祈りの龍巫女
魔法。
魔術世界において、魔術の先の領域を示す。
かつて世界の祈る声を聴いた聖女が、辿り着いたとされている魔術を超えた極致。
その領域に辿り着いた者は人類の歴史でも数えられるほどしか存在せず、一切の例外なく、名を歴史に刻まれる。
魔術師にとって、一度は憧れ目指す領域であり、そこに辿り着くために若き魔術師達は努力を惜しまず、学問に励む。
世界最大の魔術学園は、北方の大国ニルヴァナに聳える霊峰の頂きにあり、毎年才能溢れる魔術師らが、門を叩く。
だが今までに、学園から天界の戦争の参加者に選ばれた生徒は一人もいない。
世界中から実力と名のある九人の魔術師が選ばれて行われる
実質、億を優に超える魔術師から、五〇年で九人しか選ばれないのだから、魔術学園に合格するよりもずっと厳しく、狭き門であることは間違いない。
故に今回の第八次
しかし生徒にとって、戦争の参加者に選ばれたことはいいことばかりとは言えなかった。
無論、それが名誉なことであるのは違いないのだが。
「私には野心がありません。世界の統制を巡る戦いに出て、一体何を成せと言うのでしょう」
彼女は語る。
自分には野心がない。
出世欲がない。
支配欲も、独占欲もない。
そんな自分は人間ですらなく、魔術師でもない。彼女は自身をそう語る。
しかしそんなわけはない。
彼女には少なくとも生存意欲が存在し、無欲ではない。
食欲も睡眠欲もあるし、知的生命が送れる最低限度の生活水準を満たしたいという程度の欲は存在する。
彼女は間違いなく人間である。
龍神を崇拝する小さな村の出身である彼女は、神殿に仕える身であったために
歴代の龍巫女は先祖代々、崇拝する龍神に捧げる人柱の運命にあった。
現在一八の彼女は、二年後の二十歳の誕生日に、出身村近くにある火口に身を投げ、龍神に捧げられるはずだった。
だがその運命を、ある日突然宿った刻印が変えてしまった。
彼女の命は村一つを救うとされる、一種の風習一つを護る程度に過ぎなかった。
だが天界の刻印を刻まれたことで、彼女の命は実際には存在しない龍神の祟りから村を救うなどという領域から、実際に村と周辺諸国を救うほどにまで昇華された。
長年の村の生贄風習によって、龍巫女自身は生贄にされること、生贄そのものに対して拒絶心はなかった。
村を救うためであろうと、世界を救うためであろうと、彼女は静かに身を捧げる。
喜びもない。
悲しみもない。
ただの一言も文句もなく、役目を全うするだけである。
しかし世界が、彼女の犠牲を許さないかのように、彼女は才能に溢れていた。
魔術学校では多才な成績を見せ、彼女の放つ矢は“魔弾”と称された。
特別、風の魔術に長けており、彼女の“魔弾”は方向転換自由。かつ迷彩の魔術によって刺さるまで視認できない。
敵に見つかることなく相手を射抜く、まさに“魔弾”。
彼女はこの弓矢によって、学生時代無敗を誇った。
だが彼女は自身の才能に驕ることなく、自分の力に溺れることもない。
戦いの前。
試験の前。
とにかく何かあるとそれよりすぐに前に、彼女は必ず祈った。
しかし彼女は、神に祈っているわけではないのだと言う。
神を信じていないわけでもないらしい。
もし信じていないのなら、彼女は生贄になることに抵抗していただろう。
しかしだからと言って、彼女は神という存在を信じ切っているわけではなかった。
神とはおそらく大昔に存在した種族の名称で、人々が崇めるほどの絶対的な力をカリスマをもっていたのだろう、くらいに考えていた。
人々がとてつもない能力を持った相手を過大評価する際に、「おまえは神だ」と言うのと同じ感覚だと思っていた。
偉業を成した武人や偉人が歴史に名を遺すのと同じように、神代と呼ばれる時代に名を遺した人々が、神と呼称されているのだろうなくらいにしか考えていなかった。
故に祈りを捧げるのは、神代を生きた過去の偉人や武人達に対してであって、他の人々のような、死んでも尚生き続けている幽体の未知ではなかった。
過去の人々に祈りを捧げることで、その人達がかつて乗り越えた危機を自らも乗り越えられる力を、得られるような気分になるのだという。
故に彼女は戦いとなれば武神と呼ばれた者。
勉学となれば勉学の。
病に掛かれば、健康を司る神に祈りを捧げて、歴史にも残った健康体を身に宿す感覚だった。
祝詞を捧げて神を降ろす彼女を見て、降霊者だと呼ぶ者も多かった。
しかし彼女は霊的なものは一切信じなかった。
生きている者には必ず、肉体と肉声が存在するものだと信じていた。
故に霊を降ろすなどという感覚は彼女自身にはなく、過去の人々が辿り着いた領域に近付くための勇気を、少しだけ借りているという感覚だった。
故に彼女は例にもれず、此度の戦いにおいても戦の神に祈りを紡ぐ。
「神よ、どうか私に幸運を。戦いの神よ、我に力を」
しかし彼女は実際、そんな力など求めてはいなかった。
故に一人になるまで殺し合う必要性はなく、誰かが先に玉座に座ってしまえばそれで終わる。
故にこのとき龍巫女が祈った相手は、戦場において幾数万人を討ち取った荒々しい武神ではなく、激しい戦渦から人々を護った戦乙女だった。
どうかその守護の力を。
我が身を護り、人々を護る力を。
猶予時間三日間をすべて祈りに捧げ、彼女は戦場へと向かった。
学園の期待を一身に背負わされた彼女は、その道中でもまた、祈りを捧げ続ける。
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