抜けると、勢いよく飛び出して隣のビルの壁面を蹴り上げ、自分達のいたビルの壁面へ跳び、また隣のビルへ。
そうして連続して壁を蹴り上がっていった剛修羅と共に屋上へ飛び上がった重複者は朝焼けに目を細める。
魔導兵器だったが故に日の下などほとんど出たことがないために、滅多に見ることのできない日差しの温かさに陶器の体が焼かれる感覚が心地よくて仕方ない。
人間のように日に焼けることなどないが、それでも肌に染み入るように照り付ける太陽の眩さと温かさを十数年ぶりに感じて、重複者は堪らず両腕を高く揚げて背筋を伸ばした。
背筋が曲がるなんてこともなく、中に入っている人格らの真似事に過ぎないのだが、これが意外と気持ちいいことを不思議に思わない。
「さ、行きましょう?」
少女が太陽の下に出られたことに喜んでいたことを理解していたのか、動かず止まっていた剛修羅の頭を撫でるように軽く叩く。
剛修羅は吠えることもなく静かに唸ると、屋上に深く足を沈み込ませて蹴り飛ばし、一直線に駆け出した。
隣のビルへと高く跳んで、危なげなく着地するとそのまま走って次のビルへ跳んでいく。それをひたすらに繰り返して、港へと飛んでいく。
狂戦士の肩に乗る少女は颯爽とビルの森を跳んで抜けていく感覚を、身で風を切っていく感触で確かめる。
人工的に作られた髪が靡き、純白のウエディングドレスがフワリと彼の肩の上で舞う。昇ったばかりの太陽が未だ、陶器の体を温めて、風は轟々と唸りながら温まる体を冷やす。
ガラスの瞳は太陽の光を受けて虹色に輝き、海上都市という海の上に作られた人の営みを映す。感動的光景でも、彼女には感動する心がない。
走り、跳ぶ方も目は見えないし、そもそも狂化されているのだから彼女と同じで感動する心など持ち合わせていない。
故に少女はただ美しいと言える光景を見ただけで、それについての感想も感動も述べなかった。
港で繰り広げられる戦いで立つ氷の柱に関しても、なんの感想も抱かぬまま、単純に走らせ続けた。
港の戦線は白熱していた。
燃え盛る炎が襲い掛かって来ると思えば、それは一瞬で凍り付いて、体の一部だけでも捕まえて動きを封じてこようとする。
体の一部分でも捕まれば、そこから氷が広がって完全に捕らえられてしまう。
だが砕け散る氷が再び火の粉へと変わって炎の中に混ざり、また流動的な動きで銃天使を追いかけて捕えようとする。
炎が体の一部でも焼き焦がすようなことがあれば、そのまま炎は氷となって捕まえて、今度は皮膚を凍らせて斬るだろう。
故に銃天使は魔弾にて炎を爆ぜて、広く散らして火の粉にする。火の粉の状態ならば凍り付いたところで肌に触れればすぐに解けてしまう雪の結晶程度。
接近するなら今しかないと、銃天使は拳銃が武器であるにも関わらず接近を試みる。
翼を広げたかと思えば勢いよく収縮させ、ほぼ落ちる形で肉薄し、カウンターを狙って剣を振り払った
しかしそのまま引き金を引けば勝利だというのに、銃天使は引き金を引こうとしなかった。
「十一年も監禁生活だった割には、よくできてるじゃあねぇか」
「お褒めに預かり、光栄です」
と、背後から声がする。
積み上げられていたドラム缶の山の背後からゆっくりと白雪姫が出てくると、銃天使が押さえつけていた彼女を模した氷の彫像が色を失い、炎となって銃天使を捕まえようと伸びる。
大きく広げた翼を羽ばたかせて飛び上がった銃天使は逃げるが、炎の一つがついに彼の足を捕らえ、氷となって焼いた足を捕まえる。
銃で撃ち抜けばいいだけの話だが、しかし撃ち抜いたところでまた炎となって捕まるのがオチだ。戦うまでは正直侮っていたが、シンプルながらなんとも厄介な魔術だ。
炎は流動的に広がり、氷は捕らえるだけでなく身体機能をも奪って来る。この魔術を彼女に教えた人物は、よく戦いというものを理解している。
