恋よ、来い。 ~傷心デレラの忘れもの~
桜木エレナ
第1話 控えめな、控え妻
ここが、あの
ここにあの女がいる。
壮介さんの、今現在の浮気相手が・・・。
ごくりと唾をのみ込んで意を決した私は、アクセサリーショップ「パール」に入った。
店内をキョロキョロと見渡す私に、売り子の女性が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
「何かお探しですか?」
「あぁあの・・・」
指輪にネックレス、ピアスにブレスレット。
色とりどりにキラキラ輝く数々のジュエリーは、普段、そういう類の装飾品を身につけない私とは縁がないものばかりだ。
私、かなり場違いな所に来てしまってる・・・。
「すみません。買いに来たんじゃないんです。こちらに前田由香さんって方がお勤めだと思うんですが・・いらっしゃいますか?」
「えぇ・・はい。おりますが・・」
どう対応したらいいのか分からず、困った売り子を助けるように、「わたしが前田です」と、奥から一人の女性がやって来た。
「あ。店長」
颯爽とした身のこなしに、キビキビ、はつらつとした対応は、全身が自信に満ち溢れているように見える。
私の心は思わず萎縮してしまった。
やっぱり来るんじゃなかった。
でも・・・悶々と過ごしてばかりいても、現状は何も変わらない。
現状を変えたいと思うなら、何か行動を起こさなきゃ。
「失礼ですけど、どちら様ですか?」と無表情で聞いてきた前田さんは、本当は私のことを知っているのか、本当に知らないのか、分からない。
前田さんとこうして会うのは初めてだけど、もしかしたら壮介さんが家族の写真をこの人に見せて、私の顔くらいは知ってるかもしれないと思ったんだけど・・・まあいいや。
「私・・
私は前田さんの考えを肯定するように小さく頷くと「
それで全てを悟った前田さんは、「ここで立ち話は何だから。近くにカフェがあるの。行きましょ」と言った。
「え?・・・あ」
「ちょっと休憩に行くわね。30分以内には戻るから」
「はーい。いってらっしゃいませー」
もうすでに歩き出した前田さんを追いかけるように、私は慌てて「パール」を出た。
私の主人の浮気相手である前田さんは、注文を聞きに来たウェイトレスに「ソイラテ。カフェイン抜きで」と言った。
ウェイトレスが、問いかけるように私の方を見る。
何を飲もうかまだ決めてなかったけれど、私の口から「紅茶をください」と、自然に言葉が出ていた。
今は何も飲みたくない。
ここ数日は食欲もなかったので、私だけは適当に食べていた。
「かしこまりました」と言って去ろうとしたウェイトレスに、「ちょっと待って」と女性が言った。
「はい?何か」
「クラブハウスサンドイッチももらうわ」
「あ、はい。ソイラテと一緒に持ってきましょうか?」
「ううん。喉渇いてるから先に飲み物持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
ウェイトレスが去ってから、私たちの席に沈黙が広がった。
この人が、壮介さんの浮気相手か・・・。
私の向かいに座っている女性は、想像していた
少しつり気味の目から、勝気な印象を受けた。
思わずふり返ってもう一度見たいと思うくらい人目を惹くような、ものすごい美人じゃないところは、私と同じ。
でも、私より少し肉感的ではある。
そこが壮介さんにとって、妻である私よりも、より女らしく思えるのかもしれない。
私は、押し殺したため息をつきながら、少し顔を俯けた。
この人を見ていると、壮介さんと結婚する前の自分を見ているような気がして。
それなのに、この人は私がもう持っていない、失くした輝きや潤いを、私の分まで持っているような気がして、惨めな気持ちになるから。
と、そのとき、女性がテーブルに名刺を置いたので、私は再び顔を上げて、女性を見た。
壮介さんが持っていた見覚えのある名刺に、「前田由香」という名前。
主人の浮気相手に間違いない。
「デザイナー、なんですね」
「ええ。自分でデザインしたアクセサリーを売ってるの」
「そうですか・・」
「浮気は浮気だ」と割り切っている壮介さんは、いつも後腐れのない関係しか持とうとしなかった。
だから浮気相手も、ホステスとか・・「外見と技術を重要視した性のプロ」の女性ばかりだったはず。
やっぱりこれは、今までの浮気とは違う。
私たちの短い会話が途切れたとき、ウェイトレスが私たちの飲み物を持ってきてくれた。
ウェイトレスは、先に前田さんのソイラテをテーブルに置いた。
先に前田さんに注文を聞いたところといい、この場の主導権を握っているのは前田さんの方だと、ウェイトレスも感じ取ったのかもしれない。
確かに、前田さんには私に無いものがある。
それは自分に対する自信が、内から外へ溢れ出ていることだ。
そして自立心。これも、今の私は持ってない。
私が今、持っているのは・・・臆病な気持ちだけかもしれない。
壮介さんの浮気相手に思いきって会うために、息子の
つくづくバカな私・・・。
「サンドイッチはもうすぐ出来上がりますので」
「ありがと」
ウェイトレスと前田さんの端的な会話で、私は今自分がいる状況を再確認した。
前田さんは、私が壮介さんの妻であることを知っていたか、今知った知ったばかりだというのに、「立ち話は何だから」と言って、近くのカフェに私を巧みに誘った。
しかもサンドイッチまで食べようとしている。
この人、かなり図太い神経の持ち主なのかもしれない。
それより、これじゃあどっちが「壮介さんの妻」なのか、はたから見ても分からないわよね。
苦笑を浮かべた私に、前田さんから先制攻撃を仕掛けてきた。
「ごめんなさいね、色々頼んじゃって。最近すぐお腹空くのよ」
「は・・・あの、それより他のことを謝るべきじゃないでしょうか」
「他のことって、壮介さんとのこと?」
「分かっていらっしゃるなら・・・あの人の浮気は、今に始まったことじゃありません」
「知ってるわ。あの人が言ってたから。ついでに言うと、あの人は私と結婚する気なんてないってハッキリ言ったわ。それは別に構わないの。わたしだって結婚までしてあなたの家庭を壊す気はないし、そこまで望んでないから」
「だったら」
「でもね、子どもの認知はしてほしい」
「・・・え?」
子ども・・・?
