三 閑話・夢物語

「――ちゃん、こっちおいで」

 俺は呼ばれた方向へ走っていく。呼んでいるのは……誰だ? 名前も知らない、見たことの無い貴女ひと。いや、正確には違う。俺はこの人を知っている。知ってはいるが、見たことはない。この姿を見たことが無いんだ。懐かしくも感じる、幼い頃に住んでいた隣町の森林公園。山の中腹に位置するこの公園は徒歩ではとても遠い筈なのに何故か俺たちは歩いている。前を歩く黒髪の綺麗なお姉さんに手を引かれて。何でこんなところを歩いているのだろう、目的は何だ。というか何故俺たちは制服なんだ? 俺は高校の制服で、お姉さんは何処の学校か分からないけれど、黒のセーラー服。百歩譲って俺は愛用しているスニーカーだから良いにしても、この人は黒のハイソックスにローファーという、山道にはとてもじゃないけど適しているとは言い難い格好。しかし足取りは俺より遥かに軽く、スタスタと……というか時々ぴょんぴょん跳ねながら前を歩いていく。いや、速くね……ちょっと待って……。

「ほーらー、あとちょっとだから、頑張れ!」

「んなことッ、言ったってッ、ハァッ、制服でこれは、キツい……」

「あとちょっと、あとちょっとだから頑張って!」

 な、何でこんなに軽やかに歩けるのか分からん……。段々と坂になってきて、斜面は結構急勾配である。最近あまり運動をしていなかった俺の脹ら脛は痛みを訴え始めている。あとちょっとってどれくらいなんだよ! でもここで諦めちゃ駄目な気がする。理由は無いけれど。

「はい着いたー!」

 着いたのは山頂の展望台。そんなに大きい山では無いとはいえ、登りきるとそれなりの高さになるみたいだ。木製の柵の先に見えたのは、夕日に照らされて赤く燃えるような木々。あれ、何だ、ここ前に誰かと来たことあるような……。

「ここでした約束、覚えてる?」

 え、なんだそれ……。忘れちゃいけないのに忘れてしまった、そんな気がする。何で忘れてしまったのかも分からない。何かが頭から抜け落ちているような、心にぽっかりと穴が空いてしまったような、そんな感覚。

「思い出し……てないねこれは。君がこれを思い出したとき、きっと名前も戻ってくるよ」

「え、なんで名前の事を」

「だって私は君の――だからね」

 そこで景色が段々と白くなって、靄に消えていく。

「はやく思い出すんだよ、時間がそんなにないから」

「待ってッ、」


 ***

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