だが弱点として、魔力量の消費が激しいために長期戦闘はできないはずだ。
対してこちらはすでに魔力を魔弾として込めている。この戦闘中に魔力を消費するようなことは、少なくとも魔弾を使いきらない限りはない。
ましてやここまで氷と炎の魔術しか使って来ていないところを見る限り、彼女にそこまでの手札はないと見られる。ならばそこまで追い詰められることもないだろう。
街灯の上に降りた銃天使は、銃口を白雪姫から下ろす。炎の速度は大体見て取った。今の体勢からでも、街灯の高さも含めて計算すれば充分に間に合う。
何より銃天使には、魔力の枯渇で汗だくになって息を乱す白雪姫の姿が見下ろせた。
「苦しそうだな。楽にしてやろうか?」
「介錯など、必要ありません……」
「そりゃそうだ、王女様だもんな。なら斬首塔に送ってやるよ」
「生憎と、首切りについては間に合ってます……!」
「ほぉ、それは妾のことか?」
と、声が響く。
直後、白雪姫も銃天使もその場から跳んだ。背後から襲い来る黒い斬首刀が、空振りに終わって消えていく。
二人共意識は完全に相手に向いていて、不意を突かれた形。
この魔術の使い手が、わざと自分の存在を示して回避させたことは明白だった。白雪姫は魔術の使い手を知っているが故に睨み、銃天使は戦いに水を差されたことに舌を打つ。
彼女――
「引け、天使。その女の首を刎ねるは妾の仕事ぞ」
銃天使は返事の代わりに銃弾を放つ。
先ほど銃天使の首を狙った斬首刀に銃弾は軽く弾かれてあしらわれたが、それが銃天使の返事そのものであった。
「汝は本当に天界の天使であるか? 戦いに美学を持ち合わせているとは、天使らしからぬ行動よ」
「お生憎と、俺は堕天使だ。天使の義務だなんだと堅苦しい束縛から解放された身でよ、今更天使らしく利己的に、自分の利益も他人の利益も関係なく天界の命令だけに従って戦うなんてのは、もうごめんなんだよ」
「フム、そうか……つまり操られるだけだった傀儡が自意識を持って、自らの糸を自らで操り動き始めたと。実に滑稽極まりない話ではないか」
「あ”?」
銃天使の目つきが明らかに変わった。
鋭さの中に冷静さを隠し持っていた彼だったが、冷静さはもはやどこかへやってしまって、怒りに満ちた面相に似つかわしい鋭い眼光で射抜こうとしていた。
「そうであろう。今の今まで国の言いなりで戦うだけの存在だった者が、ある日自我に目覚めて反抗し、国に捨てられ、それでも自分の思うがままに生きてきたと思えば、再び国によって戦いの場へと引き戻される。そして汝は、それに従っている。これ以上なく滑稽で面白くもない。自分で操ろうとすれば糸が絡まり、結局は国に操られる。傀儡とは本来、自我に目覚めるべきではないのだ」
「てめぇ……俺達天使を傀儡と言ったか」
「否定するか? だが事実だ、堕天使。道化でももう少し考えて動くだろうに、おまえら天使というのは自我を持つとここまで面白くなくなるか。もはやそれは傀儡の業、よな」
「そのお上品な口調を話す脳天はそれか? 撃ち抜いてやるよ」
「出来るのか? 糸を切られた傀儡に」
首を傾げた屍女帝の側を通過した銃弾が、彼女の背後のコンテナを焦がす。
影からぬぅっ、と出てきたワンドを取って高々と掲げる。元々朝焼けを浴びて、ワンドの先端で輝いていた宝石が自らの光で眩く光り出すと、光の影から数十体の首なしの兵隊が現れた。
「さぁ首を差し出せ、いっそのこと汝の罪を洗い流し、妾が汝の糸を手繰ってやろう」
首なし兵士に対し、改めて拳銃を握り締めて銃天使は翼を広げて、風を切りながら滑空した。
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