認知・・・?
・・・あぁそうか。
だからこの人、カフェイン抜きのコーヒーを頼んだのか・・・。
呆然とした顔をしている私に、前田さんは驚きの表情を浮かべながら「あら。もしかして、まだあの人から聞いてなかったの?」と言った。
あまりの衝撃の強さに言葉が出ない私は、力なく頭を左右にふって応えることしかできなかった。
「そう。それでわたしに会いに来たんだと・・・わたしの勘違いだったのね。今、妊娠8週目よ。壮介さんも一緒に病院に行ってくれたの。言っとくけど、もちろんわたしは産むわよ。あの人も産んでいいって言ってくれたし」
「な・・で、でもっ」
「壮介さん、結婚はできないけど、子どもは認知するって言ってくれたわ」
「そんな・・・・・・」と力なく呟いた私は、両手をギュッと握りしめた。
・・・今までは、壮介さんの浮気という、妻に対する侮辱にどうにか耐えてきた。翔がいるから。
でもこれは、許容範囲をはるかに超えてる。
俯いて、全身を震わせている私に、前田さんが「あのね」と言った。
その口調は優しく、まるで聞き分けのない子どもをなだめるような感じで・・・。
私の
「わたし、今36なの。出産する頃には37になるわ。自分の血を分けた子どもはずっと欲しかった。でも元々妊娠しにくい体質みたいで・・仕事と違ってなかなか思う通りにはいかなかった。だから、わたしにとってこれが、最初で最後の出産のチャンスだと思うのよ。もちろん、相手は誰でも良かったわけじゃないのよ。壮介さんのことは好きだし。相性も良いみたいだし。ほら・・色々とね」
「・・・なんですって?」
私は向かいに座っている前田さんの目を、ひたと見据えた。
そんな私の表情や、28年の人生の中で最高潮・最大限に発している怒気に怯んだのか。
前田さんは一瞬、体をビクッとさせたものの、元々度胸がある人なのだろう、すぐに体制を立て直したようだ。
「聞いてるわよ、壮介さんから。あなたとはもう何年もご無沙汰だって。体の相性が悪かったんでしょ?だからあの人は浮気するしかなかったって言ってた。あぁそうそう、こんなことも言ってたわねぇ。確か・・・“妻の控えめな所が気に入って結婚したんだが失敗だった。あれは控えめな妻って言うより、控えの妻だよ。できればおまえを本妻にしたい”ってね」
「・・・・い」
「え?なに・・」
「すればいいじゃない。壮介さんと結婚、すればいいじゃない!」
おとなしくてオドオドしていた私が、まさかここまで怒りをあわらにするとは思ってなかったのか。
前田さんは目を見開いて、私を見ていた。
「私が今日、あなたと会ったのは、あなたがどれだけ本気で壮介さんとおつき合いをなさっているか、確かめたかっただけです。それはもう十分分かりました。お子さんも生まれることですし。だから・・・・・・。でも、見ず知らずのあなたが生む子を壮介さんの子と認知されるのは我慢できません。生まれてくる赤ちゃんは、壮介さんとの子なんでしょう?」
「も、もちろんよ!」
「だったら、壮介さんと結婚すればいいじゃないですか。私はもう、あの人と結婚生活を続けるつもりはありません。これ以上、あの人に存在を軽んじられ、踏みにじられるのはたくさん。キッパリ別れます。あぁでも、大丈夫ですよ」
「なにが・・?」
「あの人、自分の子どもにはとても優しい父親ですから。きっとあなたとの子どもにも優しい父親になってくれるでしょうね。それじゃあ、私の話は終わりましたので、これで帰らせていただきます」
「あ、ちょっと!」
「もう二度とあなたに会うつもりはありません。それがお互いにとって最善の道だと思うので。お世話様でした。さよなら」
悔し涙は出なかった。
そんな時期は、とっくの昔に過ぎたことだから。
心は深く傷ついている。でも不思議とスッキリしてもいた。
だからか、私はスッと立ち上がると、ふらつくことなく、背筋を伸ばして胸を張って、スタスタと歩くことができた。
もちろん、一口も飲まなかった紅茶代は自分で払って、カフェを出た。
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