3 官能的

 ふらふらと図書館に戻り、デスク上の資料とパソコンを閉じて、カバンにしまった。真っ黒なパソコンの画面に映っているのは、尋常でなくやつれた自分の顔だ。彼女は言葉一つで私を弄ぶ。いや、しかし、彼女だけに弄ばれるのは嬉しいことかもしれない。私の愛がそれだけ大きなものだと、認められたような気分になる。

 結局、課題は後回しになった。私は楽な道を選んでいる余裕がないのにも関わらず、また自分を甘やかしてしまった。正気を保っていられるのも、家に着くまでだろう。彼女が関与すると、私は理性ある私ではなくなってしまうのだ。もっともこれは、私が望んでいることかもしれないが。

 もはや彼女を手放すことなど不可能であって、この状態にまで持ってきた彼女本人もこれをよく理解しているはずだ。今や、彼女は私にとっての唯一の存在意義で、私が自分を成り立たせるためには、誰にも彼女に触れさせてはならない。

 ――あなたと一緒にいたい。

 あの日に腕を掴まれた痛みが、冷たさが、記憶を伝って脳を焼く。君にとって私がただの都合のいい存在であったとしても、私にとって君は唯一無二なんだよ。それでも一度、君の手を振り払ってあげた。

 ――壊したかったら、壊せばいい。

 君の許しで、私はどんどんエスカレートしていく。早く止めてほしい。いいえ、しかし心の奥底では、いつまでも止めないでほしい。もしも、君が嫌になったら、そのとき私は、何のために生きていけばいい?


 ガラス張りのビルに入って、カードを挿す。エレベーター前のガラス扉が開く。灰色の乗り物に足を踏み入れ、最上階のボタンを押した。

 最上階。常に思うが、彼女は持ちすぎた結果、持てなかったものに異様に執着するようになったのかもしれない。だから、クラスの人気者というポジションにも飽き足らず、誰かに死ぬほど愛されたいなんていうくだらない欲望に足を掬われたのだろう。私よりも遥かに多く持つ彼女がここまで堕ちたのは、私でももったいないと思う話だ。

 私は全てを招いた張本人。神様がいるならば、きっと私を赦さない。

 鍵を鍵穴に挿して、回した。ドアを開けると、彼女は玄関にちょこんと座って私を待っていた。白いワイシャツの中から、傷だらけの肉体が透けて見える。ゾクゾクした。

「おかえり」

 彼女は晴れた笑顔になる。

「ただいま」

 私は答えて、彼女に着替えるように指示した。

 玄関から部屋に入り、長袖のセーターとロングスカートを準備する。収納の中には、タートルネックの洋服が何着か丁重に畳まれている。私はそれらを取り上げて、比較してみた。

 白にしよう。そして、スカートの方は水色。綺麗な彼女にぴったりだ。

 服が用意できた頃、彼女はワイシャツを脱ぎ捨て、真っ白なレースのついた下着を着けていた。朝霜が掛かった、常人よりひときわ白く繊細な背中に、痣と赤い凹凸が歪に浮かぶ。彼女は氷のような無表情でこの肌に向き合っている。驚くべきことに、私は罪悪感と共に、この芸術的模様に倒錯的な美を見出してしまうのだ。

 突如彼女は振り返る。視線が釘づけになっていたことがバレて、少しぎこちない私に、何ともないような微笑みをくれた。本心をごまかすために、素早く着替えを彼女に渡す。彼女は相変わらず女神のように笑っている。その笑顔の真偽なんて関係ない。私にとってそれは何よりも眩しく感じられるのだ。

 彼女が着替え終わると、私は小さな箱からアクアマリンのついたネックレスを取り出して、セーター越しに彼女の首に掛けた。驚いた表情を見せられた。私はただ頷いた。

 玄関に戻るとき、彼女はヒヨコのように、ひょこひょこと私の袖口を掴みながらついてくる。私は玄関口に掛けてあった、黒のオーバーコートに腕を通した。

「一年生に見えないね」

 彼女はくすくす笑う。

「君の前だから仕方ないでしょう」

「昔はまた違っていたのだけれど」

「あの頃は忘れていい。今とは人が違う」

 彼女は答えなかった。代わりに、両手で私の左腕を掴み、頬を私の肩にくっつけた。全身を擦り寄せてきた彼女の胸が腕に当たる。柔らかな髪が肩からこぼれ落ちる。

「外に出るから、体をくっつけて来ないで」

 ドアの取手を引っ張りながら注意すると、彼女は素直に離れた。腕に残った彼女の体温と官能的な感触で、頭が回らなくなる。彼女に出会うまでは、こんな恍惚とした感覚を知らなかった。

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