第一話

盆地である京都の夏は、熱と湿気の半球で蓋をしたようだ。

肌に張り付いたシャツや止まらない汗に人々は行き場のないイライラを積もらせる。

だが、そこは京都。鬱陶しい暑さも、持ち前の景観や自然で涼を取れるだろう。

きっと石畳を濡らす打ち水や川床をサラサラと走る清流が、筆を取りたくなるような清涼感を連れてくるはずだ。


ところで、目の前はどうだ。

建ち並んだビルや、熱気を揺らがせるアスファルト、宣伝用の看板の目につく鮮やかさは

外から来た観光客の、ある種の"幻想"を打ち砕く。

日本有数の観光地と言えど、旅情を感じたり、柄にもなく淑やかに振る舞ってみたりする場所というのは案外限られているものだ。

そして、それ以外の場所は他の都市と何ら変わりない風景が広がっているのである。


例えば、涼やかな葉影に佇む寺院。

ツヤを失った木目は少しくたびれた雰囲気だが、廃墟とは程遠い。時代の古さは感じても、モノの老朽は感じさせないと言ったところか。

その寺院はいかにも、私は俗世間から離れています、とすましているようだ。


だが一枚塀を挟んだ向こうの世界は、牛車ならぬ鋼鉄の車が往来し、濁った空気が充満する"俗世間"だ。

そのギャップこそが、現実である。


さて、そんなビル街にて、騒がしい複数の足音が響いていた。

「そっちに行ったぞー!」

「任せろ!!」

「く、来るなぁぁ!!」

警官らしき格好をした男二人と、季節に逆らいスーツを着こんだ男がリアル鬼ごっこを繰り広げていたのだ。


男は、障害物の多い店内に入り、品物を押し退けながら抵抗を続ける。

対して、警官の一人が粘り強く後を追う。

店内を一、二周して再び外に出ようとした男を、

「確保!!」

「うわっ!?」

捕獲網を広げ待ち構えていたもう一人の警官が、男を網に閉じ込めた。

「くそっ、離せ!俺はっ、

あいつを殺すまで、死ねないんだぁぁあー!!」

慟哭する男は尋常ではない気迫で、相当な怨みがあるようだ。

しかし、それを物ともせず怒りで震える男の肩に警官が優しく手を置き、神妙に告げた。



「いや、お前もう死んでるから

現実見よう……?」

「……」


捕まった男は店内を見回し、長いため息をついた。

先ほどまで逃げ回っていた店内は、何の変化もなしに客たちが買い物を楽しんでいた。

会計を済ませた若い男女が、網の中にへたりこむ男には目もくれず、男の横をすり抜けていく。

「ありがとう~!このバッグ欲しかったんだよね~!」

「いいんだよ!今日は付き合って三ヶ月目の記念日なんだから」

溢れ出る幸せオーラを顔面に受け、男はげんなりと肩を落とした。

「めちゃくちゃだ、不平等だ、こんな世の中……」

「うんうん、俺もそう思うよ」

未だ男の肩に手を置いたままの警官が

目を伏せて言う。男は芝居かかった表情を一睨みし、

「うるさい」

と恨めしそうに唸った。



かくして男はあの世へと連れていかれた。








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